第八話 初顔合わせ
十三月もそろそろ終わり新しい年が始まるが、ディートリヒは年末も変わらず忙しい。
寝室に来る時間もだいぶ遅い日が続いた。
「眠っていて良いのに」
「私がお待ちしていたいのです」
欠伸を堪え可愛いことを言う新妻に、ディートリヒは甘い接吻を落とした。
なかなか二人で話す時間も取れない。ディートリヒは軽く溜め息を吐いた。
「明後日から、俺はゼーミュンデに行かねばならん。君を置いて行きたくはないが、強行軍に付き合わせるのも気が進まない」
「強行軍というと、ゼーミュンデで新年祭を行って、すぐに蜻蛉返りを?」
「少しだけ違う。一月一日には"契約始めの日"なんだ」
初めて聞く名称に、フィロメナは目を瞬いた。
「具体的に何をなさるのですか?」
「十二月晦日、あるいは十三月晦日に帳簿を締める。翌一月一日に新帳簿に署名し、商いの神カウフマリウスに誓約を述べる。そして皆揃って、蜂蜜酒で乾杯。簡単だが、重要な儀式だ」
フィロメナは頷いた。
「商人にとって、とても大切な儀式なのですね」
「ああ。それに各地に散らばる幹部が揃う機会でもある。幹部たちには今年はゼーミュンデに向かう前に王都館に顔を出すように伝えた」
目を細めるディートリヒに、フィロメナは目を瞬いた。
「——挨拶をということですか?」
「さすがはフィロメナ。話が早い。総支配人のハインリヒと情報部長のバルトロメはいいとして——」
「……バルトロメ殿は情報部長だったのですか」
ディートリヒは妻と同じ様に目を瞬いた。
「言ってなかったか」
「聞いておりませんでした」
フィロメナは少しだけ頬を膨らませた。
「どうした? 可愛いことになっている」
ディートリヒが頬を突付くのに、フィロメナは軽く唇を尖らせた。その仕草が可愛くて、愛しくて、胸が溢れそうだ。
「私はあなたの妻ですのに、バルトロメ殿に負けている気がします」
ディートリヒは目を丸くした。
「何がどうなってそうなるんだ」
時々、フィロメナの思考はディートリヒの理解できない方向に飛ぶ。
「バルトロメ殿は、あなたの親友で、家族で、仕事の相棒でもあるなんて……。私の勝てるところがないではありませんか」
ディートリヒはフィロメナを抱き締めて、接吻した。そしてにこにこと上機嫌で言う。
「君に勝てる者などいないのに。本当に、俺の奥方は可愛い人だ」
愛おしげに目を細め、頬を撫で、唇に触れる。
「フィロメナ……俺の、可愛い、奥方」
ディートリヒの眸が蕩けて、境界線が揺らいで……。夜は甘く、ゆっくりと溶けていく。
◇
ゼーベルク商会王都館小会議室。幹部たちが勢揃いしていた。
扉が開く。
「待たせたな。私の妻を紹介しよう」
開口一番、ディートリヒはそう言った。
「男爵、まずは挨拶を」
「総帥、久々の集合です」
ハインリヒとバルトロメが突っ込んで、フィロメナが少し笑った。
花が綻ぶような愛らしさに、ディートリヒはうっとりと見惚れ、ハインリヒは溜め息を吐いた。フィロメナの緊張を解くための行動だったのだろうか。
「皆、ご苦労。よく集まってくれた。では紹介しよう。私の妻、フィロメナだ」
フィロメナは一歩前に出、きれいに礼をする。
「フィロメナ・マルリス・フォン・ゼーベルクです。どうぞ良しなに」
幹部たちは目を細めた。優雅な所作は、さすが七大貴族の姫君だけのことはある。
「では、改めまして、総支配人のハインリヒ・シュヴァルツです」
フィロメナは頷いた。
「改めて、よろしくお願いいたします。ハインリヒさん」
ハインリヒは眼鏡の傾きを直した。
「奥方、どうぞハインリヒと」
「——わかりました、ハインリヒ」
次いで立ち上がったのは、美しく身形を整えた男性だ。ハインリヒより少し年下だろうか。初老というには若く、壮年というには少しばかり老いている。
「セドリック・ドゥロルム、財務を預かっております。私のこともどうぞセドリックとお呼びください」
お辞儀の角度までぴしりと整っている。
「バルトロメ・リシャール。情報部長です。改めてよろしくお願いいたします、奥方様」
バルトロメは軽く片目を瞑った。フィロメナの表情が和らぐ。
熊みたいな壮年の男が、のっそりと立ち上がった。茶色い髪と髭がまさに熊のようだ。圧が強い。
「海運部長のエーリヒ・フェルナー。よろしく、奥さん」
だが笑顔が可愛い。
「次は俺だな! 物流統括テオフィロ・シルヴァだ! よろしくな、奥さん!」
声も大きいが体格も大きい。縦にも横にも二人分くらいに見える。
次いで、すらりとした体格の、笑顔のきれいな男性が立ち上がる。年齢不詳。若くも年老いても見える。
「マティアス・シュルツと申します。営業部長です。お見知りおきを、奥様」
次にゆるりと立ち上がったのは、一見すると蛇のような雰囲気の壮年の男性だった。
「金融部長のアメデオ・コンティです。よろしくお願いいたします、奥方様」
微笑みを絶やさない人だなと、フィロメナは思った。
「最後は俺だな。カルロ・ベッカー。造船と港湾担当だ。よろしく頼むな、奥様」
筋骨隆々とした、樽のような腕の男が立ち上がった。
幹部をもう一度ぐるりと見渡して、フィロメナは頷いた。
「よろしくお願いいたします、皆様」
「よし、じゃあ聞くぞ」
声の大きなテオフィロが自分を指さした。
「俺は誰だ?」
フィロメナは躊躇いなく答えた。
「テオフィロさん、物流統括部長です」
「おお、当たった。じゃあこいつは?」
指を指した先には蛇のような男。
「こいつではありませんよ、テオフィロ」
「アメデオさん、金融部長です」
アメデオは微笑んだ。
「覚えていただき、光栄です。奥方様」
「名前と役割は覚えたみたいだな。じゃあ次は、セドリック」
「私か」
セドリックは立ち上がって一礼した。
「では奥様、ひとつ質問をよろしいでしょうか」
否やは言わせぬ物言いだったが、フィロメナは頷いた。
「はい。何でしょう」
「帳簿はお読みになれますか?」
「人並みには。専門の方には及びませんが、生家ではある程度の担当をしておりました」
「成程。ブルーメンフェルト伯爵家の状況は少々ですが、聞き及んでおります。没落寸前でいらしたと」
「お恥ずかしい限りです」
「ですが、持ち直した」
「ゼーベルク商会の支援あってこそです」
セドリックは頷いて席に着いた。
ディートリヒは目を細めてフィロメナを見つめていた。彼女ならやってのけると確信した表情だ。
フィロメナはちらりとそんなディートリヒを見、唇を尖らせた。内心冷や汗が大変なのだ。
マティアスが手を挙げた。
「私からひとつ質問をよろしいでしょうか」
「はい、何でしょうマティアスさん」
マティアスはにこりと微笑んだ。
「商会の倉庫が火事になりました。あなたが支配人なら何を優先しますか」
答えは何通りもある。人命、帳簿、金庫、商品——どれを優先するかで、その人の考え方が見える。
フィロメナは迷わなかった。
「人命救助を最優先で行い、並行して消火活動を」
マティアスはきれいに笑った。
「商品ではなく、人命を選んだ理由は?」
「商品は買い戻せる可能性があります。人命は亡くしたなら、決して戻りません」
「成程」
マティアスは笑顔のまま、頷いた。それが肯定なのか否定なのか、フィロメナにはわからなかった。
アメデオがバルトロメを見、ハインリヒを見た。二人は揃って頷いている。
「奥方は優秀です。見る目もある」
ハインリヒは言い、バルトロメも同意する。
「見た目にそぐわぬ胆力もあります。中々の傑物かと」
「大将がべた惚れしているだけのことはあるな!」
カルロが言い、フィロメナが頬を染め、ディートリヒは頷いた。
「フィロメナは優秀で見る目もあり美しく聡明だ。紅茶を淹れるのも上手い。そして可愛い」
「男爵、後半はただの惚気です」
ハインリヒの突っ込みを受け流し、ディートリヒは続けた。
「なので、新部署の紅茶部門を設立し、フィロメナに紅茶本部長を任せたいと思っている」
ハインリヒとバルトロメ以外は初耳の話だ。フィロメナは静かに反論した。
「ディートリヒ様、それは試験に合格してからのお話しです。まずはウーヴェ殿に認められなければ、成り立たないという話であることからご説明しなくては」
論理的な反論に、幹部たちは唸った。
意外としっかりしているというか、ディートリヒが尻に敷かれそうだなと思った。
「失礼、ウーヴェというとあのウーヴェ・シュミット氏ですか」
セドリックが手を挙げ、ディートリヒが頷いた。
「あの、シュトルツェンブルク公爵家と袂を分かったウーヴェ・シュミットだ」




