夜中に鳴る声
目覚まし時計は直った。
「ありがとうございました!」
嬉しそうに帰っていく客を見送って、ミラは煙草に火をつけた。
原因は単純な接触不良だった。
裏蓋を開け、切れかけた魔力線を繋ぎ直しただけで針は動いた。ついでに内部の埃も払っておいた。
***
それから一ヶ月。街はすっかり夏になっていた。
店の前に荷馬車が止まった。
御者と一緒に降りてきた女は、ミラの母親より少し年上くらいに見えた。
「ここ、何でも直してくれるんでしょう?」
「誰から聞きました?」
「向かいの食堂の主人よ。『リカさんもどうですか』って」
ミラは窓の外を見た。開け放された食堂の窓から、今日も店主の笑い声が聞こえてくる。
「目覚まし時計も直したって話を聞いて、じゃあこれも直せるんじゃないかしらって」
「……何を直すんです?」
「これ」
リカが荷台を指差した。大きな木箱が載っていた。
「何です?」
ミラはそれを覗き込む。
「ちょっと待って」
リカは御者に木箱を開けさせる。
中から出てきたのは、見覚えのある黒い筐体だった。表面の塗装はところどころ剥がれ、角には何度もぶつけた跡がある。太い革の取っ手。折り畳み式のアンテナ。正面には周波数調整用の大きなつまみが三つ。
「第八十七式長距離通信機じゃないですか」
「あら、知ってるの?」
「直してましたから」
前線基地と後方を繋ぐための通信機だ。
山を二つ挟んでも声が届き、多少の魔力障害ならものともせず、敵の妨害を受けても周波数を切り替えながら通信を続けられる。
頑丈さも折り紙付きだった。
実際、基地が砲撃されたあと瓦礫の中から掘り出したものが、そのまま使えたことさえある。
「どこで手に入れたんです?」
「払い下げよ」
戦争が終わってから、こういうものが街へ流れてくるようになった。
「それで、どこが悪いんです?」
「使えないの」
「はい?」
「娘と話したいんだけどね。一時間使うとすぐ魔力石が空になるのよ」
ミラは通信機を見た。
「一時間?」
ミラはリカを見た。
「何を一時間も話すんです?」
「娘と話してたら、それくらい経つでしょう」
「軍じゃ三分でも長いですよ」
「知らないわよ、そんなの」
もっともだった。
「……娘さん、どこにいるんです?」
「長女は北のレイル。次女が西の工業区。末の子は南のセダ」
「三人?」
「そうよ」
「娘さんが三人?」
「そう」
女は当然のように頷いた。
「戦争中にみんな家を出ちゃってね。長女は結婚したし、次女は向こうで仕事を見つけたし、末っ子も戻ってくる気がないみたい」
「それぞれ通信機持ってるんですか?」
「買わせたわ」
「……強いなあ」
「だって便利でしょう?」
「まぁ……」
確かに便利ではある。ミラは通信機の裏蓋を開けた。中には見慣れた術式が並んでいる。
長距離送信。魔力増幅。雑音除去。対妨害。暗号化。緊急回線。
どれも正常だった。
「……どこも壊れてないですよ」
「じゃあ直して」
「だから壊れてないんですって」
「いつでも長く話せるようにしてくれればいいのよ」
「それは修理じゃなくて改造ですよ」
「できるわよね?」
「…………」
じっとこちらを見てくる視線に耐えきれず、ミラは内部を改めて覗き込んだ。出来なくはない。対妨害術式など民間ではまず使わない。暗号化も、娘と話すだけなら必要ないだろう。最大出力も街の距離を考えれば必要ないかもしれない。
「娘さんの家まで、どれくらい?」
念のために確認する。ポケットからメモ帳とペンを取り出した。回路の下書きだ。
「長女が八十キロくらいだったかしら」
「……結構遠いな」
「次女は四十くらい」
「末っ子は?」
「十五」
「じゃあ百二十キロ飛ばす必要はないか……」
最大出力を落とし、暗号化を切る。対妨害術式も最低限まで簡略化する。通信品質も多少犠牲にすれば、魔力消費はかなり減るはずだ。
「……出来なくはないです」
「本当?」
「ただし今までより遠くには届かなくなりますよ」
「娘のところまで届けばいいわ」
ミラは一瞬手元が止まった。
「……そうですか」
「そうよ」
戦場でそんな注文をされたことはなかった。一メートルでも遠く、少しでも明瞭に。どんな妨害の中でも確実に味方に届くように、と。
通信機とは、そういうものだった。
ところ変われば変わるものだなぁ、と頭をかく。
「じゃあ、三日くらい預かります」
「困るわ」
「……なんで?」
「娘と話せないじゃない」
「三日くらい我慢してくださいよ」
「仕方ないわねえ」
リカは渋々帰っていった。
その背中を見送りながら、ミラは通信機を見る。
「……一時間も何喋るんだろ」
その声には若干の呆れが混じっていた。
***
二日目の昼。
「聞こえます?」
『聞こえるわよ』
「じゃあ出力一段落とします」
『はいはい』
「どうです?」
『聞こえてる』
「もう一段」
『まだ聞こえる』
「もう一段」
『ちょっと雑音するわね』
「じゃあ一個戻すか」
ミラは送話器を肩と耳で挟みながら、回路を書き換えていた。
相手は依頼人の長女だった。
母親から聞いておいた連絡先から、試験通信に付き合ってもらっている。
『母から聞いたけど、長く喋れるようになるんですって?』
「まぁ、恐らく」
『助かるわ』
「……そんなに話します?」
『母がね……切ろうとすると怒るのよ』
「大変ですね」
『本当に』
ミラは少し同情した。
「これなら魔力消費、今までの三分の一くらいですね」
『じゃあ三倍喋れる?』
「そういう計算になります」
『母には言わないで』
「なんで」
『三倍喋るから』
「なるほど」
娘の苦労を垣間見た気がした。
「じゃあ今日はこれで――」
『あ、待って』
「何です?」
『もう一個お願いがあるんだけど』
「何?」
『三人一緒に繋げない?』
ミラの手が止まった。
「三人?」
『私と妹二人』
「なんで?」
『母が誰に話したか忘れて同じ話を何回も聞かされるの。一緒に繋がれば、一回で済むでしょう?』
「はあ」
『しかも微妙に内容が変わるのよ』
「そう言われても……」
『お願い』
「それ、通信機の使い方として間違ってますよ」
『軍ではね』
ミラは黙った。
『今は戦争終わったんでしょう?』
「……そうですけど」
『だったらいいじゃない。よろしくね』
そう言って通信は切れた。ミラはしばらく送話器を持ったままでいた。
三人同時。
軍用通信機には必要のない機能だった。
むしろ邪魔だ。
複数の通信が同じ回線へ入れば混線する。
指示を出す側と受ける側が明確でなければ、誰が誰に何を伝えたのか分からなくなり前線では困る。
「…………」
ミラは紙を一枚取った。
「でもまあ」
線を引く。
「ここを分けて……」
もう一本。
「受信を三つ……」
母親を含めれば四人で話すことになる。
「面倒くさ」
そう言いながら、ミラは椅子へ座った。煙草に火をつける。
一時間後。
紙は魔法陣で埋まっていた。
***
「じゃあ、試しますよ」
三日目。
依頼人がミラの店へ来ていた。
通信機は作業台の上に置かれている。
「まず全員に繋いでください」
「はいはい」
リカが慣れた手つきで周波数を合わせる。
まず長女。続いて次女。最後に末の娘。
三つの回線が開いた。
『お母——』
『——聞こ——』
『ちょっ——』
声が一斉に重なった。
「ちょっと、これ大丈夫?」
何を言っているのか、まるで聞き取れない。
「……そりゃそうなるよな」
複数の回線を一つにまとめたせいで、声まで一つに潰れているのだ。
——なら、まとめなければいい。一度この通信機でそれぞれの声を受け取り、混ざらないよう別々に処理してから、必要な回線へ送り直す。受信術式を三系統に分岐させ、ひとつだった発声器も小型のものを三つ並べる。それぞれに長女、次女、末の娘の回線を割り当てれば、少なくとも誰が喋っているのかは聞き分けられるはずだ。
「……できるか?」
ミラはしばらく回路を睨んだあと、新しい紙を引き寄せた。
二時間後。
第二案の魔法陣が出来上がった。
「よし。もう一回」
再び通信を開く。
「聞こえる?」
『聞こえるよ』
「聞こえるわ」
「次、次女」
ミラが横から別の回線を開く。
雑音。
『――もしもし?』
「聞こえる?」
『お母さん?』
「そうよ」
「末っ子も入れます」
もう一つ。
『何?』
「何って何よ。お母さんよ」
『分かってるよ』
「全員聞こえます?」
『聞こえる』
『私も』
『聞こえてるよ』
三人の声がそれぞれ聞こえた。
ミラは魔力計を見る。出力は安定している。魔力消費も想定範囲内。
「成功ですね」
「あら、すごいじゃない」
「今までより最大距離は短くなってます。妨害にも弱い。あと軍用暗号はほぼ使えません」
「いいわよ」
「誰かに聞かれる可能性もありますよ」
「聞かれて困るような話しないもの」
『お母さん、近所の人の話ばっかりじゃない』
「そういうのは聞かれたら困るでしょう」
『ほら』
「…………」
ミラは不安になった。
「まあ、とりあえず三十分くらい繋いで魔力消費を――」
『それでね、お母さん』
長女が喋り始めた。
『この前言ってたマーサおばさんのところ、結局どうなったの?』
「ああ、それがね!」
『私それ聞いてない』
次女が割り込む。
「あなたに話したわよ」
『聞いてないよ』
『私も知らない』
末っ子まで入ってきた。
「じゃあ最初から話すわね」
『待って、私この前聞いた』
「じゃあ黙ってなさい」
『何よそれ』
ミラは魔力計を見る。
正常。
「…………」
十分。正常。
二十分。三十分。
「……あの」
「それでマーサさんの息子がね」
『あの人まだ独身なの?』
『姉さんも去年まで独身だったじゃん』
『私は関係ないでしょう』
「……試験終わりましたよ」
誰も聞いていない。
四十分。
「帰っていいですか?」
「ここあなたの店でしょう」
「…………」
五十分。
ミラは煙草を吸い始めた。
一時間。
まだ魔力石には余裕があった。
「……成功ですね」
誰も聞いていなかった。
***
「代金、これでいい?」
「はい」
ようやく通信が終わった頃には、外は暗くなっていた。
リカが財布を鞄へしまう。
「それにしても便利になったわ」
「そりゃどうも」
「前は嫌いだったのよ、これ」
ミラは伝票を書きながら顔を上げた。
「通信機?」
「ええ」
リカが黒い筐体を撫でる。
「戦争中にこれが鳴るでしょう」
「ああ、国の緊急連絡網を兼ねていましたからね」
「本当に嫌でね。ろくな話じゃないもの」
召集や配給の変更。工場からの呼び出し。誰かが帰ってこない知らせ。そんなものを伝えるものだっただろう。
「だから鳴ると、最悪な気分になったの」
「……そうですか」
「でも今は娘でしょう?」
リカは笑った。
「鳴ると嬉しいわ」
ミラは通信機を見た。同じ機械だ。軍用の黒い筐体も、大きなつまみも当時見ていたものとほぼ変わっていない。
変わったのは、中を走る魔法陣だけだ。
「修理屋さん」
「はい?」
「これ、他の人のもできる?」
「同じ型なら」
「じゃあ教えてあげようかしら」
「誰に?」
「ご近所さんに」
「……ちょっと待って」
「みんな娘や息子が遠くにいるから」
「待って待って」
「向かいの食堂にも教えておくわね」
「そこには絶対言わないで!」
リカは笑いながら帰っていった。
店の前には、通信機を載せるための荷馬車が待っていた。
ミラはその背中を見送る。
「……嫌な予感するなあ」
その予感は当たり、その後、街のあちこちで同じ改造依頼が続いた。
***
一週間後。
同じ改造を頼まれた第八十七式が、店からようやく姿を消した日の夜。ミラは店の作業台で小さな魔導ランプを修理していた。
向かいの食堂はもう閉まっている。通りも静かだった。
チリンチリン、とどこかで音がした。
ミラが顔を上げる。軍用通信機の呼出音だった。
少し離れた家から聞こえる。しばらくして、別の家からも鳴った。
チリン。
さらに向こうから。
チリン。
「…………」
窓を開ける。夜の街から、微かに声が聞こえていた。
『ちょっと待って、お母さんも呼ぶから』
誰かが笑っている。
別の家でも通信機が鳴った。戦争中なら、一斉に通信機が鳴り始めれば何かが起きた合図だった。
敵襲か。
撤退か。
増援要請か。
ミラは窓辺で煙草に火をつけた。
また一台鳴った。
「……騒がしいな」
そう呟いて、窓を閉めた。




