6.ブラット商事
翌週、マリアが内務省に出勤すると、朝露の残る広場に黒塗りの馬車が停まっていた。朝陽が車体に反射し、金色の紋章が浮かび上がっていた。その横に、外套を着たクリスが立っていた。
出勤してくる内務省の職員は、クリスの前で足を止め、深々と頭を下げて正門をくぐっていた。白髪交じりの年配の職員も恭しい礼をしていた。ただの経理部長に対する対応として違和感があった。いつもの出勤風景のはずが、クリスの周りだけが妙に浮いて見えた。
マリアに気付いたクリスが、片手を高く挙げて振った。朝の光を受けて、クリスの金髪が輝いていた。
「さあ、乗って」
クリスはキャビンの扉を開け、マリアを丁重に中へと促した。この馬車でブラット商事へ向かうのだろう。
ヘルマン王国は財政難だと聞かされていたのに、豪華な馬車だった。座席には艶やかな布が張られ、窓は繊細な彫刻が施されていた。マリアは無駄遣いを指摘しようかと思ったが、口には出さなかった。今はそれよりも優先すべきことがあった。
中心街を離れると、朝陽で輝く麦畑と灰色の山が広がっていた。揺れる車内で、マリアはブラット商事での調査手順を説明した。クリスは頬杖をつきながら時折相槌を打つだけで、曖昧な表情を浮かべていた。
やがて馬車が速度を落とすと、ブラット商事に到着した。
正門をくぐると、石炭を積み上げた貯蔵用の倉庫が視界に入った。埃っぽい空気が漂った敷地。強い匂いが鼻をついた。倉庫を抜けた先に、煉瓦造りの質素な事務所が建っていた。
事務所の前には、恰幅のよい中年男性と穏やかそうな女性が立っていた。馬車が停まると、中年男性は腹の突き出た体を折るようにして深々と頭を下げた。
「パオロ・コンティです。ブラット商事の社長をしております」
パオロは額の汗を拭いながら、隣の女性に視線を向けた。
「経理担当の、モニカ・ラビアです」
モニカは伏し目がちに小さく会釈をした。その仕草は、どこか落ち着かないように見えた。
パオロは二人を会議室へと案内した。
窓に厚い布が掛った部屋は、昼間なのに薄暗かった。蝋燭の灯りが照らす木机には、革表紙の帳簿が積み上げられていた。
「ありがとうございます」
クリスが礼を述べる横で、マリアは帳簿の山へと手を伸ばし、書類の確認に取りかかった。
紙をめくる音が、静まり返った部屋に響いた。
ブラット商事は、三カ所の鉱山から石炭を仕入れ、それを十の製鉄会社へ卸していた。過去五年間の帳簿の数字を追っていくと、そのうち二カ所の鉱山からの仕入には不正を疑わせる点は見られなかった。一方で、ウォルターズ鉱山からの仕入単価は不定期に上下していた。仕入単価は、他の鉱山と比べて常に一割ほど高かった。
これが、ブラット商事の粗利率が低い理由だろう。
長期契約に基づく石炭の仕入は、単価が一定のはずだ。それなのに、ウォルターズ鉱山からの仕入れは変動していた。
つまり、多く支払った代金の一部が、どこかへ還流している可能性が高い。
「ウォルターズ鉱山からの仕入単価が、他の鉱山よりも約一割高くなっていました。石炭の仕入は長期契約のはずですから、本来なら単価は一定のはずです」
帳簿から顔を上げたクリスは「仕入代金の水増しだね」と低い声で言った。窓の隙間から漏れる光が、クリスの横顔を照らしていた。
「きっと、仕入代金を多く払って、キックバックをもらっているのでしょう」
マリアが小さくため息をつくと、対照的にクリスの目がきらりと輝いた。不正を発見したのに、クリスは憤るどころか、謎解きを楽しんでいるようだった。その温度差に、マリアは苛立ちを覚えた。
「パオロに理由を尋ねれば、証拠隠滅に動く可能性があります。まずは証拠を押さえるのが先です」
薄暗い会議室にマリアの声が響くと、蝋燭の炎が揺れた。
「どうするつもり?」
クリスが身を乗り出すようにして尋ねた。
「……ウォルターズ鉱山に、反面調査はできますか?」
クリスは「できるよ」と頬を緩めて微笑んだ。薄暗い部屋で、その笑みがやけに明るく浮かび上がって見えた。
何がそんなに嬉しいのか? マリアには理解できなかった。
マリアはもう一度、深いため息をついた。




