第十七話 紅茶本部長
試験を終えて、フィロメナが少しだけ目を細めた。
「——もしかして、先程のことは商売になるかしら。ねえ、ハインリヒ」
「はい、奥方」
フィロメナは考えながら言葉を紡いだ。
ギーゼラとウィルマがフィロメナの指示通りに動いたことで、普段よりも格段に美味しい紅茶を淹れることができた。
それはつまり、正しい手順を踏めば、誰でも可能な技術だと証明できたというわけだ。
「誰でも美味しい紅茶を淹れる方法という題で、冊子を出したら売れるのではないかしら。紅茶の淹れ方の、具体的なやり方や手順を記すの。どの茶葉を茶匙に何杯という風に」
ハインリヒは、眼鏡の奥の眸をきらりと光らせた。
「良い考えです。季刊誌にして、その季節に合う菓子などを載せたら売れますな」
フィロメナは好感触にウーヴェを振り返った。
「ウーヴェ殿は、どう思われます?」
だが、ウーヴェは首を横に振った。
「わしには商売のことはわからん。——だが、どの茶にどの菓子が合うかは、提案できる」
「男爵に提案しましょう」
ハインリヒは力強く頷いた。
「奥方の、紅茶本部長としての初仕事になりますな」
ギーゼラが誇らしげに顎を上げた。ウィルマは何故ギーゼラが誇らしげなのかと突っ込みたかったが、やめた。
「——奥様、聞いても良いっすか?」
「何かしら」
ウィルマは小首を傾げた。
「奥様は、紅茶本部長になって、何がしたいんすか?」
フィロメナは目を瞬いた。確かめるようにウィルマの顔を見つめる。
「何が、と言うと——?」
ウィルマは女中帽子の上から頭を掻いた。何と言ったものか、少し迷っているようだ。
「いや、今でもお忙しい奥様が、なんでまたそんな忙しい役割を負って、大変な思いをしなくても良いんじゃないかなあと、思っただけなんすけども……」
フィロメナは左手の薬指に触れ、爪先を少し押す。考え考え、言葉を探した。
「そうね——何と言ったらいいかしら。……私、たぶん紅茶で人を幸せにしたいの。飲んだ方がほっとして、ほんの少しでも幸せになってくれたら、嬉しい。ゼーベルクの紅茶本部長になれば、紅茶をもっと多くの人に知ってもらうことができるわ」
ウィルマは驚いたように何度か目を瞬いて、ほう、と息を吐いた。
「なんか……すげえです。奥様は、上手く言えねえですが、すげえお人です」
やっぱりギーゼラは誇らしげだったが、ウーヴェはふん、と鼻を鳴らした。
「小さな夢だな」
「あら。大きな野望ですわ」
フィロメナは柔らかく微笑んだ。
こうしてフィロメナは、また一人彼女の信望者を増やしたのだった。
ウィルマはその夜、使用人談話室でフィロメナの活躍を身振り手振りを交えて自慢気に語り、皆の嫉妬と羨望を受けることになった。
◇
総帥室にて。
ハインリヒから試験結果の報告を受けたディートリヒは、すぐにフィロメナの任命書に署名した。
「これで君はゼーベルク商会紅茶本部長だ。宜しく頼む」
フィロメナは任命書を受け取り、何度か任命書を見直した。
——奥様は、紅茶本部長になって、何がしたいんすか?
ウィルマの言葉が耳の奥に蘇った。
(私は、紅茶で人を幸せにしたい。ほんの一杯の安らぎや、慰めや、そういう温かい気持ちを……)
フィロメナは改めて強く思った。
「——まだ実感が湧きませんが、精一杯頑張ります」
ディートリヒは少しだけ苦笑した。
「やり過ぎないようにな。倒れられては困る」
「気を付けます」
ハインリヒが一歩前に出た。
「男爵、早速ですが奥方、いえ、紅茶本部長より提案があります」
「ほう、早いな」
ハインリヒに促され、フィロメナは紅茶の淹れ方などを記した冊子の案を口にした。
「——うん。面白い。骨子案をまとめてくれ。だが、最初は癖のない初心者向けの茶葉と、基本的なことのみに絞って欲しい。飽く迄も入口だ」
「承知しました」
フィロメナは一礼する。
「それと、二月にヴァルトマン侯爵夫人の茶会がある」
フィロメナは驚きと戸惑いの入り混じった眼差しで、ディートリヒを見た。
「招待状は頂いておりませんが?」
ディートリヒは、何でもないことのように頷いた。
「まだ内々の話だ。その際に配合茶葉を手土産にしたい。できるか?」
フィロメナは少し考えた。
「どのような配合が望ましいでしょうか」
ディートリヒは眉を寄せた。
「茶会に合うもの、と言っても君はヴァルトマン侯爵夫人を知らないからな。——難しいことを言った。すまない」
微妙な沈黙が落ちた二人に、ハインリヒが助け舟を出す。
「二月の茶会です。春を待ち望む紅茶であるとか、明るく重くない雰囲気とか、そういった方向では如何でしょうか」
ディートリヒが片眉を上げた。
「らしくない提案だな、ハインリヒ。どうした」
ハインリヒは眼鏡の縁を持ち上げた。
「いえ、ウーヴェ殿の試験の際、冬の朝を表現しろという題目がありましたので、それに倣いました」
「なるほど。できるか、フィロメナ?」
フィロメナは目を細め、頷いた。
「——できます。軽やかで春を待ち望むような配合ですね。考えて参ります。参考までに、ヴァルトマン侯爵夫人のお人柄をお聞かせくださいませ」
ディートリヒは迷いなく答えた。
「明るい人だ。とにかく紅茶が好きで、積極的だが押し付けがましくない。少々金遣いが荒いか」
「男爵、そこは上得意と言っておきましょう」
フィロメナは頷いた。
「なるほど。よいお客様なのですね。——ところで、甘橙の果皮を乾燥させたものはございますか?」
「乾燥果実か。菓子に使う物があると思うが、何に使うんだ?」
「ヴァルトマン侯爵夫人への手土産にです。東方帝国の配合茶には、果皮や花弁を使う物があります。それを試してみたいと思いまして。明るい雰囲気という風味に、近いのではないかと思いました」
母の形見の紅茶の本に、配合のことが書かれた部分に数頁だが記述があった。
その主軸にあるのが、甘橙の果皮を乾燥させたものだったはずだ。
「ほう。それは興味深い。できたら味見させてくれ」
「是非お願い致します。ヴァルトマン侯爵夫人の雰囲気に合うかどうかも含めて」
「わかった」
ディートリヒは頷いてハインリヒを見た。
「では、ハインリヒ、手配を頼む」
「畏まりました」
ハインリヒは丁寧に一礼し、フィロメナに向き直った。
「食料品課から紅茶係を切り出し、それを奥方の着任に合わせて"紅茶部"へ昇格させます。物流統括のテオフィロには話を通してあります」
フィロメナは灰青色の眸を瞬くと、困惑の色を濃くした。
「——随分と、話が早いですわね」
いきなりずしりと両肩が重くなった気がした。部署ができあがり、本格的に動き出すのは来月以降だと思っていたのだ。
「奥方がウーヴェ殿の試験に合格する前提で、皆動いておりましたので」
だが、ハインリヒは当然のことのように言い、ディートリヒも頷いた。
「もしかして、私を買い被っておられませんか?」
フィロメナが吐息をこぼすが、ディートリヒもハインリヒもどこ吹く風だ。
「いや。当然の評価だと思っている」
「不足はあっても過分はないかと」
二人の言葉に、フィロメナは困ったらいいのか、誇ったらいいのか、わからない表情を浮かべたのだった。




