第5話 鍛錬
十二歳となった私、ヴィクトールは現在中庭へ連れ出されている。
「ヴィー、今日も鍛錬に行くぞ!」
無骨な兄上は痩せ身の私の身体つきを嫌い、「もっと肉を食え」だの「太れ」だのと勝手な事を宣い、今日も中庭へ連れ出し私を暴行する趣味に没頭している。
勿論、本人は暴行をしているつもりはない。
本人も言う通り、これは鍛錬なのだろう。
魔術ばかりに傾倒してしまった私を陽の下へ連れ出す事自体はまぁ分からんでもないが、支配者たる私を無理に連れ出し、中庭で児童虐待とは良い趣味をしている。
児童相談所に連絡されるべきは私であった。
「兄上、私にはそこまでの筋肉は不要です」
「何を言う!ヴィーも王族なら男らしくあるべきだ。安心しろ!私との鍛錬を続ければいつの間にか美しい腹筋が身についている!」
それを不要だと言っているのが分からないのか、この筋肉バカめが。
ただ、悪い事ばかりではない。
魔術は私の未知であり、希望だ。
この世界には身体強化術式というものが存在するらしい。
彼らの理屈はよく分からなかったが、要するに全身の膂力を強化するものだ。
(なんと非効率的なのだ)
私は身体強化術式の無駄に気づいている。
これを開発した者は脳みそにまで筋肉が敷き詰まっているに違いない。
まぁ、本来魔術師という職業の人間には不要なものだからな。
造詣が深ければ深いほど、身体強化術式に疎くなる。
仕方が無いし、この世界の科学の発展具合から考えても、この術式をこれ以上磨くのは困難だっただろう。
だが、地球の筋組織の知恵を得ている私にとっては全身を常に強化するなど無駄以外の何物でもない。
「"部位強化"」
私は、自ら開発した術式にそう名付けた。
簡単な話だ。
例えば目の前の相手を右腕で殴る時、髪の毛の先まで強化する必要があるのか?
答えはノーだ。
インパクトの瞬間の0.01秒だけ、必要な筋肉だけを強化出来ればいい。
「ぬおっ!」
全身に強化魔術を施している脳筋の兄上は、急加速した私の拳をマトモに受ける。
右ストレートを放つ際に必要な筋肉は全身ではない。
必要なのは大腿四頭筋の蹴り出し、広背筋の回旋、そして上腕三頭筋の伸展だ。
必要な時にだけ、必要な分を強化する。
それが身体強化術式のあるべき姿だ。
それだけで本気で魔術を使用したディルック兄上を、出力される膂力においては完全に上回る事ができる。
何分も全身を強化し続けるなど、誰もいない部屋でエアコンを全開にしているような白痴の所業である。
私にはできん芸当だ。
だが、ここだけは常に強化しておくべきという部位がある。
『目』だ。
目を強化していくと、視力だけではなく動体視力まで強化される。
兄上との戦闘で身につけた知恵だ。
(兄上のフォームは無骨で力強いが、右の大振りの際、左足の親指に重心が残りすぎている。つまり、人間の構造上、そこから左側へのステップは0.15秒遅れる)
――であるならば、私はただ、一センチだけ首を傾げて拳をかわし、相手の膝の裏を軽く突くだけでいい。自重で勝手に崩れ落ちる。
「ぐおおぉ……」
実に面白い。
バカだバカだと内心で罵っていた兄上だが、よもや魔術の深淵を覗かせるキーの一つだとは思わなんだ。
「感謝するぞ、ディルック兄上。貴方のお陰で私はまた強くなった」
「お、お前……」
まるで畏怖するかのように私を見上げた。
さもありなん。
もうとっくに十八の年齢を超えた筋骨隆々の兄上を、大して魔力を用いていない痩せ身の魔術師が肉弾戦で圧倒した事実。
それは彼のプライドを大きく傷つけた事だろう。
「汗をかいたか……。着替えを用意しろ」
「かしこまりました」
私はメイドのアルファと共に中庭を去る。
最早ディルック兄上……いや、ディルックになど興味は無い。
私は支配者だ。
他人のプライドの上に胡座をかいて君臨する愚者の王。
貴様ら程度に止められるなどと思うな。
◇◇
無論、私の真空を目指した術式開発は怠ってなどいない。
大きな消耗をしない程度に、気圧を低下させる術式はディルックとの戦闘中にも常に展開していた。
0.87気圧。
これが一番消費魔力と効果のコストパフォーマンスに優れたバランスだ。
広範囲を低気圧にさせることで低酸素状態を作り出し、体に圧力をかける事ができる。
あの筋骨隆々の体力オバケであるディルックですら、戦闘中に限り数分で息切れさせる事が可能だ。
それに、戦闘の達人であれば呼吸というものをとても大事にしている。
地球のオリンピックアスリート達は、こぞって呼吸法というものを学んでいた。
それは普段の調子を出すため、完全な状態の自分を呼び起こすために必要不可欠な要素であるからだ。
その酸素状況を、息切れさせる為だけに戦闘中に調整させられるというのは、達人であればある程効く。
しかも、0.87気圧程度であれば現状使用魔力としては大した事がない。
爆発的な効果は無いが……いや、あのディルックを数分で息切れさせるのだ。持久戦に持ち込めば凡庸な魔術師ですらまともな戦いになるかもしれない。
そう考えると、爆発的な効果と呼べるだろうか。
そして────真なる爆発は、もうじき完成する。
「ヴィクトール様!」
それは、今こちらに駆け寄ってきたリズベット嬢の成果でもある。
「リズベットか。また来たのか?」
「はい!でも殿下、リズと呼ぶようにと前回もお伝えしましたよね?」
この女は、当然の如く帝国第一学院に通っている。
今は年齢的に初等部から中等部にかけての段階だろうか。
ちなみに私は十五歳で終了となる中等部までは免除されている。理解のある我が父による差配だ。
さすがに高等部は王族として編入しなければならないが、編入試験は入学試験より難易度が高いとの噂だ。
満点で合格すれば文句も無いだろう。
リズベットは初めて会った八歳の頃より、その青白い髪は滑らかさを増し、大きい瞳はまるで吸い込まれそうな程に私を見つめている。
随分と大人びたように見えるのだが、私に命令するとは大変度胸のある女である。
「……私は全ての支配者だ。お前の命令に従うことはない」
「では、そのままリズベットとお呼びください」
リズベットはニッコリと微笑みながらそう口にした。
一瞬コロッと変わった意見に頭を悩ませたが……やられた。
これでは、どちらの名前で呼ぼうがリズベットの言いなりになってしまうだろう。
「リズベット」と呼んでしまえば今のリズベットのセリフを肯定し受け入れ従う事になり、「リズ」と呼べば彼女の計画通りだ。
こやつめ、私が『命令』という単語を出すまで粘っていたな?
「……遊びは終わりだ。地下実験棟まで行くぞ」
私は子供の遊びに付き合っている暇など無い。
リズベットの言う事を無視して行き先を指定する。
「はい!」
嬉しがっているのか、それとも私の反応を面白がっているのか、上機嫌な様子のリズベットだ。
……十二歳の娘の言いなりになってたまるか。
まぁ、いい。
所詮この程度の事など無意味だ。
今宵、完成する真空術式に比べれば、全ては些事。
全てが私にひれ伏し、頭を垂れるだろう。
それは比喩でもなんでもない。
真空とは、空気とは、そういうものだからだ。




