第三話 夫婦の距離
披露宴も三日目になると、さすがに疲弊してくる。だが、今日集まるのは本当に親しい間柄の者たちだ。
パルツィファルもルードヴィヒも、寛いだ体勢で長椅子にもたれていて。ギュンターはゆったりと椅子に埋もれていた。
今日の主な催しは贈り物の披露だ。
ベルヴァロワのサミュエル卿から、瓶すらも優美な香水。
アンシュから白磁の茶器と皇帝献上茶のセット。これにはフィロメナが、涙を流すほどに感動していた。
リンデンシュタイン侯爵ローデリヒからは王家御用達の店の宝飾品。さすがに趣味が良い。
国王からは金細工の対の杯。
王妃からは繊細な砂糖菓子入れ。
アルベリオンのエドマンド卿からアルベリオン羊毛の綴織。
エストラヴィアのジェレミア卿から香辛料詰合の豪奢な箱。
クローネンベルク侯爵アルブレヒトからは豪華な装丁の古典法書の写本。
エーバーバッハ侯爵マクシミリアンから、家宝級のゴルトトラウベの葡萄酒。
ギュンターからは最新式の渾天儀――。
「皆様本当に素敵なものをくださって……嬉しいですね、ディートリヒ様」
溜め息をこぼすフィロメナだが、うっとりしているようで、誰からの贈り物かを忘れないようにきちんと把握している。
ディートリヒに至っては価格から流通経路までも把握していそうだ。
「私からは一曲」
ルードヴィヒが楽譜を渡す。
「まあ、あなたが作曲したのね。ありがとう、嬉しいわ。後で演奏して頂戴」
フィロメナに抱き締められ、ルードヴィヒは得意気に鼻を高くした。
「俺からはこれです。フィロメナ嬢――いや、ゼーベルク夫人」
バルトロメは異国の地図帳を差し出して、ディートリヒに溜め息を吐かれた。だがフィロメナは気に入ったようだ。
「何て素敵なんでしょう。ありがとうございます、バルトロメ殿。でも、ゼーベルク夫人だと、何だか遠いわ。今まで通りフィロメナとお呼びくださいな」
「いや、ゼーベルク夫人か奥様と呼ばせれば良いと思う」
ディートリヒが少しだけ不満そうに言ってのけ、ギュンターが笑う。
「嫉妬はみっともないぞ、坊主。バルトロメもからかってやるな」
気安い態度の三人に、パルツィファルが少しだけ首を傾げた。バルトロメが気付いた。
「改めまして、私の出自のご説明を。エストラヴィアに生まれ、レーヴェンライヒに育ち、ギュンター殿に拾われました。ディートリヒとは義理の兄弟のような間柄です。まあ、私は正式な養子ではありませんが」
「私が兄です」
「お前俺より年下だろうが」
ディートリヒとバルトロメの仲の良さには、そんな理由があったのか。フィロメナは少し考えた。
「義兄上とお呼びした方が?」
「それはやめてください、フィロメナ。絶対に」
ディートリヒが真顔で首を横に振った。
「さて、贈り物はまだまだあるな。次は何だ?」
ギュンターが促し、ディートリヒは目録に目を移した。
「アルテンベルク辺境伯から馬が二頭、ヴァルデンブルク公爵から――獅子王由来の古剣」
パルツィファルが慄いた。
「とんでもないものが来たな。オスカー殿の馬となれば名馬だろう。馬車に繋ぐわけにもいかないし……ゴットフリート老もまた、歴史の重い物を……」
ディートリヒは気を取り直して短剣を披露した。
「ヴィンフリート殿から狩猟用短剣。美しい作りだが素晴らしく実用的ですね」
「アーデルハイド様からは銀細工の髪飾りをいただきました。――生涯大切にいたします」
フィロメナは髪飾りを大事そうに抱きしめた。
「シュヴァルツェンブルク伯爵から黒檀の筆記用具、義父上からは君の生まれ年の葡萄酒だ」
パルツィファルが感慨深く頷いた。
「早いものだな……あっという間に嫁いでしまった感じがするよ」
ギュンターが隣から目録を覗き込んだ。
「なんだ、この羽ペン百本組――エッカルトか」
「仕事をしろということでしょう。しかし質の良い羽ペンです。長持ちしそうですね」
それからもあれやこれやと贈り物に感嘆し、笑い、泣き――宴はゆったりと幕を降ろした。
近隣の子供たちに菓子を配って、ディートリヒとフィロメナは人気のなくなった広間へと戻った。
「――終わりましたね」
ディートリヒが呟き、フィロメナが応じる。
「いいえ。始まりですわ」
ディートリヒは微笑み、そっとフィロメナの頬に手を触れた。
「接吻を、しても……?」
「勿論ですわ、旦那様」
優しく唇が触れて、溶け合って、深くなる。何度も繰り返し啄んで、甘噛する。ぞくりと背筋を何かが走り抜けて、フィロメナは肩を震わせた。
「大丈夫……?」
唇を触れたまま囁かれ、振動が甘く痺れる。フィロメナは熱い吐息をこぼした。
「ディー、ト、リヒ、さま……」
台詞を奪うように深く口付けられ、フィロメナはディートリヒの服を掴んだ。
こんな接吻は初めてだ。いや、初めても何も結婚式での触れ合いが初めてだから、二回目か。だが、最初の接吻とは全然違う。
そんなどうでもいいことをつらつらと考えるくらいには、フィロメナは混乱していた。
掴まっていなければ倒れそうだった。膝に力が入らない。
「あ……わたし、へん、です……接吻て、こんな……こんなの、」
潤んでしまった目尻に口付けて、ディートリヒは優しく囁いた。
「大丈夫。心配しないで」
耳に接吻され、フィロメナはぞくりと震えた。知らない感覚が走り抜ける。
「ぁ……」
ディートリヒはフィロメナを抱き上げたまま風呂へと運んだ。ギーゼラが支度を整えて待っていた。
蕩けた様子のフィロメナに少し驚いて、けれど礼儀正しく一礼した。
「では――初夜の、支度を頼む。――念のため言っておくが、接吻だけだ」
ギーゼラはちらりと上目遣いでディートリヒを見た。
「畏まりました、旦那様」
ようやく立てるようになったフィロメナを床に降ろし、ディートリヒはそっと囁いた。
「では、後で」
フィロメナはふらふらとギーゼラにもたれかかった。
「ギーゼラ、私、変だわ……ふわふわして、何だか、ものが、考えられないの」
「お嬢様、いいえ、奥様。その感覚を覚えていらしてくださいね。大丈夫。怖いものではありませんから」
ギーゼラがとんとんと背中を叩く。
「今宵は初めての夫婦の夜ですが、旦那様にすべてお任せしていれば、大丈夫。優しくしてくださいますよ」
フィロメナはぼうっとした頭で頷いた。
風呂を済ませ、夜着に着替え、フィロメナは夫婦の寝室へと入った。ディートリヒは寝台に腰掛けて、既に待っていた。
「お待たせしましたか?」
「ああ、いや――どうだろう」
ディートリヒは頬を染めた。
「柄にもなく緊張している。君の方がずっと心細いだろうに」
フィロメナは小首を傾げた。
「ディートリヒ様でも、緊張なさるのね」
「それはそうだろう。焦がれていた女性と、やっと今夜――結ばれるのだから」
フィロメナの腰に手をやり、ディートリヒはそっと引き寄せた。
「――怖い?」
「怖いと思っていました。……でも、今は、わかりません」
フィロメナはそっとディートリヒの髪を撫でた。
「あなたがこんなに近くにいるのが、何だか不思議で――」
ディートリヒはフィロメナを抱き締め、そうっと寝台に横たわらせた。
ディートリヒの顔が降ってきそうだなと、フィロメナは目を瞬く。
「フィロメナ……。君が好きだ」
口付けが降る。額に、瞼に、鼻に、頬に、唇に、首筋に。鎖骨に触れ、ゆっくりと滑る。
「くすぐったいわ、ディートリヒ様」
ディートリヒの髪が肌を撫でるのがくすぐったくて、フィロメナはくつくつと笑った。
ディートリヒの表情から、余裕が削られていく。喉が鳴る。熱い吐息がこぼれた。
「怖かったら、言ってくれ。待つから」
「――はい」
ディートリヒの熱い掌が肌を滑ると、甘い痺れがフィロメナを襲った。手が触れた下の心臓が、破裂しそうに激しく鼓動を打っている。
「……ぁん」
思わずこぼれた甘い声は自分のものとは思えないほど艶めいていて。フィロメナは羞恥で頬を染めた。
「フィロメナ……大丈夫、か?」
頷いて、フィロメナはシーツを強く握った。
ぞくぞくする。甘い疼きがゆっくりと満ちてくる。
熱い吐息がこぼれる。知らない感覚が走る。甘やかな囁きと水音とが静かに落ちていく。
「ディ……ト、リ……さま……」
絡み合って、溶け合って、混ざり合う。
二人は深く結ばれた。
そうして、夜は密やかに更けていく。




