4|『晴の魔法使い ‐ Haru:The Magia² ‐』
イザヴェルシア聖戦を生き延びた私は、アルナゼリゼという街に暮らす叔父の家に身を寄せることになった。叔父は賢く、優しい人で、私の魔法の師匠でもある。
私は、叔父のことを尊敬している。
――でも、一度だけ、彼の想いを裏切ってしまったことがあった。
「アリィス。君はいつか、魔序になるだろう。その才能が君にはある」
叔父はそう言って、黒板に「witch」、
そして「orde」と二つの英単語を並べて書いた。
「うぃっち、は、知ってるよ。魔女、って意味だよねー」
「聡いな、アリィス。その通りだ。ウィッチは、一般的に魔女を意味する言葉だ。おとぎ話でよく登場する悪い魔法使いだね」
「じゃあ、おーで? おるで? ってなにー??」
「うむ。まさにこのオルデこそ、君が目指すべき“魔序”だ。……オルデとは、古の時代を生きた、始まりの魔法使いのこと」
「私、そのオルデになりたいっ! どうすれば、なれるのー?」
「その答えは、アリィス。君自身でいずれ解くことになるだろう。……さぁ、もう寝る時間だ。明日は一緒にポーレット図書館にでも行こうか」
私は、叔父と行ったポーレット帝立図書館で、地下書庫に封じられた禁書をこっそりと持ち出した。そして、亡くなった両親を生き返らせるために、そこに書き記されていた禁術を発動――その代価として、右眼と記憶を失った。
のちに、失った右眼の代わりにナスタルギアが埋め込まれたが、記憶は未だに失ったまま。その記憶とは、過去の記憶ではなく、未来の記憶――
二十歳以降の記憶だ。
一年後の誕生日に、私の命の火は消えるのか。
まったく別人になってしまうのか。
それとも、記憶する能力そのものを失うのか。
私は、その代価の本当の意味を、探し続けている。
―― 4.『晴の魔法使い ‐ Haru:The Magia² ‐』 ――
ギンスナは機兵・ハクトを操作し、空へと飛び立った。
生成された機兵・ライゼのコックピットハッチに滑り込んだアリィスは、シートに深く身を沈め、ショルダーハーネスを引き下ろす。――そのまま、淀みない動きで起動プロセスを進めていく。
「クラヴィス、『新世界より』。アンカーダウン!!」
ブックホルスターから、契約している魔導書――タイトル『新世界より』を引き抜き、操作パネルのスロットへ差し込むアリィス。その瞬間。火の消えかけた竈に息を吹き込むように、機兵・ライゼが目覚めた。
操作パネルに魔法陣が浮かび上がり、ホログラムモニターに機体の視界が映し出される。同時に、全身の装甲下を走る魔力血管が白銀色に脈打ち始める。
アリィスの搭乗機は、全身を覆う漆黒の装甲板と、血のような深紅のライン、女性的なシルエット、腰部に備えられた二基のジェットエンジンが特徴的だ。空を駆ける漆黒の亡霊ライゼは、まさに、生きた人型機兵だった。
腰部のエンジンが唸りを上げ、タービンが高速回転に入る。
直後、機兵・ライゼは力強く空へと躍り出た。
「――イフ。ギンスナのカルディアをロックオンして」
〈おっけー。了解だよ~〉
ナスタルギアの内側から、イフがゆるい声で答える。
アリィスの右眼――ナスタルギア・晴の歯車の赤い瞳は、雲の中を高速で飛翔する不透明な電脳情報体、機兵・ハクトの位置を正確に捕捉する。その下方では、空を征く竜の背中が、荒波のようにうねっていた。
夜穿光弾の強烈な光が、暗闇を照らす。
「あいつ……まさか、あの穴ん中に落ちるつもりか……?」
〈うん。イフの予測システムもそう言ってる〉
「セントロメアは穴の向こう側にある。あいつの言葉を信じるなら、飛び込むべき――でもさぁ、イフ。あの渦に呑まれて生きていられると思う?」
〈むり。百ぱーせんと、死、だね~〉
竜の背に穿たれた窪みの内部では、光の奔流が轟々と音を立てている。激しい飛沫を噴き上げながら渦を巻いて、奈落の底へと落ちていく――その中央の大穴に向かって、ギンスナは迷いなく一直線に、機兵を急降下させていた。
――アリィスは一瞬、
空中で機体を静止させると。
「よしっ」そう言って、操作パネルに手をかざした。
「突っ込むよ、イフ。サポートをお願い」
〈うぇ~、ほんとに? アリィス死ぬよ~~!!〉
「そんなの、突っ込んでみなきゃわかんないでしょ。ライゼッ!!」
機兵・ライゼのジェットエンジンから、気化した銀白色の魔力血液が一気に吹き上がる。アリィスは操作パネルの上で指を躍らせ、さらに速く、タービンの回転数を引き上げた。まるで怪獣の咆哮のような駆動音が、コックピットを震わせる。
――次の瞬間。
ライゼは弾丸のような勢いで発進した。
雲を切り裂き、風圧をねじ伏せ、一直線に。
漆黒の機兵は、
竜の背の大穴へ向かって真っ逆さまに飛び立つ――
◇
◇
大穴へ近づくほど、風の勢いはさらに増していった。
コックピットの中では、機体の装甲が悲鳴のような軋みを上げている。ギンスナは背後モニターを展開し、上空から猛追してくる機兵・ライゼの姿を確認した。
口元に手を当て、ギンスナは淑やかに微笑む。
「あらあら。あの子、本物のお馬鹿さんのようですわね。わたくし、ちゃんと忠告してさしあげましたのに。ねぇ、ソフィー」
〈どうかな。アリィスはあれでも“魔序”の称号を認められた魔法使いよ〉
モニターの端から、ギンスナにそっくりな白髪の女が、にゅっと顔を出した。アニメーションイラストのような二次元の体が、画面の中をぬるりと滑らかに動く。
「ちょっと、邪魔よソフィー。前が見えないわ」
〈べつに良いじゃない。あなたの脳の中は小さくて退屈なのよ〉
「なぁんっですとぉ!! ソフィー、それは言い過ぎよっ!!」
ギンスナは指先で画面の中のソフィーを突っつこうとする。だがソフィーは、二次元の身体を器用にくねらせ、ひらり、ひらりとその攻撃をかわした。
そんなことをしていると――
コックピットが、突如として大きく横へ揺れる。
視線を跳ね上げるギンスナ。
モニターに映っていたのは、
真横にまで迫っていた機兵・ライゼの頭部だった。
「おい、聞こえてるかギンスナ!!」
「聞こえてます。声が大きいですわ、アリィス・テレジア。わたくし、言いましたよね。竜理ネットワークに接続しないと、ぺちゃんこになるって」
「その、りゅうり……? ねっとわーく、ってなんだ?」
「はぁ。どうやら、本当にただのお馬鹿さんのようですわね。もちろん、教えるわけないですわ。そのまま大穴に落ちて、ぺちゃんこになってください。ですわ」
ギンスナは一方的に、機兵・ライゼとの通信を切断した。
〈アリィス。あなたはいったい何を考えているの……?〉
画面の中のソフィーが、
呆れたような声でつぶやく。
*
一方、ライゼのコックピットには、
警告音がけたたましく鳴り響いていた。
インターフェイスは赤く明滅し、
視界のあちこちにエラーメッセージが表示される。
アリィスは操作パネルへ手をかざす。だが、吹き荒れる暴風のせいで機体の姿勢は安定せず、制御はじわじわと奪われていった。――ハクトとライゼ、二機のカルディアは、すでに竜の背に穿たれた窪みの内部へ侵入している。
人型機兵の巨躯でさえ、竜の上では、
もはや鱗よりも小さな一ピクセルの点に過ぎなかった。
そして――
〈アリィス。危ないっ!!〉
イフの声がナスタルギアの奥から響く。
次の瞬間、風に吹き飛ばされてきた瓦礫片が、ライゼの右腕関節へ直撃した。砲弾のような速度にまで加速した瓦礫は、その衝撃で右腕を吹き飛ばす。
「っ――!!」
咄嗟に触手が伸び、失われた腕を再生しようとする。だが、暴風に煽られた触手は狙いを定めきれず、空中で千切れて散った。
機兵・ライゼを襲うのは外からの損傷だけではなかった。この窪みに満ちているのは、重力とも、圧力ともつかない、目に見えない異常な力だ。それが機体の内側へじわじわと食い込み、装甲を、骨格を、内部パーツを捻じ曲げていく。
パイロットであるアリィスの体も、いずれその力に呑まれるだろう。
アリィスはなんとか機体を静止させると、
頬を膨らませ、腕を組んだ。
「くそっ。ねっとわーく、ってなんだよ。魔法の名前か?」
〈ぴぴぴ、イフ検索エンジン起動。ネットワークとは、電波や光などを用いた通信網のことです、たぶん〉
「つまり、どういうこと?」
〈イフもわからねぇ~です〉
アリィスとイフは、そろって首を傾げた。
下方では、ギンスナが操作する機兵・ハクトがさらに窪みの奥へと降下していく。大穴に近づくほど、機体はますます電脳体へ変貌し、輪郭すら掠れて見えなくなっていた。もう、追跡は不可能かもしれない。
アリィスは冷静に状況を見極める。
それでも、ここまで来て引き返すという選択肢は、どうやら彼女の中には存在しないようだった。竜の背の大穴、その向こう側へ辿り着く。アリィスもまた、一人の魔法使いだ。――魔法使いとは、“未知”を前にして獣と化す生き物。
理想でも、信念でもない。
それは、もっと原始的な、魔法使いの本能だった。
「うわーーーーー!!」
〈うわーーーーー!!〉
とりあえず、二人で一緒に叫んで共鳴しておく。
*
――そのときだった。
コックピットに、ざり、と謎のノイズが走る。
「……聞こえて……か……」
アリィスは素早く周波数を合わせ、その乱れた音声を拾い上げた。
「聞こえてる。あなたは誰?」
「右だ。右を見ろ」
機体の視界を右へ振るアリィス。
そこにいたのは、飛行魔道具に乗って渦の上を滑るように飛ぶ、一人の男だった。海洋生物のマンタを思わせる形状のエアクラフト。この暴風の中を飛ぶには、あまりにも頼りなく見える。
剥き出しの操縦席から身を乗り出すようにしながら、男は機兵・ライゼに向かって手を振っていた。
アリィスは、彼のことをよく知っている。
――故郷、イザヴェルシアを聖戦で滅ぼした、魔導教イスカリオテ凍魔派の元主席魔導師。彼こそが、まさにその“凍魔・カイネ”だった。
スキンヘッド、無精髭。瘦せ細った体。
割れた円形のサングラスが、鼻の上に乗っている。
筋骨隆々の魔王系美男子と謳われた、かつての暴君カイネとは似ても似つかない。それでも、アリィスがその憎らしい顔を忘れるはずがなかった。
カイネは器用にエアクラフトを操りながら、叫ぶ。
「なぁ、聞いてくれよ。なんか知らねぇけどよ、あのクソみたいな牢獄艇から脱獄できたんだ。看守どもはみんな眠ってるし、牢屋の鍵はゆるゆる。脱獄してくださいって言ってるようなもんだ。だから、このエアクラフト盗んで逃げだしてやったよ」
ずいぶん呑気な口ぶりだった。
アリィスは機体を回転させ、
ライゼの左腕で不意打ちの一撃を放つ。
「って、おぉおい!! 危ないだろ!」
「風羽街=イザヴェルシア。覚えてるよね?」
「あ、んん? もしかしてお前、その漆黒の機体……アリィス・テレジアか?」
カイネはサングラスを指で押し上げ、
それからエアクラフトのハンドルを叩いて笑った。
「理解した、そういうことね。――テレジアの魔序。お前の活躍は囚人仲間から嫌ってほど聞いたよ。各地でお尋ね者を狩りまくってる、最強の傭兵がいるってなぁ」
「だったら。あんたがこの後どうなるか、理解できるよね」
「まぁ、まて。アリィス、お前はいま大穴に入れず困ってる。そうだろ?」
アリィスは、カイネの魂胆を察して、深くため息を吐いた。
「取り引きに応じるつもりはない。あんたを食って、大穴にも入る」
「無茶言うなよ、アリィス。というか俺も取り引きをするつもりなんて最初からない――だが、お前が竜理の国で暴れるのは面白そうだ。見てみてぇ。だから……」
カイネは、そこでわざとらしく言葉を切る。
そして、手に嵌めていた指輪を外すと、ライゼへ向かって放り投げた。
「竜理ネットワーク、接続――」
カイネの言葉に反応して、指輪から解き放たれた光が、機兵・ライゼを包み込む。装甲上に浮かび上がっていく、神声文字と数字の羅列。やがて、機体はハクトと同じように、デジタルデータを纏った電脳情報体へと変質していった。
アリィスは咄嗟に操作パネルへ手をかざす。
だが、反応しない。
「動かない……! イフ、すぐに原因を調べて!!」
〈あぁ、これはダメだね~。一時的にアクセス権がカイネのものになってるよ~〉
「あいつ……っ!!」
アリィスはモニター越しにカイネを睨みつける。
だが彼は、エアクラフトの上で欠けた歯を見せながら、
不気味な笑みでひらひらと手を振っていた。
その直後――
すべての機能が停止したライゼが、
重力に呑まれるように、大穴の底へ落ち始める。
〈アリィス。落ちてる、落ちてるよ~!!〉
「ねぇイフ、なんとかしてー!!」
〈イフにはむりだぁ~!!〉
こうして。
アリィス・テレジアの、
竜理を巡る物語の幕が、開いた。




