35 風呂キャンセル界隈な女です
「身支度を手伝ってもらって。侍女を向かわせるから、この後は部屋で待っていたらいい」
レグスタインはそう言って、自室に続くドアを開けて私を案内した。
「うわぁ、素敵な部屋だわ」
その扉の先に広がる部屋は、先ほどの部屋よりも少し小さいが、白い壁紙のせいか部屋は明るく見える。
中でも、重厚な木製の家具が艶やかな色で光り、高級感を解き放っていた。
ソファーやクッションに使われている薄いブルーの布がアクセントになるように、部屋を柔らかく見せていて、滞在するだけで癒されそうな雰囲気だ。
「今日は歴史博物館に行く予定だから、冒険者用の服ではなく、昨日俺たちが買った服を着てくれると嬉しい」
そう言って、レグスタインが家具の扉を開け、色とりどりのワンピースが掛かって保管されている中から、数枚の服を取り出して私に見せた。
「あとは、女性のもので必要なものは侍女長にまかせてあるから、持ってきてくれるはずだ。そうそう、ここにいる間は清浄魔法で済ませずにお風呂にちゃんと入るんだよ」
レグスタインから、念押しのように言われてドキッとする。
「苦手なのよ。熱いの。カレンさんから入らなきゃダメって言われて、数を50数えるまではお湯に浸かるの。水なら50数えて浸かるのは平気よ。お水じゃだめかしら?」
思わず、カレンが時計を手に、50秒をカウントダウンする姿が脳裏をよぎる。
「本当は5分は浸かって頂きたいのです」
カレンが縄と包丁を持ち出すので、しぶしぶ50秒は浸かるということで手を打ったのだ。
もちろん、水風呂は却下だった。
「うーん、多分今の時代は、お水に50秒浸かるように言われたら大半の女性は怒るか泣くんじゃないかな?」
レグスタインは困ったように、片方の眉を下げる。
「そうなの?時代は変わったのね。私は、お湯の中でいつも半泣きなのに……あの、侍女の方は50数えてくれるのかしら?」
50秒経ったら出てもいいと言ってくれるわよね?
カレンさんは家族みたいなものだから、わがままを伝えているけど、ここはレグの家だもの。
お客さんなのだから、わがままは言えないわ。
私は心配になって上目遣いでレグスタインを見た。
だが、レグスタインは、なぜか笑いを堪えるように顔を少し背けて震えている。
「50で出たら困ると思うよ。髪を洗ったり、体を洗うのを50秒で済ませるのは至難の業だからね……そっか、数を数えてるんだ」
「最後の10が大変なの。カレンさんは時々どこから測ったか忘れて最初からやり直しになることがあるのよ……あの、今日は……一人で入るわ。カレンさんに体の洗い方や洗髪の仕方も習ったからやれるもの……」
私は50秒では済まないと聞きぎょっとして、頭をブンブンと振った。
あの苦行を50秒以上なんて無理よ。
「今日はダメ。俺たちが何もない関係なんだと侍女たちからの誤解も解かないとね。ちゃんと入らないと、帰ってからカレンに言いつけるよ」
そう言ってレグスタインが肩を揺らして笑っていると、ドアをノックする音がした。
「失礼します。レグスタイン様、こちらにおられましたか?
皆さん、すでにお食事をされておられますが、お二人のものは、こちらに朝食をお持ちしましょうか?」
「ああ、後で俺の部屋で食べるから二人分持ってきておいてくれ。デボラ、ここの事を任せている侍女長のマーヤと……ええと、君は新入りだね」
レグスタインが、あれっという顔をする。
「わたしの娘のココアです。レグスタイン様の安否がわからなくなって数人が離職しまして、急遽娘を手伝いに入れました。レグスタイン様の良い方なら年が近いものの方が話しやすいでしょう?」
マーヤがそういうと、その横に立つ見た目は私より少し上ぐらいの歳の綺麗で上品そうな女性が静かに頭を下げる。
「ココアです。至らないところも多いかと思いますがよろしくお願いします」
「だから、マーヤ誤解だって。まあいいや。じゃあ、ココアよろしくね。デボラも可愛くして部屋に戻っておいで」
レグスタインは、そういって部屋から出ていく。
一人残された私は、もう風呂から逃げられないとがっくり肩を落とした。
◇
「お噂には聞いていましたが、本当に貧民街でお暮らしだったのですか?」
マーヤはギョッとしたように私を見る。
貧民街を見たことはないけど、なんとなく想像はつく。
貴族の5人たちと決して交わることがない街なのだろう。
「貧民街ではないけど、家がなかったのでダンジョンに潜っていたんです。そこで、レグたちとは知り合いました」
余計なことは言わず、でも嘘は最低限にして本当のことは隠さないと……そして、できるだけみんなに迷惑をかけないようにする。
ただ、人と話すのは緊張するわ
私はお風呂の中で、置物の猿のように正座でぎゅっと固まっていると、マーヤから「力を抜いてくださいね」と言われてしまう。
「では………その……失礼ながらその爪も……」
私はそう言われて、ふと爪を見て戸惑う。
かつての魔女狩りの折檻で、何度も爪を剥がされたので生えてこない。
もう痛みはないから気にしていなかったが、見た目はグロテスクだ。
「そう。昔なのよ。折檻にあってしまって。でも痛みはもうないの。みんなが不快に思うなら手袋をはめるわ」
たしか、空間バッグの中に軍手があったはずだ。
「つけ爪をしてはどうでしょうか?剥がすのが痛くなければですが……」
おそるおそるそれを見たココアが提案してくる。
「つけ爪?そんなものがあるの?」
そう聞くと、マーヤとココアは顔を見合わせて困ったように頷く。
「ええ、貴族の方はおしゃれのために自分の爪に加工したり貼り付けるんですよ。見た目は普通の爪に見えますとも。髪も、傷んでいるところは少し整えさせてもらいましょう」
「よろしくお願いします」
いろいろマーヤとココアが声をかけてくれるが、すでに茹でだこのように体が熱くなり、磨かれるこそばゆさにひたすら堪え、髪を洗われる頃には半ば意識が喪失しかけていた。
「デボラ様は、磨かれたら素敵な女性にお成りですよ」
マーヤは、熱くて朦朧としている私に、風をあてて果実水を飲ませる。
私は、言われるがまま果実水を飲んで、自分の顔や髪が変わっていく姿をぼんやりと鏡で眺めていた。
「今までの生活で、お肌の手入れやお化粧はされたことはありますか?」
ココアが少し微笑みながら私の頭に奇妙な筒を被せて良いか聞いてくる。
「いえ、一度も。あの、これは何かしら?」
自分に被せられる筒には、カレンに入れた時と同じ魔石がついている。
「これもご存じありませんか?まあ、貧民街では知る機会は無かったかもしれませんが……風魔法をこの機械で実現した装置になります。短時間で大半の水分を吹き飛ばしてくれますよ」
そういって、ココアがボタンらしきものを押すと
バフッ
空気が瞬時に押し出され、頭の中で温かい空気と冷たい空気が交互に送られる。
そして雨音みたいなバシャバシャと何かに当たる音がしたかと思ったら「チン」という軽やかなベル音で終わりを告げた。
「これでしっかり髪をとかせば、サラサラになります」
筒をスポッと取り出し、オイルをつけながら入念に何度も何度も髪を梳かす。
確かに短時間で髪の水分は飛んでいる。
「今日は歴史博物館に行かれるのでしたね。それでは、品良くまとめ上げましょう。ココアは、薄いピンクの付け爪をしてちょうだい」
私は、見たこともない風魔法の機械を調べたくてたまらなかったが、ひたすら大人しいふりをして我慢する。
分解したいわ!どんな魔法陣が使われているのかしら?
魔石からどう魔力を流すのかも気になるのよ!
ちらっ、ちらっ
その風魔法の筒を目で追うのにさっさと片付けられ、マーヤに髪をぐいぐい引っ張られながら髪を編み込まれる。
「デボラ様、お手入れと化粧をさせていただきますので目を閉じてください」
ココアからそう言われて、しぶしぶ目を閉じる。
顔に何やらペタペタ塗られ、パタパタと舞い上がる粉を顔から首にかけて施され、爪をつけてもらい、レグスタインが購入したワンピースを着ると──
「あの、誰ですか?コレ」
もう私の顔じゃないよね?
という別人の顔が鏡に映る。
魔女の集落でも、逃げ惑う中でも化粧を忘れない人は多かったが、化粧の顔で周囲に認識されてしまうと、しないわけにはいかなかったのかもしれない。
(化粧って恐ろしいわ)
私は、呆然と呟いた。
◇
マーヤとココアに誘導されるがまま、レグスタインの部屋に戻ると、すでにレグスタインはシャツにトラウザーズという出で立ちで、何やら文字らしきものが書かれている紙を広げて読んでいた。
「おや!ずいぶんと変わったね。」
レグスタインは目を丸くする。
マーヤとココアが鼻高々に満面の笑みを浮かべている。
「やっぱり君たちの腕にかかるとすごいね。まさかデボラがこんなに貴婦人になるなんてね……」
そう二人の腕を褒めるレグスタインの声が聞こえる。
だが、わたしはその話どころでは無かった。
レグスタインが手にしている紙に目が釘付けになる。
「レグ……これって、新聞……よね?」
300年前もこういうものはあった。
魔女狩りで魔女を探す時の指名手配でも配られたし、時の支配者たちも日々ニュースを流し、みんながそれを読んで書かれていたことを信じていた。
わたしは、震える手でレグスタインが持つ文字らしいものが入った紙を掴む。
「え?ああ、新聞だよ。そうだね、デボラも読んでみるといい……ん?デボラ?どうしたの?」
レグスタインの声が遠くに聞こえるようだった。
わたしは魔女として学ぶために、隠された文書を多く読んで、多くの記録を書き残してきた。
でも──
「レグ、私読めない。文字が読めない。字が全く分からないの」
「えっ?」
レグスタインと、マーヤ、ココアの声がするが、それが遠くに聞こえる。
そのぐらいショックだった。
300年経つと、字も違うものになってしまうの?
震える手で新聞を握りしめる。
だが、その中の文字はところどころ見慣れた文字があるだけで、中身は全く読めないのだった。




