第119話『魔王領の香り』
赤砂の峠を越えたレンたちは、広大な草原を抜けて中央交易都市セリュードへ向かう。
だがその空気には、どこか張り詰めた匂い――魔王領から流れてくる瘴気が混じっていた。
馬車の前方に、石造りの城壁がそびえ立つ。
交易都市セリュード――四方の道が交わり、物資も人も絶え間なく行き交う場所だ。
だが門前は、普段の賑やかさとは違い、兵士たちの目が鋭く光っていた。
「魔王領からの密輸やスパイが増えているらしい」
門番が検問しながら、低く呟いた。
市内に入ると、広場で香辛料の香りが漂っていた。
だがその中に、レンは異質な匂いを感じ取った。
湿った土と鉄、そして焦げた樹皮のような――鼻の奥に残る重い香り。
「……魔王領でしか採れない“黒燻香草”だ」
リリアが声をひそめる。
それは強力な防腐作用を持ち、長距離輸送に最適だが、同時に瘴気を帯びる危険な素材でもあった。
その夜、レンは宿の厨房を借りて試作を始める。
黒燻香草を微量だけ使い、他の香辛料で瘴気を中和する。
焼き上がったピザは、深く香ばしい香りと甘みが立ち、噛むほどに旨味が広がる。
味見をした宿の主人は、目を丸くした。
「これ……魔王領の物を使ってるのに、まったく嫌な重さがない……!」
だが、扉の外でその香りを嗅ぎつけた者がいた。
黒い外套をまとった長身の男――肌は死人のように白く、瞳は赤い。
「ほう……人間が、この香草をこのように扱うか」
声は低く、冷ややかだが、どこか楽しげでもある。
男はテーブルに座り、ピザを一切れ口にした。
「面白い……だが、これは戦の匂いだ。いずれ貴様の店にも、戦火が届く」
そう言い残し、闇の中へと消えていった。
残されたレンは、手の中のピザを見つめ、静かに呟いた。
「……魔王領の香り、か。なら、俺はそれを“平和の香り”に変えてみせる」
セリュードで魔王領の素材を扱い始めたレン。
だが、それは旅の方向を大きく変える“魔王との最初の接触”でもあった。




