第二話 宴は続く
披露宴二日目はゼーベルク商会王都館で行われた。
なんだかんだで今日も国王夫妻は出席しているが、もはや誰も何も言わなかった。
こんな機会は二度とあるまい。王妃が国王にそっと囁く。
「辺境伯も来ていれば、有益な話ができたでしょうに」
視線の先にはアルタリアの大公外交顧問、カロージェロがいた。
さて、今日の催しの目玉のひとつはアンシュ・カシュヤップ主導の、東方式茶礼だ。
小さな竈を用意すると、アンシュは手を合わせて小さく礼をした。
竈に火を入れ、鍋で肉桂、丁字、黒胡椒、八角、小荳蔲、肉荳蒄を乾煎りする。生姜は後から加えるそうだ。
煎った香辛料を乳鉢に入れ、丁寧に押し潰すように挽く。独特の香りが強く広がった。慣れない芳香に、レーヴェンライヒの貴族ばかりか皆が少しざわめいた。
落ち着いているのはフィロメナとエストラヴィアのジェレミアだけだ。もっとも、ジェレミアは茶・香辛料艦隊統括であるらしいので当然と言えば当然か。
「香りは魂を開く、です」
アンシュが囁くのを、フィロメナはうっとりと聞いていた。
鍋に水を張り、火にかける。そして砕いた香辛料のうち、幾つかを取り除き、幾つかを鍋に入れた。
「水から出るが良いものと、お湯から出るが良いもの、あります」
アンシュは柄の長い匙でそっと鍋を掻き混ぜた。
ぐつぐつと煮立ってくると、湯気に溶けた香りが部屋全体に広がった。
「ここで、茶葉、入れるます」
皇帝献上茶であるパリジャートを、アンシュは躊躇いなく鍋に投入した。
あっ、という声が聞こえたのは、パリジャートの価値を知る者だろう。何しろ茶碗一杯が金貨数枚の値段の茶だ。
アンシュは、そこに残りの香辛料と生姜を投入し、蜂蜜を加えた。
香りが重なりふくよかになった。
「蜂蜜が砂糖より、香り良いです。ただ、砂糖焦がす、上手くする、とても良い」
「砂糖を焦がしてキャラメリゼした場合も、とても良い香りになるようですね」
フィロメナは隣のディートリヒに嬉しそうに話し掛けた。フィロメナは先程から、落ち着きのない幼女のように弾みそうな身体を抑えて座っていた。
許可があったら、アンシュの傍でずっと淹れ方を見ていたいのだろう。微笑ましげにディートリヒは目を細めた。
アンシュは真剣な眼差しで鍋を見、沸騰したところで水牛乳を注ぎ入れた。
「水牛乳、一番いい。二番目、山羊。三番目、牛ね」
再度沸騰する前に火を止め、アンシュは茶碗にマサラチャイを濾し入れた。
「良い茶は、急いだ者に、開かない」
そしてそこに蕃紅花を一片浮かせた。黄金がふわりと輝く。
「婚礼の日の、特別な茶、差し上げるます。おめでとう、姫君。おめでとう、旦那さん」
フィロメナは恭しく茶碗を受け取った。ディートリヒもそれに倣う。
「ありがとうございます。頂戴します」
フィロメナが一口飲んだ。
そして目を見開いて、震える。ディートリヒは新妻の様子に一瞬慌てたが、どうも感極まっただけらしい。ほっと息を吐いて一口飲んだ。
「――美味い」
客にもそれぞれ配られ、皆恐る恐る口にした。ローデリヒは嬉々として。アルブレヒトは警戒しながら。マクシミリアンは一口飲んで顔を輝かせた。
「甘くて美味しいです」
「――香りに秩序がありますな」
重々しくアルブレヒトが頷き、国王はゆっくりと飲み干して、そっと吐息をこぼした。
「これは"冬を越える茶"だな」
フィロメナが潤んだ眸をディートリヒに向けた。
「ディートリヒ様……! 私、私、幸せです……!」
ディートリヒは蕩けるような笑みを浮かべた。惜しむらくは、その笑顔の理由が自分でないということだった。
宴は続いた。
異国情緒あふれる演奏会に、各国の珍品披露、香料酒に茶や酒の試飲会。確かにこれでは諸国大市だ。珍品の濁流に呑まれて目が回りそうだ。
そんな中、茶葉当て遊戯はとても盛り上がった。香りだけでその茶葉の産地を当てる遊戯だったのだが、フィロメナは危なげなく全問正解し、場の喝采をさらった。
「フィロメナ嬢、いや奥方。素晴らしい嗅覚だな」
「好きこそものの上手なれですわ」
謙遜しながらもフィロメナは嬉しそうだ。摘んだ時期まで当てるとは思わなかったようで、アンシュも目を丸くしていた。
そんな中、アルブレヒトも正解数が多かった。
「意外ね、お父様。すごいわ」
アーデルハイドが興奮して手を叩く。ヴィンフリートも低調だったが、惨敗はフォルクハルトだ。
「酒ならまだわかるのに!」
アンシュが沈痛な面持ちで首を横に振った。
「あなた、才能ない」
ギュンターもエッカルトも、遠慮会釈なく笑った。国王も楽しげだ。
「そろそろ料理は如何ですか」
ディートリヒが手を叩く。
ベルヴァロワの菓子を前菜に、エストラヴィアの海鮮から、東方の香辛料を惜しみなく使った肉料理に、アルベリオン式の羊料理。次から次へと出てくる見知らぬ料理に、レーヴェンライヒの王侯貴族は戦慄した。料理の多様さにではない。最も恐れるべきは"ディートリヒ個人"ではなく、"ゼーベルク商会の規模"であると、改めて認識したのだ。
アルブレヒトは苦い溜め息を吐いた。
ディートリヒは、ゼーベルク商会は、国や王侯貴族を相手にしているのではなく、世界を相手にしているのだと思い知らされたのだ。隣国ばかりかアウレリア大陸全体を、そしてアルベリオン王国にまで、その影響は届いている。
パルツィファルは嘆息した。
「世界は広いな、フィロメナ」
「はい、父上。昨日今日で、どれだけ目から鱗が落ちたことでしょう」
フィロメナはアンシュの茶で、天までも舞い上がっていた心を落ち着けようと、ぐるりと周りを見渡した。
「私の旦那様は、とんでもない人だったのですね」
「――驚きましたか?」
ディートリヒが心配そうに聞き、フィロメナは微笑む。
「ええ。あなたはびっくり箱のような方だわ」
「それは――」
「素敵だと、申し上げておりますのよ?」
ディートリヒはほっとしたように息を吐いた。
フィロメナは微笑みながら思考を巡らす。
(とても魅力的で、とても危険な商会だわ。世界を動かす力がある。そのことを今日、皆が認識した――私も含めて)
フィロメナは国王夫妻、レーヴェンライヒの貴族たち、各国の要人たちに視線を投げた。
(ゼーベルクを利用しようとする人間は、必ず現れる。そして私も、利用されるだろう立場になった。そのことを忘れないようにしなくては)
守られるだけではいられない。ゼーベルク男爵夫人として。そしてゼーベルク商会総帥の妻として。
(――本当に、退屈している暇もなさそうね)




