36 アンデッド化する二日酔い改善薬
私はショックで呆然としていた。
今までは過去からあったものを扱うだけだった。
だから、何とかなったけど、私が300年ほど眠っている間に新しくできたものは全くわからない。
思えば──この世界に来てからわたしは知らないことだらけだ。
300年前にギルドは存在しなかった。
お金の価値もわからなかった。
マージェスター通りに入るための扉も初めて見た。
髪が乾く筒も自分では使えない。
空飛ぶ絨毯も乗ったらパニックに陥る上に、酔ってしまう。
(全て、私は一人では何もできない)
足元が崩れるような、突然この世に誕生してしまったような気持ちになる。
もう師匠もいないのに……
私、ここで生きていけるの?
「デボラ、わからないことはこれからゆっくり知ったらいいじゃないか?ほら、泣かないで。これからお出かけだよ」
「頑張れば何だって出来ますとも。デボラ様は、レグスタイン様の特別なんですからそれだけでも胸を張ったら、みんなから羨ましがられますよ。」
レグスタインとマーヤが慌ててわたしに声をかける。
ハッと、自分の頬に手を当てる。
どうやら、私はまた泣いてしまったようだ。
以前はこんなふうに泣くことなんてなかったのに……
気が緩んでいるんだわ。
もっと気合いを入れなきゃ。
わたしは、涙を手で拭おうとする。
「あーっ! デボラ様! 化粧をした後は、涙を流したり、手で擦ると化粧をし直さなければなりません。ハンカチで抑えるレベルにしてください」
ココアが、わたしの手を止める。
「ハンカチ?何……それ?」
「ハンカチをご存じないのですか?手を洗ったりした時にはどうされるんです?本日のバッグには入れておきますので、突然涙が出る時や手を拭く時にはそれを当ててください」
ココアの声が驚いたように高くなる。
私はこくりと頷く。
「ああ、ハンカチなどの小物は意識してなかったな。悪いけど、身の回りのものをマーヤとココアで準備してあげて。ここはもう大丈夫だから」
レグスタインから言われた二人は「わかりました」と退室する。
レグスタインは、私の両手を握り、目線を合わせて声をかけてきた。
「デボラ、気にしなくていい。彼女たちは君が300年前から来て、君がみんな以上にたくさん知識があることを知らないんだ。ただ、文字は勉強しよう。教えてあげる。その方がいろんな書物が読める」
わたしは頷き、自分の涙が顔につかないように涙をひたすら空中に浮かべる。
そして、それは何個も何個も、ただ、ぽとりぽとり涙の粒になり床に落ちた。
レグスタインは、それを見て困ったように眉を下げる。
「元気出して。ね、ご飯にしよう。うちの料理人のご飯はおいしいんだ」
わたしは頷く。
だが、そこでもわたしは困ってしまうのだった。
◇
「レグ、食べる時はそれを使わなきゃダメ?」
レグスタインは、両手にナイフとフォークを持っている。
それは300年前からあった。
知っているけど、そのようなものを使う習慣はないし、家で穀物粥だった時はスプーンだったし、正しい使い方がわからない。
「普段はどうしていたの?」
レグスタインは、食べながら自身の口元を軽く拭いて優しく聞いてくる。
「こうやるの」
わたしは指からするすると魔力の糸を出し、ハムの一つにその糸を絡ませる。
「ウィンドカッター」
その魔力の糸を風魔法を使った風の刃に変える。
食材は瞬時に小さくなる。
「ざ、斬新な切り方だな。で、フォークで食べるのかい?」
「ううん、やわらかいからそれを浮かべて口まで持っていくけど、基本的には調理する前にカットして、串で刺して焼いていたわ」
レグスタインは、少し動作を止めてふむと考えている。
「串焼きは、小さい街にはあるよ。ただ、風魔法と浮遊魔法か……魔法を使うわけにはいかないから、しばらくは俺が切ってあげるよ」
そっと立ち上がり、レグスタインは私の後ろに立つ。
左右からナイフとフォークを取り、皿の上にあるまだ切っていないものを一口大に切っていく。
「それ、すぐに私も出来るかしら?いつも、切ってもらうなんて恥ずかしいことは出来ないもの」
「わかった。じゃあ、ナイフとフォークを持って」
私は言われた通りナイフとフォークを握る。
それにレグスタインが手を添えて、再び一口大に切り始める。
「上手だよ。これならすぐ出来るようになるから安心して。」
レグスタインのフォローに私は、ぎこちなく微笑む。
とにかく、みんなと同じように行動できるようにならないといけない。
そう思う焦りからだろうか?
きれいに彩られた美味しそうな食事なのに、味を全く感じることはない。
ただわからないことがあちこちに増えていくことに、漠然とした不安が襲ってきているのだった。
◇
「デボラ!無茶苦茶かわいい!」
「今までずっとレグがデボラを独り占めだったから、今日は俺たちと一緒だよ」
ヘンケルとバインが馬車の座席で、私の両サイドに座る。
レグスタインは、困ったように眉を下げた。
「独り占めなんてしてないだろう?自分の家でデボラが困らないように配慮するのは当然のことだよ」
そう言いながら、私の向かいの席に腰掛ける。
たしかに、レグを独り占めしてしまったのは私だわ。
しゅんとするのと同時に今朝、レグスタインに抱きついていた自分の痴態を思い出し真っ赤になる。
「違うわ。レグが私をじゃなくて、私がレグを独り占めしてしまったの。ちゃんとレグをみんなに返すわね」
だが、それを聞いてバインは露骨に嫌な顔をする。
「えーっ!野郎なんていらないよ。そうじゃなくても、昨夜はキリフのヤケ酒に付き合わされて大変だったんだ。キリフなんてみてごらん。二日酔いだよ」
見れば、顔面蒼白で頭を抱えたキリフが今にも吐きそうな顔をしている。
「そんなに飲んだのか?」
レグスタインは驚いたように、キリフを見る。
十数年、ユリアさんに両思いと思っていたものが、片思いだったんだもの。
仕方ないわよね。
二日酔いか。
わたしは遠い記憶を呼び起こす。
「たしか、二日酔いの薬があるはずだわ。回復魔法は、二日酔いの場合は、魔力酔いを促すこともあるから、出来れば薬の方がおすすめよ」
キリフは回復魔法の使い手だから、下手に二日酔いなのに魔法を使って治そうとしてしまったのかもしれないわね。
馬車の窓を閉めて、空間バッグから黒い錠剤を取り出す。
「キリフ、これは二日酔いに効く薬なの。即効性があるから」
そう言ってキリフの手に錠剤を置く。
「二日酔いを治す薬まであるんだ?」
グレンが驚いたようにキリフが飲み込む錠剤を見つめる。
マージェスター通りの薬に触れて、魔法薬に少し関心が出てきたみたいね。
良いことだわ。
わたしは笑って言った。
「実は、昔、酒盛りする魔女が多かったの。それでよく効く二日酔いの薬を作ったのよ。毒を吐くスネーク系の魔物っているじゃない?あれを瞬間固定して毒牙を抜いてそのままアルコールに漬け込む酒が流行ったのよね」
「それは……なんか見てみたいけど、絶対飲みたくなさそうな酒だな」
ヘンケルが露骨に顔をしかめる。
「でも、何か元気になりそうじゃない?わざわざ魔物をアルコール酒にするんだから効能はありそうだよ」
バインが、俺は飲んでみたいと言う。
「スネーク系魔物に限るのかもしれないけど、生殺しでアルコールに漬け込むと、分解される時に一気に魔力も放出するみたい。だから、魔力を含むお酒になって、飲むと体に魔力がみなぎるんですって」
それを聞いて、グレンは目を丸くする。
「それって、ダンジョンでスネーク系を捕まえてつけ込んだら魔法酒になるってこと?ああ、でも、瞬間固定と毒牙を確実に抜かないといけないのか」
俺にも作れないかな?とぶつぶつグレンが呟きはじめる。
わたしはふふっと笑って、魔女たちの酒盛りを思い出す。
それは決してきれいな飲み方じゃなかった。
魔女の集落といっても家があるわけではない。
木々の幹の中や、滝の裏側、地下壕を作って魔女は夜を過ごす。
そのうち、眠れないものたちが酒を口に含むのだ。
そして、酒の魔力で自分の見たい夢を見る。
魔女たちにとって、眠って夢を見る間だけが幸せな時だった。
だが、幸せなのは夢を見る間だけ──
度数が高いので、目覚めて翌朝になると二日酔いの薬を求める魔女が続出するのだ。
「私は未成年だから飲めなかったけど、師匠が夜は魔女の仕事にいっていなくなるの。それが寂しくて、その酒盛りのそばにいつもいたわ。
もし、彼女たちの故郷に行ったら、今度そのお酒をみんなにも振る舞うわね。その時は私も飲めると思うの。だって、318歳なんだもの」
「ということは、そのお酒を持っているの?」
ヘンケルが恐ろしそうにブルッと体を震わせる。
「ええ、集落の魔女も一緒にダンジョンに連れていかれたから、彼女たちの遺品は預かっているの」
私は、そう5人に話す。
その時──
「デボラ!これすごい効き目なんだが!俺、完全復活!!」
先ほどまでげっそりしていたキリフが、むくっと起き上がって、目をギラギラさせている。
キリフの魔力が体から溢れ出ていて隠そうともしない。
あら?今のアルコールはそこまで度数がキツくないのかしら?
復活しすぎな気がするけど?
「ええっ!もう効いたの?アンデッドみたいだよ」
バインが目を丸くする。
「キリフさん、すごく効き目は高いんですけど切れた時に、一気に体調が最初の状態に戻るので6時間以内に横になってくださいね」
今日の歴史博物館は長居をしてはいけないわね。
文字がわからないからみんなに通訳してもらわないといけないけど……
朝のことがあり、みんなに迷惑をかけないか不安がよぎる。
──だが、博物館で私はとんでもないものと遭遇することになる。この時のわたしは、まだ知らなかった。
今日は二本立てです




