ダンジョン攻略で修行せよ②
山脈の麓に位置するダンジョンへと向かう道中、俺はイヴミラの魔法によって集中的な治療を受けていた。
心地よい魔力が全身の痛みを和らげ、村での激闘でボロボロになっていた身体が、嘘のように元の状態へと戻っていく。
「ありがとう、イヴミラ。おかげで全快に動けるようになったよ」
「勘違いするな。これはお前が中に入って、す
ぐに死なないための最低限の処置だ」
歩みを進めた先、鬱蒼とした木々の奥に『それ』はあった。
空間そのものがねじ曲がり、青黒い渦を巻いている異様なゲート。ただ見つめているだけで吸い込まれそうになる、未知の威圧感がそこにはあった。
「いいか、アルス。入る前に一つだけ忠告しておく」
ゲートを前にして、イヴミラが足を止め、鋭い視線で俺を射抜いた。
「このダンジョンの戦いにおいて、私は一切手を貸さん。私の力は使わせない。……お前自身の力でダンジョンを攻略し、生き残ってみせろ。器であるお前自身が強靭にならねば、私の力を得ても何の意味もないからな」
「……ああ、承知の上だ。ルミナを取り戻すためにも、絶対に強くなってやる」
俺は狩猟剣の柄を強く握り直し、覚悟を決めて渦巻くゲートの中へと足を踏み入れた。
――視界が歪み、一瞬の浮遊感の後。
俺たちは、広大な地下洞窟の中へと降り立っていた。
壁面には青白く発光する苔が群生し、冷やりとした空気が肌を撫でる。外の世界とは全く違う、異質で濃密なマナが空間を満たしていた。
死と隣り合わせのダンジョン。過酷な現実を突きつけられ、全身の筋肉が緊張で強張る。だが――。
「……お前、少し楽しそうだな」
隣を歩くイヴミラが、ジト目で俺を見上げてきた。
「えっ? そ、そうか?」
「ああ。隠しきれない高揚感が、その顔にありありと浮かんでいるぞ。死地へ赴くというのに、妙な奴だ」
「……村から出たこと、一度もなかったからな」
俺は少しだけ照れくさそうに頬を掻いた。
「外の世界にはどんな景色が広がってるのか、昔からずっと気になってたんだ。修行だってわかってるし、命がけだってことも理解してるけど……見たこともない未知の場所に足を踏み入れることに、ワクワクする気持ちが抑えきれないんだよ」
「ふっ。お前のそういう子供っぽいところは、嫌いではない。……だが、油断はするなよ。来るぞ」
イヴミラの声が一段低くなった直後。
前方の暗がりから、二つの赤い眼光がぬらりと浮かび上がった。
『グルルルゥゥ……ッ!』
現れたのは、巨大な虎のような見た目をした魔獣だった。
体長は俺の背丈の倍以上。全身を鋼のように硬そうな黒い毛皮で覆い、口元からはサーベルのような長大な牙が覗いている。これまでに狩ってきた森の獣たちとは異なり、俺の本能が警報を鳴らすほど、魔力の重圧感が桁違いだ。
「……いくぞ!」
俺は息を吐き、剣に魔力を流し込む。
刀身から漆黒の刃が噴き上がる。俺の唯一の魔法、『魔装剣』。
だが――イヴミラの力を借りていない今の俺の『魔装剣』は、騎士団を薙ぎ払ったあの時の巨大な刃とは比べ物にならないほど、頼りなく、短い。これが、俺自身の本来の力。
「ハァッ!!」
大地を蹴り、一気に間合いを詰めて黒の刃を振り下ろす。
だが――。
『ガァッ!』
「なっ……!?」
魔獣の巨体が、獣特有のしなやかなバネを生かした動きでフワリとブレた。
俺の一撃は虚空を切り裂き、完全に体勢が崩れた俺の無防備な胴体めがけて、魔獣の丸太のような前脚が叩き込まれる。
「が、はァッ……!?」
――グシャリ、と。
皮膚が裂け、肉が抉られる生々しい感覚と共に、鮮血が宙を舞った。
俺の体は紙切れのように吹き飛ばされ、洞窟の岩壁に激突する。
「がっ……は……っ、あ……」
肺から空気が搾り出され、地面を倒れ伏す。
おかしい。何が起きた?
「……なんで、星の加護が……展開、しない……!?」
俺は『星命者』として覚醒したはずだ。騎士団との決戦でも、あらゆる物理的ダメージを目に見えない星の加護によって防がれていた。それなのに、今の攻撃は俺の肉体を直接引き裂いている。
「当然だ。ここは星の理から外れた異空間なのだからな」
血を流して倒れる俺を見下ろし、イヴミラが冷酷な事実を告げた。
「ダンジョン内において、星の加護は一切機能しない。傷つけば血を流し、致命傷を負えば、普通に死ぬ。……だからこそ、強くならなければ生き残れない『修行の場』として、ここを選んだのだ」
「そういう、ことか……っ!」
血塗れた腹を押さえ、俺は必死に立ち上がる。
休む間もなく、虎の魔獣が再び殺意を剥き出しにして突進してきた。
「くそっ!」
魔装剣を振り回し、なんとか迎撃しようとするが、獣の反射速度に追いつけない。
俺の剣撃はことごとく躱され、逆に鋭い爪が俺の肩を、太ももを、腹を次々と切り裂いていく。
視界が血で赤く染まり、呼吸が浅くなる。このままじゃ、一方的になぶり殺しにされるだけだ。
(自分から攻撃を当てに行ってもダメだ。動きを読まれる……!)
ならば。
俺は剣を引いた。自分から踏み込むのをやめ、魔獣の動きを極限まで観察してカウンターに全てを懸ける戦法に切り替える。
『ガロォォォッ!!』
獲物が防御に入ったと見た魔獣が、勝利を確信したように喉を鳴らし、必殺の跳躍で飛びかかってきた。
その軌道を見極め、俺は魔装剣を突き出す――!
「いける……ッ!」
――ザシュッ!!
「がぁァァッ!?」
だが、現実は残酷だった。
カウンターのタイミングは合っていた。しかし、俺の体の動きが、鋭いスピードに全く追いついていない。魔装剣の刃が魔獣に届くよりもほんの刹那早く、奴の牙が俺の左肩に深く突き立てられていた。
「あ、が……っ……は……っ」
肉を噛みちぎられる激痛。魔獣の重みで地面に押し倒され、意識が白濁していく。
全身の骨が軋み、激痛で意識が飛びそうになる。血が流れ出し、まともに剣を振るう力すら残っていない。瀕死、いや、完全な死の淵だ。
(つぎ……次、攻撃をくらえば……俺は、死ぬ……)
極限の恐怖。
しかし、その絶対的な死の気配が、俺の脳を異常なまでにクリアに覚醒させていた。
――ドンッ、ドンッ、ドンッ。
自分の心臓の音が、やけに大きく聞こえる。
俺の上に乗りかかり、とどめを刺そうと顎門を開く魔獣。
その筋肉の収縮、重心の移動、視線の向き。
先ほどまで全く見えなかったその細かな挙動が、スローモーションのように鮮明に感じ取れた。
体が、感覚が、魔獣の動きに『順応』し始めている。
(……ここだ!)
魔獣の牙が俺の喉笛に届く直前。
俺は最後の力を振り絞り、もげそうな右腕を強引に跳ね上げた。
「――『魔装剣』ッ!!」
ズバァァァッ!!
至近距離から下から上へ。漆黒の短い刃が、魔獣の無防備な顎から脳天までを一直線に貫いた。
『ギ、ガァ……ッ!?』
断末魔の叫びと共に、魔獣の巨体がズンッと地に伏せる。
そして、その肉体は光の粒子となってボロボロと崩れ去り――後には、手の平サイズで淡く輝く『魔石』だけがコロンと転がった。
「はぁっ……はぁっ……」
俺は震える手でその魔石を拾い上げた。
冷たい石の感触が、自分が生き残ったこと、未知の強敵に打ち勝ったという確かな満足感を与えてくれる。
「やった……。俺の、勝ち、だ……」
その言葉を最後に、プツリと緊張の糸が切れ、俺は魔石を握りしめたまま完全に意識を手放した。
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「……まったく。無茶な戦い方をする契約者だ」
血だまりの中で倒れ伏したアルスを見下ろし、イヴミラは小さく息を吐いた。
「あれほどまでの実力差。普通なら恐怖で心が折れ、何もできずに殺されているところだ。それを初陣で、しかも死の淵で感覚を適応させてみせるとは」
イヴミラはそっとアルスのそばにしゃがみ込み、その傷だらけの頬を愛おしむようにそっと撫でた。
「だが……よくやったな、アルス。初見でここの魔獣を倒すとは、見事だったぞ。今はゆっくり休め」
誰に聞かせるわけでもなく呟いたその声は、普段の冷たい魔女の姿からは想像もつかないほど、優しく温かいものだった。
彼女は温かな治癒の魔法を契約者の肉体へと注ぎ込み、その身体を宙に浮かせて、迷宮の外へと静かに脱出していった。
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――翌日。
拠点の森で目を覚ました俺は、全身の鈍い痛みを感じながら、改めて自分の無力さを痛感していた。
(死ぬかと思った……。たった一体の魔獣を倒すのに、あそこまでボロボロになるなんて)
極限状態でのカウンターでなんとか勝てたが、あれはただの偶然にすぎない。
ただがむしゃらにダンジョンへ挑むだけでは、いつか必ず死ぬ。身体の芯から作り変えなければ、攻略は絶対に不可能。
今のままでは、王都に連れ去られたルミナを助けることも不可能だろう。
「イヴミラ。ダンジョンに潜る前に、まずは肉体のトレーニングから始めたい。体力、筋力、そして魔力の増加……全部だ」
「ほう。己の未熟さを正しく理解したか。いいだろう、地獄を見せてやる」
それから、俺の過酷な修行の日々が始まった。
普通の鍛錬ではない。イヴミラの魔法によって、俺の身体にかかる重力を何倍にも引き上げられた状態での『魔装剣』の素振りや走り込みだ。
手足が鉛のように重くなり、筋肉が悲鳴を上げて断裂する。『魔装剣』を維持するのも難しい。
身体が限界を迎えるその瞬間に、イヴミラが回復魔法をかけて治癒し、再び限界を超えて身体を酷使させるのだ。
疲労も破壊も許されない、普通の人間なら廃人になるような狂気の修練。だが、それを経てからダンジョンへ潜ることで、俺の身体は少しずつ、確実に戦いの速度に順応していった。
最初は手も足も出なかった虎の魔獣の動きが、はっきりと目で追えるようになる。
カウンターではなく、自分から踏み込んで『魔装剣』を叩き込めるようになった。
さらに奥へと進み、新たな獣型の魔獣たちが次々と襲いかかってきても、俺は冷静に動きを読み、一撃で急所を貫けるようになっていた。
血と汗、そして魔石を積み上げる日々。
こうして――。
「……見つけた」
数十体もの魔獣を倒した先。
洞窟の最奥部で、俺たちはついに『次の階層へ進むためのゲート』を発見した。
それは石造りの重厚なアーチ状の門だった。その内側には、入り口と同じように次の階層へと続く青黒い渦が、静かに脈打つように回転している。
「第一層、突破だ……!」
全身汗まみれになりながらも、俺の胸にはこれまでにない確かな達成感が満ち溢れていた。身体のキレも、魔力の出力も、修行を始める前とは比べ物にならないほど向上している。
「よくやったな、アルス。これでようやく入り口を抜けたというわけだ」
イヴミラが腕を組みながら、満足そうに頷いた。
ようやく、ルミナを助けるための第一歩を踏み出せた。俺は汗を拭い、小さく息を吐く。
だが。
「……ああ。でも」
俺は固く握りしめた拳を見つめながら、ポツリと呟いた。
「この第一層をクリアするだけで……気づけば、『三ヶ月』も過ぎてしまった……」
季節が変わるほどの時間が、すでに流れていた。
ルミナは無事だろうか。俺の焦燥感は、達成感と同じくらい、重く暗く腹の底に渦巻いていた。




