第十話 女主人の資格
夜、ディートリヒはフィロメナを執務室に呼び出した。寝室で話せばいいのにと思ったが、場所を改めた方が良い話なのかもしれない。
フィロメナは気持ちを引き締めた。
「失礼いたします」
ギーゼラを伴い執務室に入り、フィロメナは目を瞬いた。ディートリヒの執務机の横、執事長のセバスティアンと家政婦長のカーリンが控えていた。
居住棟ではなく執務棟ということは——
「悪い話ですか」
フィロメナが身構えるのに、ディートリヒは少しだけ顔を顰めて首を横に振った。
「いや、ああ。あまり良い話ではない」
ギーゼラが挙手した。
「——あの、失礼ながら私の話でしょうか」
「ギーゼラ?」
フィロメナは目を瞠り、セバスティアンとカーリンが揃って頭を下げた。
「申し訳ありません」
「私たちの管理が行き届きませんで」
フィロメナは改めてギーゼラを振り返った。
「何があったの?」
心配気な灰青色の眸が揺れているのを見て、ギーゼラは気まずげに頬を掻いた。榛色の眸が宙を泳ぐ。
「まあ、ちょっとした揉め事と言いましょうか……ですが、大したことではございません」
話したがらないギーゼラに、フィロメナはカーリンを見た。相変わらず縦にも横にも大きく、けれど今日は迫力が控えめだ。
「カーリン、説明を」
フィロメナの硬い表情に、カーリンは溜め息を吐いた。
「ギーゼラさんに嫌がらせがありました。一度ではなく、数度」
フィロメナは驚いてギーゼラを振り向いた。ギーゼラは相変わらず気まずげだが、辛い表情ではなかった。そのことに、わずかだが安心する。
「何をされたの? あなたは大丈夫? 何故そんなことに——」
ギーゼラが口元を歪めた。笑いたいような、苦いような、なんとも言えない表情だった。
「ええと、私が奥様を独占していると、苦情がありまして」
フィロメナの目が点になった。
「は?」
「その点については私にも非がある」
「ディートリヒ様?」
狼狽えるフィロメナにディートリヒは頭を下げた。
「ギーゼラが君を独占しているという使用人たちの戯言に、同意を示すような発言をした。すまない」
フィロメナは額を押さえた。動揺している自覚があったので、軽く息を吸い、ゆっくりと吐いた。
「——何があったのか、ご説明願えますか? 意味がわかりません」
セバスティアンが苦く顔を顰めて、言う。
「ギーゼラさんが奥様を独占し、使用人たちと会話をさせないようにしているとの誤解がございました」
フィロメナはこめかみを揉みほぐす。理解できない。
「——何がどうなって、そうなりましたの」
「ギーゼラさんは奥様のご負担を軽減しようとして、色々動いておられます」
「職務ですから」
ギーゼラは頷いた。
「それがどうして独占なんて——」
「皆、君と話したいんだ」
ディートリヒの言葉にフィロメナは首を横に振った。
「話したいことがあれば時間を取りますのに、何故……」
「時間を取るというのは、君の自由時間が減るということだ」
ディートリヒの言葉に、フィロメナは顔を上げてギーゼラを見た。
「まさか、それを気遣って、あなたが矢面に?」
「いえ、基本的にはブルーメンフェルトのお屋敷と同じです。同じですが——それが気に入らないようでして」
フィロメナはああ、と吐息した。だいたいわかった。
「ゼーベルクのお屋敷の流儀とぶつかったのね」
「まあ、そんなところです。私は新参者ですから、気に食わない点も余計に目に付くんでしょう」
ギーゼラは苦笑した。
「ブルーメンフェルトのお屋敷では、お嬢様、いえ奥様は常に時間に追われておいででしたから、無理にでも休ませないと倒れておしまいになるので」
フィロメナが苦笑した。
「無理やり寝台に押し込められたこともあったわね」
「ゼーベルクのお屋敷では、また違った忙しさがお有りです。奥様が慣れるまでは、煩わしさを遮断して置きたかったのですが」
「私を庇ってあなたが傷付いては本末転倒よ。だって、あなたがいなければ、私が成り立たないのだもの」
「お言葉、痛み入ります」
フィロメナはけれど困ったように眉を下げ、ギーゼラの手を取った。
「でも、どうしたらいいのかしら。私がもっと気を付けていれば——」
「そうさせないために私がおります」
ディートリヒは溜め息を吐いた。
「ギーゼラに嫌がらせをした女中はすべて解雇する」
ギーゼラがぎょっと目を見開いた。
「お止めください、旦那様。些細な諍いです。職を失うほどの大事では——」
「そうです、ディートリヒ様。話し合いの余地はあるでしょう。まずは私に話をさせてくださいませ」
セバスティアンとカーリンは、顔を見合わせて苦く笑った。お人好しな二人だ。
面倒な女中はクビにして終わり。普通はそうする。
「奥様がお優しいから、皆憧れて、近付きたくて、お声を掛けてほしくて。その障害になるギーゼラさんを排除しようとする」
カーリンが苦々しく言った。
「のぼせ上がった若い娘は厄介です。辞めさせるべきです」
フィロメナは頭を抱えた。確かにそれが最も簡単で、正しい。だが——正しいことは、時に人を傷付けもする。
「例えば——私がその人と話をして、何かが変わったら、他の人がその人を"特別扱い"だと、非難する構図になるわね」
カーリンは苦々しく頷いた。
「そういうことです」
フィロメナは溜め息を吐いて、口元を押さえた。
「どうしたらいいのかしら……」
セバスティアンが重々しく口を開いた。
「奥様。失礼ながらどうにもできません。ギーゼラさんとその女中のどちらかを選ばねばならない時、奥様はギーゼラさんを選ぶでしょう」
フィロメナは深く溜め息を吐いた。
その通りだった。
「——そうね。ギーゼラ無しに、私は成り立たないわ」
「そういうことだ」
頷くディートリヒに、フィロメナは強く唇を噛んだ。
駄目だ。それでは女中が職を失う。解雇となれば、次の職は見つかりにくい。職を失った女性の末路は、大抵が悲惨なものになる。
「——ディートリヒ様、明日からあなたはゼーミュンデですわね?」
「ああ」
「お戻りになられるまで、この事案、預からせてくださいまし」
フィロメナはまっすぐにディートリヒを見、言う。
「何とか解決の糸口を探ります」
「フィロメナ……」
ディートリヒは溜め息を吐いた。
「君ならそう言うと思っていたし、そういうところが愛おしい。だが——君が削れる。負担が大きい。許可できない」
「セバスティアンとカーリンに助力を願います。それでも認めていただけませんか? 私には、まだ屋敷を任せるに足る、女主人の資格はありませんか?」
ディートリヒは顔を覆った。
「セバスティアン」
「——ここまで仰せなのです。奥様にお任せしてはいかがでしょう。私も勿論力を尽くします」
「カーリン」
「私も同じ意見です、旦那様。奥様のご負担はできる限り減らすよう、努力します」
「ディートリヒ様、お願いいたします」
ディートリヒは深く溜め息を吐いた。
「……わかった。だが、帰ってきたときに事態が収拾していなかったら、女中は解雇だ」
フィロメナはしっかりと頷いた。
「わかりましたわ」




