第二四話 値踏みの視線
大広間の暖炉に、フィロメナはヴァルトマン侯爵夫人から借りた大鍋をかけた。
夫人たちは少しだけ距離をおいて、フィロメナの立ち居振る舞いを観察していた。
興味深げに窺う目、評価するような冷静な目、好奇心を隠さず見つめる目、静かに様子を窺う目、気のないふうを装いながら横目で窺う、会話を続けながらさりげなく視線だけを向けるなど、それぞれだ。
値踏み、品定め——評価を下す側の視線。
アーデルハイドとヴァルトマン侯爵夫人は固唾を呑んで見守ってくれている。
五十人分の紅茶となると、綿密な計算が必要になる。マサラチャイを淹れる際の茶葉は紅茶匙に一杯、湯が紅茶茶碗に三分の二杯、牛乳が茶碗に三分の一杯だ。だが、今回香辛料は無い。
フィロメナは三対二対一の割合として考えた。
(茶葉が匙に五十杯とすると、水は三三杯と三分の一、牛乳が十六杯と三分の二。沸騰する分を考えて、水は三五杯入れよう)
ホーエンシュタイン公爵夫人は、フィロメナが紅茶を淹れるところを見たいと言った。
(不正をしないようにした、と考えるのは、少し意地悪だろうか)
だがおそらくは間違いない。
確かにフィロメナが淹れるかどうかを、見張っているのだろう。
暖炉の傍に椅子を用意し、そこに座ると一分の隙もなく、フィロメナの一挙手一投足を観察している様に見えた。
視線は、四方から絶えず注がれている。
フィロメナは眼を閉じて頭を振った。
余計なことを考えず、今は紅茶を淹れることだけに集中しなくては。
(美味しい紅茶を淹れるには、正確な計量が大切)
水を茶碗に三十五杯分入れ、沸騰するのを待った。ぼこぼこと大きな泡が浮いてきたところで、フィロメナはあらかじめ計っておいた茶葉を一気に投入した。砂時計をひっくり返し、砂が落ち切るのを待つ。
(四十分の一刻)
そして、やはり牛乳を一気に投入する。ゆっくりと玉杓子で掻き混ぜながら、沸騰する直前まで火にかけ、泡がぼこりと沸いたところで火から下ろした。
フィロメナは丁寧に、玉杓子で紅茶茶碗に注いだ。
「お召し上がりください。香辛料抜きのチャイになります。熱いですので、火傷にはお気をつけくださいませ」
ホーエンシュタイン公爵夫人は扇を閉じて、紅茶茶碗を受け取った。匂いを嗅ぎ、一口飲む。
ヴァルトマン侯爵夫人も、アーデルハイドも、シュタインハルト伯爵夫人、アイヒェンドルフ子爵令嬢、モルゲンロート男爵夫人も、それぞれ渡された紅茶茶碗に口を付ける。
「あら……」
ホーエンシュタイン公爵夫人が驚いたように呟いた。
「美味しいわ。飲んだことの無い味ね。——いいわ、これ」
フィロメナはほっと胸をなでおろした。
「お気に召しましたなら、幸いです」
ヴァルトマン侯爵夫人が何度も頷きながら紅茶を飲む。
「牛乳が邪魔にならずに溶け合っているのね。それでいて、茶葉の味もくっきりと濃厚で。でも渋さが嫌じゃない」
「グラーブは味が濃い紅茶ですので、牛乳と一緒に飲んで頂くのがお奨めです。煮出さず、濃い目にいれたグラーブに、お好みの量の牛乳を加えていただいても良いかと」
夫人たちは満足してくれたようだ。フィロメナは小さく息を吐いた。
(これは合格したと、考えていいのかしら)
だが、全員がそう思ってくれている訳ではない。
「私は牛乳の入っていない紅茶が飲みたいわ。何だか口に残る感じが不快ね」
最初にフィロメナに難癖をつけた子爵夫人が声を上げた。
ヴァルトマン侯爵夫人が困ったように眉を寄せ、ホーエンシュタイン公爵夫人は一言、窘めた。
「ヴィーゼンタール子爵夫人」
ヴィーゼンタール子爵夫人はさっと蒼褪めると、俯いた。
急に火が消えたかのように大人しくなったヴィーゼンタール子爵夫人を見、フィロメナはそっとヴァルトマン侯爵夫人に耳打ちした。
「……あなた、お人好しな方ね」
困ったように呟くと、ヴァルトマン侯爵夫人は薬缶と茶葉を用意させた。
「では、ヴィーゼンタール子爵夫人にはこちらを」
フィロメナは湧きたての湯を紅茶茶碗に注ぎ、茶壷に入れると茶匙に一杯だけ投入し、蓋を閉めた。そして、砂時計をひっくり返し、砂が落ち切るのを待った。
茶漉しを使い、フィロメナは丁寧に一杯分だけ紅茶を淹れた。
「パリジャートの春摘みです。お口がすっきりするはずです」
ヴィーゼンタール子爵夫人は顔を顰め、けれど紅茶茶碗を受け取った。
匂いを嗅ぎ、えいっとばかりに一口飲み、眼を瞬く。
「……美味しい」
悔しそうな声音だった。
「パリジャートは皇帝献上茶とも言われます。紅茶を単体で飲むならパリジャートに勝るものはないとまで、東方帝国では言われているそうですよ」
ヴィーゼンタール子爵夫人は眉を寄せた。
「なら、勿体ぶってないで、それを出したらよかったのでは?」
フィロメナは少しだけ首を横に振った。
「この茶葉は、大量に淹れるのには向いていないのです」
ヴィーゼンタール子爵夫人が面倒くさそうに顔を顰めた。
「それを勿体ぶっているというのではないのかしら」
フィロメナは少しだけ目を細める。
「少人数のお客様にその時出す分だけを淹れないと、折角の風味が台無しになってしまいますから」
今までの、穏やかで貞淑な男爵夫人らしからぬ眼光に、ヴィーゼンタール子爵夫人は息を呑むとそっと引き下がった。
茶会が終わり、その帰り際。
皆を見送るフィロメナとヴァルトマン侯爵夫人の前、一人が立ち止まった。
ある伯爵夫人がフィロメナを見つめ、言った。
「ゼーベルク男爵夫人。来月はぜひ我が家へいらしてくださいな」
そしてまた一人、更に一人。
「近々、お招きする栄誉をいただければ嬉しく存じます」
フィロメナに招待の言葉を掛けていく。
「今日はお話し足りませんでしたわ。続きを、ぜひ我が家で」
ヴァルトマン侯爵夫人は誇らしげにフィロメナを見た。
「ゼーベルク男爵夫人。見事だったわ」
「畏れ入ります。ヴァルトマン侯爵夫人のおかげです。ありがとうございました」
アーデルハイドが足を止めた。
「この調子では、私のところに来るのが来年になってしまうのではなくて?」
冗談めかして肩をすくめ、けれどアーデルハイドは満足げに微笑んでいた。
「そんなにお待たせいたしません。アーデルハイド様のことなら優先事項ですから」
「あら、最優先事項ではないのね」
「そこはご勘弁くださいませ」
冗談を交わし、二人は一礼して別れた。
「ヴァルトマン侯爵夫人、ゼーベルク男爵夫人」
モルゲンロート男爵夫人がゆったりと頭を下げる。そして、フィロメナに向かって微笑んだ。
「本日はありがとうございました。濃密な時間でした。次は我が家にもお運びくださいな。宜しければ、ゼーベルク男爵もご一緒に」
フィロメナも微笑み返し、頷いた。
「ありがとうございます。確かに伝えます」




