第2話 転生
『死』
私を襲ったのは死の概念だ。
私は常々思っていたのだ。
魂とは何か、と。
アメリカの医師、マクドゥーガルが行ったとある実験では、魂の質量は約21グラムだと定義されたらしい。
結核の患者を死ぬ前と死んだ後で正確に重量を測った際に、21.3グラムの誤差があったという話だ。
ハイデガーは『死』を概念的に捉えようとしたのに対し、マクドゥーガルは『死』を物理現象として捉えようとしたのだ。
私はどちらも正しく、間違っていると思っている。
死とは概念でもあり、物理現象でもある。
何故ならば、死は等しく平等に、あるいは悪平等に全ての生物を襲うからだ。
さて、私の死の真相はどうなっただろうか。
私は急激に明るくなった視界の中、目を開けようとした。
(ぼ、ぼやけて何も見えん!)
死とは見えぬものなのか!
物理現象でありながら目に見えぬものだとは、なんたる複雑さ!
なんたる怪奇!
今まで考えていた私の哲学を真っ向から否定する、あまりにも斬新な光景だ。
私は、死について机に齧り付いていた日々を思い出し、かつてないほど興奮していた。
だから気が付かなかった。
まさか転生しているなどとは、文字通り夢にも思わなかったのだ。
◇◇
五年後、私はこの身に起きた事についておおまかに理解する事ができるようになった。
どうやら私は、地球以外の惑星だか世界だかに転生したらしい。
文明としては十五世紀から十七世紀あたりに近いだろうか。
中世ヨーロッパから末期、近世以降の文明だろう。
街の外にはプレートアーマーを着用した騎士がいるらしいからな。これは地球では十五世紀以降の発明だ。
道端に馬や市民の糞尿でも落ちている衛生観念かとも思ったが、存外綺麗だった。
これには理由があるらしいが。
まぁ、つまりは別の世界に生き返った訳だ。
それも、記憶を保った状態で。
輪廻転生の可能性は勿論考えていたが、記憶を保持しているとは一体どういう事なのか。
これについてはまだよく分かっていない。
私の人生をこの研究に費やしても面白いかとも思ったが、それは家が許さなかった。
私はフェルギオール帝国の三男として生まれたからだ。
フェルギオール帝国は多数の属国を抱える大帝国と言えるだろう。
植民地が政策として存在し、食糧問題などには帝国自身は無縁と言える。
支配国として当然の摂理だ。
しかし、帝国としてはかなり甘いと言えるだろう。
五歳となった私に対して、未だ家政婦のようなメイドがついて服を着替えさせるのだ。
更に勉学についても文字やとても簡単な算数といったものだけで、話し方や人との接し方、目線配り、空気の掌握などは未だに教育されてはいない。
私が五歳の頃は既に漢字や小学校課程修了程度の算数、コミュニケーション能力の強化などについて学んでいた。
完全ではないものの、手を出していたのだ。
それに比べれば、大した教育水準では無いことは明白である。
私は言われるがままにこの世界の事を学び、足りない知識は書庫に籠って調べ尽くした。
その努力の成果としては、凡そ十五歳までに学ぶべき事は全て理解できた。
私はこの世界でも支配者たる男になるのだ。
この程度は出来て当然である。
ただ、一つだけ。
現代地球との差異があった。
魔力という存在である。
何やら聞くところによると人の手から炎が出たり水が出たり、氷が出たりするらしい。
なんとも陳腐で大したことの無い能力なように聞こえるが、極めればそれはそれは大きく、巨大な魔術へと変貌するらしい。
どうやら才能と努力によってその魔術とやらの理解を深めることで、数多の術式を扱えるようになるらしい。
最初から疑いにかかっていた私は話半分に聞いていたが、メイドにこっそり魔術をせがんだところ、ライター程度の炎を指先から灯すことができていた。
侮っていたが、これなら証拠もなく放火ができるし、着火剤のような物があれば複数人を殺す恐ろしい凶器にもなるだろう。
少々の驚きを混ぜた私の顔を見たメイドは、慈母のような目つきで手を取り、こう言った。
「ヴィクトール様。魔術は才能に左右されると信じている者達もおりますが、ヴィクトール様は違います。この歳にしてその努力を陛下はお認めになるでしょう。才能などという曖昧なものではなく、貴方様の努力が、そのまま貴方様の力となるでしょう」
真剣な目つきのそのメイドの言葉には、妙な説得力があった。
このメイド、ただのメイドでは無いのか?
言っている事はつまり、努力は裏切らないというだろう。
私はその言葉を、どうしてか不思議と素直に胸に刻む事ができた。
そうそう、今世での私の名前はヴィクトールとなった。
フルネームで言うならば、ヴィクトール・ゼノ・フェルギオールとなる。
ゼノとはギリシャ語において異邦人を表す。
この世界ではどうかは知らないが……両親が何らかの期待を込めて付けた言葉の真意を、彼ら自身が理解することは無いだろう。
◇◇
「ヴィーよ。また講師に文句をつけたらしいな」
我が父であるフェルギオール帝国、皇帝のシリウスだ。
私が担当された講師に暇を出したのが伝わっているらしい。
「半人前の講師を付けるほど我が帝国の人材が不足しているのは重々承知しています。私が言っているのは新しい講師を呼び出す事ではなく、講師そのものが要らないと申しているのです」
何故それが伝わらん。
報告した者も、暇を出された講師も、文字通り暇なのだろうか。
「ほう、中等教育課程までの知識を有すると聞いているが、言葉遣いまでこの父に向かって放つ言葉とは思えんな」
それは支配者であった頃の癖のようなものだ。
逆に言えば、シリウスのような言葉遣いで話しかけられるのは久しぶりと言える。
上に立つものは、立場で敬われるのではない。
能力で敬われるのだ。
私の能力を疑われている?
いや、我が父は私の異常さには気づいているだろう。
あえて強く当たって反応を見るか。
「父上こそ、私の事をヴィーと呼ぶ程下に見ているとは思いませんでした。その立場以外、一体私の何を上回っているのでしょう」
ヴィーとは小さな子供に対する愛称だ。
私が本当にただの五歳児なのであれば妥当かもしれないが、既に努力の成果は出している。
地政学や貴族の権力構造、魔術の理論的基礎。その全てに着手が完了しているのだ。
中等教育課程を修了しているとは言え、ヴィーと呼ぶことはその成果を無視していると言っても過言では無い。
「ふむ……ヴィーめ。我の反応を見ようとしたな? ハハハ、こやつめ」
……私の戯言を笑って返す度量はあるようだ。
ここまで大きくなった国の君主にしては、子供の言葉遣いにかなり寛容である。
「フフ……ヴィクトールか。まさに帝国向きの男よ」
背を向け私室を出ていく父の背中にそう言われた。
帝国向き、か。
未だこの国の立ち位置を完全に把握しているとは言い難いから特にコメントも無いが、この国に居るべき皇族だと父から認められた事自体は喜ぶべき事だろう。
無言で扉を閉めるメイドは、その後目を輝かせて私に詰め寄ってきた。
「ヴィクトール様、皇帝陛下が自らの子供の私室に入るなど前代未聞の事です。それほどヴィクトール様の事を重要視していると見ていいでしょう。そのお立場、熟考に値します」
そんな事、言われずとも分かっている。
ただのメイドでは無い可能性を考慮し、言葉を選びつつも王族の子供としての言葉を紡ぐ。
「メイド如きが私に提言か? その程度のことは承知している。どうでもいい事に口を出すな」
「はっ、言葉が過ぎたようです。流石でございます。私が何も言わずとも、全て理解なさっておいでなのですね」
当然の事だ。
こやつの謎の忠誠心は、私へのものか、帝国へのものか。
見極めねばならないだろう。
この世界は今、未知で溢れているのだ。
それはつまり、魔術だ。
正直、魔術以外のことについては私の知性を持ってすれば意識せずとも対処可能だ。
それは今までの人生経験からして当然のことである。
私は魔術に惹かれている。
焦がれている。
愛してしまいそうだ。
「さて……」
今日も魔術の訓練といこう。




