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11.5|『旅の途中』

「うぃ~っし。でけたぁ」


 キャンピングカーの中。ベッドの脇に備えられたデスクの下から、ウィンターが這い出てきた。そのまま立ち上がると、ウィンターはデスクの上に置かれたキーボードの電源ボタンを押す。すると、目の前のモニターに文字列が次々と浮かび上がる。


 最後に、

 Hello World……、そう表示されてパソコンが起動した。


「うぉぉー! これが、パーソナルコンピュータ。略して、ぱそこん。――ほんとに私が使ってもいいのか?」


 アリィスはデスクの下を覗き込み、そこに設置されたパソコン本体へ、そっと手を伸ばした。朝方まで続いたパーティーのあと、潜入任務に失敗したと報告したアリィスに、ウィンターが用意した報酬。それが、このパソコンだった。


 アリィスは、サンフロゥに完全敗北を喫した。だが依頼人であるウィンターは、キルキリカの現在を知れただけで十分だと言って、任務は成功扱いになったのだ。


 不完全燃焼ではあった。

 それでも。何はともあれ旅は続く。


「あぁ、使ってやってくれい。そいつぁ、アタシが昔使ってたマスィンなんだけど、ぜんぜん現役で戦えるスペックしてらぁの。使ってやらんと損じゃんね」


 ベッドに腰掛けたウィンターは、そのまま後ろへぼすんと倒れ込み、マットレスに頭から沈んだ。二日酔いのせいで、輪郭線までわずかに溶けて見える。そんなウィンターの口に、そばに立っていたサナがペットボトルの水をぐいっと差し込んだ。

 ウィンターの喉はぐぴぐぴと鳴りながら、三秒で水を吸い込む。


 一方、机の下のアリィスは、

 虹色にぴかぴか光るパソコンを見つめて首を傾げた。


「これ、光ってる意味はあんのか?」


「ないよー。夜中とか眩しいから、あとで切っときなされ」


「切る? どうやって……?」


〈いひひ! アリィス、わかんないよ~っ、て顔してるぅ~〉

 

 イフに煽られ、むきになったアリィスはキーボードをぽちぽち叩き始める。だが、いくら押してもホーム画面はぴくりとも動かない。見かねたサナが、さささっとマウスを動かし、キーボードを数回叩いた。直後、ゲーミングな光がすっと消える。


 その手際のよさに、アリィスは目を輝かせた。


「すげー! サナって天才なんだな」


「いえいえ。竜理の国だと、パソコン操作は社会に出るまでにある程度は慣れておくのが基本なので」


「へー。でもさ、パソコンよりも魔法の方が便利だろ?」


「アリィスさんレベルになるとそうかもしれませんけど、でも、いろいろと便利なんですよ。パソコン。たとえば、すっっっごく長い魔法譜を組み立てるときに、パソコンで一通りまとめてから、魔導書(クラフト)に書き写したり。あとは――」


 そう言いながら、サナはパソコンを操作して、あるウェブサイトを開いた。オメガマーケット――竜理の国でもっとも有名な通販サイトだ。


 サナはマウスを動かし、ストアページをすいすいとスクロールしながら続ける。


「このサイトは、インターネットっていう見えない世界にあるお店みたいなもので。日用品から食料品、お洋服、魔法家電、なんでも買えちゃうんです。場所を指定すれば配達してくれるので、家から出る必要なし。また別のサイトだと、車や家だって、このパソコン一つあれば買えちゃうんですよ」


「え? それは……ちょっとずるい。そりゃ私だって、本気を出せば超便利な魔法を開発できる自信はあるけど。そしたらさ、自分で考えて解く楽しさが減るし……」


〈アリィス~、パソコンにライバル視したって意味ないよぉ~〉


 頬を膨らませてすねるアリィス。

 気づけば、ぐうすかと寝息を立てているウィンター。


 そんな二人を見て、サナは小さく笑いながら、さらにマウスを動かす。


「えーっと……あ、これだ。ありましたよ。魔法博物館・ライラックの公式サイトです。有名なので、私もちょっとだけ内容を知ってるんですけど。たしか、ライラックシティっていう都市そのものが、博物館になってるんですよ」


〈うはぁ~!! ねぇ、アリィスみて! 楽しそうっ!!〉


 外に出てきたイフが、モニターを覗き込みながらはしゃぐ。

 アリィスも思わず前のめりになって、画面へ顔を寄せた。


「ん? なぁ、サナ。ここに書いてある『魔序(まじょ)のお茶会』ってなんだ?」


「ちょっとまってください。――ふむふむ、なるほど。アリィスさん、これはすごいかもです。お茶会っていう期間限定のイベントをやっているみたいで、参加者はなんと“魔序”の称号を持つ魔法使いに限る。しかも、そのイベントで優勝すると、豪華賞品がもらえるみたいですよ!」


「優勝、って。かけっことかかくれんぼでもすんのか?」


〈アリィスの思考がガキすぎる件について~。ぷっぷ~!!〉


 煽られたアリィスは、すぐとなりでモニターを覗いているイフの頭をわしゃわしゃしようと手を伸ばす。けれど、当然触れられない。イフはぺろっと可愛らしく舌を出して、さらに煽りを追加した。外へ出られるようになってからというもの、この晴の歯車の主は自由を謳歌している。


 どうにかしてイフに一泡吹かせてやりたい。そんなことを考えながらサイトを見ていたアリィスの目に、ふと、ある一文が留まった。


「まって、サナ。ちょっと戻して」


「あ、はい。なにか気になることでも書いてましたか?」


 サナがカーソルを戻す。


 アリィスはその箇所を指差して、もう一度、確かめた

 しかし、たしかにそこには書かれていた。


 お茶会イベントの豪華賞品は――


「ナスタルギア、だと……?」


 寄り道のつもりで決めた次の行き先が、“奪われたナスタルギアを取り返す”という任務に、繋がっているかもしれない。


 アリィスは心の中で、深くため息をつく。


「(はぁ……普通に博物館を楽しみたかったなぁ……)」


 珍しく本気で落ち込んでいる様子のアリィスの顔を、イフがぬぅっと下から覗き込む。そして、太陽のような笑みを浮かべながら言った。


〈アリィスっ! 任務なんてさっさと終わらせちゃって、それからめいっぱい博物館を楽しめばいいんだよ!〉


「そのセリフ、プロの傭兵が言ってたら最悪だね。――だけど、ありがと」


 アリィスは、イフの頭を撫でるような真似をしながら、目を細めた。




   ―― 11.5.『旅の途中』 ――




 アリィスのキャンピングカーは、新たに、サナとウィンター二人の旅人を乗せて、いざライラックシティへ。煙炎街=リューガローガを旅立つ。


 出発時刻は正午過ぎ。

 カーナビの案内によれば、ライラックシティまではおよそ四百五十キロメートル。休憩時間も考慮すると、到着はちょうど夕方ごろになる予定だった。


 車室では、サナがソファに腰かけ、ラップトップパソコンで仕事をしている。さらに奥のベッドでは、ウィンターが気持ちよさそうに眠っていた。


 アリィスは助手席に座り、流れていく街の景色を眺めている。


 カーオーディオから流れるラジオでは、ディージェイの男が軽快に言葉を踊らせながら、流行りの音楽を紹介していた。


 アリィスは窓を少し下げる。

 車内へ吹き込んできた風が、黄金色の髪をさらさらとなびかせた。


「あー、きもちぃー。なぁサナ。この世界って、どこ行っても涼しいよな」


「都市空調システムのおかげですね。結界魔法を応用して、風の流れや差し込む日光の量を細かく調整してるんですよ。中には、そのシステムを使って、常夏の街、真冬の街、四季が巡る街――面白いものだと、あえてめちゃくちゃな気候に設定して、個性を演出している都市もあったりしますね」


「へー。ぜんぶの街を涼しくしたほうが合理的だ、とか言いそうなのにな。竜理の国の人たちは」


 アリィスの言葉に、サナはふふっと笑う。


「たしかに。この国には、より効率的で機能的なものが大好きな人が多いです。でも、そうは言ってもみんな人間なので、変化がないと飽きちゃうんだと思います。あと、この国の人たちって、自分が住んでいる街の個性をけっこう気にしたりするんですよ?」


「それは面白いな! 正直、街の人たちにはどこか機械的で無機質なイメージを持ってたけど。こうやってサナと話してるみたいに、ちゃんと一人の人間として関わってみると、同じ細胞で構成された生き物なんだなって、あらためて実感できる」


〈竜理の国が広すぎるから、逆に人間がちっちゃく見えるんだよね~〉


 右眼の奥で、イフも頷きながら同意していた。

 サナは作業の手を止めないまま、会話を続ける。


「アリィスさんって、見た目はお人形みたいにふわふわしてて可愛いのに、考えてることはカチカチというか、学者的というか、ザ・魔法使いってかんじですよね」


「おい、それは褒めてんのか? サナ」

 

「もちろん褒めてますよ。素直にカッコイイな、渋いな、って思います!」


「私が……渋い……?」


「ですです。アリィスさんは、すごーく渋くてクールです」


〈うはは~! アリィスは渋い、だって~!!〉


 ルームミラーに映る自分の顔とにらめっこしながら、アリィスは、自分の顔のどこに渋さがあるのか探していた。イフはその様子を見ながら、とても楽しそうだ。


 しばらくして、アリィスは視線を前へ戻した。


 フロントガラスいっぱいに広がる、リューガローガの街並み。ホログラムで空中に表示された案内標識には、次の街までの距離が記されていた。――水面のように艶のあるビルのガラス窓には、黒く輝く都市の日常が反射している。


 人々は忙しなく、東から西へ、北から南へと交差していく。けれど、その流れが本当の意味で交わることはない。会社員、学生、子どもたち。彼らはこの終わりなき都市を構成する血液であり、情報だ。


 ――しかし、そのすべての情報には、ルッカやサナ、ウィンターやキルキリカのように名前があり、時間があり、物語が宿っている。この国は、そんな途方もない情報の塊を記録しながら、錆びることのない歯車として、いまも動き続けている。


 アリィスは、もしその記録を物理的に閲覧できるものなら、いつか見てみたいと思った。そこに刻まれた無数の物語に、触れてみたいと思った。


 *

 

 やがて、キャンピングカーは次の街へ入る。

 そこはまだ、目的地のライラックシティではない。だが、リューガローガとはまた違う個性を持った街の風景に、アリィスは目を爛々と輝かせた。


 そのとき。


 車体の頭上を、大きな影が通り過ぎていく。


「――クジラっ! サナ、でっかいクジラだ!!」


「本当だ、すごい! まさか見られるなんて。アリィスさん、運が良いです! あれは“風渡り”って呼ばれる現象ですよ」


 青々と透き通った空を、

 鹿の角を生やした巨大なクジラが泳いでいく。


 ――その瞬間。周囲の高層ビル群が、不思議な形をした植物に呑まれた。どこからか溢れ出した透明な水が、宙に巨大な湖を作る。ビルの谷間に光る水草が揺れ、見えない水流に街の輪郭が歪んだ。


 まるで、水中に沈んだように揺らめく街並み。けれど、それらの植物や水には、実体はない。泡沫の夢のように、ただそこに、形のない現象だけが映し出されていた。


「風渡り、ってなんだ?」


 アリィスの質問に、サナは作業の手を止めて答える。


「この竜理の国の外殻――アスハイロストの天空に生きる竜が哭いた時に、こうして古の世界の風景が重なることがあるんです。それが、風渡りです」


「そういえば、この世界って竜の背の大穴の中にあるんだよな」


「こうして街に立って生きていると、あまり実感はないですけどね。ここが竜の中なんだって。知識として構造は理解していますけど、私はそのアスハイロストっていう外側の世界に行ったことがないので……正直、おとぎ話みたいな感覚です」


 アリィスにとって、サナはまるで鏡の向こう側の存在のようだった。アリィスからすれば、アスハイロストこそが現実で、この竜理の国の方がおとぎ話である。


 しばらくして、街を覆い尽くしていた不思議な現象は、風とともに、銀の靄のように消えていった。風渡りが過ぎ去ったあとの街は、朝露に濡れたように、きらきらと煌めいていた。まるで、天気雨が通り過ぎた後みたいに、柔らかな光に包まれる街。


 ライラックシティへ向かう小さな旅の途中。

 そこにはまだ、アリィスの知らない未知が待っていた。

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