第十八話 初仕事
紅茶の淹れ方についての冊子、その骨子案はすぐにできあがった。
フィロメナにとって、当たり前のことを書き記すだけだったからだ。
私室の机に向かい、フィロメナはインク壺にペン先を浸した。
最初に飲む紅茶としては、チャンパが最適である。味に癖がなく、淡く柔らかい香りであることが理由だ。
茶葉は一人分が茶匙に一杯。湯は沸かしたてであることが重要である。
一人分の湯量は紅茶茶碗に一杯。但し、沸騰する分を加味して、薬缶には少しだけ多めに入れること。
蒸らし時間は、砂時計の砂がぴったり落ち切るまで。砂時計は四十分の一刻のものを使うこと。
(なるべく簡易な言葉と説明を心掛けて——)
誰が淹れても、美味しい紅茶が飲めるように。
(そして、チャンパに一番合うお菓子を、ウーヴェ殿に提案してもらって——)
フィロメナは紙に羽ペンを滑らせ、流暢に書き進めていく。必要な茶器、代用可能な食器をひとつずつ。
薬缶に湯を沸かす。茶壺に茶葉を人数分入れる。
沸騰した湯を茶壺に入れ、砂時計を引っくり返す。
砂が落ち切るのを待って、茶漉しで茶葉を濾しながら、茶碗に注ぐ。
「そしたら召し上がれ」
歌うように呟いて、フィロメナは羽ペンをペン立てに差した。
(楽しい)
鼻歌を歌いたい気分だ。好きなことをして、それが誰かの役に立つかもしれない。それはなんと素敵なことなのだろう。
フィロメナは立ち上がり、本棚に手を伸ばした。大切に取り出したのは、母の形見の紅茶の本だ。
東方帝国の言葉で書かれたそれは、フィロメナの愛読書であり、宝物であり、何よりも頼りになる参考書でもある。
フィロメナは椅子に座り直し、配合の頁を開いた。
そして、指先で文字をなぞる。
甘橙の果皮を乾燥させたものを薄く削り、茶葉に混ぜる。茶葉は南方のゲーンダーが望ましい。ゲーンダーの力強い香りに甘橙が加わり、更に明るく優しい風味となる。香りを馴染ませるため、五日から七日は密封して置く。なお、檸檬茅を加えるのも良い。
「檸檬茅は爽やかになり過ぎるわ。明るく軽い香りで、春を待ち望むのなら——グルバハール。直訳すると春の花、だったかしら。あまり単体では使わない茶葉なのよね……味は淡く、香りは優しい。ただ、水色がとても美しい琥珀色」
フィロメナは下唇に指を触れ、少しだけ引っ張った。
(ゲーンダーを茶匙に二杯、グルバハールを茶匙に一杯、甘橙の果皮を削ったものを茶匙に一杯)
フィロメナは遠くを見るような視線で、試作品の比率を考える。
二対一対一のものと、三対一対一のもの、そして一対一対一で試してみよう。
(最低五日は置かなくてはいけないから、今から作ってしまおうかしら)
甘橙の果皮を乾燥させたものは、油紙に包んであるものを手のひら一杯分ほど貰ってある。
フィロメナは少し動きを止めた。
(果皮は薄く削るのが定番。でもすりおろしたらもっと馴染むかしら。……いいえ、駄目ね。細か過ぎると香りが飛んでしまうわ)
こんこんと、私室の扉を軽く叩く音がした。
寝室との間の扉なので、相手はディートリヒしかいない。
フィロメナは、ぱたぱたと足音軽く扉に駆け寄った。
「ディートリヒ様」
既に寝間着に着替えたディートリヒが立っていた。
「フィロメナ、少し遅いが大丈夫か? 無理をしていないか心配になった」
フィロメナはディートリヒを見上げると、蕩けるような笑みを浮かべてみせた。
「仕事をしておりました。冊子の骨子案はできましたので、明日お読みください。配合茶の方は、これから試作品を作ってしまおうか、迷っていたところです」
ディートリヒはそっとフィロメナの頬に手を伸ばした。
「無理をするなと言ったぞ」
「無理ではありません。ですが、少し集中し過ぎたかもしれません。茶の配合は明日に致します」
当たり前だと言いたい気持ちを抑え、ディートリヒはフィロメナの頬を軽く抓んだ。
愛情溢れる仕草で、ちっとも痛くはない。
「そうしてくれ。さあ、もう寝よう。夜更けだ」
「はい、旦那様」
フィロメナはディートリヒの腕に身を委ね、ディートリヒは優しくフィロメナを促す。
パタンと軽い音を立て、寝室に続く扉が閉じた。
◇
紅茶室には、食品室女中がいた。金髪のウィルマと茶髪のデボラだ。
「奥様!」
ウィルマはつい先日の試験を通し、随分と気を許してくれるようになったとフィロメナは思った。
だが、ギーゼラからすると、馴れ馴れしいとなるようだ。
「何かご用っすか? 何でもお申し付けくだせえ」
「ウィルマ、訛ってる。くださいね、ください」
デボラに突っ込まれ、ウィルマは少し唇を尖らせた。
「奥様は気になさらねえよ」
「あたしが気になるんだってば! 申し訳ありません、奥様。言葉遣いが田舎臭くて」
フィロメナとギーゼラは顔を見合わせて笑った。
「いいのよ、ウィルマはそのままで。あなたも堅苦しく考えないでね。……ええと」
デボラは丁寧に一礼した。
「デボラと申します」
「宜しく、デボラ。早速だけど、少しここを使わせて欲しいの。——作業中?」
デボラとウィルマは揃って首を横に振った。
「いいえ、日課の手入れと道具の整頓です。お邪魔でしたら退散しますが」
「何なさるんすか?」
フィロメナは悪戯っぽく笑ってみせた。
「ちょっと実験」
茶蔵から二つ、茶缶を取り出し、フィロメナは嘆息した。
「本当に何でもあるのね……」
定番のカムル、チャンパ、グラーブ、ゲーンダー、チャメリー、そして皇帝献上茶のパリジャート。
この茶蔵に無ければ、倉庫まで取りに行こうと思っていた珍しい茶葉までが取り揃えてある。
「グルバハールにクムニディー、グドハルまであるとは」
クムニディーは前回ウーヴェの試験で使った茶葉だが単体では味が淡く、印象も弱い。だから、普段は単品では主役になれない。しかし他の茶葉と合わせると、後味が驚くほど清々しくなる特徴がある。
グドハルも単品ではあまり使われないが、独特の香りがあり、苦味が強い。だが、配合次第で他の茶葉の香りを引き立てる。また、東方帝国では女神への捧げ物にグドハルの茶を捧げるという。
隣の準備室に移り、フィロメナは鉢を三つ卓上に用意した。そして空の缶も三つ。
ギーゼラ、ウィルマ、デボラは揃ってフィロメナの手元を注視している。
「では、配合していくわね」
茶葉はゲーンダーとグルバハールだ。そして、甘橙の果皮を茶葉大に刻んだものを用意した。
比率を変え、鉢に材料を加えていく。ゲーンダー、グルバハール、甘橙の果皮。茶匙で計って正確に。
「二対一対一」
そして匙で、潰さないようによく混ぜる。
「ギーゼラ、空の缶を取って頂戴」
「はい、奥様」
空の茶缶に配合した茶葉を入れていく。
「札を付けて、と。——次は三対一対一。最後は一対一対一で」
同じ作業を繰り返し、更に二つの缶ができた。間違えないように札を付けて。
「あとは、一日一回は缶を振って馴染ませる。そして五日目に味見よ」
フィロメナはふと頬に手を当てた。
「今更思ったけれど、金盞花の花弁を加えたら、見た目にも良かったかもしれないわ」
ギーゼラが目を丸くした。
「金盞花って食べられますの?」
「食べられるし、薬効も凄いのよ。肌を再生し、保護するという効能があって、古代から美容にも使われていたというし」
ウィルマとデボラも揃って感心した。
「へー」
「今が旬だし、使ってみても良かったかしら。ああ、でもサラダに使うのではないから、乾燥させてからになると、時間が掛かるわね」
フィロメナは肩をすくめて鉢を手に取った。ウィルマとデボラが立ち上がる。
「奥様、片付けならあたしらがやりますよ」
「そうです。それこそあたしたちの仕事ですから」
鉢を重ね、匙を何に入れると、ウィルマは先に退出した。
「洗ってしまっときます!」
デボラは三つの茶缶を見た。
「保管は紅茶室にしますか? それとも茶庫に? 奥様の私室なら運びますが」
フィロメナは少し小首を傾げた。
「そうね……間違って使われても困るし、私室に置いておくわ。でも運ばなくて大丈夫よ。缶三つだもの。一人でも持てるわ」
デボラは丁寧に頭を下げた。
「畏まりました」




