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殆どの人は、嘘をつくのが下手である(5)

*前回からの続きです

 今回はまず前回出した問題の解答と解説を行う。問題の内容は、


(A)三日前に公園で拾った子犬の飼い主が見つかった。


 上記例文(A)について、なるべく少ない手順を用い、「三日前に公園で拾った子犬」の「飼い主が見つかった」という解釈のみが成り立つように改めよ――というものだった(詳しくは前回参照のこと)。


 実を言うと、この例文(A)には、前回敢えて説明をしなかったもう一つの欠点がある。その欠点――というより欠けた部分を補ってやれば、問題は非常にあっさりと解決する。

 ここで、前回も行った文節分けをしてみよう。


(A)三日前に\公園で\拾った\子犬の\飼い主が\見つかった。


 前回は、文節と文節の関係の中でも「修飾・被修飾の関係」に的を絞って解説した。しかし、この問題を解くに当たっては、それとは別に「主語・述語の関係」というものを理解していなければならない。

 わざわざ説明をする必要もないだろうが、「主語・述語の関係」とは、文節と文節が「誰(何)が」「どうする・どんなだ・何だ」という関係になっているものを指す。


 では、例文(A)から主語・述語の関係にある文節をそれぞれ抜き出してみよう。これは難なく答えられると思う。「飼い主が(主語)」と「見つかった(述語)」だ。

 ここで気が付いてもらいたいのは、例文(A)にはもう一つ、それ単体で「述語」と成り得る品詞を含む文節がある――つまり「拾った」がこれに当たるということだ。ならば、それに対応する「主語」はどこだろうか? そう、どこにもない。先程書いた例文(A)に欠けているものとは、このことである。


 というわけで、解答例を以下に示す。


・私が三日前に公園で拾った子犬の飼い主が見つかった。


 このように、文頭に「拾った」に対応する「主語(私が、あなたが、彼女が、太郎が――等々)」を加えるだけで良い。こうすることで、「三日前に」や「公園で」といった修飾語が、必ず「拾った」に係っていくよう固定化され、文自体の安定性が増すのである。


 ところで、日本語の文章では主語を省略する例がしばしばあるが、上記の説明を発展的に考えてみると、主語には省略して良いものと、そうでないものがあるということがお分かりいただけるだろうか。要するに、文意が不安定になってしまうような主語の省略は、絶対に避けなければならない。


 今回充分な解答ができなかった人は、普段から主語の取り扱いについて誤った処理をしている可能性が高いと思われるので、一度御自身の作品を点検してみることをお勧めする。



 それでは、ここからは前回に引き続き、「小説の嘘っぽさ」に繋がる文法的不備について、例文を交えながら、代表的なものを幾つか説明していこうと思う。


(B)なるべく体を冷やさないように、厚着をして出かける。

(C)体を冷やさないように、なるべく厚着をして出かける。


 例文(B)(C)については、前回説明した「修飾・被修飾の関係」の応用である。比べてみると、「なるべく」の位置が違うだけで、文意が変わってしまうということがお分かりいただけるだろう。


 少し基本的な説明を入れるが、この「なるべく」のように、自立語で、活用がなく、主語にならない語のうち、主に用言(動詞、形容詞、形容動詞)を修飾するものを「副詞」という。副詞については、小説文における使用頻度が高く、その種類もある程度決まっている(いつも、ときどき、とても、すぐに、しばらく――等々)ため、意識しやすいと思われる。書き手自身の意図が、読み手に対して正確に伝わるように、文中での位置には特に気を配ると良いだろう。



(D)試合で精一杯頑張ったが、相手チームに大差で勝った。


 仮に「センス」という言葉の定義を、基礎知識を学んだうえで、それを特に意識せずとも扱えるまでに修得した状態のこととすると、この例文(D)は、正に日本語の文章センスを問うものとなるだろう。もちろん、違和感を覚えてもらわなければ困るのだが、どうだろうか。


 話を分かりやすくするため、もう一つ例文を挙げて比較してみよう。


(D)試合で精一杯頑張ったが、相手チームに大差で勝った。

(E)試合で精一杯頑張ったが、相手チームに大差で負けた。


 さて、例文(D)と(E)は、文末が「勝った」か「負けた」かという違いしかない。しかし、読み比べたときの印象というか、表現としての力の差は歴然である。


 ここで考えてもらいたいのは、(D)と(E)に共通する「精一杯頑張った」という前半部分についてだ。全く同じ表現であるにもかかわらず、後者の方がより「精一杯頑張った」という感じが伝わってくるだろう。勝ったときよりも、負けたときの方が頑張ったと感じられるのは、どことなく奇妙な話だ。しかし、これが「文章表現の怖さ」なのである。


 本エッセイで繰り返し書いてきたことだが、表現の仕方や言葉の選択がほんの少し違うだけで、書き手の意図が、読み手に対して正確には伝わらないという事態を招いてしまう。だからこそ、誤字や脱字、言葉の誤用、文法などといった基本中の基本を疎かにしてはならない。文章は読み手に伝わりさえすればそれで良い――などという消極的な態度では駄目だ。現にそのような文章の多くが「伝わっていない」のだから。


 話を例文に戻そう。注目すべきは、接続助詞「が」の使い方である。これは非常に便利な言葉で、二つの文を手軽に結び付けることができるようになる。それゆえ、どうしても使用頻度が高くなりがちであるが、やはり一定の規準に従って使った方が、全体的にメリハリのある文章となるし、表現としてもより効果的であると考えられる。


 既にお気づきの方も多いだろうが、この接続助詞「が」は、同じ接続助詞「て」のように文と文をなだらかに繋げるのではなく、間に挟み込むことで前文と後文に強弱をつける働きを持っている。強弱のつけ方には様々あるが、中でも分かりやすいのが例文(E)のように「が」を「だが」や「しかし」といった逆接の接続詞に置き換えることができる場合だ。


(E´)試合で精一杯頑張った。しかし、相手チームに大差で負けた。


 一方、例文(D)は接続助詞「が」を「だが」や「しかし」に置き換えることができない。この場合は「が」を使って形の上だけで文を繋ぐよりも、前後が意味の上でもなだらかに続くような表現を考えた方が効果的である。


(D´)試合で精一杯頑張った結果、相手チームに大差で勝った。


 さて、今回取り上げた接続助詞「が」については、当たり前すぎて、何を今さらと思った方もいるかもしれない。しかし、実際の小説作品を読んでみると、あまり効果的な使い方をしていない例は意外に少なくない。


 また、少し話は逸れるが、「が」に限らず「だが」や「しかし」といった逆説文を形成する言葉を使用するときは、一旦筆を止めて、思慮をめぐらせることも必要である。

 どういうことかというと、例えば上記例文(E)のように、単に事実関係を書くだけであればそこまで慎重になることはない。ところが、思想・思考・心情といった登場人物等の内面を書くときは、果たしてそれがその登場人物の設定上相応しいものなのか、それとも書き手の日常的な価値観の表出に過ぎないのかを、よくよく検討した方が良いということだ。もちろん、これは常に考えるべきことではあるが、どう(※1)も逆接表現を使うときにポロッと出てしまっている傾向が見られるので、一応ここで触れておくことにした。


 それでは、次回もう二つ三つ例について解説し、本項「殆どの人は嘘をつくのが下手である」を終了したいと思う。

(※1)

 例えば三十代の書き手が、十代の登場人物を主人公とした一人称小説を書いたときに、別の二十代の登場人物を指して「彼は若いが、達観した考えの持ち主だ」などと表現したとする。当然、十代の主人公の方が、二十代の登場人物よりも若いのだから、このように感じるのは不自然である。二十代の登場人物を「若いが達観している」と評しているのは、あくまでも三十代の書き手だ。このように突如として、視点人物あるいは語り手以外の何者か(要するに書き手)の思想や思考が本文中にダイレクトに出てくるのは、小説としてみっともないし、その小説世界の「嘘っぽさ」を際立たせる。

 もちろん、十代の人物が二十代の人物に対して、上記のように評する可能性はある。それでもやはりその可能性は極めて低いだろうし、わざわざそのような不自然な思考をさせるメリットもそうないだろう。

 こういった観点からも、書き手は「文章表現の怖さ」というものを強く意識すべきである。

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