20:アルフレッドは堕ちている自覚がない(1)
朝食を食べて早々に、シャロンはとある部屋に篭った。
そこはアルフレッドに本心をぶちまけたあの夜会の後、好きに使って良いよと与えられた部屋だ。
彼はあの後、『シャロンの優しさに甘えすぎていたお詫びだ』と言って、この部屋そのものだけでなく、天井の高さまである本棚も買ってくれた。
またその他にも、今度中庭の一角に薬草用の温室を作ってくれると言うのだ。
(公爵様は良い人だ)
流石にマウスや薬になる虫の飼育などは渋られたが、ここまで要望を聞いてくれるとは思わなかった。
こんな事ならもっと早く彼と話をすればよかったなとシャロンは思う。
望まれない後妻だからと遠慮しすぎていたのかもしれない。
エミリアの事を思うアルフレッドを大事にすることと、シャロンが自分らしく生きることは両立できるのだ。
彼がどれだけ前妻を大事にしようと、自分まで彼女の影を気にして生活する必要など始めからなかった。そのことがわかり、シャロンはとても気分が良い。
「公爵様は話のわからない人じゃなかった!」
やはり言葉にして伝えるというのは大切だ。
シャロンは鼻歌を歌いながら、実家から送ってもらった本や実験機材の箱を開封していった。
そんな彼女の様子を少し開いた扉の隙間から、アルフレッドはじっと見ていた。
窓から差し込む朝の柔らかい光に照らされたシャロンの髪には天使の輪ができている。
心の底から嬉しそうに微笑みながら箱を開けていく若き後妻。
「可愛い…」
アルフレッドは思わず声に出してしまった。
あの夜会で花のように笑った笑顔を最後に、シャロンの笑顔を真正面から見ていない彼は、時折こうして彼女のことを覗いている。
「坊っちゃま。いくら夫婦間といえど、覗きはいかがなものかと」
扉前でしゃがみ込み、後妻の様子を窺う主人にセバスチャンは深く長いため息をつく。
「坊っちゃまじゃない。旦那様と呼べ」
「坊っちゃま。覗きをするくらいなら素直に声をおかけすればよろしいのでは?」
「また断られたら立ち直れないだろうが」
アルフレッドはキッと執事を睨む。
夜会以降、シャロンは吹っ切れたようにアルフレッドの誘いを断るようになった。
毎回断られるわけではないが、『本が読みたいから』『薬草をもらいに実家に行きたいから』と何かと忙しそうにしており、2回に1回は断られる。
前まではどんな話(主にエミリアの話)をしても、うんうんと相槌を打ち聞いてくれていたのに最近は一度した話は『それ前に聞きました』としれっと返される始末。
「何だこの豹変ぶりは」
「今まで同じ話を延々と聞いていてくださっていた事の方が奇跡なのですよ、坊っちゃま」
「このままでは夫婦の危機だ」
かろうじて、寝室を共にするときの夜着はいつも通りの布が少なめの物を着用しているが、それも彼女が嫌だと思えばもう着てくれなくなるかもしれない。
というか、そもそも何もしないのに寝室に行くなんて面倒くさいとすら思うかもしれない。
「由々しき事態だ」
「坊っちゃまは変態ですね」
そんなに露出の高い夜着を着て欲しいのかと、セバスチャンは蔑みの目で見下ろす。
「違うぞ、夜の時間は私たち夫婦の最も大事な交流の時間だから!その、無くなると困るんだよ!」
「左様でございますか」
必死の弁明も弁明になっていないアルフレッド。
セバスチャンが呆れていると、後ろから手伝いに来たシノアがひょこっと顔を出した。
「何してるんですか?」
「旦那様が奥様を散歩に誘いたいらしいのですが、ヘタレなのでなかなか誘えないのです」
最近シャロンがアルフレッドの誘いを断りがちなのを知っているシノアは、腰に両手を当て、ふぅっと小さく息を吐いた。
そして主人を無視して部屋のドアをノックすると、
「奥様ー。旦那様が構って欲しいそうですよー」
と大きな声でシャロンに声をかけた。
アルフレッドは彼女がシノアの声に反応するよりも前に、光の速さで部屋の前から走り去った。
シャロンはひょっこりと扉から顔を出す。
「あれ?公爵様はどちらに?」
キョトンとした顔で廊下を見渡すシャロンに、セバスチャンは「どうぞお気になさらず」と頭を下げて残念な主人の後を追った。
シノアはその様子を見て、口元を押さえ必死で笑いを堪える。
「お、奥様…。一つお願いがあるんですけど…」
「お願い?」
首を傾げるシャロンに、シノアは肩を振るわせながら耳打ちした。
***
執務室で鬼のような速さで決済書類にサインするアルフレッド。
一見仕事に集中しといるように見えるが、心ここに在らずなのは丸わかりだ。
新人フットマンは主人がサインしたそれらを、困惑した表情で受け取る。
「セバスさん。旦那様何かあったんですか?」
「何もありません。いつも通りヘタレているだけにございます」
「…はぁ」
主人の後ろで紅茶を淹れる執事長に尋ねるも、彼は生暖かい目で主人の背中を見るだけだった。
コンコンと戸が叩かれる。
アルフレッドが「誰だ」と尋ねると、愛らしい声で「シャロンです」と返ってきた。
アルフレッドは慌てて椅子から立ち上がり、机に足をひっかけたりしつつ、扉へと向かう。
戸を開けると、薄く化粧をして緩く巻いた髪を高い位置で一つに縛ったシャロンが、朝とは違うワンピースに身を包んで立っていた。
それは一度だけ二人でデートした際に買った黒のワンピース。
アルフレッドが、シャロンに一番似合うと思って買った、サイドに白の生地でプリーツ加工が施されたワンピース。
「可愛い…」
「え?」
感想が思わず声に出てしまっていたことに気づき、アルフレッドは咄嗟に口を押さえる。
「いや、なんでもないんだ。それよりどうした?」
「あ、お忙しいところ申し訳ありません。その、よければ一緒にデニスのところまでお散歩でもどうかと思いまして…」
上目遣いで控えめにそう言う彼女の表情は、相変わらず人形のようにいつもと変わらないのに、何故か好きな相手をデートに誘う時の乙女の顔に見えた。
(だめだ、自惚れるな…)
それで一度恥をかいているアルフレッドは、自分を律するように目をぎゅっと閉じて首を左右に振った。
「あ、やっぱり忙しいですよね…すみません」
彼の行動が自分を拒否しているように見えたシャロンは「失礼します」と頭を下げて帰ろうとする。
アルフレッドは慌てて彼女の手を掴んだ。
「違う違う!大丈夫だ、行こう。そうだ
どうせならデニスのところでお茶しよう。な?」
「は、はい…」
「セバス。そういうことだから頼んだぞ!」
「かしこまりました」
不思議そうに自分を見つめるシャロンの腰を抱くと、アルフレッドはそのまま彼女と執務室を後にした。
「旦那様ってあんな人でしたっけ…」
新人フットマンは執務室を出ていく主人を呆然と眺めていた。
もっと近寄り難く気難しい人だと聞いていたのだが、見る限りはそんな雰囲気を感じない。
「旦那様は元からああいう方ですよ」
セバスチャンは、ほっほっほと笑う。
元々、アルフレッドは顔は良いし仕事もできるが、いつもヘタレで残念な男だ。
新人フットマンの彼が聞いた噂話は、エミリアとの婚姻が話題になった頃からのものだろう。
エミリアと出会って以降、病弱な彼女のことを四六時中考えて常に緊張状態だったアルフレッドは、周りにもそれが伝わるくらいにピリピリしていた。
彼女の死後は抜け殻のように覇気のない目をしていた時期もあったが、ある時からは病的なまでに仕事に打ち込むようになった。おそらくエミリアのことを早く忘れるために。
「ヘタレでちょっとナルシストで残念な旦那様が本来の旦那様です」
セバスチャンは窓から庭を眺めて目を細めた。
酷い評価だが、長く公爵邸にいる人間はそんなアルフレッドが戻ってきたことを喜んでいた。




