第二一話 普段通りが一番難しい
二月に入り、様々なことが動き始めた。
第一に、物流統括食品課からの紅茶部の独立と、フィロメナの本部長就任だ。
「茶葉の輸入や品質の確認、そして保管。茶器の販売から茶会の対応まで、私が差配するのね」
ギーゼラは書類に目を通しながら頷いた。
「はい。輸入は変わらず交渉部が扱いますが、どの茶葉をどれくらい仕入れるかなどの項目に、奥様の意見が加味されることになるそうです」
第二に、これは紅茶部としても関わることだが、茶会対応が大幅に増える。
これはゼーベルク男爵夫人であり、紅茶本部長でもあるフィロメナの担う、大きな役割だ。
「差し当たって、三日後のヴァルトマン侯爵夫人の茶会への出席は、最初の一歩。——絶対に失敗できない初舞台ね」
手土産は完璧。紅茶に関しての問いには何であっても答えられるよう、ウーヴェに指導を頼んだ。
そして、次の難題が身支度である。
「ああ、私がドレスで私が悩むことになるなんて! 派手では駄目だし、かと言って地味ではゼーベルクの名に傷が付いてしまう」
フィロメナはギーゼラを相手に、服の選別にひどく困っていた。
ブルーメンフェルト伯爵令嬢だった時には、ほとんど気にすることなど無かったというのに。
「こちらの濃紺のドレスは如何ですか?」
フィロメナは鏡の前でドレスを合わせ、唸った。
「うーん……地味ではないかしら」
ギーゼラは苦笑した。
「倹約家のお嬢様の口から、"地味だから駄目"だなんて、聞く日が来るとは思いませんでしたわ」
自分でもそう思う、とフィロメナは苦笑して肩をすくめた。
あの頃は、継ぎ当てのドレスでも構わず人前に立っていたというのに。
「今の私はゼーベルク男爵夫人なのだもの」
ゼーベルクの名を背負う以上、レーヴェンライヒ一の商人の妻であるという看板をも、背負うのだ。
ギーゼラはやれやれと首を振った。
「まったくです。伯爵家から二階級も下がったというのに」
建国の英雄の末裔たる、七大貴族の名の方が軽かったくらいだ。貧乏伯爵家と笑われた日々が懐かしい。
今やブルーメンフェルトはゼーベルクの支援によって、往時の勢いを取り戻しつつある。
フィロメナは遠い目をして笑った。
「お金って、すごいわね……」
「すごいですねー」
ギーゼラは適当に返した。建国の英雄だろうが、国一番の商人だろうが、ギーゼラにとっての主であることに変わりはない。
フィロメナがフィロメナである以上、ギーゼラは生涯仕えることを決めているのだ。
「こちらの薄墨色は如何です? 金糸の縫い取りが洒落ていて、一見地味ですが光が当たると煌めきます。色味も落ち着いていて、亜麻色の御髪にも合うかと」
フィロメナは目を細め、口元に手をやり考える。
「——そうね。これにしましょう」
「御髪はどういたしましょうか。茶会ですからまとめた方が良いとは思うのですが、あまりに堅苦しくてもいけませんから」
邪魔にならないからという理由で、きつく引っ詰めにしていた頃を思い、フィロメナは苦笑した。
「そうね……半分結い上げて、残りは巻く? 駄目ね、未婚の令嬢ならまだしも、夫人なのだから」
基本的に、未婚の令嬢は長い髪を緩やかになびかせるのが今風だ。既婚女性は髪を結い上げていることが多い。
但し、貴族においてはその傾向が強いというだけだ。平民は仕事の邪魔にならないよう、結い上げる娘が多い。
祭の時だけは解き放ち、髪を靡かせることが多い。
これも傾向であって全てではないが。
「既婚だの未婚だのと、世の中面倒くさいですわね」
唇を突き出すギーゼラに、フィロメナは真顔で同意した。
「私もそう思う。ねえ、三つ編みにして緩くまとめるのはどうかしら」
「良いと思います。お可愛らしいけど、しっかりと夫人らしくもありますね。では、リボンではなく飾りピンにいたしましょうか」
「そうね、お願い」
一通り試して、フィロメナは鏡に映る自分をしっかりと観察した。
うっとりと見惚れるとか、愛らしさの確認ではなく、ゼーベルク男爵夫人らしく見えているかどうかの確認という辺りが実にフィロメナらしい。
「しっかりと男爵夫人らしいですわ、奥様」
「だといいけど……。絶対に失敗できない一歩だわ。念には念を入れなくては」
フィロメナは鏡の前であれこれと姿勢を変えてみては、その都度確認を怠らない。こんなところまで真面目さは滲み出ている。
「男爵夫人として、社交界への初お披露目ですからね」
「やめてギーゼラ。緊張してしまうわ」
フィロメナの強張った表情と硬い声に、ギーゼラは苦笑した。
「国王夫妻相手に、啖呵を切った方とも思えませんわ」
「今から思うとすごいことをしたわね、私」
頬を押さえてぞっとするフィロメナに、ギーゼラは微笑んだ。
「はい。ですから、大丈夫ですわ、奥様」
ギーゼラはフィロメナを見、榛色の眼を細めた。
「あれほどのことを成し遂げた奥様です。茶会など、恐るるに足りません」
フィロメナの灰青色の眸は、曇ることなく澄み切っている。
「私、頑張るわ」
フィロメナは拳を握り、ギーゼラはその拳をそっと握り締めた。
「はい、その意気です」
フィロメナは溜め息を吐くと、頭を振った。
「ああ、でもやっぱり、もう一度ウーヴェ殿に確認を——」
「奥様」
ギーゼラが首を横に振った。
「何回確認をするおつもりですか。ウーヴェ殿にはウーヴェ殿の仕事がございます。それに」
ギーゼラは微笑んだ。
「奥様はウーヴェ殿に認められたからこそ、今こうして紅茶本部長として立っておられるのですよ。自信をお持ちください」
フィロメナは目を閉じ、大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。
「そうね。落ち着くわ。——母上の茶の本を読み返すだけにしましょう」
「そうなさってください」
フィロメナは長く息を吐いた。
「ああ、でもご挨拶の文言とか、お辞儀の角度とか——心配だわ。ちゃんとできるかしら」
ギーゼラは目を覆った。
「奥様、いつも通りにできれば完璧です。変に緊張せず、普段通りにお振る舞いください」
フィロメナは頭を抱えた。
「普段通りが一番難しいのよ! だって、何か考えてやっているわけではないから、考えて同じようにしようとすると、どうやっているのかがわからないの!」
確かにそうだな、とギーゼラは頷いた。
「この際、何も考えずに赴くのは如何でしょう?」
「そんな、"深淵を覗く前に跳べ"みたいなことを、言わないで!」
ギーゼラはフィロメナの肩をそっと掴んだ。
「奥様。"案ずるより産むが易し"です。どーんと参りましょう」




