第二三話 香辛料は無しで
色とりどりのドレスをまとった貴婦人たちが、花々のように広間へ散らばっている。
ヴァルトマン侯爵夫人は軽く息を吐いた。
「概ね、顔合わせは済んだかしら。喉が渇いたでしょう。紅茶をどうぞ」
フィロメナは一礼し、紅茶茶碗を受け取った。そっと香りを嗅いで、一口飲む。
(濃い赤黄色の水色に清々しい香り)
「カムルの夏摘みですね。気分が引き締まります」
ヴァルトマン侯爵夫人は目を瞬いた。
「まあ! 本当に種類も時期もわかるのね。仰る通り、これはカムルの夏摘みよ。勿論、ゼーベルク商会の」
フィロメナはにっこりと笑った。
「ご愛顧ありがとうございます」
時期を見計らっていたのだろう、アーデルハイドが数人の女性を伴い、寄ってきた。
「ね、言ったでしょう? フィロメナはすごいのよ」
ヴァルトマン侯爵夫人は大きく頷いて、同意した。
「ええ、本当に」
「ところで、まだ挨拶できていない方達を連れてきたわ。気後れしてしまったのですって。奥ゆかしい方達ばかりだから、意地悪しないでね」
アーデルハイドは冗談めかして口にして片目を閉じると、ヴァルトマン侯爵夫人に視線をやった。
「マルガレーテ姉様、私からの紹介でいいかしら」
「ええ、お願い」
アーデルハイドは頷いて、右から順に女性を紹介していく。
「こちらから、シュタインハルト伯爵夫人、アイヒェンドルフ子爵令嬢、モルゲンロート男爵夫人よ」
夫人たちはアーデルハイドの言葉と共に、一人ずつ膝を折って礼をした。
フィロメナは一人一人を見つめ、丁寧に礼を取った。
「初めてお目に掛かります。フィロメナ・フォン・ゼーベルクです」
「モルゲンロート男爵は、ゼーベルク男爵ともお親しいのではなかったかしら?」
アーデルハイドの言葉に、モルゲンロート男爵夫人はそっと微笑んだ。
三十代後半だろうか、穏やかでほっとするような雰囲気の女性だ。落ち着いて、それでいて地味になり過ぎない芥子色のドレスが良く似合っている。
「ゼーベルク男爵には、夫が良くして頂いております」
フィロメナは柔らかく頷いた。
「新年の拝謁の際、旦那様にお会いしました」
「ええ、ご挨拶ができたと喜んでおりましたわ」
アイヒェンドルフ子爵令嬢が、おずおずと話し掛けた。
「あの、ゼーベルク男爵夫人は紅茶に随分お詳しいとお聞きしましたの。商会で買い求めるなら、どの紅茶がお奨めか、お聞きしてもよろしいかしら」
アーデルハイドがそっと言葉を添えた。
「今度、婚約者を招いてお茶会をしたいのですって。男性にも評判が良い紅茶はあるかしら」
フィロメナは頷いた。
「婚約者の方は、紅茶がお好きでしょうか。それとも、あまり興味がない方?」
「ええと、たぶん、あまり飲み慣れてはいないと思います」
「でしたらチャンパが最適です。味に強い癖がなく、淡く柔らかい香りですので、苦手な方は少ない紅茶になります」
アイヒェンドルフ子爵令嬢は何度も頷いて、手帳に書き込んでいた。
「余計なお節介かもしれませんが、合わせるお菓子は果実のタルトなどがお奨めです。——ああ、ええと、既に出されるお菓子が決まっているなら、それに合う紅茶を挙げられますが」
アーデルハイドが肩をすくめた。
「相変わらずすごいわね、フィロメナ。お菓子に合う紅茶を選べるなんて」
「好みの差はございますけれど、濃厚なお茶に濃厚なお菓子では、胃がもたれますから。それに、あっさりとしたものにあっさりとしたお菓子では、少々物足りないでしょう。ですが、紅茶単体でなら——」
言い掛けてフィロメナは口元を押さえた。
「申し訳ありません。喋り過ぎました」
聞かれてもいないのに続けてしまったことに、フィロメナは冷や汗を浮かべたが、シュタインハルト伯爵夫人がそっと首を横に振った。
「興味深いお話しでした。宜しければ、もっとお聞きしたいわ」
アイヒェンドルフ子爵令嬢も、モルゲンロート男爵夫人も頷いた。
アーデルハイドとヴァルトマン侯爵夫人は視線を交わし、頷き合う。良い雰囲気だ。
「私は紅茶が好きだし、お茶会は何度も開いているけれど、詳しいかというとそうでもないのよ。今度お茶について、色々教えてくださらない?」
ヴァルトマン侯爵夫人が提案し、その場の皆が頷いた。
「少人数で、フィロメナの講義を聞くのも楽しそうね」
アーデルハイドが言い、ふと思い付いたように手を打った。
「ゼーベルク商会で紅茶教室なんて開いたら、評判になるかもしれないわね」
「まあ、素敵。是非男爵に提案してみて頂戴な」
とんとん拍子に進んでいく話に、フィロメナは眼を瞬き、次いで笑った。
「私も、その時には参加させてくださいね」
シュタインハルト伯爵夫人は目を細めた。
にこにこと微笑み、頷き、首を振る。けれど、要所要所でそっと言葉を添えてくれる女性だ。
紅茶に興味を持ってもらえて、自分の話を楽しく聞いてくれて。
(なんて幸せな時間なのかしら)
五人で盛り上がっていると、年嵩の夫人たちが連れ立ってやってきた。
「お若い方々だけでなく、わたくしたちも仲間に入れて頂戴な」
ヴァルトマン侯爵夫人が少しだけ身構えた。
「まあ、ホーエンシュタイン公爵夫人」
ホーエンシュタイン公爵夫人は白髪をきれいにまとめていて、背筋はぴんと伸び、凛々しい雰囲気を醸し出していた。深紫のドレスが高貴さを引き立てていて、華やかだ。
そして、気難しいことでも有名だ。
「ゼーベルク男爵夫人」
「はい、ホーエンシュタイン公爵夫人」
ホーエンシュタイン公爵夫人は、少しだけ意地悪な雰囲気を含んだ表情で微笑んだ。
「紅茶にお詳しいのね。ヴァルトマン侯爵夫人よりも?」
フィロメナは少しだけ返事に困り、けれど胸を張った。
「そうありたいと——あるべきだと思っております。私はゼーベルク商会の、紅茶本部長でもございますので」
ここは謙遜してはいけない場面だと、フィロメナは感じていた。
個人の問題では無く、ゼーベルク商会の体面に関わる、重要な局面だ。
内心冷や冷やしつつも言い切って、フィロメナは揺ぎ無くホーエンシュタイン公爵夫人を見つめ返した。
ホーエンシュタイン公爵夫人はゆっくりと頷いた。
満足そうだ。最初の一問は間違えなかったらしい。
フィロメナは内心でほっと安堵の溜息を吐いた。けれど表面には匂わせもせず、ただ微笑む。
ホーエンシュタイン公爵夫人は続けて問う。
「あなたは紅茶を誰よりも美味しく淹れることができると、アーデルハイド嬢から聞きました」
アーデルハイドが一瞬顔を顰め、けれどすぐに取り繕って笑みを浮かべた。
「ええ。フィロメナは、誰よりも美味しい紅茶を淹れられますわ。私が保証いたします」
ホーエンシュタイン公爵夫人はアーデルハイドを見、フィロメナを見た。
「でしたら、わたくしたちも飲んでみたいのですけれど、如何かしら。勿論、ヴァルトマン侯爵夫人の紅茶も素晴らしいものでしたわ。今日も見事でした」
「畏れ入ります」
ヴァルトマン侯爵夫人が一礼する。
フィロメナはヴァルトマン侯爵夫人を振り返った。
「ヴァルトマン侯爵夫人、お許しいただけましたら、紅茶を淹れたいのですが、場をお借りしても宜しいでしょうか」
「ええ、構いませんよ。ホーエンシュタイン公爵夫人、お好みの茶葉はございますか?」
ホーエンシュタイン公爵夫人はゆっくりと扇を開いた。ゆらりゆらりと煽ぎながら、首を傾げた。
「そうね。——ゼーベルク男爵夫人のお奨めは?」
フィロメナは目を細め、頭の中で幾通りもの答えを組み立てた。無難なところではパリジャートだろうか。皇帝献上茶であれば、最高級品だし、丁寧に淹れれば文句のつけようもない。だが、それでは無難な選択肢のひとつに過ぎないと評されるだろう。
ヴァルトマン侯爵夫人への土産では、今回の人数だと、それだけですべて使い切ってしまう量だ。となると——
半拍考えて、フィロメナは視線を上げた。
「牛乳を入れた紅茶と、素のままの紅茶、どちらがお好きですか?」
「そうね……。今日は素のままの紅茶が多かったから、牛乳を入れたものを飲みたいわ」
「畏まりました」
フィロメナは丁寧に一礼した。
「では、ヴァルトマン侯爵夫人、大鍋とグラーブ、牛乳、砂糖を頂けますか? マサラチャイをお出ししたいのですが」
ヴァルトマン侯爵夫人は少しだけ狼狽した。
「ええ、茶葉と砂糖、牛乳ならば出せますが……。ここでは香辛料が不足するかもしれないわ」
フィロメナはそっと唇を湿らせた。
「肉桂と丁子だけでも構いませんが、それでも? 小豆蔲は難しいかもしれませんが……」
肉料理にも使う香辛料だ。もしかしたらと思ったが、ヴァルトマン侯爵夫人は首を横に振った。
「ごめんなさいね」
フィロメナはウーヴェの試験を思い出した。
不足が出た場合の対処の仕方だ。時間は掛けられない。最低限の条件で、最高の結果を出すためには、どうすればいい。
「では——紅茶と牛乳だけでお淹れします。香辛料も、砂糖も無しで」
ヴァルトマン侯爵夫人も、アーデルハイドも、そしてホーエンシュタイン公爵夫人も目を見開いた。
フィロメナはただ、微笑んだ。それでもそのてのひらには、じっとりと汗をかいていた。




