第9話『引退剣士が――ステマに手を染める』
お隣の宮ヶ瀬来花の研究室に呼ばれたので行った。
部屋に入ると、デスクの上には厚さの違う食パンがずらりと並べられていた。
「関東は6枚切り、関西は5枚・4枚切りが主流です。境界はだいたい中部地方なんですよ」
「そうなんだ、俺は8枚切りが好きだけど。前に10枚切りってのも見つけて、それも良かった」
「薄いのがお好きですか、クロウさんはイギリス人みたいですね。ちなみに日本の電気って東西で周波数が違うの知ってます?」
「50ヘルツと60ヘルツだろ?」
「私はパンの厚さの境界線と、電気の境界線に隠された相関があるんじゃないかと考えているんですけど、どう思いますか?」
「ないだろ……何か大事な用事かと思ったら……」
その時、ポケットの中のスマホが震えた。
古都みもりから着信だ。
「もしもし。おう、どうした?」
「くぅたんどうしよう……『れあだらけ』が倒産しちゃう……」
「ええっ!? なんで!?」
宮ヶ瀬来花と大急ぎで『れあだらけ』に向かった。
店の前の通路にはダンボールが大量に積み上がっている……全部で20箱くらいだ。
そのダンボールを途方に暮れた表情で見つめるみもりに話しかけた。
「……なんだこりゃ」
「お父さんが発注ミスして……1000倍の数が届いちゃった」
5個のつもりが間違って5000個発注してしまったらしい。
どんな間違えだよ……。
弁護士のところにいるみもりの父(俺はいつもおじさんと呼んでいる)から俺のスマホに着信が入った。
何とかならないかと相談しているそうだが、おじさんが個数確認のメールを見落としてた事もあり、どうやっても返品は無理らしい。
「諦めるのはまだ早いぞ、みもり。頑張って売ればいいんだからさ。それでダンボールの中身は何なんだ?」
みもりはダンボールから小さなスティックのりのようなモノを取り出した。
「ダンジョン専用リップクリームだよ」
「ええと……それって特別な魔法効果とかあるのか?」
「ないよー、唇がプルプルに潤うだけだよー」
いらねー。
絶対に売れねー。
そんなのが5000個ぉ!? どうすんだよぉ!?
そもそもダンジョン用品は需要が限られている事もあって高価だ。
なので仕入れ単価も高く、かなりの代金を支払う必要がある。
だがこの店にそんな体力はない。
つまり、これが売れないと俺の「表の居場所」がなくなってしまうのだ。
それ以前にみもりの家も大変な事になる。
「とりあえずクロウさんが完全復帰してお金を稼いで立て替えればいいのでは? もう最強の引退者ごっこなんてやめたらどうですか?」
「ごっこって付けるな、ライカ犬!」
「だからっ! 犬って付けないでください!」
「とにかく金目的の復帰はダメだ。却下だ」
宮ヶ瀬来花はリップクリームを手に取って眺めた。
「……じゃあ、このリップクリームが“価値があるモノ”だと人々に思って貰えればいいわけですよね?」
「そりゃまあ、そうだけど……」
「だったらクロウの影響力を利用した……ステマしかないですね」
「ステマ?」
ステマ=ステルスマーケティング。
広告であることを隠し、自然な口コミのように見せて宣伝する方法だ。
俺と宮ヶ瀬来花は『れあだらけ』のある中野からJR中央線で西方面に向かった。
そして立川駅からバスで移動した先にある都洞12号に潜った。
配信開始ボタンを押してからドローンを宙に浮かべた宮ヶ瀬来花は「緊急配信」だとカメラに向かって言った。
クロウ・クロスボーンが都洞12号の深度38にいる未討伐のボスとの“因縁”をふと
思い出し、「あいつを倒さないと俺は引退なんてできない!」と立ち上がった。
……と宮ヶ瀬来花は、配信開始数分で数万人にまで達した視聴者に説明した。
因縁なんてないけどね。嘘だけどね。
埃っぽい坑道タイプの都洞12号深度38には、その“因縁の相手”であるゴールド・ローラーがいた。
全身を幾重もの黄金色の甲殻が覆う、全長5メートルを超える四足の怪物。
その姿はダンゴムシによく似ている。
ゴールド・ローラーは足を引っ込めるとボール状になった。
そして黄金の球体が転がり始める。
轟音を響かせながら迫るその姿は、巨大な隕石そのものだった。
「おお、金の玉が転がってきたぞ、でかい金玉が!」
「クロウさん、わざわざ言い直さなくていいです!」
殺意満々でこちらに転がってくるゴールド・ローラーに、袈裟懸けに衝撃波を叩き込む。
ガキィィンと金属音が響いて、ゴールド・ローラーの動きが止まった。
さすがにその黄金の体は一回の【剣撃】では斬る事はできなかったが、三回同じ場所に衝撃波を当てて、ゴールド・ローラーを2つの塊にした。
“師匠、相変わらずヤバすぎ”
“因縁って事はまだレベルが低かった頃に負けたとか?”
“クロウに因縁の相手って言わせるのは相当だよ”
“このゴールド・ローラー討伐はログに残るね”
“ちょっと堅かったって感じだな、ちょっとだけど”
“こうなってくると斬れないものがあるのか気になる”
“あまりにもアッサリ倒すから感覚がバグる”
“引退もったいねぇ、いくらでも稼げるのに”
“クロウ、なんか取り出した?”
“なになに?”
剣を鞘に納めた俺は、打ち合わせ通りにリップクリームを取り出した。
宮ヶ瀬来花とドローンが俺に近づいてきた。
「クロウさん、それは何ですか?(棒読み)」
「あ、ああ……これはダンジョン専用リップクリームだ」
「わあ! そんな凄いモノがあるんですね!(棒読み)」
お……おう……。
なんて感情のこもってないセリフなんだ。
「一芝居打ってやりましょう」なんて自信満々に言ってたクセに、こいつ全然ステルスできてねー。
とんでもなく嘘くさい演技だ。
スポーツ選手が出てるCMみたいだ。小学生の学芸会でももう少し上手いぞ。
宮ヶ瀬来花は見た目は女優になれそうでも絶対に女優にはなれないと確信した。
「クロウさんがリップクリームなんてちょっと意外です(棒読み)」
「これは重要なアイテムなんだ。唇がカサカサに乾燥すると集中力が落ちてスキルの精度が鈍る」
「じゃあクロウさんの強さの秘密は、このリップクリームだったんですね! でもお高いんでしょう?(棒読み)」
「このDリップは定価7500円だ。リップクリームとしてはちょっと値が張るかもしれないが、命を預けるものと考えたら安いくらいだろう」
「わあ! 私でも買えますね! たくさん買っちゃいます!(棒読み)」
宮ヶ瀬来花の作った台本はまるで通販番組みたいだ。
「今から30分間オペレーター増員中」という声が聞こえてきそうだ。
こんなので本当に売れるようになるのだろうか……。
“ダンジョン専用リップクリーム?”
“そんなのあるのかよ!”
“いらねぇwwwww”
“乾燥してるダンジョンって多いらしいね”
“なんかステマ臭くね?”
“クロウが案件なんて受けないだろ”
“気にはなる”
“マスター・クロウは世界的に神格化されてるし、欲しい人いるかも”
“7500円は買っちゃおうかなってなれる絶妙な値段”
“Dリップで検索すると中野のれあだらけって店に在庫ある”
“1本だけ試すか”
“クロウ師匠が使ってるなら買う!”
――――そして翌日。
『れあだらけ』にはDリップを求める客が殺到した。
現役シーカー、クロウのファン、あきらかにテンバイヤーっぽいのまでいる。
アホか? 世の中アホばっかなのか?
いや、一番のアホはおじさんだ。
お客さんには感謝しないとな。ありがとう!
閉店する頃には積まれていたダンボールの数もかなり減った。
「この調子なら1週間で在庫はなくなりそうだよ! くぅたん、ありがとー! 来花ちゃんにもお礼言っておいて!」
「ステマはちょっと良心が痛むけど、まぁリップクリームとしては普通に使えるものだし、みんなにはプルプルの唇になってもらおう」
「やっぱりクロウ・クロスボーンの影響力って凄いね! でももう二度とこんな事にならないようにお父さんには注意してもらわないとね」
みもりに笑顔が戻った。
とりあえず俺は自分の居場所を守る事ができた。
そう、俺の引退にはこの笑顔がセットになっているんだ。




