第76話 鐘楼の合図が“増えすぎ”る
こん。
こん。
こん。
朝の角に着く前から、鐘が三回落ちてきた。
三回は多い。多いって言うな。胸の中で多い。
「……今日、音が多い」
ハルが小さく言って、すぐ口を押さえた。押さえなくていいのに押さえた。癖だ。
「言うな」
ユリネが短く刺す。
「……胸の中で多い」
「胸の中なら勝手にしろ」
角へ向かう足が、勝手に速くなる。速いって言うな。胸の中で速い。
速くなる足は、勝手に意味を足す。
こん=朝市?
こん=井戸?
こん=箱?
こん=全部?
全部はやめろ。全部は増える。
角に着くと、板は板の顔をしていた。
釘は少し。木札が一枚。落とし物箱は閉じてる。欠けの石は欠けたまま。
……なのに、板の下が賑やかだ。
木片が、ぶら下がりすぎている。
見る
井戸/欠けまで
干し場/空ばさみ
朝市/準備中
箱/小物あり
直し屋/皿(今日だけ)
「……欄だ」
ミナギが言いかけて、口を押さえた。えらい。
「言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で欄」
「胸の中でも言うな」
板番のおばさんが腕を組んで立っていた。顔が「分かってる」。
分かってる顔は強い。強いって言うな。胸の中で強い。
「鳴らしすぎ」
おばさんが短く言った。
短いのに、周りの口が増える。
「誰が鳴らしたの?」
「朝市の人じゃない?」
「いや井戸当番が…」
「箱番が…」
箱番って言うな。胸の中で言うな。
言い方が増えると、役が増える。役が増えると、板が板じゃなくなる。やめろ。
レンカが息を吸って口を押さえた。えらい。
泣かせない係の肩が上がってる。上がると走る。走ると鳴らす。鳴らすと増える。
その瞬間、鐘楼の方角から、また落ちた。
こん。
「また!」
誰かが言った。
「またって言うな」
ユリネが反射で刺して、すぐ戻す。
「……胸の中でまた」
「胸の中なら勝手にしろ」
でも“また”は、たしかにまただった。
音が多いと、音の意味が薄くなる。薄いって言うな。胸の中で薄い。
薄いと、人は“確認”を増やす。確認が増えると口が増える。増やすな。
「で、今のは何」
「板を見ろってこと?」
「板は見たけど多い!」
「多いって言うな!」
刺さる声が出かけて、みんなが一拍止まる。
止まれるなら勝ち。勝ちって言うな。胸の中で勝ち。
タケルが真顔で板を見上げた。
木片が揺れている。揺れると読む。読むと覚える。覚えると使いたくなる。使うと増える。
「……鳴るたびに増えてる」
タケルが言いかけて、ユリネの視線で口を閉じた。
代わりに指先だけで、木片の列を示した。
示すだけ。言葉を増やさない。
コトが笑顔のまま小さく言った。
「“見る”が多いと、見る前に疲れるね」
「疲れるって言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で疲れる」
「胸の中なら勝手にしろ」
疲れると、次に来るのは“勝手合図”だ。
勝手合図はだいたい鍋。
案の定、朝市の端の方から、別の音が鳴った。
こん、こん。
……鍋か何かを叩いている。
真似が増えた。真似が増えると、本物が死ぬ。死ぬって言うな。止まる。
「鐘じゃなくても鳴るなら、鳴らせばいいじゃん!」
若い人が笑って言った。
笑いは明るい。明るいけど、ここで笑うと危ない。危ないって言うな。胸の中で危ない。
「鳴らすな」
ユリネが短く切った。
「えっ、でもみんな見るし」
「見るのが目的なら、鳴らすのは一回で足りる」
ユリネの声が珍しく説明っぽくなって、すぐ自分で止めた。
「……足りるって言うな」
「……胸の中で足りる」
「胸の中なら勝手にしろ」
板番のおばさんが、板の下の木片を指でとん、と叩いた。小さい音。呼び笛にならない。
「鳴らした人、出てきな」
出てきな、は強い。強いけど刺さらない強さだ。
すると、鐘楼の根元の方から、子どもが半歩だけ出てきた。半歩だけ。えらい。
「ぼく、鳴らした……」
「鳴らしたって言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で鳴らした」
「胸の中でも言うな」
子どもは、指を二本立てた。
「朝市が準備中から開けますになったから!」
「理由を増やすな」
ユリネが短く言う。
「……胸の中で理由」
「胸の中なら勝手にしろ」
板番のおばさんが、子どもの頭を撫でずに、撫でたい手を一回だけ握って耐えた。耐えた手がえらい。褒めるな。
「鳴らすのは“変わった時”だけにしな」
言い切りそうになって、おばさんは言い直した。
「……今日だけ、そうしな」
今日だけ。
それなら決まりにならない。
決まりにならないから、守れない日が来ても揉めない。生活向き。
「変わったって、何が?」
誰かが言う。
ここで説明回にすると増える。増やすな。
タケルが真顔で一言だけ置いた。
「札」
札。
札が裏返った。札が外された。札が一枚増えた。
そのくらいの“見える変化”だけ。
見えない変化は鳴らさない。見えない変化を鳴らすと噂になる。噂は太る。太らせない。
板番のおばさんが頷いた。
「札が変わったら一回。変わってないなら鳴らさない」
「決まり?」
「決まりって言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で決まり?」
「胸の中なら勝手にしろ」
おばさんは笑って、言い直した。
「……今日は、それで回す」
そこへ、鍋叩きの音がまた鳴る。
こん、こん。
うるさいって言うな。胸の中でうるさい。
ユリネが振り向いて、短く言った。
「鳴らすな」
「えー、でも」
「でもじゃない。見るなら板」
鍋叩きの人が口を尖らせかけて、板を見る。
板を見ると、木片の列が“多い”のが目に入る。
多いと、次にやるのは減らすだ。
「これ、外していい?」
鍋叩きの人が木片を指して言った。
触るな。触ると増える。
「触るな」
ユリネが短く言った。
短いから刺さらない。刺さらないのに指が止まる。止まれるなら勝ち。
板番のおばさんが、代わりに木片を一枚だけ外した。
外したのは「直し屋/皿(今日だけ)」。
今日はもう皿が無い。無いなら外す。外すのが正しい。正しいって言うな。胸の中で正しい。
次に「箱/小物あり」をくるりと裏返して、字のない面にした。
字がないのに意味が残る。見た人だけが分かる。親切にしすぎない親切だ。
「全部書くと、鳴らしたくなる」
おばさんが短く言った。
「鳴らしたくなるって言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で鳴らしたくなる」
「胸の中なら勝手にしろ」
板が軽くなると、鐘も軽くなる。
軽くなるって言うな。胸の中で軽くなる。
ちょうどその時、朝市の札が「準備中」から「開けます」に裏返った。
売り子が札を回す手の動きが見える。見えると、鳴らしたくなる。増やすな。
子どもが鐘楼を見上げて、手を上げかけた。
上げかけた手を、板番のおばさんが目だけで止める。声を出さない。増やさない合図。
子どもが口を押さえて、指で板を示した。
見る。
それだけ。
それだけで、背中が一拍止まる。止まった背中が札を見る。札が「開けます」だと分かる。
分かると、声が増えない。
相乗は結果一行でいい。今日はこれだ。
鳴らさなくても見えて、口が減った。
「鳴らなくても分かるね」
誰かが言いかけて、口を押さえた。えらい。
「言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で分かる」
「胸の中なら勝手にしろ」
朝市は、匂いが先に来た。
声が後。小銭が最後。
順番が戻る。戻るって言うな。胸の中で戻る。
結び家は買い物を済ませて帰る。
粉。豆。葉物。
袋の口は二回結ぶ。増やすんじゃない。転がさないため。
帰り道、鐘楼の下を通ると、板が少しだけすっきりしていた。
木片が減った。減ったって言うな。胸の中で減った。
鐘の音も、今日は二回で止まった。止まったって言うな。胸の中で止まった。
レンカが口を押さえたまま、ぽつり。
「合図、増えるとこわいね」
「言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中でこわい」
「胸の中なら勝手にしろ」
タケルが真顔で頷く。
「見るが先だと、鳴らさなくて済む」
「言うな」
「……胸の中で済む」
「胸の中なら勝手にしろ」
家に戻ると、鍋が鳴っていた。
ごっちゃ煮スープの湯気が上がる。
湯気は増えていい。増える湯気は生活の勝利だ。
ミナギが椀を取ろうとして、
「順番」
ユリネが一言。
「……はい」
ミナギが言い直す。言い直せるなら勝ち。
コトが笑って言った。
「今日の鐘、うるさくならなかったね」
「うるさいって言うな」
「……胸の中でうるさくない」
「胸の中なら勝手にしろ」
ハルが小さく頷く。
「……札が軽いと、音も軽い」
シノがぼそり。
「……鍋叩き、減った」
「減ったって言うな」
「……胸の中で減った」
シノが言い直して、湯気を小さく吸った。匂いが混ざらない顔だ。
レンカが小さく宣言して、すぐ口を押さえた。
「今日、こんって言いすぎなかった!」
「言いかけた」
ミナギが真顔で言いかけて、
「未遂って言うな」
ユリネが刺す。
「……胸の中で未遂」
「胸の中でも言うな」
刺さらない笑いが湯気に混ざって、台所が軽くなる。
合図は便利だ。
でも便利を増やすと、便利が邪魔になる。
邪魔になる前に外せばいい。
今日だけで回すのが、結び家の順番だ。
ユリネが短く言う。
「飯! 湯!」




