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第73話 朝市が“配り市”になる

 朝市は、匂いが先に来る。

 声はその後。小銭は最後。

 その順番が崩れると、だいたい“混ざる”が来る。


 今日は、匂いの中に、別の匂いが混ざっていた。

 甘い。

 甘いのに、落ち着かない匂いだ。

 善意の匂い。


「……甘い匂い、こわい」

 シノがぼそりと言って、すぐ口を押さえた。押さえなくていいのに押さえた。癖だ。

「言うな」

 ユリネが短く刺す。

「……胸の中で、こわい」

「胸の中なら勝手にしろ」


 朝市の入口に着く前から、声が立っていた。

「おまけ出るって!」

「まとめると安いって!」

「配るって!」


 配る。

 危ない単語。

 配るは優しいのに、足が増える。足が増えると背中が斜めになる。斜めになると、匂いより先に口が来る。


 結び家の面々は、入口でいったん止まった。止まったって言うな。胸の中で止まった。

 タケルが真顔で、露店の列を見た。

 列が列っぽい。列っぽいのが一番厄介だ。


 その横から、いつもの音が聞こえる。

 カチン。

 秤屋の音だ。

 音が一定だと安心する。安心すると、人は勝手に「正しく分けたい」を増やす。増やすな。


「……秤の音、今日は目立つ」

 ハルが小さく言った。

「言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で目立つ」

「胸の中なら勝手にしろ」


 配りの中心は、粉屋の前だった。

 粉屋は袋の口を結ぶ手が早い。早いって言うな。胸の中で早い。

 袋を二つ買った近所のおばさんが、袋を抱えて笑っている。


「はいはい、うち一袋いらないから、半分ずつ持ってきな」


 出た。

 善意の直球。

 直球は、受け取り方を間違えると殴る。


「えっ、いいの?」

「ありがとう!」

「じゃあ私も……うちも……」


 口が増える。

 増えると、配りが配りじゃなくなる。配り市になる。

 配り市は、買う人を押しのける。押しのけると暗くなる。暗くしない。


 レンカが息を吸って、口を押さえた。えらい。

「……配ると、列が壊れる」

「言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で壊れる」

「胸の中なら勝手にしろ」


 ミナギは押さえる前に口が開く。危ない。

「じゃあさ、配るなら、列の外で配ればよくない?」

 言い方が珍しく正しい。正しいって言うな。胸の中で正しい。


 でも正しさは、次を呼ぶ。

「外ってどこ?」

「ここでいい?」

「いや、邪魔」

「じゃあ道の真ん中に…」

「するな」


 ユリネが短く切った。

「道を増やすな」


 タケルが真顔で一歩だけ前へ出た。

 一歩だけ。

 一歩だけなら、背中が詰まらない。


 地面をさらさら、と棒でなぞる。

 一本線。

 列の前じゃない。道の端。

 “配る線”を置く場所だけを示す線だ。


「買う線は内。配る線は外」

 タケルの短文が落ちる。

 落ちた瞬間、秤屋のカチンが一拍だけ聞こえた。

 その一拍が、妙に効く。

 “内と外”が決まると、人は勝手に動ける。


 粉屋の人が、ほっと息を吐いた。

 息が吐けると、袋の口が結べる。

 結べると、匂いが立つ。

 匂いが立つと、朝市が朝市に戻る。戻るって言うな。胸の中で戻る。


 ……なのに配りは止まらない。

 配りは優しい。優しいのに止まらない。止まらないと混ざる。


「半分ずつって、どうやって半分?」

 誰かが言った。

 半分。

 危ない単語。

 半分は秤を呼ぶ。秤は公平を呼ぶ。公平は揉める。やめろ。


「秤る?」

 誰かが口にした。

 その瞬間、秤屋のカチンが妙に大きく聞こえた気がした。気がするって言うな。


「秤るな」

 ユリネが短く刺す。

「えっ、でも公平に」

「公平って言うな」

「……胸の中で公平」

「胸の中でも言うな」


 コトが笑顔のまま、粉の袋を見た。

 そして、粉屋の升を指先だけで示す。

 指先は増えない。


「半分は“正しさ”じゃなくて“気持ち”でいいよ。升一杯を何回、ってだけにしよう」

「回数」

 ハルが小さく復唱した。復唱は作法になる。

「手はひとつ」

 シノがぼそり。昨日の粉屋が言ったやつを拾った。拾い方が静かで助かる。


 粉屋の人が笑って言った。

「お、分かってるね。升はひとつ。数えるのはひとり」


 数えるのはひとり。

 ここで“配り”が、やっと形になる。

 形がない配りは混線だ。形がある配りは、まだ生活にできる。


 近所のおばさんが、腕まくりをして宣言した。

「はい、私が数える! 文句は増やさない!」

「増やすな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で増やさない!」

 おばさんが笑って言い直して、周りが少し笑った。刺さらない笑いは場を軽くする。


 配る線の外側に、受け取る人が並びかける。

 並ぶって言うな。胸の中で並ぶ。

 並びかけた背中が、また危ない。

 並びが列に見えると、買う列と混ざるからだ。


「一人ずつ、でいい?」

 若い母親が恐る恐る言った。確認。断定じゃない。助かる。

「一人ずつ」

 おばさんが頷く。

「でも子どもは二人いる」

「増やすな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で二人」

「胸の中なら勝手にしろ」


 ここで揉めると暗くなる。暗くしない。

 だから“順番”で勝つ。

 勝つって言うな。胸の中で勝つ。


 ユリネが短く言った。

「配るのは最後」

「えっ」

「買うが先。配るはあと」


 この二行が、露店の空気を救う。

 買う人が買って、匂いが立って、朝市が朝市のまま回る。

 回るって言うな。胸の中で回る。


 おばさんが一瞬だけ眉を上げて、すぐ笑った。

「そうか。私が先に買い終わってから配ればいいのね」

 理解が早い。早いって言うな。胸の中で早い。

 でもこの早さは助かる早さだ。


 おばさんは粉屋で支払いを済ませた。

 小銭が鳴る。ちゃり。

 音が一定だと、場が落ち着く。


 そして、おばさんは配る線へ移動した。

 移動した瞬間、買う列と配る線が分かれる。

 分かれると混ざらない。

 混ざらないと、声が増えない。

 相乗は一行でいい。今日はここだ。


 “買う”と“配る”を分けたら、朝市が戻った。


 ……でも配りの難しさは、ここからだ。

 配りは渡し方が雑だと、受け取る側が困る。

 困ると口が増える。増やすな。


「これ、手渡し?」

「こぼれる」

「袋ない?」

「袋ならうちが…」


 袋。

 袋は便利だ。便利は増える入口。

 増えた袋は、次の日も欲しくなる。欲しくなると常設になる。常設は欄を呼ぶ。やめろ。


 レンカが息を吸って止めて、言い直した。

「……袋は増やさない。紙も増やさない」

「言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で増やさない」

「胸の中なら勝手にしろ」


 タケルが真顔で、木皿を一枚借りた。

 粉屋の隅にある木皿。

 “ここに置く”ための道具だ。


「箱を挟む、みたいに」

 コトが笑って言った。

「言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で挟む」

「胸の中なら勝手にしろ」


 おばさんは升で粉を量って、木皿に小山を置く。

 置いたら、手を離す。

 受け取る人が自分で布で包む。布は自分の布。貸さない。増やさない。

 自分で包むと、責任が生えない。

 生えないから揉めない。


 ところが、配り市は一人で終わらない。

 粉が配られ始めると、別の露店も“優しく”なる。


「豆も、まとめならおまけ」

「皮も、端っこなら持ってって」

「野菜の葉、煮るなら」


 善意が連鎖する。連鎖は明るいのに危ない。

 危ないって言うな。胸の中で危ない。


 ミナギが目を輝かせた。輝くな。

「うわ、朝市が配り市になってる!」

「言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で配り市」

「胸の中でも言うな」


 配りが増えると、受け取る人が“買わないで立つ”ようになる。

 買わない背中は邪魔じゃないのに、邪魔になる時がある。

 道を塞ぐからだ。

 塞ぐと、洗い籠がぶつかる。ぶつかると豆が転がる。ころん。

 最悪の定番が来る。


「拾う!」

 ミナギが言いかけて、

「拾うな」

 ユリネが刺す。

「えっ、でも豆!」

「本人が拾え。周りは動くな」


 タケルが真顔で、豆の逃げ道だけ足で止める。

 手を出さない。足だけ。足は偉い。

 落とした人が拾う。拾ったら終わり。終わりがあると増えない。


 豆の小事件が終わったところで、ユリネがもう一回、短い線を置いた。

「配るなら、外。買うなら、内」

 同じ言葉を二回言う。二回目は増やす二回じゃない。戻す二回だ。


 そして最後に、ひと言。

「配りは“余り”だけ」


 余り。

 余りは揉める単語のはずなのに、ここでは効く。

 余りなら、正しさを言わなくて済む。

 正しさを言わないと、秤が影のままで済む。

 カチンは鳴っている。でも主役じゃない。影でいい。


 露店の人たちが頷いた。

「うちの余りは、ここ」

「うちの余りも、ここ」

 配る線の外側に、余りだけが集まる。

 集まるのに、買う列は邪魔されない。

 邪魔されないと、朝市は朝市のまま。


 昼前、匂いがちゃんと先に来る朝市に戻った。

 声が後。小銭が最後。

 配り市は、余り市に縮んだ。縮むって言うな。胸の中で縮む。

 でも縮むのは良い縮みだ。


 結び家は、粉と豆と葉物を持って帰る。

 袋の口は二回結ぶ。増やすんじゃない。転がさないため。

 レンカが歩きながら、小さく言った。

「配るなら、最後」

「言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で最後」

「胸の中なら勝手にしろ」


 家に戻ると、鍋が鳴っていた。

 今日の鍋は、朝市の余りが入る鍋だ。

 余りは余りのままだと揉めるけど、鍋に入ると生活になる。

 ぐつ、ぐつ。

 湯気が上がる。湯気は増えていい。増える湯気は生活の勝利だ。


 ミナギが椀を取ろうとして、

「順番」

 ユリネが一言。

「……はい」

 ミナギが言い直す。言い直せるなら勝ち。


 コトが笑って言った。

「今日の朝市、優しかったね」

「優しいって言うな」

「……胸の中で優しい」

「胸の中なら勝手にしろ」


 タケルが真顔で言った。

「秤らなくても、回った」

「言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で回る」

「胸の中なら勝手にしろ」


 ハルが小さく頷く。

「……内と外があると、混ざらない」

 シノがぼそり。

「……結ぶと、落ちない」

 レンカが小さく宣言して、すぐ口を押さえた。

「今日、配りで列を壊さなかった!」

「壊しかけた」

 ミナギが真顔で言いかけて、

「未遂って言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で未遂」

「胸の中でも言うな」


 刺さらない笑いが湯気に混ざって、台所が軽くなる。

 配りは悪じゃない。

 でも順番がない配りは混ざる。

 混ざるのは、結び家が一番嫌いだ。嫌いって言うな。胸の中で嫌い。


 ユリネが短く言う。


「飯! 湯!」

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