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6|『空は青く、ゴミ捨て場はくさい』

 ドローンに連れ去られ、アリィスが辿り着いたのは、漢字のネオン看板や広告が隙間なくせり出した、高層ビル群の一角だった。ありえない高さの壁面にドアが設置されていたり、よく分からない生命体のグラフィックアートが、ひび割れたコンクリートの傷痕を覆い隠すように描かれている。


 ごちゃごちゃとしてはいるが、不思議と汚らしさは感じられない。その乱雑さ、無秩序さが、むしろアリィスの瞳には美しく、魅力的に映った。


 通りを行き交う人々の格好は自由で、みな違う色、違うスタイルの服装や髪型をしている。アスハイロストでは、機能性を重視した服装や、地位や階級、職業に合わせた装束・制服を着るのが一般的だ。文化の違いにすっかり目を奪われるアリィス。


 ちなみに、彼女が着ている、フクロウを模したフードが印象的なローブは、任務で訪れたとある町の蚤の市で手に入れたもので、彼女のお気に入りだった。


〈ねねっ、アリィス! あの人の髪の毛、にわとりみたいだぁ!!〉


「あれって毎朝セットしてるのかな。大変そぉー」


 周囲にイフとの会話を聞かれないよう、小声で言葉を交わしながら、アリィスはストリートを歩いていく。看板には漢字だけでなく、ローマ字や神声文字で書かれたものも混ざっていた。アリィスはそれらをひとつひとつ視界に入れながら、脳内で街の地図を描いていく。道の形、建物の位置、目立つ看板、細い裏路地――


 そうしたものを記憶しておけば、非常時に役立つかもしれない。

 それは、傭兵として生きてきた彼女が自然と身につけた技術のひとつだった。


「おぉっ! もしかしてあれって……!!」


 突然、アリィスが駆け出す。


 目を輝かせながら彼女が向かった先にあったのは、青いコンクリートの壁が印象的なビル、その一階に入っている小さな店だった。ガラス窓越しに、店内の様子が見える。四方の壁が背の高い書架に占拠された、小さな書店。

 

 入り口の横のプレートには、

 “明宿茶論(めいじゅくさろん)”という店名が彫られていた。


 アリィスは店に入るなり、

 一直線に目的の書架へ向かい、一冊の本を抜き取る。


〈急に走り出さないでよぉ、アリィス~〉


「べつに、イフが疲れることはないでしょ?」


〈そうだけど~。視点が揺れる、揺れるのですよぉ〉


「それよりも見てこれ。幻の魔導書、『ミュセル・クァーレ:空転篇(くうてんへん)』――」


 アリィスは本を抱えたまま、早口になる。


「いまは数学者として有名なミュセルだけど、彼は一度だけ魔導書を出版したことがあって。それがこの空転篇。この本の中に書かれているミュセルが開発した告式は、まだ誰も契約に成功したことがないの。ミュセル曰く、その告式を使えば、不可能と言われている時間超越の魔法譜を創れるらしい。絵空事みたいな話だけど、ミュセルは数学者としては信頼のある人物だから、彼の話が嘘か本当か意見が割れているの」


〈イフは嘘だと思うけどぉ~。数学と魔法はまったく別物だからねっ〉


「いや、それでも私は――」


 アリィスとイフの魔法談義が盛り上がりかけた、そのときだった。

 店の奥から出てきたオオカミ耳の女が、ぱんっ、と手を叩く。


「そこまでにしなさいな、君。魔法が好きなのは伝わるけど、別の人格を作ってまで話し合わないで。うわ、独り言だ、どう対応しよっ。って気まずくなるから」


 アリィスは反射的に「すみません……」と口にする。

 だが、意識はすでに別の方向へ向いていた。


 女の頭の上に生えた、オオカミの耳。

 そして、腰のあたりで揺れるオオカミの尾。


 異種族そのものは、

 アスハイロストにも極少数ながら存在する。

 

 けれど、獣人族はいない。


 少なくとも、そう教えられてきた。

 古い時代にはいたが、すでに滅んだのだと。


「え? それって……本物?」


「あぁ、この耳? そりゃ、ワタシ耳尾族(じおぞく)だから。もちろん本物だよ。たしかにこの街じゃ耳尾族なんてワタシくらいだから、珍しいかもね」


「この街、って。どのくらいの範囲? この街大きすぎるんだけど」


「まぁ、そうだな。少なくともアウトサイドでは、ワタシ以外いないだろうな」


 アリィスの疑問に答えるように、

 オオカミ耳の店員は紙と鉛筆を取り出した。

 

 そして、大きな円をふたつ描く。

 紙の端いっぱいにひとつ、その内側にもうひとつ。


「君、この街についてなんにも知らないっぽいから、基本だけ教えてやるよ」


 店員は紙をテーブル代わりのカウンターに置き、

 鉛筆の先端でふたつの円を順番に叩く。


「まず、この街――竜理の国には、インサイドとアウトサイドがある。内側の円の中がインサイド。その外側がアウトサイドだ」


 次に、円と円のあいだをぐるりとなぞる。


「で、その二つの領域の中に、無数の市や都市がある。例えば、ここはアウトサイドにあるミトセ市。あとは……有名どころだと、インサイドのセントロメアとか。聞いたことないか?」


 その名前を聞いた瞬間、アリィスははっとする。


 ……いや。

 けっして観光が楽しすぎて忘れていたわけではない。

 アリィスは心の中で、即座にそう言い訳した。


 そもそもこの街へ来たのは、セントロメアにいるデ・サロメを追うためだ。それこそが、テレトロイカから受けた今回の任務だった。


 この街へ来てから、ギンスナの姿も見ていない。

 彼女のことも気になる。


 けれど、アリィスがいま優先すべきなのは、まず任務だった。


「セントロメア! そこに行きたい。行き方を教えてくれ」


「君、正気か? 見たところ徒歩だよな。こっからセントロメアまで、二万キロくらいあるぞ」


「二万キロぉ!? え、冗談だろ? しかもその距離、ずっと街?」


「あぁ、そうだな。ちょっと変わった風景の市街地もあるけど、この竜理の国に完全な自然は残ってない」


 イフは、アリィスと同じポーズで頭を抱える。


〈アリィス~。途方もないぜぇ。竜理の国、途方なさすぎるぜぇ~〉


 脳内で計算を始めるアリィス。

 そんな彼女に、オオカミ耳の店員は手を差し出して笑った。


「ははっ。事情は知らんが、頑張れ。――ワタシはルッカ。いつもこの書店にいるから、困ったことがあったらいつでも来な」


 アリィスは差し出された手を握り返し、ひとまず微笑んだ。




   ―― 6.『空は青く、ゴミ捨て場はくさい』 ――




 書店を出た、その瞬間だった。


 アリィスの目の前を、警察のような制服を着た数体の人型ロボットが、慌ただしく駆け抜けていく。ストリートは、にわかにざわめきに包まれていた。


 甲高い男の怒鳴り声が、通りの奥から響く。


「おいこのガキィ!! オレ様にぶつかっておいて、謝罪もなしか? あァん!?」


 声のした方へ、アリィスは視線を向ける。


 ロボットたちが向かった歩道の先。そこでは、パンクな服装の男が、怯えた男の子へ顔を突きつけるように詰め寄っていた。


〈あっ。あいつ、さっきのにわとり頭だぁ!!〉


 ナスタルギアの内側ではしゃぐイフ。


 アリィスはむっと頬を膨らませる。

 それから、膨らんだ頬を指先で押し、ふしゅっとしぼませた。


「ふぅぅ……結局、どこに行ってもクソ野郎はいるってことね」


 吐き捨てるように言いながら、

 アリィスは冷静に周囲を確認する。


 さっき目の前を通り過ぎていった人型ロボットたちが、すでににわとり男を取り囲んでいた。どうやら、この街の治安維持はあのロボットたちに任されているらしい。


 武装は、警棒とアサルトライフル。腰に下げられた魔導書(クラヴィス)を見るに、魔法も行使できるようだ。一方で、にわとり男が武器を隠し持っている様子はない。


 数秒もすれば、取り押さえられる。

 アリィスはそう判断した。


 だが、次の瞬間。


 男は低く身を沈めたかと思うと、

 地面が抉れるほどの勢いで跳び上がる。


 そして、たった一撃。

 男は素手のまま、眼前の警備ロボットの腹部へ拳を叩き込んだ。鋼鉄の装甲が、紙みたいにひしゃげて砕ける。


〈アリィス。あのにわとり男、なにか変〉


「――イフ、常にあいつをロックオンし続けて」


〈了解だよ〉


 男はそのまま、また一体、さらにもう一体と、馬のような脚力で歩道を跳び回りながら、警備ロボットを次々と打ち倒していく。明らかに、人間の動きではない。


 アリィスは、強化魔法の可能性を探る。

 だが男は、魔導書を持っていなかった。


 魔導書と契約しなければ、魔法は使えない。

 ――それが、魔法使いの常識だ。


 たとえそれが、キィズ魔法体系以外の魔法だったとしても。

 その一点だけは変わらない。


〈アリィス~、面白いことがわかったよ〉


「面白いこと?」


〈にわとり男の足と腕、魔法起動式の機械みたいに動いてる〉


「なるほど……身体改造、ね」


 魔法起動式の機械は、内部の円盤に刻まれた魔法譜で動く。その仕組みを人体へ応用すること自体は、理論上は可能だ。

 

 しかしアスハイロストでは、身体改造のために魔法を研究・発動することは、アークステラが定めた“星の掟”によって禁じられている。つまり、この竜理の国は、噂ではなく事実として、アークステラの支配の外にある。


 アリィスはホルスターからピストルを抜いた。


「――イフ、力を貸して」


〈言われなくても~〉


「晴の歯車の真髄、見せてやるよ」


 その目つきに、傭兵アリィス・テレジアの冷たさが宿る。


「この街には“色”がたくさんあっていいねぇ」


 そう言って、アリィスは近くの赤いネオン看板を視界へ収め、片手をかざした。掌に魔法陣が浮かび上がる。直後、その手の内に、赤い弾丸がひとつ生成された。


 同時に、ネオン看板の色がすっと抜け落ち、

 まるで魂を吸われたみたいにモノクロへ変わる。


 アリィスが、色彩(テレジア)の魔序と呼ばれる所以。

 それが、この魔法だった。


 彼女の右眼、ナスタルギア・晴の歯車の力の一つ。視界に映った物体から色を吸い取り、その色に応じた能力を持つ弾丸へ変換する。


 赤は、炎。


 晴の歯車の内側――イフの世界、空白の空間が、一瞬で真っ赤に染まる。同時に、イフの長い髪も、腹部の歯車も、白から赤へ染まっていた。


「照準を合わせて、イフ」


〈ぴぴぴ、計算中。えっと、じゃあ数えるよ~。いち、に――〉


 イフから送られた電気信号が、アリィスの腕へ走る。跳び回る男の位置へ向けて、銃口が吸い寄せられるみたいにぴたりと定まった。


 そして、アリィスは引き金を引く。


 炎を纏った弾丸が、通行人のあいだをすり抜け、

 あらゆる障害物の間を縫うような軌道で、男の胸部を貫いた。

 

 男は地面へ転がり落ち、

 その体から火が噴き上がる。


「アッチィ!! なにが起きやがったッ!!」


 弾丸は確かに男を撃ち抜いた。


 死にはしなくとも、火傷でしばらくは立ち上がれない。アリィスはそう読んだ。――だが。男は全身から火柱を上げたまま、ゆっくりと男の子の方へ歩き始めた。


「オレ様にぶつかったお前が悪いんだ。あの世で後悔しろォ」


「あのにわとり野郎……ッ!!」


 アリィスは駆け出した。


 *


 左腕から触手を伸ばす。狙うのは、通りの脇のビル壁面に沿って走る鉄パイプ。触手がそれへ巻きついた瞬間、アリィスは自分の体を一気に引き上げ、地面を離れた。そのまま弧を描きながら、一直線に男の頭上へ。


 今度は、近くの黄色いネオン看板へ手をかざす。

 色が抜け落ち、代わりに、掌へ黄色い弾丸が生まれる。

 

 黄色は、雷。


 アリィスは空中から男へ向けて撃ち下ろした。


 落雷のような閃光。

 弾丸が男の肩口へ突き刺さり、電撃が全身を駆け巡る。


 ――それでも、男は倒れない。


「は? え、イフもしかして外した?」


〈イフは外さないよぉ!〉


 受け身を取って地面へ着地したアリィスは、

 間髪入れず、背後から男の胴体へ触手を巻きつけた。


「くそっ、なんだこれ。離しやがれッ!!」


 アリィスは男を拘束したまま、前方へ目をやる。


 少し先で道路が途切れていた。その先端には、転落防止用の金網が張られている。向こう側に何があるのかは、ここからでは見えない。


 けれどアリィスは、迷わなかった。


 男を触手で引きずったまま、

 そのまま全力で走り出す。


〈ちょっとアリィス! 本気?〉


「私はいつも本気……ってか、こいつ重いっ!」


 半ば引きずるようにして勢いをつける。


 アリィスは地面を蹴り、

 金網へ向かって一直線に突っ込んだ。


 ふわり、と体が浮く。


 ――その直後。


 鼻の奥がねじ曲がるような悪臭が、

 アリィスを正面から殴りつけた。


「くっ……さぁ――!」


 道路の突き当たり。

 その向こうは、巨大なゴミ捨て場だった。


 なぜ都市のど真ん中に、こんなに広いゴミ捨て場があるのか、そんな疑問が頭をよぎる。しかし、その答えより先に、これから自分の身に起こる最悪の展開を理解してしまっていた。……アリィスは、無言ですべてを諦める。


 数秒後。


 アリィスと、にわとり男は――

 生ごみのプールへまとめて落下した。


 べちゃり、と、音が響く。


 男は、白目を剥いたまま気絶していた。


「あーー、きれい。おそらがあおいよぉー。ねぇ、いふもみてー」


〈終わりだ~! アリィス、壊れちゃった~!!〉


 アリィスは、一日に一回、

 お風呂に入らないと機嫌が悪くなる。


 それくらい、彼女はきれい好きだった。


「素晴らしいです」


 ――そのときだった。


 拍手の音が、のんきに響く。何者かが手を叩きながら、仰向けのまま空を見上げているアリィスのもとへ近づいてくる。


「テレジアの魔序、アリィス・テレジア。あなたこそ、我々が探し求めていた人だ」


 アリィスは寝っ転がったまま、顔だけをそちらへ向けた。そこに立っていたのは、杖を突き、革靴で器用にゴミの上を歩くスーツ姿の男だった。紳士然とした顔立ち。口元には、きれいに整えられた立派な髭。


 男は、そのまま続ける。


「アリィス・テレジア。あなたにはぜひ、当魔法学園の教師になって頂きたい」


 一瞬、夢なのか現実なのか分からなくなって。

 アリィスは、いつものように頬を膨らませた。


 くさい。

 ただひたすら、くさい。


 それでも――


 空は青かった。

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