第二六話 国境事変
アルテンベルク辺境伯領北部、国境砦のひとつ、クライン砦。
三月に入っても、ここではまだ寒さが強く残る。昨夜の冷気が残り、吐く息はまだ白い。
山肌には雪が残り、南向きの斜面だけが黒い地面をのぞかせている。
アルテンベルク辺境伯オスカー・フランツ・フォン・アルテンベルクは騎馬でアルタリア大公国との国境を巡察していた。
赤い髪は無造作に括られているが、風に煽られて炎のようだ。
街道は踏み固められた土と雪が混じり、馬の蹄が鈍い音を立てる。
轍には昨夜の霜が残り、朝日にきらめいていた。
この時期に滞在しているのはクライン砦だが、オスカーは国境周辺砦を順繰りに廻っている。
クライン砦の側は行き交う旅人は少なく、通るのは巡回兵や荷馬車がほとんどである。
寧ろ野生動物の方が多いのでは無いだろうか。鹿や野兎、そして狐狸など足跡は多岐に渡る。
毎朝の散歩のように馬を走らせ、辺りを見廻し、何事も無いことを確認して、戻る。
クライン砦に戻るなり、警備兵長から報告があった。昨夜、密輸未遂を一件処理したという。
オスカーは淡々と応じた。
「春だからな」
春になれば、雪が解ける。
閉ざされていた道が開き、人も物も本格的に動き始める。
昼食を摂っていると、伝令騎兵が慌ただしく到着した。
「アルタリア商隊とフェルゼン関所とで衝突が起こっております!」
オスカーはパンをスープで流し込んだ。
「詳細を報告しろ」
灰青色の眸が油断なく煌めくと、伝令は踵を打ち合わせ、敬礼した。
「アルタリア商隊は合法な積荷だと主張し、フェルゼン関所は申告違反だと反発。双方武装したまま、睨み合いが続いております!」
オスカーは皿に残った肉を口に放り込み、噛みながら立ち上がる。そしてそのまま厩へと走った。
厩番は既に準備を整えていた。
「出発する!」
槍を掴み愛馬に飛び乗ると、オスカーはフェルゼン関所を目指し、馬を走らせた。二騎の兵が従った。
フェルゼン関所では、レーヴェンライヒとアルタリア両国の国境警備兵と護衛兵、そして商人らが怒鳴り合っていた。
荷馬車十数台が、幾分乱れて停められている。
オスカーは現場を睥睨した。まだ誰も剣を抜いていない。
だが、時間の問題だろう。長引けばいずれ、どちらかが剣を抜く。
オスカーは息を吸うと大喝した。
「誰も抜くな!」
びりびりと雷に打たれたような衝撃が走り、馬が嘶く。
兵たちは所属国に関わらず威容に打たれ、オスカーはそれだけで場を制圧した。
フェルゼン関所にて、オスカーはまずレーヴェンライヒ王国側から事情を聞いた。
事の発端は、申告数量が違うということだったらしい。次いでアルタリア側からも事情を聞く。
こちらは申告どおりだという主張を曲げない。
双方とも証拠を示し、双方ともが譲らない。
オスカーは邪魔な前髪を掻き上げた。
「帳簿を持って来い」
国境警備兵はすぐさま、契約書、通行証、荷印——すべてを机に並べた。
オスカーは何度も見返し確認を続ける。
フェルゼン関所の警備兵長は眉を寄せた。
「王国側の誤りでしょうか」
「いや。まだわからん」
オスカーは何度も確認を繰り返す内に、違和感を感じていた。
ゆっくりと指で辿りながら、数字を追った。
そして、数量の単位だけが違うことに気が付いた。
アルタリア式とレーヴェンライヒ式では、換算方法が異なるのだ。
オスカーは深く息を吐いた。
再計量をし、書類を訂正した。そして、通行許可を出す。
双方とも、不満ながら受け入れた。
剣は交わらない。
事件は終息だ。
フェルゼン関所の国境警備兵は、両国共に安堵した。
無駄な血は、流れない方が良いに決まっている。
夜、クライン砦に戻ったオスカーは書類を読み返していた。その目がふと止まった。
「……しかし、妙だな」
「何がでしょう」
警備兵長の疑問に、オスカーは呟いた。
「アルタリアの商人が、この程度の違いを知らんはずがない。それに、こちらの役人も見落とすような内容ではない」
「——つまり?」
「偶然にしては出来過ぎている、ということだ」
そう言った直後、慌ただしい足音が響いた。
「申し上げます!」
伝令騎兵だ。
「国境西方でも小競り合い発生。密輸増加傾向。偽造通行証を押収。以上三点を報告いたします!」
オスカーは長く息を吐いた。
「……これは、春だからでは済まんな」
邸に戻るのはいつになることやら、だ。
オスカーは王都宛てに報告を認めた。丁寧で几帳面な文字は、無骨で騎士然とした外見とは似つかわしくないように見える。
「国境は概ね平穏。ただし小競り合いは増加傾向にある。商隊の動きが例年と異なる気配あり」
そして、末尾に記す。
「現時点で軍事的脅威は認めず。しかし、何者かが両国間の不信を煽っている可能性を否定できない」
「戦になるでしょうか」
警備兵長の言葉に、オスカーは国境の山々を見た。
「戦ならば分かりやすい」
目の前の敵を屠れば良い。得意の槍を振るえば、幾つもの敵兵の首級が宙を舞うだろう。
鳶が鳴いた。くるりくるりと円を描いて飛んでいる。獲物を見つけたか。
「——だが、見えぬ敵ほど厄介なものはない」
呟くオスカーの視線の先には、アルタリア大公国が広がっていた。




