8|『旅の始まりと教師アリィスの魔法論』
書店「明宿茶論」の前の道路に、 キャンピングカーが停められていた。――左腕の触手と、右眼のイフ。そして新たにアリィスの仲間に加わったのが、屋根裏が教室に繋がっている、この古臭いキャンピングカーだ。
アリィス・テレジアと、
ナスタルギア・イフの旅が、いよいよ始まろうとしていた。
「本当に描いていいのか?」
ルッカはスプレー缶を片手に、アリィスへ視線を向ける。アリィスは腕を組んだまま、無言で首を縦に振った。旅先で出会った人に落書きをしてもらって、このダサいキャンピングカーを少しずつカッコよくしていく。
それが、アリィスの思いついたアイデアだった。
ルッカは青のスプレーとオレンジのスプレーを器用に持ち替えながら、キャンピングカーの左側面へ絵を描いていく。
そして――
完成。そこに描かれていたのは、
可愛くデフォルメされた二頭身のアリィスと、
そのすぐそばをふわふわ飛ぶ、小さな妖精だった。
その妖精を指差し、アリィスが首をかしげる。
「これは?」
「いつも君の近くにいる、透明なお友達さ」
「え……? ルッカ、気づいてたの?」
「詳しくは知らないよ。でも、アリィスの近くにはいつも妖精みたいな女の子がいる気がしてね。妖精にしたのは、ワタシなりの解釈さ」
ルッカはオオカミの尾を揺らしながら、
顔をくしゃっとさせて素敵に笑った。
イフの存在そのものを、他人に知られてはいけないわけではない。けれど、その正体が聖ユポルの聖遺物“ナスタルギア”である以上、余計な問題を引き起こさないためにも、アリィスは普段イフのことを隠していた。
当の本人は、右眼の内側――
空白の世界でうれしそうにはしゃいでいる。
〈アリィス~、イフだよっ! イフの絵だ~!!〉
「もしかして、知られちゃ生かしてはおけないな、とか。そういう話だった?」
「いやいや、私そこまで非情じゃないから」
アリィスは話題を変えるように、言葉を紡ぐ。
「にしても、ルッカ。絵うまいな!」
「まぁね。ワタシさ、昔は絵本作家を目指してたんだ」
「へー。なら、短くてもいいから一冊描いてくれよ。私が買うからさ」
「はっはっは! 気が向いたらね。……あ、そうだ!」
ルッカは、ぱんっと手を叩く。それから、首に下げた銀のネックレスを持ち上げ、チェーンの先に揺れる満月の飾りを、指先で軽く弾いた。
すると――「フレンド申請が届いてます」と。
いきなり、アリィスのすぐ耳元で機械音声が鳴った。
「え? なんか声がしたぞっ!」
「ワタシが竜理ネットワークを通して送ったんだ。フレンドになれば、この先いつでもアリィスと電話できるってわけさ。ほら、その胸のバッジを叩いてみな」
「あ、あぁ。これか……」
アリィスは、太陽紋の校章バッジを指先で叩く。
今度は「フレンド申請を承認しました」と、また機械音声が鳴った。
「これでいいのか?」
「完璧だ。これでワタシとアリィスはフレンドになったってことさ。何か困ったことがあったら、いつでも連絡してきな」
「助かるよ、ルッカ。……こんなことを言うのも気恥ずかしいけど。私さ、こんな性格だし、左腕から触手も出るし、右眼にうるさいのも飼ってるし。怖がられることのほうが多かったから……この国ではじめて出会ったのがルッカで良かった」
〈珍しく素直なアリィスだ~。ってか、いまイフのことうるさいって言った!〉
こうして、アリィスは最初の街、
ミトセ市を旅立つことになった。
*
アリィスはキャンピングカーの車室に入り、ソファーへどさっと腰を下ろす。広い車内には、キッチンも、ベッドも、風呂も、トイレも備えつけられていた。
排水も魔法でうまく処理されるらしい。
見た目のダサささえ除けば、かなり優秀な移動手段だ。
助手席に座っていたイモスコが、静かに口を開く。
「この車両は自動運転でございます。目的地まで、ご自由にお過ごしください」
「ポテトフライっ! まだいたのか!」
「えぇ、申し訳ございません。あと少しだけ、ご説明がございますので」
アリィスはソファーへ、ぐだぁっと寝転がる。
そのまま、イモスコの話へ耳を傾けた。
「まず、当学園の授業システムについてです。この竜理の国には、コスパとタイパを重視する生徒が多いため、生徒本人で決めた目標――たとえば、『火の魔法を契約したい』のような。その目標が達成されれば、いつでも卒業できる仕組みになっております」
「こすぱとたいぱ? よく分かんねぇけど、全員やる気がないってことか」
「魔序の称号を持ったあなたに言われると耳が痛いですね。たしかに、この国では、魔法は本気で学ぶものというより、目先の問題を解決するために気軽に身につけるもの、という感覚が一般的でございます」
「ふーん。で、私はなにをすればいい?」
「アリィスさんには、デルタ・クラスの担任をしていただきます。生徒が希望するクラスを選び、座席を予約しますので、予約が入れば授業をお願いいたします」
「変なシステムだな。まぁ、分かったよ。給料日は?」
「アリィスさんの事情を考慮して、授業をしていただいたその日にお支払いします」
「おぉー、いいねっ!」
そのときだった。
どこからか、鐘の音が車内に響く。
「さっそくですが、予約が入ったようですね。アリィス先生」
イモスコは「では、これで失礼します」と告げ、助手席のドアを開いた。歩道へ降りる、その直前。イモスコは振り返り、ひと言だけ残す。
「テレトロイカ様から伝言です。帰りたくなったら、いつでも言ってくれ。帰る方法は用意する。……とのことです」
静かにドアを閉めて立ち去っていく、
その背中へ向かって、アリィスは小さくつぶやいた。
「監視付き、ね。私はどこへも逃げねぇよ、テレトロイカ」
〈アリィス~、出発しよ~!〉
「だね。いこっか。……っと、その前に授業だ」
アリィスは天井のハッチを開け、
そのまま教室へと入っていった。
―― 8.『旅の始まりと教師アリィスの魔法論』 ――
竜理インターネット上に生成された仮想空間に、小さな教室がひとつ揺蕩っていた。窓の向こうには、青い海。そして、雲ひとつない空。竜理の国の喧騒とは対照的に、この仮想空間に満ちているのは、ざぁざぁと寄せては返す波の音だけだった。
教室にはすでに、三人の生徒が席についている。
彼らもまた、アリィスと同じように、この竜理の国のどこかの街から、竜理ネットワークを通してこの教室へ接続してきたらしい。この仮想空間を使えば空間転移もできるのでは、とアリィスはイモスコに訊いてみた。
だが、返ってきた答えは「不可能」だった。
この教室へ入るためのゲートは、
接続者ごとに異なり、他人には見えない仕組みになっているらしい。
アリィスは教卓の前に立ち、大きく伸びをする。
「ぅぅーーんっ!」
背の低いアリィスと教卓の組み合わせが、あまりにも似合っていなかったのだろう。一番左の席に座る、奇抜な服装の青髪の男が、手を叩いて笑い出した。
真ん中の席では、きっちり学生服を着た眼鏡の青年が、無反応のまま背筋を伸ばしている。一番右の席に座る、白髪まじりの年配の男は、どこか気まずそうに肩をすぼめていた。青髪の男はひとしきり笑い終えると、遠慮なく声を上げる。
「こんなちっせーのが教師かよっ。ちっ、ハズレのクラス選んじまったぜ」
「――、は? 小さいからハズレ? それ、理由になってないけど、大丈夫?」
いきなり喧嘩腰のアリィスに、
青髪の男も机を蹴って立ち上がる。
「おぉ? やるか、チビ先生。てか、はやく授業始めてくれよ」
「チビって言うな。……で、お前はなんの魔法を契約したいの?」
「オレさ、この前、魔法も使えねぇのかよって仲間にバカにされたんだ。だから、なんでもいいから魔法を教えてくれ」
青髪の男は、倒れかけた机を自分で直しながら、どかっと座り直した。
アリィスは、そのまま他の二人にも視線を移す。
「メガネの君は?」
「はい! 僕は巨大企業に入社するため、自分のアピールポイントとなるような魔法を契約したいです!」
「あんたは?」
「あ、はい。俺は、その……仕事で力仕事をしてるんですが、年でどうにも体が動かなくて。仕事のために、魔法を……」
三人の話を聞き終えたアリィスは、頬を膨らませた。
そのまま、すっと目を閉じる。
〈うわぁ~、なにも見えない~! ねぇ、アリィスどうするの~?〉
数秒後。
アリィスは、ゆっくりと息を吐き、まず青髪の男を見た。
「よしっ! まずは青髪のお前。私が魔法を学び始めた理由、何だと思う?」
「は? いきなり聞かれても……」
「ちなみに私は、聖戦で故郷の街を滅ぼされ、魔法を学んでおけばよかったと、無力な自分を恨んだことがある」
青髪の男は、明らかに動揺しながら答える。
「じゃ、じゃあ……身を守るため、とか?」
「不正解。違う」
アリィスはそこでわざと間を置く。
そして、息を吸って――
「金だ」
言い放った。
「って、金かよ!! わかりやすく誘導しやがって!!」
青髪の男が、いい反応でツッコむ。
空白の世界では、
ツッコミ役を奪われたイフが、ぷくっと頬を膨らませた。
すると今度は、眼鏡の青年が勢いよく手を挙げる。
「先生は魔序なんですよね! では、なにも金だけに限らず、いまは誇り高き理想などもお持ちなのではないでしょうか!」
〈おぉ~、すっごい大声だぁ~〉
「そんなものはない。私が魔法を学び始めたのは、金を稼ぐ手段を得るため。で、いまも学び続けてるのは、ただ魔法が好きだからだ。理想なんてない」
アリィスは淡々と言いながら、黒板に神声文字で告式を書き始める。
チョークではなく、ペンで直接文字を刻むような勢いだった。
「青髪くん、自分の魔導書を出して。で、この式を丸写しして」
「お、おう!」
青髪の男は慌てて魔導書を机の上へ出す。どのインクを使えばいいのか分からず手を止めた男に、アリィスは自分のインク瓶をぽいっと放った。
「それ使え」
そのまま、アリィスは止まらず話し続ける。
「人を楽しませるため、驚かせるための魔法を研究している魔法使いは意外と多い。例えば、奇術師トビラはその代表。彼は、名誉ある魔法賞の受賞者に選ばれた際に、自分は研究者ではなくパフォーマーだと言って、受賞を辞退した」
「お、おう……」
〈あはは~。アリィスの早口に圧倒されてるぅ~、ぷぷぷ!〉
イフは楽しそうに笑う。
だが、アリィスは止まらない。
「他には、水面狂いのゼルシド。彼は、池の水面に魔法のエフェクトを反射させて、いちばん美しい光景は何かを死ぬまで研究し続けた。結論としては、大きい火球を宙に浮かべて反射させたものが最も美しかったらしい」
「お、おう。そうなんだ……」
「ちゃんと書き写してるか、青髪くん?」
「あ、はい! もちろんっす!」
「仲間にバカにされない、自慢できる魔法……よし完成」
アリィスは、くるりと体ごと向きを変え、
今度は眼鏡の青年を指差した。
「次は君。同じように、書き写して」
「あ、はい!」
「巨大企業? だっけ。まぁ、アピールポイントになる魔法と言えば、【シャムロックの猫】を用いた解析魔法だろ」
「シャムロックの猫ですか? それって、最初に覚えるような簡単な告式じゃないですか! 僕はもっと難しくて――」
「難しい魔法はロマンで役に立たないか、もしくは規模が大きすぎて使いどころがない。普通に働く上で本当に必要なのは、よりシンプルで、応用が効く魔法だ」
教室に、黒板へ文字を書きつける音が響く。
「シャムロックの猫を使った解析魔法は、たとえば魔法起動式の機械が壊れたときのメンテナンスにも使えるし……あとは少し告式を足して、魔法譜を組み替えるだけで、高度な計算も一瞬で処理できる。……っと、完成」
「え? もう完成したんですか?」
「うん、終わったよ。で、最後は力仕事に役立つ魔法ね」
一番右の席の白髪の男は、
アリィスに言われる前に、すでに魔導書とペンを用意していた。
〈おぉ! 優等生~!〉
「力仕事に使うなら、強化魔法や変身魔法はダメ。もっと若いならまだしも、あんたの年齢で発動したら体を壊す可能性がある。マキナ領域にも便利なのは多いけど、今回は発想をひっくり返して――」
「えっと、どんな魔法……ですか?」
「それは完成してからのお楽しみ、ね」
そうして、三人の生徒は、
それぞれアリィスが組み上げた魔法譜の契約に成功した。
*
まず、青髪の男が告式をゆっくりと読み上げる。
瞬間――
教室の床に魔法陣が浮かび上がった。そこから、眩い虹色の光を伴って召喚されたのは、一頭のユニコーンだった。
「うぉお!! なんだこれ、スゲェェェェ!!」
ユニコーンはそのまま駆け出し、男を背に乗せたまま、教室の外――海の上へ飛び出す。水面すれすれを走り、次の瞬間には、宙へと舞い上がった。
その光景に見入る間もなく、今度は白髪の男が詠唱する。
「これは……!」
白髪の男の口から、驚いたような声が漏れた。
風とともにどこからか現れたのは、高さ九十センチほどの、角ばったブロック体の土の精霊だった。アリィスが静かに追加の魔法を唱える。すると、巨大な鉄球が教室の天井を突き破って落ちてくる。――土の精霊は、それを殴って破壊した。
自分の体が老いて動かないなら。
代わりに、頼りになる相棒をそばに置けばいい。
それが、アリィスの出した答えだった。
「仕事の内容が分かんないから、もし使えそうになかったら言って」
白髪の男は目を輝かせたまま、アリィスの手を両手で握る。
「い、いえ! この、この子と一緒なら……仕事も楽しくなりそうです!」
〈うぉ~、みんな成功しちゃった~〉
こうして。
アリィスの初めての授業は、たった一回で、
三人全員が目標を達成し、その場で卒業することになった。
◆
◇ ◇
車窓の向こうを、都市が流れていく。
この竜理の国は、本当にどこまでも、終わりなき都市が続いていた。アリィスは、綿を抜かれたぬいぐるみのように、ベッドの上へ力なく倒れ込んでいる。
ミトセ市を発ってから、四日。
最初の授業で、生徒全員が目標を達成し卒業するという異常事態を起こした結果、アリィスが担当するデルタ・クラスの座席は、三席から一席へ減らされた。その代わり、授業料は引き上げられ、破格の特別待遇になっている。
給料が増えるのは、アリィスにとってもちろん嬉しい。
だが、そのせいで授業の回数は減り、アリィスはほとんど一日じゅう、キャンピングカーの中で暇を持て余すはめになっていた。
最初のうちは、未知の街並みに胸を躍らせていた。けれど、どこまで行っても見えるのは超高層ビルばかり。さすがのアリィスも、いいかげん景色に飽き始めていた。
そしてついに、限界が訪れる。
「うわー! もう任務とかいったん知らん! ここで降りよう!」
〈おぉ~、あのアリィスが任務を諦めるなんて~〉
「諦めたわけじゃないから! せっかくこんな面白そうな街に来たのに、ずっと車の中にいるんだよ? こんな生活続けてたら、もう――私、壊れちゃう!!」
叫ぶなり、アリィスは自動運転を停止する。
キャンピングカーのドアを勢いよく開け放ち、
そのままアリィスは街へ飛び出した――




