第十六話 見極める力
ウーヴェは唐突にハインリヒを振り返った。
「使用人でも職員でもいい。数人見繕って連れて来い」
ハインリヒは首を傾げながらも指示に従った。
しばらく間があり、連れて来られた数人は、全員が怪訝そうな顔をしていた。
若い徒弟、老齢の庭師、目の下に隈のある書記官、俯きがちな寝室女中。
ウーヴェは言う。
「それぞれに合う紅茶を一杯出せ」
フィロメナは少し小首を傾げた。そして、一人一人を観察すると、茶葉を選んだ。
そして一杯分ずつ丁寧に淹れる。
徒弟にはチャンパの秋摘みに牛乳を加えて。庭師にはゲーンダーの春摘み、書記官にはカムルの夏摘み。寝室女中にはパリジャートの夏摘みを。
「それぞれ選んだ理由を言え」
フィロメナは一人一人を見て、口を開いた。
「若い方は少し空腹に見えましたので、牛乳を加えた物がいいと思いました。チャンパの秋摘みは味も濃く、牛乳に負けません。年配の方には、あっさりと口に残りにくい後味が良いかと、ゲーンダーの春摘みを。書記官の方は徹夜明けに見えましたので、目が覚めるような爽やかな味のカムルを。女中の方は、何か悲しげに見えましたので、心を慰めるような物をと思い、パリジャートを選びました」
それぞれ特徴を当てられた数人は、目を丸くした。
「何で腹減ってるのわかったんすか」
「美味かったです。確かに好みの味ですな」
「目が覚めました。凄く美味しかったです」
「——先々月、連れ合いを亡くしまして。心に染みました」
ギーゼラは目を剥き、ウィルマは魔女だと呟き、ハインリヒはズレた眼鏡を直すのを忘れた。
「良い観察眼だ。茶は、客を見て合うものを淹れなきゃならん」
「はい」
当然のように交わされる二人の会話を聞いて、その場の全員が思った。
(いや、普通に無理だろ)
的確な紅茶を供された客役の者たちも、揃って思った。何故わかったのかがわからない。不思議を通り越して不気味だ。
ウーヴェはその空気を物ともせず、言った。
「次は問題が起こった時の対応だ」
(まだあるんかい!)
ギーゼラは突っ込みたい気持ちを何とか押さえた。
口を出したら間違いなく、この場を追い出されるからだ。
なお、客役に呼ばれた者たちは、用が済んだら瞬く間にウーヴェによって、給湯室から追い出された。
押し出して、ウーヴェはフィロメナを振り返った。
「茶葉が足りないことが急にわかったら、どうする」
(いきなり始まるのね……)
フィロメナは少しだけ目を細めた。頭の回転速度を意図的に引き上げ、集中力を高めた。
「茶葉によりますが——薄めに淹れ、各一杯を少しずつ少なめにします。濃い茶葉なら、マサラチャイに変え、香辛料と牛乳に頼ります」
「湯がぬるい」
「沸かし返します。湯は常に沸騰していなければなりません」
「茶器が欠けた」
「気付かれない内に自分の物と取り替えます。替えがあれば新しいものを」
「客が急に一人増えた」
「茶葉が足りない場合とほぼ同じ対応をとります。菓子の足りない場合は提供する形を変えます。大皿に乗せ、好きなものを取っていただく形に」
フィロメナの間髪入れない返答に、ウーヴェは何度か頷いた。
(一々熟考していては間に合わない。咄嗟の判断こそ見るべきところだ。嬢ちゃんは、中々できる)
ウーヴェは薄く笑った。初めて見せる表情だった。
ハインリヒだけが気付き、眼鏡を直す。
しかし、一瞬後には、いつもの仏頂面のウーヴェに戻っていた。
ハインリヒは思った。
(後で奥方に報告せねば)
それくらいに重要なことなのだと、ハインリヒは直感していた。
「完璧ではないが、それなりの対応はできるな。——及第点だ」
フィロメナは少しだけ胸を撫で下ろした。
「はい」
そして、ウーヴェは唐突にギーゼラとウィルマを見た。
「嬢ちゃんたち、出番だ」
「はい?」
「なんすか!」
ウーヴェは慌てる二人を、フィロメナの前に突き出した。
「部下の新人二人と思え。指示を出して紅茶を淹れさせろ。客は五人。菓子は無し」
「わかりました」
フィロメナはこともなげに頷いたが、ギーゼラとウィルマは息を呑んだ。
自分たちが失敗すれば、フィロメナが不合格になるではないか。
「いや、ちょっと荷が重過ぎます」
「そうっすよ!」
ウーヴェは二人を睨みつけた。
「——やれ」
圧力に二人は小さく頷いた。ほかの選択肢はなかった。
「大丈夫。私の言う通りに動いて頂戴」
ウーヴェもフィロメナも、人に任せるよりも自分でやった方が早いし上手い。だが、的確な指示を出すのも上に立つ者の役割だとウーヴェは思っていた。
フィロメナはウィルマに湯を沸かさせ、ギーゼラに茶器の用意を言い付けた。
二人がぶつからないように指示を出し、茶葉を計らせ、茶器を温めさせ、湯を入れさせた。
「砂時計が落ちきる前に、茶器を卓に並べて頂戴」
紅茶茶碗を受け皿に乗せ、並べているうちに砂は落ちた。
「ウィルマ、茶碗に順番に紅茶を注いで。一杯ずつではなく、三分の一ずつ入れて、三往復。ギーゼラ、牛乳壺に牛乳を入れて、卓の中央付近に置いて」
二人が動作を終え、フィロメナはウーヴェを見た。
「以上です」
ウーヴェはゆっくりと頷いた。
「後は、紅茶だ。まともに飲めるものかどうか」
フィロメナは頷いた。
「大丈夫です。量も時間も、指示した通りに動いてくれました」
フィロメナは二人を信じていたが、ギーゼラとウィルマの二人は、そこまで自分を信じきれていなかった。
ウーヴェは紅茶茶碗を手に取り、水色を確かめ、香りを嗅ぎ、一口飲んだ。
「——及第点だな」
ギーゼラとウィルマは、明らかにほっとしたように崩れ落ちた。
ハインリヒが紅茶茶碗を取り、一口飲んだ。
「これなら、店でも出せますな」
「ハインリヒさん、気を使っていただかなくても……」
ギーゼラが苦笑するのに、ハインリヒは首を横に振った。
「いや、本心ですぞ。飲んでみなさい」
「あ、ホントだ。自分で淹れたのにすげえ美味え」
ウィルマが目を丸くした。
ウーヴェは目を細めて、言った。
「——最後は、皆を纏める一杯が出せるかどうかだ」
フィロメナは表情を緊張させ、姿勢を正した。
「締め括りにぴったりな茶を淹れろ。この場の全員分だ。全員が満足したら合格とする」
フィロメナは一人一人の顔を見比べた。皆、程度の差こそあれ、疲れているのが見て取れた。
「配合茶でも構いませんか?」
「好きにしろ」
フィロメナは頷いて茶缶を手に取った。
(疲れた時、身体に染みるような紅茶がいい。渋みが少なく、香りは控えめ。そして味はしっかりと、でも濃過ぎない)
チャンパを主軸にパリジャートを一杯、そして単品では使うことが少ないクムニディーを一杯。よく混ぜ合わせ、馴染ませる。
(大丈夫。紅茶の特徴なら、全部諳んじることができる。だって、覚えてしまうくらい、毎日読んだわ)
茶壺に茶葉を入れ、沸騰した湯を注ぐ。
(配合の理屈なら、私は全部覚えてる)
砂時計を引っくり返し、待つ。
決まり切った動作だが、フィロメナはひとつも疎かにはしない。
砂が落ち切り、茶漉しを通して茶碗に注ぐ。
「どうぞ、召し上がれ」
ウーヴェは一口飲むと、溜め息のように長く息を吐き出した。
「……悪くないな」
フィロメナは柔らかく微笑んだ。
他の三人ともゆっくりと味わい、目を閉じた。
「なんか、染みますね……」
「あー、いいっすね……」
「これは美味い」
ウーヴェが問う。
「この配合で、最も重要視したのは何だ」
フィロメナは微笑んだ。
「疲労に染み渡る一杯になるように」
「具体的には?」
「チャンパは柔らかな甘い香りが特徴です。味は穏やかで角がなく、飲み疲れない紅茶だと思います。パリジャートは皇帝献上茶でもあり、香りは気高く澄みきっている。しかし主張が強いため、多すぎると他の茶葉を消してしまいます。しかしだからこそ、最初の香りには最適です。クムニディーは単体では味が淡く、印象も弱い。だから、普段は単品では主役になれません。ですが他の茶葉と合わせると、後味が驚くほど清々しくなります」
ウーヴェは目を閉じ、そしてゆっくりと頷いた。
「——合格だ。あんたはゼーベルクの紅茶本部長に相応しい」
ウーヴェはもう一口飲んだ。
「クムニディーを入れたのは、さすがだ。この茶葉は、単体では目立たんが、最後に口の中を整える。だから次の一口が飲みたくなる」
ウーヴェは目を閉じた。ゆっくりと香りを味わい、後味に身を委ねる。
「疲れを消す茶ではないが——疲れた人間を急かさず、休ませる茶だ」
フィロメナは微笑んだ。それこそが求めていた効果だった。




