22:動き出す歯車(1)
夜会からふた月ほど経った頃、公には伏せられているが、王が病に倒れたらしい。シャロンの父であるジルフォード侯爵は王とともに東の離宮に篭り、つきっきりで看病しているそうだ。
王の容体は側近達にも伏せられているようで、息子であるヘンリーすらも王の様子を窺い知ることはできていない。
(何とも不可解だ)
確かに王の体調不良を公にすると混乱を招く可能性がある。だが、なぜ王太子であるヘンリーにまで容体を隠さねばならないのか。
わざわざ建物が老朽化しているという東の区画の先にある、人が寄り付かないような離宮で静養する意味は何なのか。
理由がわからない。
ベストなタイミングで給仕される朝食を眺めながらシャロンは悶々としていた。
「ごめんね、シャロン。3日ほど帰れそうにない…」
アルフレッドは手に持っていたナイフを置いて、ふうっと小さく息を吐いた。そして眠気を紛らわすように眉間を指で抑える。
一向に進展しない捜査への苛立ちと、ここ最近の王の代わりに公務を務めるヘンリーの護衛で家を空ける事が多くなった彼は、かなりお疲れ気味だった。
(私は特に問題ありませんけれど…)
夫の不在を特になんとも思っていないシャロンは心の中で呟いた。
「…何か力になれる事はありませんか?」
あの夜会以降、度々城を訪れては捜査に協力していたシャロンは、暗に王城への同行を申し出る。しかし…。
「ありがとう。とりあえず、今はこの前渡した被害者リストから何か気になることがあれば言って欲しい」
アルフレッドは彼女の申し出をやんわりと断った。
王の不調という混乱の中、妻を王宮へ連れて行き、守り抜ける自信が彼にはなかったのだ。
シャロンは少ししょんぼりとした様子で、スカートのポケットから小さな布袋を取り出し、それをアルフレッドの前へと差しだす。
「これは?」
「ラベンダーのポプリです。気休めかもしれませんが、ラベンダーの香りは心を落ち着かせる効果がありますので…」
「そうか。ありがとう」
自分の体調を思って自分のために作ってくれたことが嬉しくて、アルフレッドはその布袋をぎゅっと握りしめた。
しかし…。
「よければ妃殿下のお付きの方に渡してあげてください」
「…え?」
妃殿下に、というシャロンをアルフレッドは間抜けな顔で見る。
シャロンはそんな彼の表情の変化に気づくことなく続けた。
「この間、妃殿下が中々眠れていないのだと王太子殿下が仰っていらしたので作ってみたのです」
「そ、そうか。渡して…おくよ…」
とんだ勘違いにアルフレッドは、恥ずかしさで指先から徐々に体温が高くなるのを感じた。
何度シャロンに期待して恥をかけば覚えるのか。
後ろに控えるセバスチャンは額を抑えた。
「あ、旦那様にはこちらをご用意しました」
シャロンはシノアに目配せする。
すると彼女はグラスに入った薄桃色の飲み物を主人の前に置いた。
「こ、これは…」
「栄養ドリンクです。これを飲めば元気が出ますよ」
少し苦味はありますが、というシャロンの忠告も聞かずに、今度こそ自分のために用意されたことが嬉しいアルフレッドはそれを一気に飲み干した。
「に…」
「に?」
「にっっっが!?」
「だから苦いって言ったじゃないですか」
「いやいやいや、限度があるだろう!?人殺せるくらい苦いぞ!これ!」
「人を殺すときは寧ろ飲み干せるように甘く作ります」
何とも言えない苦みに悶絶するアルフレッドに、シャロンは物騒なことを口走りつつ水を差し出す。
アルフレッドはそれをすぐさま喉に流し込んだ。
「一気飲みするものではなかったんですけど…」
「できればそういうことは先に言って欲しい」
「言おうとしたら先に飲み干したのは旦那様です」
「そういえばそうだった…」
テーブルに項垂れるアルフレッド。
セバスチャンがお行儀が悪いですよの意を込めて咳払いするが、無視された。仕方なくセバスチャンは扉付近に控えるシノアに視線を送る。
シノアはセバスチャンからの視線を受け取り、シャロンにそっと耳打ちした。
シャロンは首を傾げながらも、言われた通りアルフレッドに声をかけた。
「お口直しに、イチゴ食べますか?」
「食べる…」
アルフレッドが顔を起こすと、フォークに突き刺さされたイチゴを自分の方に向けるシャロンの姿があった。
「…え?」
「旦那様、あーん」
恥ずかしげもなくイチゴを食べさせようとしてくる可愛い後妻。
アルフレッドは何とも言えない感情に襲われつつも、言われるがままに口を開けた。
「あーん」
ぱくっと口に含んだイチゴを咀嚼する。気のせいだろうか、いつもより甘い。
「美味しいですか?」
「…おいしい」
よかったと少しだけ柔らかい表情で言うシャロンと、そばに控えるニヤニヤとした笑みを浮かべる使用人達。
王宮は戦場だが公爵邸は今朝も平和だった。
***
アルフレッドを見送ったあと、シャロンは部屋で数少ない手がかりである被害者のリストを眺めていた。
この時期に失踪した被害者は全部で過去五年間で17人。
初めの年が5人。その次の年に4人。そして3人、3人と続いて今年もすでに2人居なくなっている。
(魔術師の人身売買?)
一瞬だけ考えたが、シャロンは首を振った。
魔術師にはチップが埋め込まれているし、そのチップの信号は常に国が管理している。
取り外したとしてもすぐにバレる。
(では人体実験か?)
何故魔力を持つ人間とそうでない人間がいるのか、それは未だ解明されていない。
人体実験のために魔術師を間引いている可能性はゼロじゃない。
だがそれならば何故この時期でないといけないのか、理由がわからないし、そもそも人体実験するならば何故血液型にこだわるのか。もっと幅広いサンプルが必要なはずだ。
「謎だ…」
シャロンは椅子の背もたれに体を預けて、窓から空を見上げた。
(そもそもどうして5年前から失踪が目立つようになったのか)
それまでも魔術師が失踪することはそれなりにあったが、特定の時期にこんなに大勢いなくなるなんて不自然なことはなかった。
そして、いなくなった魔術師の大体が戦争に行って消息不明になったとかだ。
「5年前って何かあった気がするんだよなぁ」
シャロンは立ち上がり、本棚にあるここ数年の新聞記事をスクラップしたノートを取ろうと手を伸ばした。
すると、コンコンと扉が叩かれる。
どうぞ、と返事をすると入ってきたのはセバスチャンだった。
「奥様、お客様がお見えです。サイモンと名乗る男です」
「サイモンが?」
先触れもなく突然訪れるなんて何ごとかと首を傾げるシャロン。
執事のセバスチャンはそんな彼女を訝しみながら尋ねる。
「いかがなさいますか?」
雰囲気がいつもの優しいセバスチャンでないことに気づいたシャロンは、フッと笑ってしまった。
「大丈夫ですよ、セバスチャン。サイモンはジルフォードの薬師です」
暗に間男などではないことを伝えると、セバスチャンは安堵したような笑みを見せた。
「それは失礼いたしました」
「先触れもなく訪れたことは私から叱っておきますから、通してください」
「かしこまりました」
シャロンは軽く部屋を片付けてサイモンの元へと向かった。
***
サイモンの待つ応接室の近くでは、メイドたちが突然のイケメンの間男の登場にざわついていた。
シャロンはそんな彼女達に一喝すると、応接室の扉を開ける。
そこにはシャロンの入室にも気づかないくらいに思い詰めた様子のサイモンが、腕組みをしながら難しい顔で座っていた。
「先触れくらい出しなさいな、サイモン」
入室して早々、シャロンはサイモンの無礼を叱責する。
彼は平民、シャロンは公爵夫人。苛烈な人なら半殺しだってあり得るのだ。
「すみません。急ぎだったもので…」
サイモンは立ち上がり、大人しく深々と頭を下げた。
その姿にシャロンは「え?」と驚いたような声を漏らした。
いつもなら軽口で返す彼がこんなに素直に謝るなんて、明らかに様子がおかしい。シャロンはとりあえず彼を座らせた。
「何かあったの?」
シャロンの問いかけに、サイモンは少し気まずそうにしながらも、チラリと給仕するセバスチャンに目を向けた。
(なるほど)
小さく頷くと、シャロンは給仕するセバスチャンに、それが終わったら下がるように伝える。
セバスチャンは渋ったが、彼女が懐からメスを取り出し、「何かされそうになったらこれでこの男を刺すから」と説得してなんとか下がらせることに成功した。
扉が閉まり、足音が遠くなったことを確認し、サイモンがようやく口を開く。
「俺、刺されたくないんですけど」
「そこから一歩も動かなければ刺さないわよ。それより早く本題」
シャロンはメスをサイモンに突きつけた。
サイモンは怖いからやめなさい、とその刃物を降ろさせる。
そして、机の上にとある書類の束と本を並べた。
「お嬢にハディス様から伝言です。『頼みたいことがある』と」
「ハディスお兄様が?珍しい」
「あまり良い話じゃありませんからね」
心して聞くように、そう前置きしたサイモンは小さな声で話し始めた。
「まず始めに、旦那様はここ数日帰宅されていない」
それは王の看病のせいだろうとシャロンは思ったが、サイモンの話では同じ職場で働く長兄のユアンでさえ会えてないらしい。
何でも王の看病は交代制ではなく、ジルフォード侯爵1人に任されているのだという。
ジルフォード侯爵とコンタクトを取る手段は手紙のみだが、その内容は何れも当たり障りのないものばかりだそうだ。
「嫌な感じがするわ」
そこまでそばを離れられないほどに重篤なのだろうか。
シャロンは顎に手を添えてうーんと唸るような声を出す。
「嫌な感じがするというのは、ハディス様もユアン様も仰っていた。そしてこれです」
「旦那様の書斎から見つかった」とサイモンが指し示したのは、テーブルの上に置かれた一冊の本。
シャロンがそれらを手に取り確認すると、それは禁術書だった。
「どうしてこれがここに?」
シャロンは恐る恐る尋ねる。
ジルフォード侯爵が考案した治癒魔術は禁術からヒントを得たものだ。それを彼が所持していることに不思議はない。
問題なのはそれがココにあるということだ。
「これは王宮の外へは持ち出しが禁止されている代物よ」
禁術書の持ち出しは大罪だ。
サイモンはシャロンの震える手から禁術書を取り上げると、裏表紙を見せた。
「この禁術書、持ち出し禁止のバーコードが元々ないんです」
持ち出し禁止の書物は全てバーコードで管理されており、それが一定のエリアを出ると警報機が作動する仕組みになっている。この措置は魔術が国の宝であるからだ。
そのバーコードが元からない禁術書。
父は何故それを持っているのか。そして誰からそれを与えられたのか。
無意識にスカートの裾を強く握るシャロン。
震える彼女の手が視界の端に入るが、サイモンはそのまま続けた。
彼が次に指差したのは書類の束だった。
「そしてコレ。魔術師のカルテです。中を確認すると、ある特徴をもつ魔術師たちのものでした」
シャロンはカルテの束を膝の上に置くと、それを一枚一枚確認する。
「AB型のC級魔術師…」
彼女の脳内で、そのカルテに書かれた名前は、先ほど見ていた失踪者の一覧と一致した。
「…えっと…え?」
シャロンは混乱する。
禁術書とカルテ。
それは魔術師失踪に父が関与している可能性を示す物。
「続けますよ」
サイモンは、さらに追い討ちをかけるかのように告げた。
「そして、最後に。俺は今、ハディス様の命で単独で高位貴族に探りを入れています。その中で嫌な噂を耳にしました」
「…噂?」
「はい。エミリア・カーティスが生きているという噂です」




