第一話 披露宴は三日間
ブルーメンフェルト伯爵家王都別邸、大広間。
天井には装飾照明が輝き、卓には深藍の布で装飾された銀の燭台が重厚な輝きを放っている。
繁栄や多産を祈り、卓や柱に色とりどりの香草――迷迭香、薫衣草、銀梅花、立麝香草が飾られている。彩りは金色のリボンだ。
卓に並べられた銀食器は曇りひとつなく輝いている。
車寄せには次々と招待客の馬車が到着し、賑やかにざわめいていた。
ブルーメンフェルト関係者は七大貴族を始めとした古い付き合いの家の者が多い。既に大広間に入った貴族たちは、常になく浮ついているように見えた。それも無理ないこととは思う。
何しろディートリヒの養父であるギュンターの"友人"は、途轍もない顔触れだったのだ。
「サミュエル。良く来てくれたな、元気か」
「君の息子の婚礼となれば、来ないわけにはいかないだろう」
フィロメナは挨拶に回りながらも、隣のディートリヒに頻繁に質問をしていた。
「ディートリヒ様、あの方は――」
「ベルヴァロワ宮廷顧問、サミュエル・ド・エベール。優雅の化身です」
(ベルヴァロワの御婦人たちの、流行を決める方ね)
「あちらの方は……」
「エストラヴィアのジェレミア・デ・エストレーラ。王立東洋航路監督官で、確かリリア・マルタ王太子妃とも顔見知りです」
(妃殿下の既知――東洋航路というとゼーベルク商会の好敵手)
次々と紹介されるのは各国の要人ばかりで、目が回りそうだ。
「彼はカロージェロ・アッカルド。アルタリア大公外交顧問で和睦派ですが――来てくれるとは思わなかった」
アルタリア大公とゼーベルク商会は、大公への貸付金の返済のことで今揉めているらしい。
(失礼ながら、どこか信用できない雰囲気の方……)
「あの方はエドマンド・ヘイル。アルベリオン王立羊毛議会長――だったか。農業改革派です。あなたと話が合うのではないかな」
(農業改革について詳しくお話しできたらいいわね)
穏やかな紳士は柔らかく一礼した。フィロメナも丁寧に礼を返した。
「どうしましょう……覚えきれません」
ディートリヒはそっと笑った。
「一堂に会すのはたぶん今回だけです。大丈夫、あとで紙にまとめましょう」
次に挨拶を交わした相手は、海賊だろうかと思うような風貌の男性だった。
「エッカルト・アーベントロート。北海自由都市同盟の代表です。養父の親友――悪友ですか?」
エッカルトは豪快に笑った。
「言うようになったな、ディートリヒ。お前が結婚とは、俺も齢を取るわけだ。おめでとう。それにしても別嬪さんだな」
「ありがとうございます。減るのであまり見ないでください」
フィロメナを背に庇い、ディートリヒは言う。エッカルトはまた笑った。
「べた惚れだな。あんまり泣かすなよ」
「泣かせませんよ」
軽口の後ろで、フィロメナは頭脳を全力で稼働させていた。
(北海沿岸・大河河口・運河交易を支配する商業都市群の連合体で、国家ではない。王を持たず、皇帝にも完全には従属しない。都市ごとに自治をし、対外的には"一つの商業勢力"として振る舞っている――のよね、確か)
レーヴェンライヒとはそこまで関係が深くない、というよりは双方で嫌い合っている。いや、相性が良くないというべきか。
フィロメナが必死に関係を把握しようと足掻いている間にも、七大貴族側の反応はかなり面白いことになっていた。
クローネンベルク侯爵アルブレヒトは危機感を抱き、リンデンシュタイン侯爵ローデリヒは興味津々。
シュヴァルツェンブルク伯爵カーティスは警戒し、エーバーバッハ侯爵マクシミリアンはただただ圧倒されていた。
ヴァルデンブルク公爵ゴットフリートの嫡孫、フォルクハルトは目を丸くしてヴィンフリートを肘で突付いた。
「披露宴っていうより、アウレリア諸国大市だな」
諸国大市は数年に一度、アウレリア大陸の各国が技術、工芸、文化、珍品、学術、商業を持ち寄る催しだ。開催国は持ち回りで毎回違う。
「確かにとんでもない顔触れだな。全然わからん」
ヴィンフリートは肩書を聞きながら圧倒されているばかりだが、アーデルハイドはここぞとばかりに会話を楽しんでいる。
「お前の従姉妹殿はさすがだな、フレッド」
「――アデルは度胸がありすぎるんだ」
こそこそと会話する青年たちを尻目に、ギュンターは上機嫌だ。
「フィロメナさんは茶が好きなんだろう? せっかくだから、本場を連れてきた」
フィロメナが目を見開いた。目の前に立つその人は、明らかに異国の服装をしていて、穏やかに微笑んでいた。
「お初に、お目にかかるます。茶を愛する姫君。アンシュ・カシュヤップと申す、ます」
「あの、あの、失礼ですが、あなたは」
フィロメナの声が歓喜に震える。
「スナハリーグルダウディの……」
「はい。茶院の者です、た」
「今は隠居して色々旅して回ってるんだ。丁度良いから連れて来た」
アンシュの言葉をギュンターが補足し、アンシュは少し眉を下げた。
「私、言葉あまり上手くない、です。でも、祝いの気持ち、たくさんあるます」
フィロメナは歓喜に打ち震えてアンシュの手を取った。ディートリヒがぎょっとする。
「お会いできて光栄です! 私、ずっとあなたの国に憧れていて、小さい頃から紅茶が好きで、それで、あの……」
感極まって泣きそうだ。頬は上気し、息は上がり、小さな少女のように興奮している。
「茶の話、たくさん、します」
「はい! ありがとうございます!」
ルードヴィヒは少し離れたところからその様子を見ていた。
「あんなに興奮している姉上は見たことがない」
「ええ、坊っちゃま。私も初めてです」
執事のルドルフが、忙しく通り過ぎながらそんな言葉を落としていった。
突然、外がどよめいた。誰かが悲鳴をあげた。
「陛下――?」
大広間が凍り付いた。
本来ならば国王はこのような場――伯爵家令嬢と男爵の結婚披露宴には来ない。来るわけがない。
フィロメナは硬直し、ディートリヒは完全に停止した。ギュンターは片眉を上げた。それだけだった。
パルツィファルとルドルフが慌てて迎えに出、跪く。国王夫妻は――そう、王妃もいたのだ――簡素な冬礼装に護衛もごく少数でブルーメンフェルト伯爵家を訪れた。完全にお忍びである。
大広間は全員総立ちで国王夫妻を迎えた。これはもはや祝祭と言うよりは、歴史的事件である。
「良い、楽にせよ。余は披露宴を邪魔しに来たわけではない」
国王ヴィルヘルムは少し困ったように笑った。王妃ローゼマリアがころころと笑う。
「今日は王家ではなく、友人として来ましたのよ」
全員が嘘だと思った。だが、誰も口にはしない。
今日この場はレーヴェンライヒ王国上層社会そのものが集まる夜というだけではなく、アウレリア大陸の上層社会が一堂に会す、極めて異例な場であった。
対外的折衝における最優先事項といえるかもしれない。
国王夫妻は新郎新婦の近くに座り、レーヴェンライヒ上級貴族と各国要人が入り乱れて座る。
ローデリヒは興味津々で文化交流を楽しんでいるし、アーデルハイドはベルヴァロワのサミュエル卿と意気投合したらしい。
献杯儀式を行い、七大貴族代表が順番に祝辞をのべ、婚礼舞踏――つまりは新郎新婦の初舞踏があり、吟遊詩人による英雄譚が謳われた。古式礼法に則った伝統的な披露宴だった。
夜も更けたが、まだ宴は続いている。
フィロメナとディートリヒは、やっと少しだけ二人きりの時間を持てた。
フィロメナが丸く吐息をこぼした。
「……何だか夢のようです」
「悪夢でないといいのですが」
二人は顔を見合わせて少し笑った。
もはやこの結婚は二人だけのものではありえなかった。
王家承認の結婚であり、新秩序の誕生であり、商業と貴族の融合であった。
周りを見回せば、国王夫妻が大貴族に囲まれて笑っていて、各国要人が思うがままに文化交流をしている。
「皆様思惑はそれぞれお有りでしょうけれど」
フィロメナはそっとディートリヒの手を取った。
「共に歩いて参りましょうね」
ディートリヒはその手を持ち上げ、そっと唇を寄せた。
「トーデリウスの門へ至るまで。――いいえ、その後も、黄泉の果てまでも、フィロメナ、あなたと共に」




