7|『キャンピングカーと屋根裏の教室』
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
ミトセ市の小さな書店、
明宿茶論にアリィスの声が響き渡っていた。
書店長ルッカは、オオカミ耳の生えたダークグレーの長い髪をゴムでひとつにまとめ、袖をまくって書架の掃除をしている。窓辺に置かれた椅子には、紳士然とした杖の男が腰かけ、静かにコーヒーを飲んでいた。
彼の名は、イモスコ・ポテトフライ。
とある魔法学園で教頭を務めている男だ。
ルッカは、はたきで書架の埃を払いつつ口を開く。
「あの子、ずいぶん長風呂だね」
「仕方ないですよ。ゴミ捨て場に頭から突っ込んだんですから」
イモスコは朗らかに微笑み、コーヒーをひと口すする。
「あのゴミ捨て場、本当はビルの建設予定地なんだよ。近くの焼却場が火事で燃えたから、一時的にゴミを移動させたんだ。そこに落ちるとは、まったく運が悪い」
ルッカは肩をすくめて苦笑した。
――そこへ。頭から湯気を立てたほかほかのアリィスが、店の奥から現れる。生ごみの臭いが染みついた服なんて着ていられるか、と。アリィスは、お気に入りのローブを泣く泣く捨て、ルッカから借りたTシャツとロングスカートに着替えていた。
その姿を見た途端、ルッカがぱんっと手を叩いて笑う。
「はっはっは! よく似合ってるじゃないか、アリィス! それね、ワタシが若い時に着てた服なんだ。処分するつもりだったから、君にあげるよ」
「ありがとう。だけど……な、なんだ、このクソダサい柄はっ!」
アリィスはシャツの裾を引っぱりながら吠えた。
オレンジ色のTシャツにプリントされていたのは、かわいくデフォルメされた虎。その下には“最強”の二文字が、やけにポップな字体で書かれている。
「このカンジ、どういう意味だよ」
「めちゃくちゃ強いって意味さ。君にぴったりじゃないか」
「おぉい! バカにしてんのかっ!!」
〈自称最強の傭兵、だもんねぇ~。アリィスは~〉
右眼の奥から、イフの皮肉が飛んでくる。
ルッカたちには聞こえていないため、アリィスは言い返せず、ぐっと唇を噛んだ。空白の世界からその様子を見て、イフは楽しそうに笑っている。腹部の穴に組み込まれた大きな歯車も、イフの気分に合わせるみたいに軽やかに回っていた。
――
窓ガラスの向こう、広い車道には絶え間なく車が流れている。――無数の色と光に沈んだ都市の大海。宙を泳ぐ魚の群れのようなホログラムが、近未来的な高層ビルの窓ガラスに反射して揺らめく。行き交う人々は、次から次へと入れ替わっていく。
その光景を眺めながら、
アリィスは不思議な感情を覚えていた。
この国は、終わりなき都市だ。
人も車も、途切れることなく動き続けている。
それなのに、誰も他人と深く関わろうとはしていない。
同じ国に、同じ都市に暮らしているはずなのに、
そこに強い繋がりのようなものは見えなかった。
アスハイロストでは、意志を持って旅に出なければ、世界を知ることができない。だからこそ、生まれた都市国家が世界のすべてだと錯覚する人も多い。街に暮らす人々はみな、仲間であり、家族であると。強い繋がりが生まれるのも自然だった。
けれど、終わらない聖戦のせいで、アスハイロストは都市国家という小さな社会に閉じこもり、孤立し、停滞しているとも言える。対して、竜理の国は違う。情報は絶えず更新され、街そのものが、いまこの瞬間も進化し続けているようだった。
その違いについて考え込んでいたアリィスは、
いつものくせで頬を膨らませ、むずかしい顔をしていた。
そんな彼女へ、ルッカが声をかける。
「アリィス。イモスコさんが待ってるよ!」
「ん。あぁ、そうだった」
アリィスは思考を打ち切り、イモスコの隣に並べられた椅子へ向かう。するとイモスコは、おもむろに立ち上がり、丁寧に一礼した。
「あらためまして。イモスコ・ポテトフライと申します」
「ウソみたいな名前だな」
「よく言われますが、本名でございます」
イモスコはスーツの内ポケットから、青いバッジを取り出し、アリィスへ差し出した。それは、魔法譜の術紋にもよく用いられる太陽紋の形をしている。
表面には、『Δ』の文字が刻まれていた。
「これは?」
「私が教頭を務めております、“竜理魔法学園”の校章バッジです」
そこでイモスコは、声音をわずかに引き締める。
「さっそく本題ですが。アリィス・テレジア、あなたをスカウトに参りました」
―― 7.『キャンピングカーと屋根裏の教室』 ――
アリィスは、イモスコに案内されながら、
立体駐車場の中をぐるぐると歩いていた。
「傭兵の仕事もあるし。それに、私口悪いから。教師なんて無理だよ」
きっぱり断った、はずだった。
だがイモスコは食い下がり、「とりあえず見せたいものがあるので」と言って、半ば強引にアリィスを連れ出したのだ。何かと面倒事に巻き込まれる、不憫なところはある。けれどそれは、アリィスが案外、断れない性格をしているせいでもあった。
面白そうなことには、とりあえず突っ込む。
未知があれば、必ず解き明かす。
それが、アリィス・テレジアという魔法使いの生き方だ。
「おい、どこまで行くんだ」
「もうすぐです。……あぁ、あれです。どうぞ、ご覧ください」
立体駐車場の七階。
イモスコが手で示した先には、ぽつんと一台のキャンピングカーが停められていた。アリィスがこの街で見てきた車は、どれもスタイリッシュで近未来的なものばかりだった。流線形のボディ。光沢のある外装。きらきらと磨かれた機械たち。
だが、いま目の前にあるキャンピングカーは違う。
どこか古臭い。色もよく分からない、くすんだベージュ。
ところどころ錆びつき、それなのに車体だけは妙に大きい。
ダサい。
そんな率直な感想が、アリィスの喉元までせり上がる。
「セントロメアまで徒歩で向かうつもりだと、ルッカさんから伺いましたので。我々の方で車両を用意させていただきました」
「え、なんでキャンピングカー? もっとカッコいい車いっぱいあったよぉー!」
〈アリィス~、わがまま言わないの~〉
踵を返し、アリィスはさっさと立ち去ろうとする。
「なら、カルディアで飛んでいくよ。そっちの方が速いし」
「残念ながら使えません。公道でカルディアを飛ばすことは、竜理の国の法律で禁じられています。この国の空は、ドローンや飛行ビークルが非常に多いですからね」
もっともな理由をぶつけられ、アリィスは頭を抱えた。
それに、たとえカルディアが使えたとしても、大量の魔力血液が必要になる。魔力で動く人型機兵の弱点は、やはりエネルギー問題だった。
……あのキャンピングカーを使うしかないのだろうか。
いや。
アリィスには、貯めている金があった。
「じゃあ買う。なにか速そうな車買って――あー、運転はしたことないけど。まぁ、カルディアと同じだろ。うん、そうしよう」
「アリィスさん。残念ながら、カザラル貨幣はこの国では使えません」
「え? もしかして、通貨も違うとか。え、そんなこと言わないで――」
「違います、残念ながら。この国の通貨は“竜理ドル”です」
「両替は?」
「そのようなサービスは行っていません」
「私って……いま、一文無しってこと……?」
「そうですね。一文無しです」
容赦のない断言に、アリィスはぽかんと口を開けたまま、その場に立ち尽くした。さすがのイフも茶化さない。空白の世界で、黙って頭を抱えている。アリィスがこれまで傭兵として生きてきたのは、金と自由のためだ。
金さえあれば、自由になれる。
そのために心を殺して任務を遂行してきた。
その日々で得たもののすべてが、ここではゼロになる。
「私、もう帰る。アスハイロストに帰って、テレトロイカにこの怒りをぶつけてくる。任務は失敗でいい。また違う任務を受けて、成功させればいいし」
〈珍しく弱気だね、アリィス~。らしくないぜぇ~〉
だがアリィスは、弱音を吐きながらも、自分の状況を冷静に見極めていた。もしアスハイロストへ帰るとしても、いまはその方法が分からない。そのことも、ちゃんと理解している。つまり、彼女にとっての弱音とは――
自分の気持ちを整理し、
前へ進むための手段だった。
「なぁ、イモスコ。教師になれば給料も出るんだよな。もちろん竜理ドルで」
いつもの調子に戻ったアリィスは、
そう言いながらキャンピングカーへ歩いていく。
そんな背中を見つめ、イモスコは静かに口元を緩めた。
「えぇ、当然お支払いします」
「どれくらいの期間、働けばいい? あくまで任務のためだからな。ある程度稼いだら、セントロメアへ向かうために辞める。私の本業は傭兵だ」
「いえ。アリィスさんには、セントロメアに向かいながら、同時に、当学園で教師を務めていただきます」
イモスコの言葉は、アリィスの左耳から右耳へ、するりと通り抜けていった。
「ん……?」
〈アリィス~、いまのどういうことぉ?〉
正確には、あまりにも理解不可能な内容に、脳が理解そのものを拒否したのだ。アリィスは、たった今聞いた言葉を心の中で復唱する。
セントロメアへ向かいながら、同時に――それはつまり、学校のほうが一緒に旅をする、と言っているようなものだった。
アリィスはキャンピングカーのドアを開け、運転席へ腰を下ろす。
そのまま、疑問をぶつけた。
「校舎が私と一緒に来てくれるのか?」
「はい、その通りです。まずは、先ほど渡したバッジを付けてみてください」
「あぁ、これか」
アリィスは、太陽紋を象った校章バッジをTシャツへ留める。
「では。竜理ネットワーク、接続。と唱えてください」
「あっ、それ! ギンスナも言ってたやつ!」
〈アリィス~。はやくはやく~!!〉
イフに急かされ、アリィスは言葉を紡ぐ。
それは、いつもの魔法詠唱とは少し違っていた。
どこか、機械仕掛けの合言葉みたいな、不思議な響きだ。
「――竜理ネットワーク、接続」
その瞬間だった。
アリィスの身に……なにも起きなかった。
「おい、イモスコ! 騙したな!」
〈この詐欺師っ!!〉
「いいえ、騙してません。ぜひ、ハッチを開けてみてください」
イモスコが指先で差したのは、キャンピングカーの天井に取りつけられたひし形のハッチだった。アリィスは眉をひそめながら、それを手で押し上げ、できた隙間からまず頭だけを出してみる。
その先にあったのは――
小さな木造の教室だった。
教卓。
黒板。
学校机と椅子が三席。
さらに頭を出し、身を乗り出して周囲を見渡す。
窓の外には、海が見えた。
「……は?」
アリィスは、そのまま全身をハッチの向こう側へ持ち上げて、教室に入る。――そして今度は反対に、床のハッチから向こう側を覗き込んだ。その下には、ついさっきまでいたキャンピングカーの車内が見える。
イモスコは、魔法使いの顔つきでその仕組みを解こうとするアリィスに、キャンピングカーの外から声をかけた。
「その教室は、竜理インターネットのオンライン上に生成した、仮想空間のようなものです。この竜理の国は広大ですので、あらゆる市や都市から生徒が通えるよう、当学園では魔法通信制を採用しているのです」
「かそー、くうかん。なんだそれ?」
〈ぴぴぴ、イフ検索エンジン起動。仮想空間とは、メタバースとも言われ……って、難しくてイフもわからねぇ!!〉
「そこは理解せずとも構いません。教師も、生徒も、竜理ネットワークに接続しさえすれば、この国の好きな場所から学校へ通うことができるのです」
アリィスは、ゆっくり言葉を整理する。
「つまり。このキャンピングカーでセントロメアへ向かいながら、ハッチの上の教室で授業もする。そうすれば、私は任務をしながら金も稼げる」
イモスコは、満足そうに頷いた。
「その通りでございます」
アリィスは深く息を吸い込み、
そして――
「バカみたいなアイデアっ!!」
Tシャツの虎と一緒に、思いきり、吠えた。




