第19話『引退剣士が――拉致される』
内閣官房ダンジョン対策連絡室で「デーモン」についての話を聞いた後、サングラスを取って素顔の状態で公衆トレイに入った俺は、何者に背後から声をかけられた。
その何者かは、クロウの正体が俺だと知っている。
エデン(俺たちが暮らしているこの世界の事なのだろう)にはすでに仲間が潜入しているとデーモンは言っていた。
――――その潜入しているデーモンが俺を……殺しにきた?
背後の気配は動かない。
俺はゆっくりと、恐る恐る振り返った。
しかし、誰もいない。
いや……いた。
俺よりかなり小さかっただけだ。
目線を下げるとそこには――――ひとりの少女の姿があった。
雪のように白い肌、前髪パッツンの金髪姫カット。
俺を見上げる大きな赤い瞳はガラス玉みたいに透き通っている。
黒を基調に赤いリボンやレースをあしらったゴシックロリータ風ワンピースを身にまとい、革靴のつま先をきちんと揃えて立っている。
俺は、はじめて会ったこの少女を知っていた。
テレビや雑誌の表紙やネットニュースで何度も見た顔だったからだ。
――――九鬼アノン。
十五歳にして作詞、作曲、編曲、ダンスの振り付けまでこなし、日本だけじゃなく世界中を熱狂させている天才アーティスト。
混乱していた、意味がわからない。
どういう事なんだ? どうして人気歌手がクロウの正体を知っているんだ?
「……あの」
九鬼アノンは頬を赤らめて視線を横に移動させた。
「……ソレを、しまっていただけます?」
「ソレって?」
「その股間から出ている……ニョロっとしたものでございます!」
小便器で用を足している時に声をかけられた俺は、そのまま振り向いていた。
だからソレが「コンニチワ!」していた。
「まったく……非常識でございますわ!」
「いやいやいや、ここは男子トレイだよ? 君の方が非常識じゃないのか?」
「いいから早く、おしまいください! ドスでちょん切りますわよ!」
「ドスってヤクザのエンコ詰めかよ! エじゃなくてチになってるけど」
九鬼アノンが大きな声を出したと同時に、ふたりの男が公衆トレイに入ってきた。
男たちはスーツ姿だがノーネクタイでイカつい雰囲気だ。
「お嬢! 大丈夫ですか!?」
「山田! 鈴木! クロウ様をさらい……じゃなかった、事務所にお連れしますわよ!」
「へいっ!」
「ちょっと待って……痛っ! うで痛っ! もっと優しく!」
黒塗りの高級車に押し込められた俺は、そのまま超高層マンションの最上階まで連行された。
俺が通された事務所はあまりにも広すぎて何かのスタジオのようにも見える。
壁は黒く塗りつぶされていてカーテンは真紅、ゴシック趣味なアンティークの調度品が少しだけ置かれている。
俺と九鬼アノンは向かい合って立った。
俺を殺す気なら、こんな回りくどいことをする必要がない。
じゃあ――――何が目的だ?
「あのさ……なんで俺がクロウ・クロスボーンだって知ってるの?」
「クロウ様は神出鬼没で正体が掴めませんでしたの。けれど映画にご出演されましたでしょ? そこでポータルの外に待機させた佐藤に撮影が終わったクロウ様のヤサを割るために尾行させたのですわ」
部屋にはもうひとりの男が待っていた……それが佐藤らしい。
こいつも眼光が鋭くカタギではないような感じだ。
どうでもいいが、九鬼アノンのお嬢様言葉には極道言葉が時々混ざっている。
「でも、あの映画に俺が出てるってまだ発表されてないけど……」
「私は芸能界の人間ですのよ、情報は入ってきますわ。本日はクロウ様のご自宅にお伺いしようと思っていたのですが、偶然お見かけしたのでこちらにご招待しました」
「ご招待って……拉致だよ、あれじゃ! だけど俺の相棒に連絡すればわざわざ正体なんて探らなくてもクロウに会えたのに」
「わたくしはこれから、自分の正体をクロウ様にお話しするつもりですわ。でしたら、わたくしだけが一方的に秘密を晒すのは不公平でしょう?」
「なるほどね。それにしても、あの九鬼アノンの正体がデーモンだとはな」
「……えっ!?」
バレているとは想像もしなかったのだろう。
九鬼アノンと三人の男たちは……こういうのを狼狽というのだろうか、ひどく驚いた顔をしている。
「な……なぜ……それを……」
「デーモンってのがいるらしいってのは映像で観て知ってるくらいだけどね。トレイで声をかけられた時の君の声がアズラックってやつの声とよく似ていた」
政府から聞いたことを、わざわざこいつに全部話す必要はない。
「緊張していたのでついデーモンの発声になっていたのですね。はい、わたくしはデーモンでございます。そしてわたくしの従者の山田、鈴木、佐藤もデーモンです」
つまりここにいる俺以外の4人がアズラックの言っていた潜伏者ってやつなのか。
「デーモンってこの世界を手に入れたいんでしょ? まぁデーモンについて知ってるのはそのくらいだけどさ」
「それがデーモンの悲願でございます。そこで大昔からエデン人の姿で生まれたデーモンが次元の狭間からエデンに送り込まれておりました。いつかエデンへ軍勢を送り込める手段が見つかるかもしれない。その時のためにこちらで基盤を作っていたのですわ」
こちらに来たデーモンは歴史に名を残した者が多く、彼女はそれを挙げていった。
歴史の教科書に載っていた名前がズラズラと出てくる。
「え、あの皇帝が?」
「はい」
「いやいや、それは違うだろ?」
「デーモンですわ……あとは……」
「マジかよ……あ、でもたしかにデーモンっぽいかも」
その次元の狭間を利用して、数百年に一度少しづつしかデーモンを送れなかった状況が……十年前についに大きく動いた。
「エデンがそうであったように、わたくしたちの世界にもポータルが現れたのでございます。ポータルに入ってダンジョンを上がっていけばエデンにデーモン軍団でカチコミをかけられるようになりました」
「ふたつの世界がダンジョンを介して繋がったって事か……じゃあなんですぐに攻めてこなかったんだ? デーモンって強いでしょ?」
「デーモンの力はエデンでは失われてしまいますの。そこでデーモンは力を失わずにエデンに行ける方法をダンジョンの中で探しているのですわ」
こちらの世界よりもデーモンの世界の方がダンジョンの研究が進んでいて、デーモンの学者は力を失わずに済む方法がダンジョン内で見つかるはずだと確信を持っているらしい。
「もしかして、その方法を探す手伝いを俺にさせる気か?」
「いいえ、まったく違いますわ」
九鬼アノンは、一歩だけ俺に近づいた。
「配信でクロウ様の勇姿を拝見いたしました。そしてクロウ様ならばわたくしの願いを叶えていただけると確信いたしました」
赤い目はカラーコンタクトだと思っていたが元々この色なのかもしれない。
その目で俺をじっと見つめてくる。
「わたくしの父であるデーモンの王、それと軍幹部たちをクロウ様にぶち殺していただきたいのです。その為の協力は惜しみません」
「…………は?」
じゃあ九鬼アノンはデーモンの王女なのか。
だけど父親を殺せって……そのお願いはどういう事なんだ?
「つまり君は裏切ろうと考えてるの? 中学生の反抗期的なやつ?」
「支配よりも大切なものがあるからでございますの」
九鬼アノンは俺の手を両手でぎゅっと握った。
ちいさくて可愛い手だ。
「デーモン軍団なんて来たら、絶対にわたくしのアーティスト活動はこれまで通りにはできなくなってしまいますわ! そんなのまっぴらゴメンですわ!」
「えっ……ええぇぇ……?」
なんてしょーもない動機なんだ。
だけどデーモンたちが何をしようとしているのかはよくわかった。
政府からは「デーモンを何とかしろ」と言われ、デーモンの王女からも「デーモンを何とかしろ」と頼まれた。
……どうやら俺は、デーモン問題の担当者にされてしまったらしい。
とりあえず、宮ヶ瀬来花に相談するか……。




