卵を割らない手
隣国との戦争が終わって三ヶ月が経った。
戦争終結と共に軍から解放されたミラは地方のとある街に、夢だった店を構えた。
二十代で女で、店を構えるのは容易ではなかった。足元を見られて吹っ掛けられた部分もある。そのせいでろくな看板を出す金もなく、窓ガラスに紙を貼って凌いでいる。
——魔義肢修理・調整。ブラス・クレイ成形。その他、応相談。
しかし、最後は余計だったと後悔している。
「これ、直せます?」
今日、最初に持ち込まれたのは目覚まし時計だった。
「……時計屋の方がいいんじゃないですか?」
「魔導式なんです」
「そうは言ってもねぇ……」
「でも向かいの食堂で何でも直せるって」
窓の外、通りを挟んだ向かいの食堂を見る。あそこの店主はお喋りで、声がデカい。今だって、開け放した窓から店主の大きな笑い声が聞こえてきた。
あとで一言、言いに行こう。
ミラは吸っていたタバコの灰を落とす。
「……とりあえず置いてってください」
「直せますか?」
「とりあえず中開いてみますよ。また来てください」
客は嬉しそうに時計を置いていった。それを裏の作業台に移して、工具を選ぶ。
店を開いて二ヶ月、こんな依頼ばかりだ。
繁盛するのは良いことだが、なんとなく張り合いがない。前線基地にいた頃は、魔義肢の整備が専門だった。
——少なくとも書類の上では。
実際には小銃から通信機、輸送車の魔導炉、炊事場の点火術式まで持ち込まれた。あの頃と比べると、今のなんと平和なことか。
戦争が終われば、もう少し専門家らしい仕事ができると思っていたが、本質的には変わっていないのも何となく不満だ。
再び、ドアのベルが鳴った。
「いらっしゃい」
裏から表のカウンターに戻ると、ガタイのいい男がいた。片腕がブラス・クレイで出来た魔義肢だった。ミラは少し機嫌を良くした。
「修理ですか?」
「いや」
男はカウンターに腕を置いた。全体的にくすんだ真鍮色をしている。肩口から五本の指先まで継ぎ目がない。表面を走る金色の線は太く、直線的で飾り気なく必要な場所を結んでいる。
ミラには見慣れたものだった。
「第三式ですね」
「わかるのか」
「まぁ」
ミラはカウンターに置かれた腕をひっくり返す。魔力を失った手首がだらんと作業台に垂れる。親指で押すと、指の腹が粘土のようにへこんだ。離しても戻らない。
肩口の付け根にある起動魔法陣に軽く魔力を流す。
腕に引かれた線が内側から淡く光った。へこんでいた指がゆっくりと元の形へ戻る。芯だけが硬く締まり、その表面にはわずかな柔らかさが残った。
「北部仕様ですね」
「北にいたんでな」
魔法陣は三重の硬化術式。高出力の骨格指定。親指と人差し指には独立した強化線。製造番号の横に第五工場の刻印がある。戦争末期に大量生産された型だ。第五工場の最高傑作とも言われている。
「どこが悪いんです?」
「……どこも悪くない」
ミラは首を傾げた。
男は少し言いにくそうに「卵が潰れるんだ」と言った。
「はい?」
男は空になった左袖をまくった。
「俺はダン。戦争に行く前はこの街のパン屋でな。先月店を開け直した」
「おめでとうございます」
「ありがとう。——それで、こいつが便利なんだ」
ダンが魔義肢を指差す。
「小麦の袋を片手で運べるし、生地をこねても軽いもんだ。焼きたての天板も持てる」
「待って」
ミラは一度、ダンの話を止めた。
「何だ」
「熱い天板を義手で持ってるんですか?」
少し頭が痛くなった。
「ああ」
「やめてください」
真顔でそう止める。
「義手は平気だぞ」
「義手はね」
ミラは彼の左肩を指した。
「接続部はあなたの身体でしょう。これ、一応熱を持つんですよ」
「冬は暖かかったぞ」
「……じゃあそれはまた今度として、今日は卵が何です?」
「卵をこれで割ると、潰れるんだ」
「右手で割ればいいでしょう。こう、片手でパカっと」
「数が多いんだよ」
「じゃあ左手で持って、右手で割る」
「持った時点で割れる」
「そんなに?」
「昨日は十二個潰した」
ミラは第三式を見た。
「……十二個?」
「女房に怒られた。誰が殻を取るんだって……それによ」
「それに?」
「その……赤ん坊が生まれるんだ……」
ミラの第三式を見る手が止まった。
「あー……おめでとうございます」
ダンは落ち込んだ様子で続ける
「こんな腕じゃあ、子供に触れもしない。……だから、これを弱くしてくれ」
ミラは何か、衝撃的なことを言われた気がした。
「弱く?」
「ああ」
そんな注文は初めてだった。ミラは少し考えて、ダンに「義肢をつけてください」と言った。
ダンが空の袖をまくり、左肩を第三式の接続環へ差し込んだ。固定具を回すと、肩口の魔法陣へ魔力が流れる。淡い金色の光が、ひび割れのような線となって腕を走る。
変化は肩から始まった。
さっきまで作業台に垂れていたブラス・クレイが締まり、腕の内側に一本の硬い領域を作る。
それは骨格となり、その周囲では別の部分が柔らかさを残したまま収縮し、腕を支える。肘の一部が硬化し関節が生まれる。
手首がしっかりとし、最後に五本の指が震え、開いた。
一塊の粘土だったものが、腕になる。
「握って」
男は言われたように握る。
金色の線が一瞬強く光った。
拳ができた。
「開いて」
開く。
ミラはふむ、と考えてから自分の手を差し出した。
「私の指、握ってみてください」
「いいのか?」
「ゆっくりですよ」
ミラは人差し指を彼の掌へ乗せた。
ブラス・クレイの指が閉じる。思わず声が出る。
「痛い痛い痛い」
男が慌てて開いた。
「大丈夫か!?」
「ここまでとは思わなかった」
ミラは赤くなった指に自分で治癒術をかける。じんじんした痛みが少し引いた。
「……加減できないんですか?」
「してる」
「今ので?……なるほど」
ミラは頭の中で腕の設計図を広げる。
第三式はよくできている。最高傑作の異名に恥じない硬化と保持の早さ。力の抜きもラグがなく素早い。武器を離さず、瓦礫を持ち上げることも容易。やろうと思えば、敵の首さえ折れただろう。
五年前、これを設計した魔術師は優秀だ。
ただ一つ。これは日常生活を想定していなかった。
「無理か?」
「…………」
ミラは返事をしなかった。
肩口の魔法陣から掌から指へ伸びる制御線。ここに何らかの回路を引けば何とかなるかもしれない。
しかし前例がなかった。
「これ、軍の規格から外れますよ」
「何か困るのか?」
「軍には戻せなくなります」
「戻る気はない」
「じゃあいいですね。五日ほど、腕を貸してください」
「……できるのか?」
「分かりません。けど、今のままだと不便でしょう」
ニッと笑った。
「ダメでも、元通りにしてお返ししますよ」
男を見送って、ミラは肩を回す。
「さて、とりあえず卵買いに行くか」
***
それから三日目の夕方。
「うわっ」
ベシャッと潰れた卵の白身が作業服に飛び散る。
「四十七個目……」
ミラは作業台に突っ伏していた。店の中が卵臭い。
潰した生卵と殻のボウルの山を前に、第三式とミラがぐったりとしている。
元々の魔法陣は原形を残していなかった。
軍用の線を削り、一部を分岐させ、掌を一つだった領域から細かく切り分けた。
きっと第三式の設計者が見たら怒るだろう。
ミラ自身、綺麗だとは思わないしよく出来ているとも思えない。だが前線で綺麗な修理などしたことがない。
動けばいい。
ただ、それだけで戦場ではよかった。そんな修理の方法しか、ミラは知らない。しかし柔らかくしすぎれば、卵を持った瞬間に指の間から滑り落ちた。硬化を遅らせれば、今度は握るまでに時間がかかる。力を分散させれば、手首までぐにゃりと曲がった。
彼女は身を起こして四十八個目の卵を手に取った。第三式の接続環に右手を添え、魔力を流す。作業台の上で、腕がゆっくりと起き上がった。最後に足した一本の回路が、掌から五本の指へ伸びている。
魔法陣が灯った。ブラス・クレイが腕になったのを確認して卵へ手を伸ばした。
親指が触れる。
止まった。
人差し指が触れる。
中指。
薬指。
小指。
五本の指が卵の丸みに沿って形を変えていく。
硬くならない。
柔らかなまま包み、落ちない程度にだけ力を持つ。
ミラは腕を上げた。卵も上がった。
「…………」
振ってみた。割れない。
「おお」
もう一度。
「おおお」
そのままそっと机へ戻す。無傷だった。
「できた!」
その声と同時に、作業場の扉が開いた。
「うるさい」
振り返ると、そこにはエプロン姿の男が一人、立っていた。
「……ニル?」
「親父が、夕飯食いに来ないならこれ持ってけって」
手には蓋つきの皿がある。ミラは時計を見た。とっくに食堂の営業時間外だった。
「もうこんな時間?」
「そんな時間だよ」
ニルは作業台を見る。
卵の殻が山になっている。
「何してんだ」
「仕事」
「卵を割るのが?」
ニルは皿を置いた。
それからミラの左手の先を見た。
くすんだ真鍮色の指が、一個の卵を包んでいる。
「何で卵持ってんだ」
「持てるようにした」
「……そうか」
彼は訳がわからないと言った表情だったが、それだけ言って皿の蓋を開けた。
肉と野菜を煮込んだ匂いがした。
「食えよ」
ミラの腹が鳴る。
「……生卵、引き取ってくれない?」
「こんなに割ってどうするつもりだったんだ」
「考えてなかった」
「おいおい……明日のオムレツ全部これだな」
「食堂で使える?」
「殻入ってないか」
「……入ってる」
「お前なあ……まぁ漉せば良いか」
「よろしく〜」
「全部お前が食えよ」
「えっ無理」
***
四日目の昼過ぎ、約束より少し早くダンはやってきた。
扉を開けるなりカウンターの上に置かれた第三式を見つける。
「できたのか?」
「一応」
「一応?」
「卵は持てます」
「おお!」
「他は知りません」
「おい!」
ミラは第三式を持ち上げ、ダンへ渡した。
「昨日出来たばっかりなんですよ。今のところ卵を四つ持って、一つも割れてない。それ以上の保証を求められても困ります。ここから更に調整をしないと、なんとも言えません」
「……十分だ!」
快活に笑ったダンは慣れた手つきで左腕へ第三式を装着した。
固定具を締める。
肩口から魔力が流れ込むと、作り変えられた魔法陣が淡く光った。
ミラはその様子を横から眺める。
やはり汚い。
途中から線が二つに分かれ、掌のあたりでは細い回路が何本も入り組んでいる。軍用第三式の、無駄のない直線的な設計とは似ても似つかない。
ダンもどうやらそれに気付いたようだった。
「ずいぶん変わったな」
そう言って眩しそうに目を細める。
「見た目は諦めてください」
「別に気にしない」
「……ならよかった」
ミラは今日譲ってもらった卵を一つ取り出した。
「はい。試しに一つ」
「……俺がやるのか?」
「あなたの腕なんだから、あなたが出来なきゃ意味ないでしょう」
「それもそうか」
ダンは少しだけ躊躇して、左手を伸ばした。
真鍮色の人差し指が卵へ触れる。続いて親指。指先が丸みに沿ってわずかに形を変えた。
ダンの顔が強張る。
ミラは苦笑しつつも声をかける。
「力抜いて」
「抜いてる」
「もっとですよ」
「これ以上抜いたら落とすぞ」
「落ちませんよ。……たぶん」
「たぶんって言ったな?」
「いいから!」
ダンが恐々卵を持ち上げた。
割れない。
「……おお!」
ミラは昨日の自分と同じリアクションに少し笑った。
ダンは卵を顔の高さまで持ち上げた。
第三式の指先が、柔らかく卵を包んでいる。
少し腕を振る。
「ちょっと」
「大丈夫だろ?」
「割れたら掃除してくださいよ」
しかしそれでも割れなかった。ダンはしばらく卵を眺めていた。
「これ、どうなってるんだ?」
「触れた場所から硬化を止めてます。今までは何かを掴むと、指全体が一気に硬くなってたでしょう」
「ああ」
「それを指先から細かく分けました。触れたところは柔らかいまま、その後ろだけ固める。だから形に沿って――」
「分からん」
「……聞いたのそっちでしょう」
「俺が分かるように言え」
ミラは少し考えた。
「卵に合わせて、手の方がへこむようにしました」
「なるほど。最初からそう言え」
ダンはもう一度卵を見る。今度は少し力を込めたらしい。それでも割れない。
「これならいけるな」
「ただし限界はありますよ。強く握れば普通に割れます。人に触る時は注意してください」
「それは右手でも同じだ」
「……まあ、そうですね」
ミラは卵を包んだ第三式を眺めた。これから第三式を使う人間は、敵の首を折ることより、卵が潰れることに困るのかもしれない。
あるいは、生まれてくる子供に触れられないことに。
「どうした?」
「いや」
ミラは首を振った。
「何でもないです」
「代金、いくらだ?」
現実的な話に戻され、ミラはカウンターの下から伝票を出した。
「部品代はほとんどかかってないんですけど、三日潰されたので工賃はもらいます」
「卵代もか?」
「当然」
金額を書いてダンへ渡す。
ダンは少し眉を上げた。
「安くないか?」
「実験に付き合ってもらったようなもんですから」
「そうか」
「それに、何か不具合が出たら持ってきてください。たぶん出ます」
「出るのか」
「赤ん坊に触るんだから、細かい調整はしておかないと」
ダンは笑った。
「分かった」
支払いを済ませ、店を出ていく。
扉のベルが鳴る。
ミラは椅子へ座り、煙草を一本取り出した。
火をつける。
深く吸って、吐く。
作業台には、昨日まで書き散らした魔法陣の設計図が残っていた。
捨てようとして、手を止める。
「……一応、取っとくか」
紙を丸めるのをやめ、引き出しへ放り込んだ。
***
次の日の夕方、定休日の店のドアがノックされる。嫌な予感がした。扉が開くと、そこには見たことある客がいた。
「直せました? 目覚まし時計」
それは、今裏でいじっているもののことだった。
「あれがないとちょっと困るんですよね」
ミラは頭を抱えた。昨日まで第三式に夢中になって、後回しにしていたツケが回ってきた。
「……明日また来てください」
「直ります?」
「お預かりしておきます」
「よかった!」
客は満足そうに帰っていった。
ミラは作業台の隅に追いやられた目覚まし時計を睨んだ。
「うげぇ……」
呟いて、煙草を灰皿へ押しつける。
そのとき、また扉がノックされた。
「今度は何だ」
「俺だ」
向かいの食堂の息子、ニルだった。彼もミラと同い年くらいで戦争に行っていたと聞いている。今は大きな荷物を持っている。
「なんだ……」
「なんだとはなんだ」
ニルは紙袋をカウンターへ置いた。
「……ダンが来た」
「食堂に?」
「ああ。親父と知り合いだったらしい」
「この街、狭いなあ」
「ああ、そうだな。これ、お前にって。『今朝は卵を一個も潰さなかった』だと」
紙袋を開ける。
香ばしい匂いがした。
丸いパンがいくつか入っている。
「今日焼いたやつだと」
「へえ」
一つ取る。
まだ少し温かい。半分に割ると、中から湯気が出た。ミラはそのまま齧った。
ニルも一つ取ろうとする。ミラは紙袋を手前に引いた。
「何」
「私がもらったんだけど」
「昨日、飯持ってきただろ」
「それはそれ」
「一個くらいいいだろ」
ミラは少し考えて、袋を戻した。
「一個だけね」
「ああ」
二人でパンを食べる。
外では、荷馬車が通りを走っていった。
その向こうを、軍から払い下げられた輸送車が大きな音を立てて追い越していく。
この美味しさならきっと店は繁盛するだろう。
「ニル」
「何だ」
「平和だね」
「……そうだな」




