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第78話 輪が“手紙箱”になりかける

 角の板は、昨日より“板”になっていた。

 釘は一本。木札は一枚。輪は一つ。箱は閉じてる。欠けの石は欠けたまま。

 静かだ。静かって言うな。胸の中で静か。


 静かなのに、輪の前だけ、空気が小さく盛り上がっている。

 盛り上がるのは、たいてい紙だ。紙は軽い。軽いと増える。増やすな。


 輪の前に、紙を持った人がいた。

 紙は小さい。字も小さい。角ばってる。丁寧な紙の顔。

 丁寧な紙は、貼りたがる。貼ると残る。残ると増える。増やすな。


「これ、輪に掛けていい?」

 言い方が確認で助かる。断定じゃない。

 でも“いい”が出ると次が来る。次が来ると輪が輪じゃなくなる。


 板番のおばさんが腕を組んで言った。

「今日だけ」

 短い。短いから刺さらない。刺さらないのに、紙の手が止まる。止まれるなら勝ち。


 レンカが息を吸って口を押さえた。えらい。

「……輪、便利」

「言うな」

 ユリネが即座に刺す。

「……胸の中で便利」

「胸の中でも増やすな」


 便利は危ない。

 便利は“置ける”を呼ぶ。

 置けるは“置きっぱなし”を呼ぶ。

 置きっぱなしは“誰でも見る”を呼ぶ。

 誰でも見るは“口が太る”を呼ぶ。


 輪が一つあるだけで、未来が太る。太るって言うな。


 紙の人が、恐る恐る言った。

「でも、これ……急ぎで」

 急ぎ。

 危ない単語。

 急ぎは鐘を呼ぶ。鐘は足を呼ぶ。足は混ざる。増やすな。


「急ぎって言うな」

 ユリネが短く刺す。

「……胸の中で急ぎ」

「胸の中なら勝手にしろ」


 コトが笑顔のまま一歩だけ近づいた。

 一歩だけ。増やさない距離。

「急ぎなら、輪より先に“見る”がいるかも」

「見る?」

「誰に見てほしいの?」


 ここで“誰”が出ると、名前が増える。名前が増えると板が板じゃなくなる。

 でもコトの言い方は、名前を聞くんじゃない。目的を引き出す言い方だ。刺さらない。


 紙の人が小さく言った。

「直し屋さんに……鍵の留め具、返したくて」

 返したい。

 善意だ。

 善意は良い。良いけど、板に載せると太る。太らせるな。


 タケルが真顔で言った。

「箱を挟む」

「言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で挟む」

「胸の中なら勝手にしろ」


 直し屋の人は、角の少し先でこり、こりしている。

 聞こえる距離。見える距離。

 見える距離なら、紙はいらない。

 紙がいらない日まで紙を出すと、紙が常駐する。常駐は欄を呼ぶ。やめろ。


「紙じゃなくて、持って行けばいい」

 ユリネが短く言った。

「でも、いつ居るか分からなくて」

「分からないなら、欠け」

 ハルが小さく言った。

「言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で欠け」

「胸の中なら勝手にしろ」


 欠けの石。

 分からないものを置く場所。

 置きっぱなしにしないための場所。

 “今じゃない”を置く場所。


 紙の人が欠けを見る。

「欠けに……紙?」

「紙にするな」

 ユリネが短く刺す。

「……胸の中で紙」

「胸の中でも言うな」


 板番のおばさんが、輪の下の空間を指でとん、と叩いた。

 小さい音。呼び笛にならない。

「輪は“見せる”場所。欠けは“待つ”場所」

 言い方が雑で、でも優しい。雑な優しさは生活に効く。


 そこへ、最悪が来る。

 別の紙がもう一枚、現れたのだ。

 紙を持った別の人が、輪の前で同じ顔をしている。

 紙の顔が同じだと、人は「じゃあ私も」になる。なると増える。増やすな。


「これも輪に?」

 別の人が言う。

 言い方が確認で助かる。断定じゃない。

 でも確認が二つ並ぶと、輪はもう箱になりかける。

 手紙箱。紙箱。口箱。やめろ。


「今日だけ、は一枚だ」

 板番のおばさんが短く言った。

 短いから刺さらない。刺さらないのに、二枚目の手が止まる。止まれるなら勝ち。


「えっ、でも」

「でもじゃない」

 ユリネが短く切った。

「輪が箱になる」

「箱って言うな」

 ミナギが言いかけて、口を押さえた。えらい。

「……胸の中で箱」

「胸の中なら勝手にしろ」


 ここで輪を守らないと、明日から輪が“掲示板の掲示板”になる。

 そうなると鐘が鳴る。鐘が鳴ると朝市が前倒しになる。前倒しになると豆が転がる。ころん。最悪。

 未来を先に止めたい。


 コトが笑顔のまま、二枚目の紙の人に言った。

「それ、誰に見てほしい?」

「湯屋番さんに……脱衣所に忘れ物しちゃって」

 忘れ物。

 忘れ物なら箱だ。

 でも箱は物。紙は口。口を箱に入れるな。昨日やった。増やすな。


 タケルが真顔で言った。

「箱を挟む」

「また言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で挟む」

「胸の中なら勝手にしろ」


 湯屋番は夕方にいる。

 今は朝。

 今じゃない。

 今じゃないなら、欠け。

 欠けは便利じゃない。便利じゃないから太らない。


 板番のおばさんが、輪に掛かった一枚目の紙を見た。

 直し屋の留め具の話。

 紙は丁寧だ。丁寧なのに太る入口だ。

 おばさんはため息を一つだけ吐いて、言った。


「輪に掛けるなら、読むな」

「えっ」

「読む前に増える。読むのは必要な人だけ」

 言い方が厳しいのに刺さらない。生活の厳しさだ。


 紙の人が焦って言う。

「でも読まれないと意味が」

「意味って言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で意味」

「胸の中なら勝手にしろ」


 コトが柔らかく言い換える。

「見せたい相手が来たら、見せればいい」

「来るまで?」

「来るまで、欠け」

 ハルが小さく復唱する。復唱は作法になる。


 紙の人が戸惑う。

「じゃあ、輪って何のため」

 いい疑問だ。疑問は増える入口にもなる。

 でもここは“説明しない”回だ。説明を足すと輪が箱になる。やめろ。


 タケルが真顔で一言だけ置いた。

「見る」


 それだけ。

 輪も板も、同じ答えだ。

 見る。

 見るだけで回る。

 回るって言うな。胸の中で回る。


 板番のおばさんが、輪の紙をそっと外した。

 外す。

 外すは増えない。

 外した紙を、欠けの石の上に“置かずに”、紙の人の手へ戻した。

 戻すと責任が板に生えない。生えないから太らない。


「今日だけ」

 おばさんがもう一回言った。

 二回目は増やす二回じゃない。戻す二回だ。


 紙の人が、紙をたたんで胸のポケットに入れた。

「……分かった。直し屋さん、見えたら渡す」

「よし」

 ユリネが短く頷く。

 これで一枚目は消えた。消えるって言うな。胸の中で外す。


 二枚目の紙の人が、湯屋の忘れ物の話を言いかけて、止めた。止まれるなら勝ち。

 代わりに言い直す。

「……湯屋、夕方」

「欠け」

 ハルが小さく言って、二枚目の人は頷いた。

 紙を出さずに、空中で“手ぬぐい”の形だけ指で描いて、すぐ手を下ろした。

 指は太らない。口ほど増えない。


 板番のおばさんが一回だけ頷いた。

「見えたら言う」

 短い。短いから増えない。


 これで終わる、はずだった。

 はずって言うな。胸の中で、はず。


 ところが、輪が“使える”と分かった瞬間、人は“使い道”を増やしに来る。

 増やすな。


「じゃあさ、輪に“伝言”掛けとけば便利じゃない?」

 ミナギが言いかけた。

「便利って言うな」

 ユリネが刺す。

「……助かる?」

「助かるのは口を結んだ時だ」

 ユリネの返しが珍しく丁寧で、ミナギが口を尖らせて黙った。黙れるなら勝ち。


 コトが笑って拾う。

「伝言は、目の前で渡せるときだけ」

「目の前」

 レンカが小さく復唱して、口を押さえた。えらい。

「目の前じゃないなら、欠け」

 ハルが小さく重ねる。

 欠けが便利になりすぎない範囲の答えだ。助かる。助かるって言うな。


 直し屋の人が、こり、こりと手を止めて顔を上げた。

 目が合う距離。

 紙の人が一歩だけ近づく。

 一歩だけ。増やさない距離。


「これ、留め具……返したくて」

 声は一回。

 直し屋の人は頷いて、手を伸ばす前に言った。

「箱を挟む?」

「……挟む」

 紙の人が言い直して、留め具を落とし物箱の前の木皿に置いた。

 置いたら、直し屋の人が取る。

 手渡しじゃない。責任が生えない。

 生えないから、角が軽い。


 相乗は結果一行でいい。

 輪を使わずに返せたから、紙が増えなかった。


 夕方、湯屋番が通る。

 ハルが小さく言う。

「……手ぬぐい」

 言い方が一回で止まる。

 湯屋番が頷いて、脱衣所の端から手ぬぐいを一枚持ってきて、持ち主へ渡した。

 渡したら終わり。終わりがあると増えない。


 輪は、輪のままだった。

 釘は一本。木札は一枚。輪は一つ。

 “使える”のに“箱にならない”。

 それが今日の勝ち筋だ。勝ちって言うな。胸の中で勝ち。


 家に戻ると、鍋が鳴っていた。

 湯気が上がる。湯気は増えていい。増える湯気は生活の勝利だ。


 ミナギが椀を取ろうとして、

「順番」

 ユリネが一言。

「……はい」

 ミナギが言い直す。言い直せるなら勝ち。


 レンカが小さく宣言して、すぐ口を押さえた。

「今日、輪を箱にしなかった!」

「箱にしかけた」

 ミナギが真顔で言いかけて、

「未遂って言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で未遂」

「胸の中でも言うな」


 タケルが真顔で言った。

「輪は見る。欠けは待つ」

「言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で待つ」

「胸の中なら勝手にしろ」


 ハルが小さく頷く。

「……紙、増えなかった」

 シノがぼそり。

「……口、二回結べた」

 コトが笑う。

「便利を増やさないって、上手だね」

「言うな」

「……胸の中で上手」

「胸の中なら勝手にしろ」


 刺さらない笑いが湯気に混ざって、台所が軽くなる。

 輪は残る。

 でも説明は増やさない。

 増やさないまま回るなら、それが一番の“正式”だ。


 ユリネが短く言う。


「飯! 湯!」

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