21:アルフレッドは堕ちている自覚がない(2)
暖かな陽気のなか、鳥の形に見える雲がゆっくりと青空を旅している。
アルフレッドはあの空の向こうにいるエミリアに心の中で誓った。
(大丈夫。私には君だけだから)
前を歩くシャロンが「早く」と振り返る。
動くたびに揺れるワンピースのプリーツが上品な大人の女性の姿を演出しているのに、高い位置で結われた艶のある黒髪は揺れるだびに純真無垢な少女の姿を演出している。
そのアンバランスな少女とも女性とも言えない彼女にアルフレッドが心を惹かれているのは間違いない。
だが、いくらシャロンが可愛くて良い子であろうと、妻として愛するわけにはいかない。愛してはいけない。
アルフレッドはそう自分に言い聞かせた。
いつの間にか『愛せない』から『愛してはいけない』に変わっていることに気づいていない彼は、少し早足でシャロンの横に並んだ。
「あ、そういえば、一つお願いがあるんですけど」
シャロンは思い出したようにパンと手を叩き、隣を歩くアルフレッドを見上げる。
「なんでも言ってごらんと言いたいところだけど、虫の飼育はちょっと…」
青い顔で「実は虫が苦手なんだ」と話す彼に、シャロンは「違いますよ」と返す。
(虫苦手なのか…)
これは時間をかけても虫の飼育は無理そうだ。交渉するのはマウスだけにしておこうとシャロンは心に誓った。
「そうじゃなくて、公爵様の呼び方を変えたいなと思いまして」
「え?呼び方?」
「はい。ずっと『公爵様』とお呼びするのもどうかと思いまして…」
先程シノアに耳打ちされたのだ。
『旦那様の呼び方をもっと親しみのある呼び方に変えてあげてほしい』と。
確かに、仮にも夫である人間をずっと『公爵様』と爵位で呼ぶのはいかがなものかと、シャロンも思ったので提案した次第である。
「そ、そうだね。『公爵様』はちょっと距離を感じるしね、うん」
シャロンからの思わぬ提案に、アルフレッドは自然と顔がにやけてしまう。
「では…、親しみを込めて…」
少し俯いて言いづらそうに、手元をいじるシャロン。
「だ、旦那様とお呼びしてもよろしいでしょうか」
意を決したように顔をあげた彼女は、確かに『旦那様』と言った。
「…だ、だんなさま」
親しみをこめた呼び名がまさかの『旦那様』。どの辺に親しみがこもっているのだろうか。
「馴れ馴れしすぎましたか?」
「いや、むしろもう少し馴れ馴れしい呼び方を期待していた」
アルフレッドはガクッと肩を落とした。
なぜ彼が残念そうにしているのかわからないシャロンは、キョトンと首を傾げる。
アルフレッドはその顔がなんだか腹立たしくて、彼女の頬をムニッと掴んだ。
「にゃにするんでふか」
思いの外伸びる柔らかい頬に、アルフレッドはフッと笑みをこぼした。
「リスみたいだ」
「はにゃしてください」
シャロンは仕返しと言わんばかりに、少し背伸びをして、アルフレッドの頬を掴んだ。
その冷たくて柔らかい手の感触に驚き、彼は思わずシャロンの頬から手を離してしまった。
「仕返しです」
ニカっと悪戯をする子どものような笑みを浮かべて、アルフレッドの頬を引っ張るシャロン。
間違いなく自分に向けられたその笑顔に、彼の心臓はどくんと跳ねた。
自分の頬を掴む彼女の手に自分の手を重ねると、そのまま少し屈み、彼女に自分の顔を近づける。
その時…。
「旦那様。後ろにデニスがおりますぞ」
背後から初老の庭師の声がした。
その声にアルフレッドはハッと我に返る。
「旦那様?」
首を傾げるシャロンの顔を見て、アルフレッドの体温は一気に上がった。
「ご、ごめん!」
あと数秒遅かったら間違いなくシャロンに口付けていた。
夫婦なのだからなんの問題もないのだが、ついさっき雲の向こうにいるエミリアに誓ったばかりだ。
アルフレッドはいたたまれなくなり、またしても光の速さでその場を走り去ってしまった。
「行っちゃった。やっぱり変な人だわ」
「奥様。奥様は先程の旦那様の行動に何か思うことはないのですか?」
「え?別に…」
デニスは主人の行動の意図が何ひとつ伝わっていない後妻に残念なものを見るような視線を向けた。
その後シャロンとデニスは、お茶を運んできたセバスチャンと共に、温室でのお茶の時間を楽しんだ。




