第二二話 肝の据わった方
挨拶だの、仕来りだのを確認し、あっという間に三日が経った。
本日、ヴァルトマン侯爵夫人主催の茶会に、フィロメナはゼーベルク男爵夫人として、初参加する。
薄墨色のドレスに身を包み、毛織物の外套を羽織ったフィロメナは、堂々とした態度、落ち着いた佇まい、そして凛とした雰囲気を兼ね備えていた。
「行ってらっしゃい、楽しんでおいで」
頬に軽く接吻をして、ディートリヒはフィロメナを送り出す。
「行って参ります」
緊張しきりのフィロメナに苦笑し、ディートリヒは後ろに控えるギーゼラを見た。
「ギーゼラ、頼んだ」
「お任せくださいませ」
侍女は茶会には参加できないが、控えの間での会話という情報収集が待っている。ギーゼラにとっても正念場だ。
そんな覚悟を決めて二人が乗り込んだヴァルトマン侯爵邸は、とてもあたたかな雰囲気の邸だった。
冬庭に面した大広間は、白い大理石の床が柔らかな光を反射している。
高い窓を飾る豪奢な天鵞絨の帳は松葉色。それぞれの卓には生花が飾られ、暖炉には暖かな火が宿っていた。
そして、金彩の紅茶茶器が、中央の紅茶卓に鎮座している。
「ようこそいらっしゃいました、ゼーベルク男爵夫人。あなたにお会いできるのを、楽しみにしておりましたのよ」
ヴァルトマン侯爵夫人はフィロメナよりも一回りほど年上だろうか、軽やかで明るい女性だった。
両手を広げてフィロメナを歓迎してくれた。
「初めてお目に掛かります。フィロメナ・フォン・ゼーベルクと申します。どうぞ、良しなにお見知りおきくださいませ」
手土産の配合紅茶を手渡し、一礼するフィロメナに、ヴァルトマン侯爵夫人はにっこりと笑った。
「冷徹な淑女だなんて、誰が言ったのかしら。こんなに愛らしい方だなんて」
フィロメナは笑みを顔に貼り付かせ、口元が引き攣るのを気力だけで耐えた。
いきなりその二つ名を聞かされるとは思わなかったのだ。
「ブルーメンフェルト伯爵令嬢でいらした頃から、あなたはあまり社交の場にお出にはならなかったでしょう? 皆、あれこれと噂していましたのよ」
フィロメナは一礼して表情を誤魔化した。
「畏れ入ります」
つまらぬ身ゆえ、と言いそうになり、フィロメナは唇を引き結んだ。
今のフィロメナはゼーベルク男爵夫人。国一の商人の妻なのだ。
謙遜も卑下も悪手だ。下手なことを口にすれば、それだけで悪意と取られかねない。
「アーデルハイド嬢からも、あなたのことを聞いていてよ。紅茶が本当にお好きなようね」
一瞬仮面が剥がれ、フィロメナはきょとんと目を瞬いた。
「アーデルハイド様ですか? クローネンベルク侯爵家の?」
「ええ、そのアーデルハイド嬢」
ヴァルトマン侯爵夫人はにこにこと頷いた。
「私の母方の親戚筋なのよ。お転婆なあの子が、会場を走り回っていた頃から知っていてよ」
咳払いがヴァルトマン侯爵夫人の言葉を遮った。
「マルガレーテ姉様、余計なことは言わないで頂戴」
苦々しく腕を組んで、立っていたのはアーデルハイドだった。
艶めく黒髪に、鋭い灰色の眼が煌めく。
社交界の紅薔薇と言われるだけあって、アーデルハイドには赤が似合う。今日のドレスも真紅で、他者を圧倒する炎のようだ。
後ろにヨランダも控えている。
「アーデルハイド様!」
フィロメナが嬉しそうに微笑んで、その表情にヴァルトマン侯爵夫人は少しだけ目を瞠った。
それはまるで、花がほころぶような笑みだった。
「披露宴振りね、フィロメナ嬢……いえ、嬢ではないのね。でも、ゼーベルク男爵夫人では如何にも他人行儀だわ」
「では、フィロメナとお呼びくださいな」
「あなたもアーデルハイドと呼んでくれるならね」
「それは、少し気後れしてしまいますわね」
微笑み合う二人に、ヴァルトマン侯爵夫人はそっと割って入った。
「駄目よ、アーデルハイド嬢。今日のお茶会は、ゼーベルク男爵夫人のお披露目も兼ねているのだから、あなたが独り占めしては、意味がないわ」
アーデルハイドは肩をすくめた。
「仕方ないわね。今日はマルガレーテ姉様に譲るわ。また後でね——フィロメナ」
「はい、アーデルハイド様」
フィロメナは完璧な礼をしてみせ、ヴァルトマン侯爵夫人はまた目を瞠った。
アーデルハイドはムッとした表情をしてみせたが、笑って去っていった。
「本当に、仲が良いのね。あの子があんな風に笑うのは珍しくてよ」
「そうなのですね。だとしたら、嬉しいことです」
ヴァルトマン侯爵夫人は優しく微笑んだ。
「ところでゼーベルク男爵夫人。お土産の中身を聞いても良いかしら」
フィロメナは居住まいを正し、背筋を伸ばした。
「今日のために調合いたしました紅茶です。春を迎えるに相応しい明るさを、思い描いて配合いたしました」
「開けても?」
「勿論です」
ヴァルトマン侯爵夫人は缶の蓋を開け、ほうと感嘆の溜め息を吐いた。
「良い香りね。柑橘の香りをつけたの?」
「甘橙の果皮を乾燥させたものを混ぜてあります。紅茶はゲーンダーとグルバハールを二対一で」
ヴァルトマン侯爵夫人は満面の笑みを浮かべた。
「素晴らしいわ。これはゼーベルク商会で売り出す予定なのかしら?」
「ヴァルトマン侯爵夫人がお気に召しましたなら、そういたしましょう。あなたのためにお作りしたものですから。夫からお聞きした、あなたの雰囲気を想像して配合しました」
ヴァルトマン侯爵夫人は大きく目を瞠った。
「まあ、まあ! それじゃあ、あなたが手ずから?」
「はい。この度、ゼーベルク商会の紅茶本部長に就任いたしましたので、その紅茶もウーヴェ・シュミット氏の監修を受けております。ご心配なく」
ヴァルトマン侯爵夫人の目がこぼれ落ちないか、フィロメナは少し心配になった
「どこから驚いたら良いのかしら。——あなた、とんでもない方ね」
ヴァルトマン侯爵夫人は少しよろけながら、フィロメナを奥へと誘った。
「こちらが今日のあなたの立ち位置よ。私が順番にご紹介しますから、ご挨拶をね」
「はい、ありがとうございます」
「招待客は凡そ五十人。男爵夫人はあなたとモルゲンロート男爵夫人だけですけれど、どなたも身元のしっかりとした方だから、大丈夫よ」
フィロメナは微笑んで頷いて、内心では腕まくりをしていた。
身元のしっかりとした方ということは、見る目も厳しいということだ。
彼女らが思う水準に達していなければ、容赦なく切られる。
(来るなら来い、だわ)
玄関ホールが騒がしくなってきたのを感じ取り、フィロメナは決意を固めた。
「こちらゼーベルク男爵夫人、フィロメナです」
客が来る度に、ヴァルトマン侯爵夫人がフィロメナを紹介する。
フィロメナは一礼し、二言三言会話を交わす。
笑顔を貼り付けてはいるが、フィロメナは冷や汗が背中を伝うのを感じていた。
夫人たちはフィロメナの所作、話し方、声、装い、紅茶の知識にいたるまで、すべての受け答えを観察している。
話題は多岐に渡った。
王都の流行から地方の流行、政治のこと、市井のこと、慈善事業を含めたゼーベルク商会のこと。
そして、紅茶についてだ。
挨拶を終えた夫人たちは輪に戻り、紅茶を口に運びながら、時折フィロメナへ視線を向ける。
会話の最中にも、フィロメナが誰と話しているのかをさりげなく確認し、笑顔が途切れた瞬間の、素の表情を見ようとしている。
相手によって態度を変えていないかを見比べ、夫人同士は扇で口元を隠しながら、小さく感想を交わした。
フィロメナが給仕へ向ける一言や、視線の柔らかさを見ている夫人もいた。
「王都にはもう慣れましたか? 港町での生活は如何?」
居丈高に言ってのけた若い子爵夫人に、フィロメナは微笑んだ。
「元々、一年の半分は王都で過ごしておりましたので。ゼーミュンデには、まだ行ったことがございません。一度ご挨拶に伺わなくてはと、思っているのですけれど」
ヴァルトマン侯爵夫人がそっと窘めた。
「元ブルーメンフェルト伯爵令嬢よ」
子爵夫人はぱっと顔を赤らめた。
「あ、あら。ゼーベルク男爵夫人は、王都に慣れていらっしゃらないように見えたので」
「お気遣いくださいまして、ありがとうございます。少し緊張しておりますわ」
子爵夫人はもごもごと何事か呟きながら、逃げていった。
ヴァルトマン侯爵夫人はそっと溜め息を吐く。
「ごめんなさいね。あの方、少しでも誰かの上に立ちたい気持ちが強いのよ。自分に自信が無いのね」
フィロメナは微笑んで首を横に振った。
「寧ろ、ああいった質問の方が助かります」
ヴァルトマン侯爵夫人は苦笑した。
「あなたは本当に、度胸があるというか、動じないというか——肝の据わった方ね」
褒められているのか、そうではないのか少し迷ったが、フィロメナは柔らかく微笑んでみせた。
——困った時は笑っとけばなんとかなります!
フィロメナはギーゼラの心強い助言に感謝した。




