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ステラセイド  作者: うつつ戯言


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魔女と契約した日①

 俺達の毎日は、どこまでも穏やかで、少しだけ退屈だった。


 深い森の奥底に、ひっそりと隠れるように存在する『魔女の村』。


 朝は森へ狩りに出かけ、昼は畑の柔らかな土を耕す。それが、物心ついた時からの俺の日常だ。


 ズシン、ズシンと、腐葉土を踏み荒らす重い足音が森の静寂を揺らした。


 鬱蒼と茂る木々の隙間から、大木のような太い角を持つ巨大な獣――角突猪ホーンボアが、荒々しい鼻息と共に姿を現す。


 血走った赤い両眼が俺を捉えた。次の瞬間、木々をへし折りながら、圧倒的な質量が砲弾のごとく突進してくる。


 普通の刃では、あの分厚い外殻と筋肉の鎧を傷つけることすらできないだろう。


 だが、俺には、たった一つだけ使える魔法があった。


「――『魔装剣まそうけん』」


 短く呟き、深く息を吐く。


 構えた使い古しの狩猟剣に、己の体内に巡る生命力――『マナ』を圧縮して流し込む。


 その瞬間、なまくらだった鉄の刀身から、どす黒く禍々しいマナの奔流が噴き上がった。闇を凝縮したような真っ黒な魔力が、強靭な「刃」となる。


 まるで呪われた魔剣のようなおぞましい見た目だが、もろい鉄の分子の隙間に高密度のマナを無理やりねじ込み、結合を強化することで、切断力と耐久力を極限まで引き上げる。不器用な俺が、幼い頃から血を吐くような鍛錬の末に練り上げ、唯一形にできた「俺だけの魔法」である。


 迫り来る巨大な角。俺は足裏で土を深く抉るように踏ん張り、ギリギリまで引きつけてから半歩だけ横にズレた。


 視界を黒い巨体が埋め尽くし、鼓膜を破らんばかりの咆哮と獣臭い突風が通り過ぎる。そのすれ違いざま、体ごと回転させる勢いで、渾身の力を込めた禍々しい黒の刃を振り下ろした。


 ズバァァァッ!!


 硬い骨を断ち割り、分厚い肉を裂く重い手応え。魔装剣は角突猪の巨体をいとも容易く両断した。


 ドスゥンッ、と内臓が揺れるような地響きを立てて獣が倒れ伏し、森に再び静寂が戻る。


「ふぅ……。よし、一撃だ。昔はこいつ一頭狩るのに、罠を張って半日も逃げ回ってたのにな。少しは俺もマシになったか」


 禍々しい黒き光を散らし、元の鉄の剣に戻った刀身を鞘に収める。


 ふき出した汗を手の甲で拭い、大きく息を吐いた。


 自身の肉体にマナを巡らせて筋力を強化すると、俺は自分の背丈より大きな獲物を軽々と担ぎ上げ、村への帰路についた。


「おーい! お兄ちゃーん!」


 村の広場に戻ると、陽光を反射してきらきらと輝く髪を揺らしながら、妹のルミナが駆け寄ってきた。


「わあ、すごい大物だね! お兄ちゃん、どこか怪我してない!?」


「ああ、ただいま。かすり傷一つないよ。今日の夕飯はご馳走だな」


「やったぁ! わたしもね、エルマたちと一緒に甘いお野菜いっぱい採ったんだよ。今日はお肉たっぷりのシチューにしてもらおうね!」


 獣の脂や泥で汚れた革手袋を引き抜き、えへへ、と太陽のように笑うルミナの頭を素手で撫でる。


 しばらくルミナと話していると、ふわりと甘い花の香りと薬草の匂いが入り混じった風が吹き、村の大人たちがわらわらと集まってきた。


 彼女たちは皆、血の繋がりこそないものの、俺たち兄妹を本当の子供のように可愛がってくれる、お節介で優しい「魔女」たちだ。


 魔女という種族は非常に長寿で老いが遅いらしい。ここにいる大人たちは皆、実年齢こそ計り知れないが、見た目は二十代の若々しく美しい姿のままである。客観的に見ても、息を呑むほどの絶世の美女ばかりが揃っていた。


「あらあら! アルスったらまた逞しくなって。こんなどデカい猪を一人で狩るなんてねぇ」


 豊満な胸を強調するように腕を組み、艶やかな唇を歪めて笑うのはエルマさんだ。


「ほんと。こんないい男、『女の子』たちが放っておかないわよ。ねえアルス、悪い虫がつく前に、今のうちにお姉さんがたっぷりと味見しておこうかしら?」


「ちょっとエルマ、過激な冗談はやめなさいな。アルスの顔が真っ赤じゃないの。……で、アルス? お姉さんたちのうち、結局誰のおっぱいが一番好みなの?」


 穏やかで母性的な笑顔のまま、さらりととんでもないことを言うのはマルゴさんだ。魔女たちが悪戯っぽく笑い声を上げる。


「エルマさん、マルゴさん……お願いだからからかわないでくれよ。それに、この村に俺とルミナ以外の子供はいないだろ。比較対象がおかしいって」


「あら、私はいつだって本気よ? それに、こんな美女たちに囲まれて暮らしてるなんて、他の男たちが聞いたら嫉妬で狂死するわね」


「だーめ!!」


 冗談めかして俺の腕に絡みつこうとしたエルマの腰を、ルミナがポカポカと叩いた。頬をぷうっと膨らませて、まるで威嚇する子猫のようだ。


「お兄ちゃんはルミナのお兄ちゃんなんだから! 大きくなったら、ルミナがお兄ちゃんのお嫁さんになるの!」


「あらやだ、可愛い! 堂々と宣戦布告されちゃったわねぇ」


「ルミナ、前にも言ったけど兄妹は結婚できないんだぞ……」


「血、繋がってないもん! 絶対絶対、お嫁さんになるの!」


 俺が呆れてため息をつくと、魔女たちはさらに腹を抱えて笑い転げた。


 やがて日が落ち、広場の中央で大きな鍋が火にかけられる。


 パチパチと爆ぜる薪の音に、カチャカチャと食器の鳴る音。鍋からは猪肉のシチューの、胃袋を力強く掴むような匂いが漂っていた。


「ほらアルス、遠慮しないでいっぱい食べなさい。育ち盛りなんだから」


「ありがとうございます。……すげぇ美味い。肉が口の中でとける」


 熱々のシチューを頬張る俺を見て、エルマさんが優しく微笑みながら、ふと思いついたように口を開いた。


「そういえばアルス。剣術だけじゃなくて、カードバトルの腕もずいぶん上がってるわね。この間なんて、村で一番強い村長から遂に一本取ったじゃない」


「まだまだですよ。まぐれ勝ちみたいなもんですし」


「謙遜しないの。あなたのデッキ構築と戦略、すごく洗練されてきたわよ」


 ステラセイドと呼ばれるカードバトル。


 このステラセイドの強さが、地位、富、権力、そのすべてを決める絶対のルールとなっているらしい。


 外の世界では、魔女たちは理不尽に忌み嫌われ、深い森の奥で隠れるように暮らすことを余儀なくされている。


 俺には、密かな野望があった。


 俺がステラセイドで最強のプレイヤー『一番星命者ステラ・ホルダー』になれば、圧倒的な地位を得て、世界に対して発言権を持つことができる。


 そうすれば、この優しい魔女たちを誰にも迫害させない、堂々と日の当たる場所を歩かせてやれるはずだ。


「わたしもね、お兄ちゃんにカード教えてもらったんだ! いっぱい練習して、お兄ちゃんより強くなるんだから!」


「ふふっ、二人とも頼もしいわね」


 マルゴが優しく微笑み、隣に座るエルマと顔を見合わせた。少しだけ、その表情に真剣な色が混じる。


「ねえ。アルスがこのまま強くなって、いつか外の世界で戦うつもりなら……そろそろ、村の『御守り』を、この子に持たせてもいい頃合いじゃないかしら?」


「えっ」


 思わぬ提案に、俺は顔を上げた。


 村の御守り。村長の家の祭壇で飾られている特別なカードのことだ。途方もない力が封じられているとだけ聞いているが、俺はまだその絵柄も、具体的な能力も知らない。


「ちょっとマルゴ、いくらなんでも気が早いわよ。でも……そうね。アルスが将来、一番星命者を目指すなら御守りの力が必要になるかもしれないし、ちょうどいい時期なのかもしれないわね」


 彼女達が、その御守りの正体を知っている者特有の、どこか誇らしげで優しい笑みを浮かべる。


「お、俺にはもったいなすぎますよ!」


 俺は慌てて首を振った。


「そもそも俺は、皆さんに拾ってもらって、ここまで育てていただいた身です。命を救ってもらった上に、こんな温かい居場所までくれた……。それだけでも一生かかっても返しきれない恩があるのに、村の皆さんが大切にしている御守りまで貰うなんて、申し訳なくて受け取れませんって」


 俺の言葉に、エルマさんとマルゴさんは少しだけ目を丸くした。


「まずは自分の力で、もっと強くなります。もし、いつか俺が外の世界に出て……理不尽な世界から、この村の皆を守り抜けるくらい強い男になれたら。その時は、俺に持たせてください」


 俺は内に秘めていた思いを、まっすぐに彼女達の目を見つめて告げた。


 いつか必ず、魔女達の盾となり剣となる。堂々と日の当たる場所を歩かせたい。それが俺の生涯をかけた恩返しだからだ。


 必死に思いを伝える俺を見て、魔女たちはふわりと目を細め、ひだまりを見るような愛おしそうな視線を向けてきた。


「えらいわねぇ、アルスは。本当に、真っ直ぐないい子に育ってくれたわ」


「本当ね。あなたが一番星命者を目指して、いつかこの村を旅立つ日が来るのはわかってるけど……こんなに頼もしくなっちゃうと、いざ送り出す時がとても惜しいわ」


「俺の帰る場所はこの村だけですよ。必ず、皆が笑って暮らせる世界にして、胸を張って戻ってきます」


 俺は照れ隠しに苦笑しながら、まだ熱いシチューを喉の奥に流し込んだ。胸の奥が、温かいもので満たされていく。


 俺達の毎日は、どこまでも穏やかで。


 この幸せな退屈が、村を旅立つその日まで、ずっと続くと思っていた。


 ――その日、白銀の侵略者が現れるまでは。


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