第123話『海を越える窯』
満月の晩餐から数日後――和平の兆しが見え始めた魔王領とセリュード。
だがレンの元へ、思いもよらぬ「海外出張依頼」が舞い込む。
ルグリースの港は、朝日を受けて金色に輝いていた。
魔王領の西の海は荒波で知られており、頑丈な魔導船が行き交う。
レンはその桟橋で、木箱に詰めた石窯のパーツを確認していた。
カイルは腕を組みながら、不安そうに海を見つめる。
「……本当に行くのか? 海の向こうは未知の大陸だぞ」
「行くさ。依頼があるなら、ピザ屋はどこへでも」
レンは笑い、依頼状をカイルに見せた。
そこには、見たことのない文字と、簡単な翻訳文が添えられていた。
『我らは海の彼方の“ソレイユ諸島”。祭礼のため、あなたのピザを求む』
さらに追伸として――『特に甘いピザを』とある。
「……甘いピザ?」
カイルが眉をひそめる。
レンは顎に手を当てて考え込む。
魔族にも人間にも通じる甘さは作ったが、異国の舌となれば話は別だ。
出港の鐘が鳴る。
積み荷の中には小麦粉やチーズだけでなく、魔王領で手に入れた珍しい果実もある。
瘴気酒は持ち込み禁止とされたが、代わりに海藻糖と呼ばれる甘味料を仕入れていた。
魔導船が波を割り、ルグリースの港が遠ざかっていく。
甲板には魔族の船員、セリュードの水夫、そして数人の商人たち。
皆、レンが背負った小型窯に興味津々だ。
昼食時、レンが余ったパン生地で即席ピザを焼くと、あっという間に甲板の人だかりができた。
「これ、売ったら航海費用が浮くぞ」
カイルの提案に、レンは苦笑する。
「……それも悪くないかもな」
だが、海は甘くなかった。
航海三日目、海霧が立ちこめ、船が速度を落とす。
甲板の向こうに、ぼんやりと巨大な影が見えた。
「……クラーケンだ!」
船員の叫び。
海面から現れたのは、長大な触手を持つ海魔。
船は回避行動を取るが、触手がマストに絡みつく。
そのとき、レンが窯を開き、焼き立てのピザを触手へ向けて放り投げた。
驚くカイルの横で、海魔はふんわりと漂う甘い香りに反応し、触手を離す。
巨大な口がピザを丸呑みにし、しばらくして満足そうに海中へ沈んでいった。
「……ピザで命拾いする日が来るとはな」
「ピザは世界を救うってことだな」
二人は顔を見合わせ、笑った。
こうして魔導船は、再び進路を西へと取る。
海の彼方、ソレイユ諸島の港が見えるのは、あと五日後。
レンは甲板で潮風を受けながら、新しい甘いピザの試作を始めていた。
海を越える初めての仕事は、すでに波乱含み。
だが異国の食文化は、レンにとって未知の宝庫だ。
次回、ソレイユ諸島の港と、その華やかな祭礼が待っている。




