魔女と契約した日②
その夜、俺たちの平穏な日常は、唐突に、そしてあまりにも理不尽に終わりを告げた。
深夜の静寂を引き裂くような、複数の重厚な蹄の音と怒号。
異変に目を覚ました俺が慌ててベッドから跳ね起きると、隣のベッドで寝ていたはずのルミナの姿がなかった。嫌な予感がして外へ飛び出すと、広場には無数の松明の炎が揺らめいていた。
村を包囲していたのは、大国の紋章を掲げた白銀の甲冑の集団だった。隙のない布陣と、闇夜でも鈍く光る重武装の数々――その統制された動きからして、どこかの国の正規騎士団なのだろう。
「こんな夜更けに、何の用かしら。ここは外界から離れた、ただの辺境の村よ」
広場の中央で、マルゴさんやエルマさんたち魔女が立ちはだかっていた。その表情は、いつもの優しい顔ではなく、張り詰めた戦士のものだ。
騎士たちの先頭から、一際豪奢な鎧を纏った男が馬を降りた。マントの意匠や、細部まで装飾された甲冑。誰の目にも、彼がこの部隊を率いる指揮官――騎士団長であることは明らかだった。男は傲慢な足取りで進み出る。
「とぼけるな。この村に『白の勇者』の素質を持つ少女が隠れていることは、我が国の観測で既に判明している。さあ、その少女を出せ」
(白の勇者……?)
物陰に隠れていた俺は眉をひそめた。何の話か、俺には全く見当もつかない。
「……何の話か、全くわからないわね。それに、こんな夜中に完全武装で押し入るような野蛮な連中に、村の子供を渡すわけがないでしょう」
マルゴさんが毅然と跳ね除ける。しかし、その声色には微かな緊張が混じっていた。魔女たちは、おそらくその『白の勇者』とやらが誰なのかを知っているのだ。だからこそ、絶対に守り抜こうと立ちはだかっている。
だが、騎士団長と覚しき男は不快そうに鼻を鳴らした。
「ふん。従わないのであれば、この村ごと焼き払って探し出すまでのこと」
言葉よりも早く、男の腰の剣が閃いた。
鋭い斬撃が空気を裂き、最前列にいたエルマさんの肩を浅く切り裂く。
ポタポタと土に滴り落ちた真っ赤な血から――淡く発光する青白い粒子が、まるで糸のように立ち上り、夜の闇に溶けていった。
魔女の血にのみ宿る、可視化された高濃度のマナの輝きだ。
「ほう……なるほど。流れる血からマナが可視化するとは。よもや、忌まわしき『魔女』の生き残りが隠れ住んでいたとはな」
「……ッ!」
「世界の害悪が、子供を匿い、洗脳しようとしていたか。ならば話は早い。世界のために、貴様らを生かしておくわけにはいかん」
男が、害虫でも見るような冷酷な目で死刑宣告を下す。
「女どもは一人残らず浄化(殺)せ。子供は探し出して生け捕りにしろ」
その直後だった。
俺より先に騒ぎに気づき、広場の隅に隠れて様子を窺っていたルミナが、恐怖のあまり小さな悲鳴を上げてしまったのだ。
「誰かいるぞ! あそこだ!」
鋭い声と共に、一人の騎士が突風のような速度で物陰へ肉薄し、逃げようとしたルミナの腕を乱暴に掴み上げた。
「離してっ! みんなをいじめないで!!」
「ルミナちゃん!!」
エルマさんが悲痛な叫びを上げ、ルミナを助けようと駆け出す。他の魔女たちも一斉に騎士たちへ向かっていった。
「邪魔をするな、魔女風情が!」
騎士たちが容赦なく剣を振るう。エルマさんは身を挺して刃を躱し、素手で騎士の腕に組み付こうとしたが、重装甲の騎士に無造作に蹴り飛ばされてしまった。
「団長! 条件が一致するのは間違いなくこの子供です!」
「見つけたか。でかした。お前はその娘を連れて一足先に王都へ戻れ! 残りの魔女は我々で始末する!」
家屋の陰から広場に飛び出した俺の目の前で、ルミナが騎士の腕に抱え上げられた。男はすぐさま馬に跨ると、泣き叫んで手を伸ばすルミナと共に夜の森へと走り去ってしまった。
「ルミナッ!!」
俺の絶叫は、周囲で始まった凄惨な戦闘の音にかき消された。
「よくもルミナちゃんを……! 許さないッ!!」
血を流しながら立ち上がったエルマさんが、両手から凄まじい熱量を持った炎の渦を放つ。同時に、マルゴさんが不可視の暴風の刃を巻き起こし、騎士たちへと叩きつけた。
ゴォォォォッ!!
直撃を受けた騎士たちが、重い金属音を響かせて後退する。
「ぐぅぉっ!? な、なんだこの威力は!」
「馬鹿な……我々の鎧は、最高位の対魔法の加護が施されているはずだぞ! なぜ装甲が焼け焦げている!」
魔女たちの魔法は、常軌を逸した高い威力を誇っていた。絶対の自信を持っていた白銀の甲冑がひしゃげ、焦げ付くほどの破壊力に、騎士たちは驚愕と焦燥の色を浮かべた。
「怯むな!やはりこいつらは危険だ!ここで絶対に殺さねば、国に仇なす災厄となるぞ!」
団長の怒号が飛び、騎士たちの目に明確な殺意が宿る。
魔女たちの魔法は確かに強力だった。だが、対魔法の加護を完全に貫き、致命傷を与えるには至らない。魔法を放ち続ける彼女たちの体力は無尽蔵ではなく、防御の手段を持たない柔らかい身体は、あまりにも脆かった。
殺到する白銀の凶刃が、次々と魔女たちの身体を貫いていく。
「あ……っ」
エルマさんが血を吐いて倒れ、マルゴさんが地に伏す。優しかった家族たちが、無残に命を散らしていく。
「やめろォォォッ!!」
俺は腰の狩猟剣を引き抜き、ありったけのマナを込めた。刀身から禍々しい黒い刃が噴き上がる。『魔装剣』。持てる最強の一撃を振り被り、諸悪の根源である騎士団長の首めがけて、渾身の力で振り下ろした。
――ギィィィンッ!
「……え?」
肉を断つ手応えは、全くなかった。
俺の放った必殺の刃は、団長の皮膚に触れる数センチ手前で唐突に現れた『半透明の壁』に阻まれ、ツルリと虚しく滑り落ちて地面を叩いたのだ。
「無駄な攻撃だ。そんな子供騙しでは、私の身体に傷一つ、金輪際つけることはできない」
「あ……がっ……!?」
団長が軽く剣の柄で払っただけの一撃が、俺の腹を深く抉った。
肺から空気が搾り出され、体は枯れ葉のように吹き飛ばされる。地面を数メートル転がり、血の味と共に、俺の意識は深い闇へと沈んでいった。
――どれくらい、気を失っていたのだろう。
パチパチと木材が爆ぜる音と、鼻をつく焦げた匂いで、俺は意識を取り戻した。
燃え盛る村。そして、広場を埋め尽くすのは……家族たちの血の海。
エルマさんも、マルゴさんも、村長も。俺を愛してくれた美しく優しい大人たちは皆、物言わぬ骸へと変わっていた。
「……あ、ああ……」
絶望で、声すら出ない。
撤収の準備をしていた一人の騎士が、身じろぎした俺に気づき、舌打ちをしながら剣を抜いて近づいてきた。
「なんだ、このガキ。まだ息があったのか。手間かけさせやがって。死ね」
無造作に振り上げられる白刃を見上げながら、俺は冷たい地面に突っ伏したまま嘆いた。
(なんでだ。なんで、こんな理不尽が許されるんだ。あんなに優しかったみんなが、なんで悪者として殺されなきゃならない。ルミナが何をしたって言うんだ)
(これが……世界の正義か。こんなクソみたいな理不尽が、この世界のルールか!)
欲しい。力が。
今の自分の剣じゃダメだ。誰も守れない。この理不尽な世界を、傲慢な連中を、その正義ごと根こそぎ叩き潰せる、圧倒的な力が欲しい……!!
『――力が欲しいか? 少年』
突如、俺の脳内に直接響いた、凛とした女の声。
氷のように冷たく、ひどく澄んだ声だった。
「……な、んだ……?」
血を吐きながら、俺は掠れた声で周囲を見回す。だが、視界に入るのは冷酷な笑みを浮かべる騎士と、家族たちの亡骸しかない。
『何も守れず、ただ這いつくばって死を待つだけの無力な自分が、この理不尽な世界が憎いか?』
魂の奥底を見透かすような、鋭い問いかけ。
見上げると、血だまりの先、崩れかけている祭壇の底から、眩い光が漏れ出していた。あそこにあるのは……魔女たちが語っていた、村の御守りだ。
「だれだ……っ!どこにいる……!?」
『もし私の願いを叶える盟約を結ぶなら、お前に力を与えよう。お前が望む、その理不尽を壊すための圧倒的な力を』
姿なき声の主が、淡々と、しかし確かな熱を帯びて契約を持ちかけてくる。
『……だが、私の力はあまりにも強大だ。矮小な器では御しきれず、やがてお前自身の身を滅ぼすことになるかもしれない。それでも、破滅の道を進む覚悟はあるか?』
破滅の道を進む覚悟。そんなものは、もう決まっている。
「だれだって、いい……っ」
俺は虚空に向かって、血塗れた右手を力強く伸ばした。
「このふざけた理不尽をぶっ壊せるなら、なんだっていい!俺の命なんてくれてやる!だから……俺に、あいつらを殺す力を貸してくれ!!」
俺が絶叫した瞬間、祭壇の底が目も眩むような光を放った。
直後、光の束が真っ直ぐに俺の元へと飛来し、俺の右手の中に『一枚のカード』として収まった。
途端、俺の全身の細胞が爆発的に作り変えられるような、焼け焦げるほどの熱が走る。
「血迷って天に祈り始めるとは!気でも狂ったか、さっさと死ね!」
俺の叫びを虚勢だと思ったのか、騎士が今にも俺の首めがけて剣を振り下ろそうとする。
俺は、全身の骨が軋む音を立てながら、ボロボロの身体でゆっくりと立ち上がった。手には武器すらない。
だが、目の前の血だまりの中に、殺されたマルゴさんが使っていた一本の短剣が落ちていた。
俺はそれを拾い上げ、自分の中に溢れ出した果てしない黒いマナを流し込んだ。
――『魔装剣』。
バツンッ!! という破裂音と共に、小さな短剣から、身の丈をゆうに超えるほど巨大で禍々しい『黒い魔力の刃』が噴き上がった。
「な、なんだとっ!?」
驚愕して動きを止めた騎士を、俺は自らの手で無慈悲に両断した。分厚い魔法耐性の鎧ごと、紙切れのように斜めに切り裂き、騎士の上半身が地面へと滑り落ちる。
「な、なんだ貴様は……! その異様なマナは!」
異変に気づいた周囲の騎士たちが、次々と剣を抜いて殺到してくる。
俺は虚ろな瞳のまま、巨大な黒い刃を引きずって一歩、また一歩と前へ進んだ。ボロボロの身体は今にも崩れ落ちそうだが、その内側で燃え盛る殺意とマナは、周囲の空気を歪ませるほどに膨れ上がっていた。
「死ねぇっ!」
左右から斬りかかってくる騎士たちの刃を、俺は避けることすらしなかった。
ガキンッ!!
甲高い音と共に、俺の身体の数センチ手前で、唐突に現れた『半透明の壁』がすべての攻撃を弾き飛ばす。
「なっ、防壁だと!?」
驚愕する騎士たちの胴体を、俺の振るう規格外の魔装剣が薙ぎ払った。魔法耐性の鎧など意味をなさない。桁違いの威力と質量を持った黒き剣撃が、騎士たちの身体を次々と両断していく。
「ひ、ひぃぃッ!?」
「化け物だ! 陣形を組――ギャアァァァッ!」
悲鳴が上がり、血の雨が降り注ぐ。俺は満身創痍の足を引きずりながら、立ち塞がる白銀の鎧をただひたすらに叩き斬り、ミンチに変えていった。
残るは、村の出口で馬に乗ろうとしていた騎士団長と、二人の側近だけだった。
「な、馬鹿な……。たった一人で、しかもそんな重傷で……数十人の精鋭を皆殺しにしたというのか!?」
足元まで血の海を広げ、悪鬼のような姿で歩み寄ってくる俺を見て、団長は驚愕に目を見開いた。
俺は何も答えない。ただ、巨大な黒い刃を無造作に団長めがけて振り下ろした。
「舐めるなッ!」
ドンッ!! と空気が破裂するような衝撃。俺の放った黒い刃の前に、団長を守る星の加護たる半透明の壁が自動的に展開される。だが、俺の異常な威力の前に、団長は防壁越しに衝撃を殺しきれず、巨体を大きく後方へ吹き飛ばされた。
「ぐぅあッ!?」
体勢を崩した団長めがけ、俺は息の根を止めるべく、地を蹴ってさらに重い一撃を見舞おうとした。
この威力の連撃が入れば、確実に奴の防壁を削り切り、肉体を両断できる。そう確信した瞬間だった。
団長が、何かを小さく呟いた。
直後、彼の両脇で構えていた二人の側近の身体が、見えない糸に引かれた操り人形のように、不自然な挙動で強引に団長の盾として引き寄せられた。
「えっ……だんちょ――ギャアァァァァッ!!」
俺の振り下ろした黒い刃が、盾にされた側近二人の身体をモロに切断する。
防壁を持たない彼らの肉体は、悲鳴を上げる間もなく無残に弾け飛び、砕けた骨と内臓の雨となって周囲に降り注いだ。
凄惨な血肉の盾によって、俺の攻撃の勢いは完全に削がれた。
「隙ありだ、愚物めッ!『ライトソード』!」
血煙を突き破り、団長の白銀に光る剣が俺の首筋へと迫る。自らの部下を犠牲にして作り出した、必殺のカウンター攻撃だった。
ガキンッ!!
だが、甲高い音と共に、俺の身体の数センチ手前で、唐突に現れた『半透明の壁』が団長の剣を弾き返した。
「なっ……防壁だと!?」
自らの剣が弾かれた衝撃に、団長は目を剥いた。
「馬鹿な……貴様、まさか星の加護を得たというのか!? この短時間で、星命者に覚醒したとでも……!」
団長は顔に付着した血を拭いもせず、冷や汗を流しながら俺を睨みつけた。
このまま互いの防壁を削り合えば、規格外の力を持つこの少年の前に、自分が先に削り切られて死ぬ。そう悟ったのだろう。
「……よかろう。野蛮な殺し合いでは埒が明かん」
焦燥を隠すように、男は懐から禍々しい輝きを放つデッキを引き抜いた。
「決着は、星の聖戦で着けようではないか」
ステラセイド。星が定めたカードバトル。
血と臓物に塗れた殺し合いの最中に、唐突なカードバトルの要求。普通なら狂っていると思うだろう。
だが、星の加護を得て『星命者』として覚醒した今の俺には、その意味が本能的に理解できた。
俺の肉体の限界はとうに超えている。部下を平然と盾にするような男だ、まだ見えない卑劣な奥の手を隠し持っている可能性もある。
確実にこの男を殺し、地獄へ引きずり落とすには、敗者に絶対の服従を強いるステラセイドのルールはむしろ都合が良かった。
「……いいだろう。お前をステラセイドで惨殺してやる」
「ふん。私が勝てば、貴様のカードを戴く!」
「俺が勝てば……お前の、死だ!」
互いの願いが、星の空へと放たれた。
次の瞬間、世界の時が止まったかのような静寂の中、天から厳かで、どこか機械的な声が響き渡った。
『――双方の宣誓を受理』
それは、この世界を監視する『星の意志』そのものの声。絶対なる審判の宣告だった。
『星の意志の下に、これより絶対なる闘争領域を展開する』
星の声と共に、俺と騎士団長を覆い隠すように、巨大な半透明の光の結界が展開された。
周囲の燃え盛る村の風景が消えることはない。だが、この結界の内部は外界から完全に隔絶され、これから始まる戦闘の余波が外へ漏れ出すことは決してない。
ここが、俺とこの男を隔絶する星の聖戦の盤面だ。
「いくぞ。……俺の全てを懸けて、お前を殺す!」
今、命と願いを賭けた、復讐のカードバトルが幕を開ける――。




