花を刷る
リカの通信機を直してから、三週間ほど経った。その日の昼過ぎ、ミラは作業台の上で魔導ランプを分解していた。最近、このランプの持ち込みが多かった。火は点く。ただし三回に一回くらいの割合で消える。
「……ここか?」
細い魔力線をピンセットで持ち上げ、繋ぎ直す。何回か試して、無事に直ったところで、店のベルが鳴った。
「はーい」
作業場から声を出す。
「こんにちは」
返事があった。
ランプを置いて、店へと続く扉を開ける。そこにいたのは見覚えのない女だった。
二十代半ばくらいだろうか。髪を後ろでまとめ、薄い灰色の作業着を着ている。袖口には黒い糸屑がいくつも付いていた。
「こちら、ミラさんのお店ですか?」
「そうですけど」
「母がお世話になりました」
「お母さん?」
「リカです」
ミラの営業スマイルが固まった。
「……ああ」
「何ですか、その顔」
「いや」
嫌な予感がした。
よくよく思えば、声に聞き覚えがあった。
「もしかして次女さん?」
「そうです」
西の工業区で働いていると言っていた娘だ。彼女はモカと名乗り、革鞄から一通の封筒を取り出した。
「母から聞いたんです。軍用の機械に詳しい修理屋さんが直してくれたって。それで、工場長が一度見てもらえないかと」
「あなたも工場で働いてるんですか?」
「ええ、織布工場で。……母、まだ毎晩喋ってますよ」
うんざりした顔で付け加えた。
嫌な予感がしつつも封筒を受け取る。
表には『第五織布工場』と書かれていた。
「何が壊れたんです?」
「壊れてはいないんです」
「…………」
最近、そんな依頼ばかりだった。しかし、金はあった方がいい。
「……じゃあ持ってきてくださいよ」
「無理です」
即答にミラは鼻白んだ。
「なんで?」
「工場に据え付けてあるので」
渋々、ミラは封筒を開けた。ざっと前置きを飛ばして、機械の型式を確認する。
「……第百八十四式紋章転写機?」
「ご存じですか?」
「見たことはあります」
ミラはため息をついた。
「……とりあえず見てみましょう」
***
西の工業区までは、馬車で半日ほどかかった。街へ近づくにつれ、煙突が増えていった。煉瓦造りの工場。倉庫。荷馬車。貨物線。
戦争中、この辺りでは軍服や毛布、天幕などを大量に作っていたはずだ。
今も工場そのものは動いているようだ。ただし、運び出されるものが違った。
色のついた服地。
子供用らしい小さな靴。
木箱には食器会社の名前が書かれている。
「随分変わりましたね」
「戦争中に来たことあるんですか?」
「何度か。部品を取りに」
「その頃はもっと酷かったですよ。どこも灰色と茶色ばっかりで」
「軍用品ですからね」
たわいない話をしている間に馬車が止まる。大きな煉瓦造りの建物だった。
入口の上には古い文字が残っている。
第五軍需織布工場。
その『軍需』の部分だけが削られ、その下に新しい看板が掛かっていた。
第五織布工場。それが今の名前のようだ。
「雑ですね」
「みんな言います」
中へ入る。
音が押し寄せた。
ガタン。
ガタン。
ガタン。
巨大な織機が何十台も並んでいる。糸が走り、布が流れ、ローラーが回る。
「こちらです」
途中で工場長が合流し、案内されたのは織機が並ぶ区画のさらに奥だった。
一台の機械が置かれている。
高さはミラの胸ほど。
二本の大きなローラーの間を布が通る構造になっていた。
側面には大型の魔力石。
中央には平たい真鍮色の板が収められている。
ミラは銘板を読む。
「第百八十四式紋章転写機」
「ええ」
工場長は五十代くらいの男だった。
「戦時中は部隊旗を作っていました」
「まぁ、そうでしょうね」
ミラも実物を見るのは初めてだった。
仕組みそのものは難しくない。
中央に収められているのはブラス・クレイだ。
普段は平たい板だが、魔力を流せば指定された場所が硬化し、盛り上がる。
部隊ごとに魔法陣を交換すれば、同じ一枚のブラス・クレイから違う紋章の版を作ることができた。あとは染料を乗せ、布へ押し付ける。
遠くからでも見えること。雨に濡れても消えないこと。泥にまみれても所属が分かること。
部隊旗としては、それで十分だった。
「それを今は何に使おうって言うんです?」
「服地に使いたいんです」
「……これで?」
「使えるものは使えと……まぁ、そういう話なんですがね。しかし出来栄えが」
工場長が一枚の布を持ってきた。
「これです」
ミラは受け取った。
赤い歪な模様が並んでいる。
「…………」
「花です」
「まだ何も言ってませんけど」
「みんな同じ顔をするので」
ミラは布を広げた。
確かによく見れば花に見えなくもない。
中心があり、その周りに花びららしきものがある。葉も付いている。
ただし、線が太い。
花びらも葉も輪郭も、全部同じ濃さだった。
何より妙に力強い。
「……部隊章みたいですね」
「花です」
「旗にしたら似合いそう」
「服にしたいんです」
「……ですよね」
ミラは布を裏返した。染料が裏側までしっかり通っている。
「かなり強く押してますね」
「……元はもっと酷かったですよ」
工場長が言って、別の布を持ってきた。
真っ赤だった。
「何です、これ」
「花です」
「どこが?」
「その辺です」
「……分かりません」
「だから一度改造しました」
工場長が機械の側面を開ける。
ミラはしゃがんだ。
「……ああ」
増幅術式が二本切られている。
魔力石から版へ伸びる回路にも、抵抗術式が追加されていた。
「出力落としたんですね」
「うちの技師がやりました」
「なるほど」
悪くない、とミラは思った。
元の状態では、ブラス・クレイの版を布へ叩きつけるような出力だったのだろう。
部隊旗ならその方がいい。
薄くなるより、多少潰れてでも確実に染まった方がいいからだ。
「これ以上落としたら、どうなりました?」
「洗ったら消えました」
「ああ……」
「強くすれば潰れる。弱くすれば落ちる。もうどうすればいいのか……売り物にならなきゃ意味がないんですよ」
「それで私ですか」
「軍用機械なら何でも直せる人がいると聞きまして」
「何でもとは言ってないんだけどなあ……」
ミラは頭を掻いた。
「とりあえず、一回動かしてください」
工場の技師が魔法陣を交換する。
花柄の術式だった。
魔力を流す。
平らだったブラス・クレイが動いた。真鍮色の表面が盛り上がっていく。
最初は花びら。次に葉。最後に茎。
すべて同じ高さまで盛り上がっていく。
「止めてください」
「はい」
ミラは版へ近づいた。
指で触る。
硬い。
「……なんで全部同じ高さなんです?」
「版ですから」
「第三式で全部同じように動かしたら使い物にならない」
技師が首を傾げた。
「これは義手じゃありませんよ」
「でもこれ、ブラス・クレイでしょう」
「まぁ、そうですが」
ミラは版を見つめた。
第三式と同じ素材のブラス・クレイならば、同じように魔力で形を変える。
「なら、機械じゃないな。弄るところ」
ミラはブラス・クレイを指差した。
「こっちです」
***
ミラは紙を一枚借りて花を描く。
「下手ですね」
隣で見ていた技師が小声で言った。
「きっと花なんて描かないんだよ」
工場長が苦笑する。
ミラはそれを聞き流し、手を止めず書き続ける。
花びら。
葉。
茎。
輪郭。
全部同じ高さだから、布へ押し付けたときに同じように染料が乗る。
だから全体が同じ濃さになる。
「ここを低くする」
花びらの内側。
「ここは高く」
輪郭。
「葉は……中間くらい」
「そんな細かく変えるんですか?」
「変えられるでしょう」
「……理屈では」
「じゃあやりましょう」
ミラは魔法陣を書き始めた。
やっていることは覚えがある。第三式の改造だ。
指先は柔らかく。その後ろは硬く。
版そのものを一枚の塊として扱うのではなく、細かい区画へ分ける。
それぞれに流す魔力を変える。
「……面倒くさ」
思わず出た言葉に、工場長が不安そうに言う。
「無理ですか?」
ミラは肩を竦めた。
「出来ますよ」
ミラは設計図に線を一本増やした。
「面倒くさいだけです」
***
二時間後。
「やってみます」
新しい魔法陣を入れて、魔力を流した。ブラス・クレイがゆっくり形を変える。
最初に輪郭が浮かび上がった。
次に葉。
最後に花びらの内側が、ほんの少しだけ盛り上がる。技師が覗き込んだ。
「……何か、変な気持ちです」
「慣れてください」
「これ、義手と同じ理屈なんですか? 面白いな」
染料を乗せ、布を通す。
ローラーが回った。
ゴウン。
一枚目の布をミラは取った。
「…………」
「どうです?」
「薄い」
花びらがほとんど見えない。
輪郭だけが妙にくっきりしている。
「失敗ですね」
「ですね」
続けて二枚目。
花びらを少し高く。
「濃い」
「さっきよりは……」
「葉っぱ潰れてます」
三枚目。
葉を下げる。
四枚目。
輪郭を弱める。
五枚目。
「……惜しい」
六枚目。
「どう?」
「まだ花びらが」
「服にしたら分かりませんよ」
「近くで見たら分かります。服なら近くで見るでしょう」
「ああ」
軍用旗と違って遠くから見て分かれば良いわけではない。
服とは近くで見るもの。
「……じゃあもう一回」
***
九枚目の布が機械から出てきた。
ミラはそれを取る。
赤い花の輪郭ははっきりしている。
花びらの中心は淡く、外へ向かって少しずつ濃くなる。
葉には細い葉脈が残った。
裏返す。
染料は裏まで抜けていない。
指で擦る。落ちない。
「洗ってみます」
技師が工場の隅にある水場へ持っていった。
石鹸で洗う。
絞る。
乾燥用の熱風術式にかける。
もう一度広げる。
花は残っていた。
「……いけますね」
技師が言った。
「ですね」
いつの間にか、ミラたちの周囲に人が集まっていた。
「……何です?」
「見てただけです」
若い職人が布を覗き込む。
「綺麗」
別の職人が手を挙げた。
「これ、青でも出来ます?」
「……染料変えれば?」
「薔薇は?」
「魔法陣作れば」
「鳥とか」
「作ればいいじゃないですか」
「細かい水玉は?」
「潰れないようにすれば、まぁ」
「二色は?」
「それは知りません」
ミラは即答した。技師が真面目な顔でこう言った。
「今度共同で考えます」
「考えないでください」
そのタイミングで工場長が職人たちを追い払う。
「仕事に戻れ!」
人々が散っていく。
それでも何人かは振り返って花柄を見ていた。
***
「ありがとうございました」
工場長から代金を受け取る。
「今後は、うちの技師でも調整できますか?」
「基本は」
ミラは書き直した魔法陣を渡した。
「ここで版を区切ってます。柄を変えるなら、盛り上げる高さも柄に合わせて変えてください」
「なるほど」
「あと出力は今のままで。そこはそちらの改造で問題ないです」
工場の技師が少し嬉しそうな顔をした。
「じゃあ、私の改造も無駄じゃなかったんですね」
「無駄じゃないですよ」
ミラは転写機を見る。
「私だったら最初に同じことやってたと思います」
「本当ですか?」
「強すぎたら弱くしますから」
「同じですね」
ミラは転写機の版を見た。
部隊旗も、花柄も、同じブラス・クレイが同じように形を変えているだけだ。
工場長が試作品を一枚持ってきた。
「これ、持っていきます?」
「……いいんですか?」
「どうせ試作品ですから」
小さな赤い花が並んだ丈夫な生地だった。
戦争中なら軍服か天幕にでもなっていただろう。
「何に使おう」
「服とか」
「私は作れませんしねぇ」
「……いりません?」
「貰いますよ」
笑ってミラは布を鞄へ入れた。
***
それから一ヶ月ほどして変化があった。
「ミラ」
昼飯を食べに向かいの食堂へ入ると、ニルの父親が大声で呼んだ。
「見ろ!」
「何です?」
見せられたのは新しい前掛けだった。
白い生地に、小さな青い花が並んでいる。
「似合うだろ!」
「……それ」
「第五織布工場の新作だってよ!」
ミラは花を見る。
輪郭から花まで見覚えがある。
「売ってるんだ」
「最近人気らしいぞ。丈夫だし、洗っても落ちねえ」
厨房からニルが出てきた。
同じ前掛けをしていた。
「…………」
「何だ」
「似合うね」
ミラは笑いを堪えながら言った。ニルは憮然とした顔で答える。
「親父が勝手に買った」
「いいじゃん」
席へ座る。
壁際の窓には、新しいカーテンが掛かっていた。
黄色い小さな花柄。
「あれも?」
「ああ。親父が買った」
「へえ」
戦争中、あの機械は部隊旗を作っていた。
遠くからでも誰の旗か分かるように。
雨でも泥でも消えないように。
今は食堂の前掛けと、窓のカーテンに花を刷っている。
「ミラ」
「ん?」
「飯」
ニルが皿を置く。
「今日は魚? やった」
「そういえばダンのとこの赤ん坊、順調らしいぞ」
「……そっか」
フォークを取る。
窓から風が入った。
黄色い花が、ふわりと揺れた。
ミラはそれを一度だけ見てから、魚を食べ始めた。




