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2|『晴の歯車//NASTAL-GEAR “iF”』

 分厚い雲海を切り裂きながら、

 巨大な影がゆっくりと夜空に浮かび上がった。

 

 ――全長百メートルにも及ぶ飛行艇。


 五対の主翼には、計三百ものプロペラが並ぶ。人工脳内部に組み込まれた“魔法起動円盤(ディアノイア)”によって制御され、超魔法的な飛行で天上の航路を泳ぐ飛行艇――“護摩理古天(ごまりこてん)牢獄艇(ろうごくてい)”。それは、星の掟の裁きを受けた「戒在人(かいざいにん)」と呼ばれる受刑者たちが収監されている、空上の監獄船だった。


 八本の煙突からは、絶えず気化した魔力血液が吹き上がり、

 黒銀色の煙が、底のない夜の空へと溶けていった。


 ――船内、地下三階。錆びた鋼鉄の扉が、廊下の両側に隙間なく並んでいる。天井から吊るされたランタンには、淡い魔法の炎。揺れる灯りが床の上に影を落とし、その影は、まるで透明な子供たちが悪戯しているみたいに、ゆらゆらと踊っていた。

 

 扉の上部に“玖”と刻まれた牢屋。

 その中に、足枷を嵌められたアリィスがいた。


 ベッドとトイレだけが置かれた、狭い鉄の部屋。

 円形の窓から差し込む月明かりだけが、唯一の光だった。


 その光が、アリィスの瞳に反射する。

 神秘的な双眸が、夜の底で妖しくきらめいた。


 ベッドの上であぐらをかきながら、アリィスは深くため息をつく。


「はぁ……。さっさと姿を現して説明しろ、テレトロイカ。なんで私はこんな場所に連れてこられたのか、納得のできる説明をしろ。お前が出てこないつもりなら、この飛行艇ぶっ壊して、零まで会いに行く。逃げたとしても地の果てまで追うぞ」


 アリィスの殺気混じりの声に、牢の空気が凍る。


 ――数秒後。


 壁の換気扇の隙間から、ぬるりと何かが垂れてくる。

 粘性をもった液状の生命体。いわゆるスライムだ。


 ぎょろりと飛び出した一つ目が特徴的なそのスライムは、床に着地するなり、ぱっくりと口を開く。何かを言いかける――

 その前に、アリィスはブーツの底で容赦なく踏み潰した。


「ぐえッ!」

 スライムから情けない声が飛び出す。


「おい! 踏むな!! 会っていきなり踏む――ぐえッ!」


 もう一度だけ、ぐりっと踏みつける。

 それからアリィスは、満面の笑みを浮かべた。


「あー、すっきりした。これで恨みっこなしね、テレトロイカ」


「……まぁ、先に不意打ちで眠らせて誘拐したのは俺だ。お前の気が済むまで踏まれてやるよ」


「もういいから、さっさと本題を話して」


「本当にかわいくないな、お前は。……本題だ。包み隠さず話そう。つい二週間前のことだ。星礼院の地下で保存された聖ユポルの聖遺物、“ナスタルギア”の一部が無くなった。どうやらアークステラの天使様たちは、魔導教を疑っているらしい」


 一つ目のスライムはアリィスの足元で、

 小さな手をせわしなく動かしながら言葉を紡ぐ。

 

 『魔導教』は、この世界における二大宗教の一つ。

 ――聖ユポルはその創始者だ。

 

 かつて始英雄の一器だったユポルは、

 終戦直後、異端者として処刑された。


 アリィスは口元に手を当て、しばし考え込んでから言う。


「でも、魔導教は一枚岩じゃないでしょ。ずっと三大宗派で争い合ってる」


「……あぁ、そうだな。どの教派が奪ったのかまではわかっていない。ただ、最近の魔導教は何かと怪しい動きが多い。とくに、エクシクス諸派の初代主席魔導師、オセ・ツァザルディオは各地で兵を集めて、王の座への復活を企んでいるとか」


「正直言って、面倒ね。これ以上、歴史の教科書を複雑にしないでほしいわ。この教派の主席魔導師が、えーっと、こいつでぇ……って覚えるのにどれだけ苦労したか」


 アリィスはそう言って肩をすくめる。

 

「それで? 私はなにをすればいいの?」


「アリィス。君には、奪われたナスタルギアを取り戻してほしいんだ」


「なんで私が?」


「わかっているだろ、アリィス。ナスタルギアの持つ力は、天地をひっくり返すほど強力だ。だからこそ、その右目にナスタルギアを埋め込まれたお前の力が必要なんだ。……天使様はお前を信用している」


 スライムは小さな手をびしっと突きつけ、アリィスを指した。

 

 アリィスの赤い右眼――

 その正体は、『(はる)歯車(はぐるま)』。そう呼ばれるナスタルギアだった。


「わかった、依頼は受ける。それがあんたたちとの“約束”だから――」




   ―― 2.『晴の歯車//NASTAL-GEAR “iF”』 ――




「まずはアリィス、前回言ったデ・サロメを追え。天使様はそこに何か隠されていると考えているらしい。セントロメアへの行き方については、地下一階の“参”の牢屋にいる女の囚人に訊くといい。……ギンスナ、って名前だ」


 牢屋の扉を、強化魔法で底上げした腕力で叩き壊し。

 アリィスは、あまりにもあっさりと脱獄していた。


 そのまま薄暗い廊下を歩いていると、

 前方、奥から制服姿の男が近づいてくる。


「ん? ……嘘だろ。この牢獄艇で脱獄とは、舐めた真似を……!。詠唱開始(アンカー)ッ!!」


 アリィスに気がついた男は、訓練された動きで素早く柱の陰へと身を滑り込ませ、魔法を発動した。――宙に浮かび上がった魔法陣から放たれたのは、氷を纏った無数のナイフ。その鋭い切っ先が、アリィスを狙って空を滑る。


 ――ローブの袖をまくって、左腕を晒すアリィス。

 彼女の腕の皮膚には、底の見えない漆黒の“穴”が空いていた。


「脱獄、って。勝手に入れられただけなんだけどね~」

 

 穴から、ぐちゃり、と不快な音が鳴る。

 次の瞬間、そこから赤黒い触手がずるりと生え、飛び出した。


 触手はアリィスを庇うようにうねり、飛来したナイフを絡め取る。

 そして、そのまま、穴の深淵へと呑み込んでいった。


 男はその光景を見て、じり、と後ずさる。


「このバケモノめ……ッ! な、なんだその触手は?!」


「うーん、なんだろうねー。ペットかなぁ?」


 気の抜けるような声で答える、アリィス。そして彼女は、サプレッサーの付いたピストルを取り出して――迷いなく、男を撃った。


 ぐったりと倒れる男の体。


「あっ、安心してねぇ。麻酔弾だから。真面目に働いてるだけの看守さんを殺すほど、私も鬼じゃないので。それじゃ、良い夢を〜」



 ◆ ◆

  ◇



 護摩理古天牢獄艇、地下一階。


 扉の上に“参”と刻まれた牢屋の前へ辿り着いたアリィスは、左腕から触手を伸ばして、鍵穴を破壊。そのまま、何のためらいもなく牢内へ踏み込んだ。


 そこにいたのは――


 月明かりの差す窓辺に立つ、ひとりの少女だった。

 その横顔は、空を知らずに咲いた花瓶の花のように、ひどく儚げだ。


「……あなたは何者?」


「アリィス・テレジア、傭兵だ。君がギンスナ?」


「――はい。ギンスナ・カフ・シスターフェアリーと申します」


「ギンスナ、君に訊きたいことがある。セントロメアへの行き方についてだ」


 透き通るような長い白髪をなびかせ、ギンスナが振り返る。――アリィスは月の光に照らされた彼女の顔を見て、言葉を失った。その面差しが、聖戦によって滅んだ故郷イザヴェルシアの姫、ソフィアによく似ていたからだ。


 しかし、ソフィア姫が生きているはずがない。


 ――なぜなら。アリィスは、

 イザヴェルシア聖戦のたった一人の生き残りなのだから。


 …………


 ……


 ダイナセフラ地方にかつて存在した、私の故郷――“風羽街(ふうはがい)=イザヴェルシア”は、八千メートル級の山々に囲まれた盆地の中心にあった。自然の城壁によって守られたイザヴェルシアは、難攻不落の国家都市として知られ、各地から主席魔導師が集う主要な会議の開催地に選ばれることも多かった。


 織物業と観光業で栄えた、風の街。――色とりどりのレンガ造りの民家、家々の間に張り巡らされた純白の布の日除け。それらが風になびく様は、イザヴェルシアを象徴するような光景だ。……私、アリィスは、そんな街で生きていた。


 七歳の時、聖戦で街が破壊されるまでは。


 ……、

 イザヴェルシアに聖戦を仕掛けたのは、“イスカリオテ凍魔派(とうまは)”という魔導教の新派だった。当時、魔導教三大宗派を脅かすほどの勢いをもっていたイスカリオテ凍魔派は、大義も因縁もなく、ただ争うためだけに世界各地で聖戦を起こしていた。のちに星礼院から除名処分を受け、追放され、教派のコミュニオンが解体されるまでの間に、彼ら凍魔派は、五百を超える都市国家を破壊したと言われている。

 

 イザヴェルシア聖戦も、その膨大な侵略記録の一つにすぎなかった。

 聖戦が始まり、そして終わるまで、たったの二時間。凍魔派は、三隻の空中戦艦を街の中心へと着陸させ、圧倒的な戦力差でイザヴェルシアを制圧した。


 国民たちは、容赦なく殺されていった。


 ……あの時の私は、簡単な魔法(キィズ・)結晶術(クリスタル)すら使えない、無力な少女だった。布にくるまって身を隠し、目の前で殺される両親の姿を、ただ見ていることしかできなかった。


 銃弾と魔法が飛び交う戦場。


 もしあのまま隠れていたとしても、

 結局見つかって、私は殺されていただろう。


 それでも、そんな私のことを助けてくれた人がいた。


「――君、よく生きていたな。安心しろ。いまオレが助けてやる」


 側頭部に二本の“竜の角”が生えたその女性は、自分の名前を名乗ることもなく、私を背負って戦場から連れ出してくれた。彼女の左腕に装着された鋼鉄のガントレットが印象的で、竜の角とそのガントレットのことだけは、いまでも鮮明に覚えている。

 

 こうして竜人族の女性に命を救われた私は、

 イザヴェルシア聖戦、唯一の生き残りとなった。


「私が……っ! 私が弱いから、みんな……みんな死んじゃったの……!!」


 泣きじゃくる幼い私に、あの人は言った。


「なら、まずはその弱さを捨てろ。孤独と絶望をその身に宿し、正義を、意志を、己が神を信じるんだ。ただし、その生き方を誰にも理解されてはいけない。それが、このアスハイロストで生き残る唯一の方法だ」


「……私は、何をすればいいの……」


「魔法を学ぶといい。“魔法は、すべての謎の答えであり、すべての終わりの始まりであり、あらゆる世界の『鍵』でもある”。――とある魔法使いの言葉だよ」


 旅をする。風とともに。

 私は、ただ自由を追い求めていた――



  ◇

 ◆ ◆



「セントロメアへの行き方……ですか」


 ギンスナは胸の前で手を組み、薄く微笑む。

 彼女が纏う修道服のような衣装には、バラの刺繍が施されている。


「ギンスナという女の囚人に訊け、と言われたんだ」


「そうですか。……ところで、アリィスさん。あなたのその右眼、とても美しいですわね。わたくし、宝石を蒐集するのが趣味でして。中でも、赤い宝石が大好きなんですよ」


 足音を立てずに、微笑みを崩さないまま、ゆっくりと近づいてくるギンスナ。――アリィスは、彼女の瞳から視線を外さずに、ローブの袖から出した触手の先で室内を探る。怪しいものは何もない。だが、アリィスは違和感を覚えていた。


 この牢獄艇は、最も罪の重い“戒在人”が収容される場所であり、脱獄は不可能に近いといわれている。ならば当然、ここで働く看守も、実力のある魔法使いが選ばれているはずだ。……簡単に壊れた牢屋の扉、さっき戦った看守の男の実力。


 確実に、この牢獄艇でなにかが起きている。


 しかしアリィスは、その違和感を顔に出さない。――声の抑揚から呼吸の深さまで正確に制御しながら、ギンスナとの会話を続ける。


「珍しいな。私が今まで出会ってきた人の多くは、この眼を見て怖いと言った。ある街の宿屋のおやじなんて、赤い眼は悪魔憑きの証だって、宿泊を断りやがったんだ」


「あらあら。それは、その方に見る目がなかったんだと思います」


「はっ、かもな。――で、ギンスナ。セントロメアへの行き方をさっさと教えろ」


 刹那。アリィスは懐からピストルを引き抜き、

 ギンスナへ銃口を向けた。


「まあ、こわいですわ。そう脅さなくても、教えるつもりでしたのに」


「嘘つけ。さっきからしょーもない探り合いしやがって。お前、何者だ? この牢獄艇で何が起きている? 全部吐け」


「そんなことを言われましても、わたくし――」


 そのときだった。

 壁の換気扇から、一つ目のスライムが飛び出した。


 そのまま、叫ぶ。


「おい! アリィス、いますぐ逃げろ! すまない、騙され……」


 だが、スライムは地面に落ちる前に、弾け、ただの水へと化した。

 ――その光景を見て、最初に動いたのはギンスナだった。


「我は、神に奇跡を祈る者。祈色魔法(キィズ・レイ):【聖ユポルの告白・懺悔】――」


 詠唱に呼応し、ギンスナの手の内に、

 星型十字(アスタリスク)を象った“槍”が現れる。


 ――ギンスナが踏み込み。

 穂先が、一直線にアリィスの喉元を狙った。


 アリィスは咄嗟に触手を生み出し、壁のように展開する。

 だが、槍が貫いたのは、彼女の“肉体”ではなかった。


 突如として、アリィスの触手が消滅する。

 再び呼び出しても、触手が答えることはなかった。


 ギンスナの槍は、アリィスの内にある魔法発動器官、

 ――“オルガン”を、直接破壊したのだ。


「ッ、魔法が……!」


「あらあら、お可愛いこと。気持ちの悪い触手さえ無ければ、テレジアの魔序なんて、ただの小さい女の子。ですわね」


「うっせー!」


「どうぞ、好きなだけ吠えてください。ピストルの弾丸も魔法で生成しているようですし、それも使えないとなれば、本当にただの小さい女の子ですわね」


「小さい小さいってうるせーよ。小さくねーから。私、小さくねーから!」


 アリィスは、打つ手がない“フリ”をしながら、小声で、ある人物に話しかける。その人物は、彼女の右眼の奥から、楽しそうに状況を眺めていた。


「かなりピンチだね~、アリィス。もしかして、イフの力が必要?」


 何も存在しない、空白だけの世界から、一糸まとわぬ少女がアリィスに問いかける。その少女の腹部に空いた大きな“穴”の中では、歯車が回転していた。


 少女の名は、ナスタルギア・イフ。

 アリィスの右眼に埋め込まれた『晴の歯車』の主である。


「――必要かも」


「かもぉ?」


「必要です。お願いします、イフ様。これでいい?」


「うむうむ。……いいよ、イフの力、使わせてあげる」


「ありがとう、イフ。助かる」


 アリィスは視界の中にギンスナを捕捉しながら、ゆっくりと、牢屋の入り口まで後ずさる。息を切らしながら、睨みつけ、ギリギリまで絶体絶命を演じる。


 ギンスナは、獲物を追い詰めた蛇のように、“牙”を覗かせながら微笑んだ。


「ねぇ、アリィスちゃん。その美しい右眼、わたくしにちょうだい?」


「なるほど。この右眼――ナスタルギアが目的だったんだな」


「そうですわ。だって、その歯車はね、聖ユポル様がこの世界に遺した“罪”なの。だから、わたくしたちが回収しないといけないの」


 狭く、暗い、鉄の牢獄を照らす月明かり。

 アリィスはひとつ息を吐き、詠唱する。


界眼告式(アイズローグ)。――祷式隷眼(トウシキレイガン)神曲(コメディア)。開演――」


 瞬間。


 牢屋にあるすべてのものが、

 音もなく形を変えた。


 ベッド。

 トイレ。

 円形の窓。

 鋼鉄の床と壁。


 それらがねじれ、ほどけ、組み替わり、

 一瞬にして、古びた屋敷の一室へと変貌していく。


 擦り切れたベッド。

 書斎机。

 椅子。

 アンティークのランプ。

 壁に掛かった絵画。


 どれもが本物めいていて、

 ひとつの“舞台”を完璧に飾っていた。


 そして、その中央には――

 メイド姿のギンスナが立っていた。


 ギンスナは静かに振り返り、

 アリィスを見ると、優雅に頭を下げる。


「あら、お嬢様。お帰りなさいませ。本日は、すこし遅かったですね」


 まるで最初から、

 そういう役を与えられていたかのように。

 

 ――ギンスナは、妖しく微笑んだ。

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