第十四話 まだ一つ目
ゼーベルク商会王都館に招待状が山と届いた。宛先はすべてフィロメナだ。
「音楽会に芸術鑑賞会、王立植物園の温室見学、刺繍会、菓子品評会、昼食会に図書館見学、孤児院の慰問——などでございます」
セバスティアンが読み上げてくれるのを、フィロメナは少しだけ遠い目をして聞いていた。
「俺ではなくフィロメナに、ということだ。人気者だな」
ディートリヒは少し笑った。
「ディートリヒ様とご一緒となったら、多忙につき欠席というお返事しか出せませんでしょう」
フィロメナが言い、セバスティアンが頷いた。
「ごもっともでございますね」
フィロメナは少しだけ悩ましげに頬に手を当てた。
「社交界にはあまり出ておりませんでしたから、この機会にということなのでしょうけれど——」
ブルーメンフェルト伯爵家は火の車だったので、社交に出ている暇もなく駆け回っていた気がする。
どうしても外せない席だけは顔を出していたけれど——。フィロメナは軽く溜め息を吐いて頭を振った。
「私は社交には慣れておりませんのに」
「嫌なら行かなくていい。皆、ゼーベルク男爵夫人を見たいというだけのことだ」
「……簡単に仰ってくださいますけれど、付き合いが悪いと、ゼーベルクの評判が落ちますわ」
「多少落ちたところで揺らぎはしないさ。興味があるものだけ行けば良い。招待状が来た中で、特に付き合うべき者はいない」
身も蓋もないディートリヒの言葉に、フィロメナもセバスティアンも苦笑した。
「それに、ゼーベルク男爵夫人の披露目なら、少し考えていることもある」
ディートリヒの意外な言葉に、フィロメナは目を瞬いた。
「まずは紅茶本部長の試験からだが——いつがいい?」
「それはお任せいたします。ディートリヒ様とウーヴェ殿のご都合が良いときに」
ディートリヒは頷いた。
「では明日だ」
フィロメナは一瞬固まったが、軽く吐息して頷いた。
「承知しました。それまでに招待状の返事を書いておきます」
セバスティアンがなんとも言い難い微妙な表情で、二人を見て、思う。
ディートリヒは唐突に難題を振る。相手の力量を見極めてのことなのだろう。大抵が、頑張ればなんとかなる、ギリギリの課題だ。
手を伸ばし、飛び上がって指先を引っ掛けて、身体全体を引き上げる。努力を惜しまず、全力を尽くせばなんとかなるかもしれない。指先が掛かることだけはわかっている。そんな状態だ。
そしてフィロメナはそれを、大抵は一拍置いただけで受ける。達成できる目算が立てられるのだろう。
何とも際立った夫婦であることよ、とセバスティアンは嘆息した。
◇
朝一番で、ウーヴェは試験のための茶葉を準備していた。ゼーベルクの紅茶倉庫から選別したもの、ウーヴェ自身が持ってきたもの、そして傷んでしまった茶葉。
茶匙で正確に一杯計り、白い小皿に乗せると、整理整頓し、並べ、順番を入れ替えた。
十数枚もの小皿に乗った茶葉は、一見すると同じものにしか見えない。
準備を見守っていた金髪の食品室女中——ウィルマは、思わず嘆息した。
単に見守っていた訳ではなく、手伝いに来たのだが、ウーヴェに"手を出すな"と一喝され、仕方なく壁際で作業を見ていたのだ。
「何だ」
ウーヴェは振り返ることなく問い、ウィルマは緊張しながらも答えた。
「いや……さすがに奥様も、こりゃあ難儀するんじゃないかと思って」
ウーヴェは鼻を鳴らした。
「この程度で音を上げるなら、紅茶本部長など夢のまた夢だな」
ウィルマはうへえと口を歪めた。
丁度それを見計らったような頃合いで、部屋の扉が開いた。フィロメナとギーゼラが入ってくる。ディートリヒは不在だが、見届け役だろう、総支配人のハインリヒが入室した。
「では、ウーヴェ殿、奥方、宜しいか」
「応」
「はい」
二人が頷き、ウーヴェはフィロメナを卓の横に呼び付けた。ウィルマはギーゼラにこっそりと肘打ちをする。
何だ、と視線を向けたギーゼラに、ウィルマは小声で——ほぼ吐息で囁いた。
「いいんですか、奥様をあんなぞんざいに扱って」
ギーゼラは顔を歪めた。
「いいわきゃないでしょう」
それだけ言うと、ギーゼラは姿勢を正してフィロメナとウーヴェに意識を集中した。
ウーヴェはフィロメナに命じる。
「右から順番に種類を答えろ」
フィロメナは頷いて、一番右の皿を手に取った。
茶葉を観察し、匂いを嗅ぎ、ひとつまみ触ると皿を置いた。
「チャメリー、夏摘みです」
ウーヴェは頷いた。
「正解だ。次」
「はい」
そんな調子で五つ、六つ答えた後、フィロメナが少し首を傾げた。
「どうした?」
「配合の割合も答えるべきでしょうか」
ウーヴェは頷いた。
「当然だな」
フィロメナは目を細め、茶葉を観察し、匂いを嗅ぎ、指先で茶葉をそっと撫でた。そしてもう一度匂いを嗅ぐ。
「グラーブの春摘みが二、チャンパの春摘みが一、カムルの夏摘みが一」
「正解だ」
試験を見守っていたハインリヒが眼鏡の縁を持ち上げ、ウィルマがすげえ、と呟き、ギーゼラは頷いた。
その調子でどんどんと試験は進み、フィロメナはすべての茶葉の種類を当てた。
ウーヴェは頷き、次の課題を出した。
「次は、皿を等級順に並べ替えろ」
フィロメナは少し考えた。
「同じ等級のものは、同じ段に並べた方が良いですか?」
「好きにしろ。同じ等級と分かれば、どんな置き方でも構わん」
フィロメナは頷いて、皿を丁寧に並び替えていった。ギーゼラにもウィルマにも、勿論ハインリヒにも、どの皿が何の茶葉なのかはもう分からない。
「できました。右から順に特級、一級、二級、三級、規格外です」
ウーヴェはひとつひとつ皿を確認した。
「ひとつ聞く」
「はい」
「パリジャートの春摘みが、何故一級なんだ」
フィロメナは迷うことなく答えた。
「通常ならば特級に入りますが、この茶葉は少しだけ湿気を含んで重くなっています。ほんの少しですが、特級のパリジャートに比べ、香りが劣ります」
ウーヴェは黙った。フィロメナを見据え、茶葉の皿に目を移し、ゆっくりと頷く。
「——合格。次はこれを古い順に並べ替えろ。等級はバラバラで構わん」
「はい」
皿が入れ替えられていく。もはやパズルだ。部外者三人には何も分からない。
ウーヴェは並べ替えられた皿を確認し、聞く。
「一番古い茶葉は何年ものだ?」
「三年です」
フィロメナは停滞なく答えた。
魔法にしか思えないと、ギーゼラもウィルマも思った。ハインリヒは静かに眼鏡の縁を持ち上げ、目を細めた。
「単一茶葉と配合茶葉とに分けろ」
ウーヴェの言葉に対応し、フィロメナは流れるような動きで皿を動かした。
「先程規格外にした茶葉。その理由をひとつずつあげろ」
フィロメナはひとつずつ皿を引き寄せた。
「ゲーンダーの秋摘みですが、劣化しています。おそらくは二年物ですが、発酵が過剰です。こちらは配合が正確ではありません。一対一対三が正しい筈ですが、一対一対二です。味の調和が崩れます」
ウーヴェは眉を寄せた。
その表情にフィロメナは目を瞬く。一瞬だけ、失敗したかと心配したが、ウーヴェはしっかりと頷いた。
「合格だ」
フィロメナは、ほっとしたように吐息をこぼした。
「次は技術を見る。給湯室へ行くぞ」
ギーゼラが目を剥いた。
「まだやるんですの?」
ウーヴェは顔を顰めると、ギーゼラを睨みつけた。
「まだ一つ目だ。課題はいくらでもある」
「マジか!」
ウィルマが叫び、慌てて口を両手で塞いだ。ウーヴェが鋭い視線を向けていた。
「邪魔するなら——」
「邪魔しません。すんませんでした!」
最敬礼するウィルマを一瞥し、ウーヴェはフィロメナに向き直った。
「改めて、給湯室だ」
「はい。お願い致します」
フィロメナは丁寧に一礼した。




