第5話『引退剣士も――恐れる隣人』
東京都の西側、多摩地区にある三鷹市。
ばあちゃんちのダンジョンに徒歩10分くらいで行ける場所に俺が住んでいるアパートはあった。
俺の部屋は2階の角で、隣はここに住みはじめた時からずっと空き部屋だった。
そこに入居してきた天才少女の宮ヶ瀬来花を自分の家に入れた。
「ドローンの配信公開ボタンを押したのはたぶん俺だよ。なんだかすごいバズっちゃってるよな」
「世界中で話題ですね。でもクロウ・クロスボーンの正体までは誰も辿り着けてないようだけど……私以外は、ふふふ」
そう言った宮ヶ瀬来花は、椅子に座ったままキョロキョロと顔を左右に動かして手帳にペンを走らせている。
「ごく普通の一人暮らし男性の部屋、ちょっと散らかり気味、本棚の漫画とゲームはオタ寄り、女っ気はなし……と」
「ちょっと待て! 何をメモしてるんだ!?」
「レベル999の希少種の生態調査ですけど?」
「俺は珍獣じゃない! 観察日記をつけるな!」
「くんくん、このパンツには異常個体の匂いはないですね」
「嗅ぐなよ! っていうか普通嗅ぐ? 何のソムリエ?」
彼女はとなりの部屋で暮らすわけではないと言った。
以前から自分の高校に近いこの辺にラボスペースが欲しかったのとクロウに興味があるので、一石二鳥だと考えて部屋を借りたのだそうだ。
ミニスカートからのぞく細っそりした太ももに両手を乗せた宮ヶ瀬来花は、研究対象を観察するような目で顔を近づけてきた。
よく見ると宮ヶ瀬来花の目は少し離れていて、瞳にはあまり光がない。
それが彼女の、どこかぼんやりした印象になっている。
「クロウさんがレベルを999まで上げた方法を教えてもらえませんか? 普通ならそれまでに相当数のボスを倒してログを残してるはずなのに、あなたは突然レベル999で現れてる……おかしすぎるんです」
「断る! 教えない!」
残念だったな、天才少女よ。
俺の最強への道は、そんなにドラマチックなものじゃないから言いたくない。
……毎日スライムをパシュッって斬っていただけなんだから。
「じゃあそろそろバイトの時間だから、もういいかな?」
「中野ブロードウェイにある中古ダンジョン用品店の『れあだらけ』ですね」
「それも調査済みか……こわいよ、君」
「教えていただけないようなので、レベル上げの方法は自分で探ります」
「…………勝手にしろ」
電車でバイト先へと向かった。
ついてきた宮ヶ瀬来花は店内をウロウロして、チラチラと俺を観察している。
カウンターの中で幼馴染の古都みもりが、ヒソヒソ声で話しかけてきた。
「くぅたん、あの美人さんと知り合い?」
「知り合いというか……変人の隣人だ。目は合わせるな」
その変人はそれから2週間、俺の行く場所行く場所に現れた。
バイトの帰り道。コンビニ。牛丼屋。コインランドリー。映画館。
あたりを見回すと、どこかから見ている。
姿は見えなくても常に気配を感じる。
もうカンストしている俺を観察したってレベル上げの方法なんてわからない。
なのだが……観察されるのが……しんどい。
部屋に盗聴器とか仕掛けられてないよな? そんな事も考えてしまうほどに彼女は鬱陶しかった。
ついに根負けした俺は「もう付きまとわない事」「誰にも言わない事」を交換条件にレベル上げの方法を話した。
俺の部屋で「狂気のスライム叩きの日々」を聞かされた宮ヶ瀬来花は驚いたような、呆れたような顔で口を開いた。
「複利計算のチェーンボーナス……1日1000匹のスライムを1000日以上連続討伐し続けた……信じられない」
「もう1時間くらいは経っただろうって時計を見ると5分しか経過してなかったりするんだぞ……恐ろしいぞ。退屈と孤独と腱鞘炎に耐える毎日だった」
「そんな苦労をしてまで最強になった後の物語をやりたかった……つまり、最強引退者ごっこをしたかったんですね」
「ごっこって言うな! 男の浪漫なんだよ!」
ん? いや……ちょっと待て。
「なんで俺が“最強の引退者になりたかった”って知ってるんだ? 誰にも言ってないぞ」
「やっぱりそうだったんだ……ふふふ」
宮ヶ瀬来花は意味深な笑みを浮かべると立ち上がって俺の部屋から出ていった。
そして数分後に大きな本のようなモノを持って戻ってきた。
「これに見覚えはありません?」
「それって……俺の小学校の卒業アルバム……」
「ジャーン! この中に“将来の夢”というページがあって、あなたは“最強のまま引退している男になりたい”ってしっかりと書いてます!」
「そんなモノ、どうやって入手したんだよ! っていうか君は俺の事をどこまで知ってるんだ?」
「まだそこまで深くは知りませんが、自己演出に拘るあなたは劇場型殺人や見立て殺人を行うタイプなのかなって認識しています」
「サイコパスっぽい感じにプロファイリングしないで! 猟奇的な事件とかおこさないから!!」
「そうですね、私は犯罪心理学は専門ではありませんしね。失礼しました」
美少女が隣に引っ越してきた、なのに全然うれしくない!
スキル選択理論を作り上げた天才か……とんでもないのに目をつけられてしまった。
そしてスライムが出てくる穴はもう潰してしまった事を伝えたら、彼女は残念そうにしていた。
あの穴やチェーンボーナスについて調べたかったのか、それとも自分もスライム叩きに挑戦したかったのだろうか?
「……とりあえずクロウさんが世界最強なのは紛れもない事実です。その力をダンジョン研究に役立ててはもらえませんか?」
「ダンジョン研究?」
「私と一緒にダンジョンに潜りましょう。クロウさんと一緒なら深層の未知のモンスターデータが集められますんで」
「俺は引退したんだよ。そんな事の為にダンジョンに行く気はない。どうしてもクロウ・クロスボーンじゃないといけないような状況じゃなきゃ動く気はない。他を当たってくれ!」
「そうですか……」
これで諦めてくれただろうか?
宮ヶ瀬来花は親指を下唇にあてて、少し斜め下を見ながら考え込んだ。
そして、ポンと手のひらをゲンコツで叩く。
「では、わかりました。クロウさんが復帰してしまうような案件を私が探してきましょう。私はそれにチョロチョロと同行しますから。それならいいですね?」
そんなに都合よく見つかるものなのか?
やれるもんなら、やってみたまえ。




