3|『竜理ネットワーク//RR-NETWORK』
アリィスの右眼に埋め込まれた、ナスタルギアの魔法『祷式隷眼・神曲』は、視界内に捉えた物体を再構築し舞台を創り上げ、人物を“役者”として隷従させる。それは、どんな幻覚魔法よりも強力な支配だった。アリィスが自ら魔法を解かない限り、その舞台の幕は閉じない。
だが、ギンスナの槍で魔法発動器官を破壊されたアリィスは、すでに限界を迎えていた。彼女の体内に流れる魔力血液が、オルガンの損傷によって、逆流を起こす。
アスハイロストに生きる人々には、第三の血管――魔力血管があり、その中には、魔法を発動するために必要な魔力血液が流れている。アリィスが契約している魔法は寄生型。常に彼女の魔力血液を吸い続け、その供給が止まると暴走を始める。
もはや、架空の舞台は、アリィスとともに終幕寸前。
「ダメだ……っ!! もう持たない……!!」
「どうしましたか、お嬢様。どこか具合でも悪いのですか?」
祷式隷眼で隷従させられているギンスナが、メイドの役を続ける。
その間にも、アリィスの左腕に空いた穴からは、無数の触手が魔力を求めて溢れ出していた。――オルガンが機能しなければ、魔力の流れを制御できない。
触手は飢えたみたいに蠢き、
床を、壁を、空気そのものを掻きむしるようにのたうつ。
それでもアリィスは、ギンスナへ言葉を投げつけた。
「ギンスナ!! お前は、私の故郷イザヴェルシアの姫だったソフィアによく似ている。お前はいったい……何者、なんだ……!! この牢獄艇で何が起きている?」
「アリィス~、もう限界だよー。イフの歯車も、もう止まりそうだよ~」
アリィスの右眼――ナスタルギア・晴の歯車の中から、イフが話しかける。彼女の腹部の歯車の回転は、目に見えて鈍くなっていた。
そして――
「あっ。倒れちゃったー」
アリィスの体が床に崩れ落ちるとともに、創られた舞台、古びた屋敷のセットが飴細工のように溶けていく。物体が形を失いながら、ひとつ、またひとつと巻き戻るように、もとの牢屋へと還っていく。
鋼鉄の床へ。
冷たい鉄格子へ。
祷式隷眼・神曲に、カーテンコールはない。
―― 3.『竜理ネットワーク//RR-NETWORK』 ――
牢獄艇は、深い夜の闇を航っていた。
淡い魔法灯の影が揺らめく廊下を、ギンスナが駆けていく。円形の窓から差し込む月光が、まるでスポットライトのように彼女を照らしては、次の瞬間には後方へ流れ去っていく。
ギンスナは走りながら、自分自身の内側へ話しかける。
「ちょっと、ソフィー。わたくし、聞いてないわよ! あなた、テレジアの魔序と同じ故郷出身なの??」
彼女の脳内に、シルクの布のように透明で、
流るる清水のように柔らかな、女性の声が響く。
〈そうよ。アリィスに“テレジア”の名を与えたのは私〉
〈古代アーキ語で、『色彩』って意味なの〉
「そういう大事なことは、先に言いなさいよ!」
〈ふふっ、ごめんなさい。でもよかったのギンスナ? アリィスが気絶しているうちに、ナスタルギアを回収できたはずでしょ〉
ギンスナは、ひとつ息をつくと――
「もういい」そう言って、脳内の声との会話を打ち切った。
「操縦室。……ここね」
廊下の奥の扉の前で、ギンスナは立ち止まる。
扉の中央の窪みには魔導書が設置されていた。魔導書が展開する封印魔法によって、扉は幾重にもロックされている。――ギンスナは、ブックホルスターから自身の魔導書を取り出すと、迷いなくペンを走らせた。
この世界の魔法、キィズ魔法体系の公式は――
『告式+術紋+触媒=魔法譜』である。魔法を発動するために必要な“魔法譜”を完成させるためには、告式、術紋、触媒、の三つの要素が必要ということだ。
告式は、骨組みとなる魔法の式・コマンドである。
術紋は、ページの空白に描かれた図形や絵、紋章のこと。
術者の感情や個性を反映し、主に魔法の視覚的な側面を担う。
触媒は、魔法の補助として使われる専用の記号。
この触媒の使い方によって、魔導書はときに、呪術書にも変化する。
「魔法温度は122度シータ、複式。使われている告式は【ジャグ=セルの鎖】と、【ニルヴァの認知反転:Ⅱ】。それと、【レルマンの防犯用告式】……ですわね」
ギンスナは、扉の魔導書に記されている魔法譜を読み解きながら、その告式を自らの魔導書へ書き写していく。告式には、それを発明した魔法使いの名が冠されることが多い。それらはすべて、星の掟によって管理され、一般公開されていた。
使われている告式と、その構造さえ見抜ければ。
それを解くための魔法を組み上げることができる。
……もっとも、そんな真似ができるのは、
上級の魔法使いだけだ。
ギンスナは、その一人だった。
「――完成しましたわ。こんな初歩的な封印魔法を解くなんて、わたくしからすれば、パンにバターを塗るよりも容易いこと。さて、詠唱開始といきましょうか」
―――― ◇◆◇ ――――
ゾル・エル・トゥーヴェ
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―――― ◇◆◇ ――――
魔導書に神声文字で書き記した魔法譜を、
ギンスナが静かに読み上げる。
その瞬間――
扉にかかっていた封印魔法が、
一枚ずつ剥がれるように解けていく。
最後に、ガチャリと、鍵穴が回る音が鳴った。
◇
牢屋の硬い床の上で気絶するアリィスの心臓部に、小さな手が伸びる。
「遠隔で魔法を発動するのは、なかなかキツイ……だがっ! 俺はこれでも、始英雄の一人。――アリィス、さっさと目ぇ覚ませ!!」
はるかに小さくなったスライムの体を必死に操りながら、テレトロイカは回復魔法を発動する。アリィスの損傷したオルガンが、少しずつ癒えていく。
――数秒後、
アリィスの指先が、ぴくっと跳ねた。
そして彼女は、ゆっくりとまぶたを開く。
「……おはよう……眠り姫さま。……起きたか?」
「テレトロイカ、生きていたのね」
「いや……もう限界だ。……意識の接続が途切れ始めている……」
スライムは、溶けかけたアイスみたいにぐったりとしていた。
声にはノイズが混じり、輪郭すら曖昧になりかけている。
それでもテレトロイカは、最後の言葉を繋ぐみたいに話し始めた。
「アリィス……ギンスナには、もう……会ったのか……?」
「あぁ。お前に言われて、会って、この有り様だよ」
「……そうか……すまない。……結論から言うと、今回の任務……途中から、そいつに乗っ取られていたんだ……。奪われたナスタルギアを取り返せ、という任務までは……たしかに、アークステラからの、依頼で間違いなかった……」
「つまり、そのあと。牢獄艇まで私を運んで、ギンスナという女の囚人に情報を聞くという計画が、そもそもギンスナによって仕組まれた罠だったってことね」
「……そういう、ことだ」
アリィスは上半身を起こし、
まだ重たい身体を引きずるように壁へ背を預けた。
「ありがとう、テレトロイカ。奪われたナスタルギアを取り返すこと。それと、デ・サロメを追うこと。――その二つの任務は、受けたからには必ず成功させる」
そこで一度、息を継ぐ。
「ギンスナに関しては、個人的に気になることがある。こっちで探ってみる」
「助かる……頼んだ、ぞ……アリィス――」
――――
――
赤土の荒野、零。
ポトアルケテスの前足に背を預けながら眠っていたテレトロイカが、大きなあくびをしながら目を覚ます。はるか遠く、地平線の上では、沈んだ太陽の輪郭が赫々と燃えていた。「さぁ、いこうか」そう言ってテレトロイカが立ち上がった瞬間――
赤い土埃に混じって、
天上の厚い雲から“灰”が、ひらりと降りてきた。
その灰は、テレトロイカの手に触れた途端、雪のようにふっと消える。
「灰……まさか、まだ生きていたとはな」
テレトロイカは、純黒に染まりゆく空を仰いだ。
そこにあったのは、世界全土へ影を落とすほど巨大な――
一匹の竜だった。
◇◆
◆◇
牢獄艇の操縦室へ侵入したギンスナは、
中央に据えられた筒状のカプセルへ、そっと指先を触れた。
カプセルの内部には、魔法起動円盤を組み込まれた人工脳が、淡い光を放ちながら浮かんでいる。魔法起動式の乗り物には、自動操縦システムが採用されることが多い。――この牢獄艇も、その例外ではなかった。
ギンスナの手が触れた瞬間、カプセルの表面に航行速度、現在地、航路予測といった情報が幾重にも浮かび上がる。
「やっぱり、わたくしの予想通りですわ。この年、この月、この日、この時間。船はアビスヘブン地方、荒野ゼロ上空を通過する。その路と、竜の路とが重なる瞬間を、わたくしは待っていたのです。この牢獄艇に収監されて十二年……長かったですわ」
胸に手を当て、遠い過去を撫でるように、
ギンスナはそっと目を閉じる。
そして、自らの額へ手をかざした。
そこには本来なかったはずの“竜の角”が、
ぼんやりと浮かび上がる。
その姿は、紛れもなく竜人族のものだった。
「なるほど。それがお前の秘密か?」
不意に、操縦室の入り口から声――
意識を取り戻したアリィスが、そこに立っていた。
ギンスナはゆっくりと振り返り、
長い白髪を後ろでひとつに結びながら微笑む。
「あら、アリィスさん。ではなく、お嬢様、とお呼びしたほうがよろしいかしら」」
「呼んでくれるのか? なら――」
「もちろん、お断りですわ。アリィス・テレジア」
「お前、性格悪いってよく言われるだろ」
「性格の良い戒在人がいるとでも?」
「そうか、そうだったな。お前はこの牢獄艇の囚人だったな。なら納得だ」
アリィスは一歩、また一歩とギンスナへ歩み寄っていく。
互いに視線を逸らさず、じりじりと間合いを測りながら――
ギンスナが先に動く。
「……夜穿光弾、スイッチオン。ですわ~」
カプセル上に浮かび上がった操作パネルへ指を走らせ、画面に表示されたスイッチを押す。それは、飛行艇に搭載された照明砲の起動キーだった。次の瞬間。機体前方上部に備えられた鋼鉄の隔壁が、鈍い駆動音とともに左右へ開いていく。
その奥からせり出したのは、
飛行艇の“眼”のように並ぶ、左右二基の砲台。
そして――
空も地も判然としない、光の不在、
夜の闇へと向かって、夜穿光弾が放たれた。
甲高い笛のような音を引きながら、
二発の照明弾が雲の中へ突き刺さる。
刹那。
夜を穿つような閃光が炸裂した。
爆風が操縦室を直撃し、窓ガラスが一斉に砕け散る。
「っ……!!」
アリィスは反射的に目を閉じ、両腕で顔を庇った。
暴雨みたいに吹き込むガラス片が、腕や肩を細かく打つ。
その直後、世界は一瞬の静寂とホワイトアウトに呑み込まれた。
割れた窓から、渦を巻くような突風が叩き込まれる。
風は操縦室の壁を震わせ、固定の甘い計器や書類をまとめて空へ攫っていった。アリィスは咄嗟に近くの柱へしがみつき、小さな身体をなんとか踏みとどまらせる。
「なにが目的だ、ギンスナ……!!」
「みてください、アリィス・テレジア。これが――」
――“竜の背”です。
吹き荒れる風をものともせず、割れた窓の前に立ったギンスナは、大仰に両手を広げ、まるで舞台の幕を上げる役者みたいに告げる。
アリィスは柱を手放し、慎重に歩を進める。
そして、船の外に広がる景色を見た。
夜穿光弾に照らされ、空は昼のように白く明るんでいた。
その光の中にあったのは――
果てしなき、竜の背中。
もはや“背”などという言葉では足りない。
それは大地そのものと見紛うほど広大で、永遠に続いているように見えた。
頭も尾も見えない。
ただ、そこにあるのは、白銀の輝きを帯びた巨大な鱗。
その鱗に覆われた胴。
ところどころ剥き出しになった、異形の骨格。
アリィスは、その背の一部に視線を止め、思わず呟く。
「あれは、なんだ……??」
竜の背中の一部が、欠けている。
いや――欠けているのではない。まるでその部分だけ、巨大な刃物で抉り取られたみたいに、円錐形の窪みが穿たれていた。その窪みの内部では、不思議なプリズムの光を湛えた液体が、轟々と渦を巻いている。
漏斗のように底へ、底へと向かって狭まるその穴の奥は見えない。底が抜けているのか、それともさらに別の深淵へ通じているのか――ただ、竜の背に開いたその傷口だけが、異様なうねりを続けていた。
ギンスナは左手の親指に嵌めた指輪へ、そっと口づける。
「――、共鳴しなさい。《HΛKUTO》――」
その瞬間。
さらに、はるか高く上空から、一機の魔法起動機兵が舞い降りてきた。標準規格である二十五メートルを上回る長身。白を基調とした装甲。頭部には、まるで兎の耳を思わせる長いパーツ。甲冑めいた外装に包まれたその姿は、騎士そのものだった。
腰には、機兵用に鍛造された一振りの長剣。
機兵・ハクトは、操縦室の前へ背を寄せるように空中で停止すると、コックピットのハッチを展開した。搭乗しようとするギンスナを、アリィスが追う。
「待て、ギンスナ!! なにも答えずに逃げんのかよ!!」
「逃げるのではありません。わたくしは、帰るのです。竜理の国に」
「はぁ? 竜理の国?」
「そういえば、セントロメアへの行き方について知りたがってましたわよね。――最後に教えてさしあげます。セントロメアは、あの穴の奥ですわ」
ギンスナは、竜の背に穿たれた大穴を顎で示す。
「……ただ。竜理ネットワークに接続されていないあなたは、入る前にぺちゃんこになるでしょうけど」
「ちっ。よく分かんねぇことをペラペラと。……ライゼ!!」
アリィスの声に呼応し、左腕から溢れ出した触手が一斉に膨れ上がる。赤黒い触手が絡み合い、骨格を組み、装甲を形づくっていく。人型の機兵が、まるで生き物のようにその場で組み上がっていった。
――そう。アリィスのカルディア《RAiZE》は、タイプ:ゴーストと呼ばれる特殊機体。その装甲はすべて、彼女に寄生する触手そのものでできている。
一方、コックピットへ乗り込んだギンスナは、魔導書を取り出し、操作パネルのスロットへ差し込んだ。魔導書の魔法を読み込んで、再起動する機兵・ハクト。
「竜理ネットワーク。接続――」
ギンスナのその声に反応して、機兵・ハクトの全身の装甲上に、神声文字と数字の羅列がホログラムのように浮かび上がった。文字列は奔流のごとく機体表面を走り、白い装甲を覆い尽くしていく。
やがて機体そのものが輪郭を揺らし、
完全な質量を持つ鋼鉄の人型機兵というより、
巨大な電脳情報体のような姿へと変質していった。
ギンスナは操作パネルに手をかざして、
機兵・ハクトを浮上させる――




