割り込み番外編5 「歩の宵夢」
鳴沢歩は実行委員長の腕章を外し、ほっと息を吐いた。
彼の他には誰もいない教室。校舎の一階にある一年A組は、電気を点けずとも窓の外に吊るされた提灯のおかげでぼんやりと明るい。
外はすっかり夜になり、中庭のほうから太鼓の音が聞こえてくる。夏祭りのメインイベントである打ち上げ花火を無事に終え、中庭に設けられた特設ステージでは後夜祭の催し物として盆踊りが行われており、生徒たちはみなそちらに集まっているようだ。
――とにかく、無事に終わってよかった。
出し物の企画から始まって、いつしか学年の実行委員長になってしまい、途方に暮れたときもあったが、花火さえ終わってしまえばもうさすがにお役御免というものだ。
「けど、あれはヤバかったな」
今朝、怪我人が出てしまったことが、歩の脳裏をかすめる。
あとから聞いた話だが、現場ですっかり適切な処置がされていたおかげで、搬送先では骨折箇所の固定がすぐに行われ、あとは精密検査だけで入院も必要ないとのことだった。
「勇さんがいてくれて、本当によかったな」
いくら医者だからといって、あんなふうに慌てず騒がず、落ち着き払って対応できるものなのだろうか?
――否。
救命救急という、命の現場の第一線でやっているからこそなのだろう。以前警察署でも、突然の病人を助ける勇介を見た。歩の中で、勇介は誇らしい家族であると共に、自分の目指す憧れ、将来の目標になっている。
ポケットで携帯が震えた。
画面を見ると、メッセージは無く、肩を並べて浴槽につかっている勇介と渚のツーショット写真が添付されていた。渚を腹の上に乗せているから、絶妙な感じで局部が隠されているのだが……
何枚か添付されているのを順に見ながら、
「ぷっ!」
歩は思わずふきだす。
「なんだよ勇さん、このふやけたようなニヤケ顔は」
テキパキと怪我人を処置して周囲からの羨望を集めていた噂のイケメン医師・北詰勇介のこんな顔を知っているのは自分だけだと思うと、なんだかついこちらもニヤケてしまう。
メッセージは書かれていないが、たぶんこれは早く帰って来てくれという、勇介特有の遠回しなお願いなのだろう。
「勇さん、お疲れ様。ありがとうな」
渚の面倒をみることよりも、突然のマキ子の登場に、さぞ驚いたことだろうと思う。
勇介が自分の母親と疎遠にしているのも、その理由も知っている。それは、親子の問題だとずっと思っていた。自分は口を出すべきではないと。でも……
――家族。
そう、勇介がいつも言ってくれた。家族なんだから、と。ならば、これはもう、二人だけの問題じゃないはず。
先日のマキ子の様子を見て、歩はとことん関わって行こうと決めたのだ。色々なことを、流してはいけない。特に、大事な人たちとのことは、決して無関心ではいけない。
そして、今日、二人を会わせることができた。あの騒がしいカフェで、いったい何を話したのか、また、話さなかったのか、それはわからないけれど、コーヒー一杯飲み終わったときの二人は、明らかに表情が違っていた。
――怒っているかな?
それを確かめるように、勇介に声をかけ、マキ子に触れた。そして歩は、今日、どうしても二人を会わせたくて、それが実現して、本当によかったなと笑みをこぼす。
「だって、今日は勇さんの誕生日だからね」
何をプレゼントすればいいのか、ずっと考えていたけど、きっと、一番自分らしいプレゼントになったんじゃないかなと、歩は心の中で自画自賛している。
「さて、早く帰らなくっちゃ」
財布を取り出し、ケーキの予約引換券を確認すると、歩は走って教室を後にした。




