32 300年前の薬
「こんにちは。あの、開いてますか?」
ドアを開けると、薄暗い店内には小さな机と椅子が1セット置かれて、店主の姿は見えない。
店内には、かなり強いセンキクソウの、煙っぽい香りが漂っている。
でも、やっぱりその匂いだけではないわね。
私は、鼻をくんくんと動かして、店内に進んでいく。
やはり、かつてリリーに飲ませてもらった時に入っていた、マツバダケも入っているわ。
あとは……甘みを出すための甘草の根?
いや、甘草の根は入っていなさそうな……何の匂いだろう?
やっぱりリリーから飲ませてもらったものとは違うのか。
私はひたすら鼻を動かし続ける。
「いらっしゃいませ。おや?確か【閃光の頭】のグレン様だね?ということは、こちらは話題のプラチナカードを持たれた方でしたか?もしかして、高い魔力をお持ちで?」
腰が曲がった老女が、「よっこらせ」と言いながらこちらに向かってくる。
やっぱり、この街では魔力があるのかどうかが大事なのね
「そんなに、プラチナカードの話は広がっているのか?」
プラチナカードをもらってそんなに日が経ってないはずなのに噂の広がりが早い。
グレンがさりげなく、みんなの噂を把握しようとする。
「それは、もう。プラチナカードの存在は知っておりましたが、眉唾かと思っておりましたし、それを手にしたのはまさかの女性ですからね。グレン様がここに出入りされるなら、一度はお目にかかれるのではないかとあちこちで話に上がっておりました。で?魔力が高いお人なのですか?」
笑ってはいけないが、とにかく魔力が高いかだけが聞きたいのね。
今までは魔力があったらダメだったのに皮肉だわ。
私は苦笑いして首を横に振った。
「ご期待に添えないようなレベルで。ほぼないと思っていただければ」
私は今度こそ、ポカをしないぞと心に何度目かの誓いをする。
「そうでしたか。でも、ここに寄られたのはこちらのプラチナの方のご希望でしょう。どうしてまた?」
私は、グレンと顔を見合わせた。
「店主、どうして彼女がここに寄りたがったと思ったんだ?」
グレンは警戒して、そっと私の前に立つ。
「だって、グレン様は何度もここを通られてますけど、素通りでしょう。ここは、目立たない通りですからね。目的があるお客様しか来ませんよ」
なるほど……
グレンはあまり魔法薬には関心がないのね。
しかし、お客じゃなくても動向を知られているなんて気をつけなければならないわ。
私は心の中でふむふむと頷いて、店主に答えた。
「私は、人より知識欲が強いの。この街に入った時から、ここのお店の匂いを感じたわ。どこから香っているのか気になったんだけど、扉から離れているのに結構匂いが強いのね」
「ああ、排水溝に沿って、いろんな店の匂いが上がるんですよ。ただ、いい匂いじゃないでしょう?うちは、代々薬屋なんですが、生活を少し良くさせるための薬を販売しております」
店主は、私たちに座らせるでもなく、自身が客席に座って話し始めた。
欲しい薬があって来たのでなければ、客にはならないと思ったのかもしれない。
「今、匂っているこれは、センキクソウの香りよね?」
私が確認するように言うと、店主である老婆にギロリと睨まれる。
「薬に何を使っているかを聞くのは野暮ってもんですよ。そんなもの、言えるわけがない。
ただ、なんでセンキクソウを知っているのか聞きたいもんだ。あれは、うちの先祖が代々受け継いで、我が家にしか株が現存しない。もちろん育て方も極秘。知る機会なんてないはずですよ」
そう言い切られるが、その瞬間、私はパニックに陥る。
へ?我が家にしか株が現存しないですって!
し、しまった!
センキクソウって、300年前はどこにでも生えていたじゃないの!
育て方が極秘って、野原で放置してたら勝手に育つわよ!!
こんなに一生懸命会話に気を使っているのに、以前と常識が違いすぎてボロしか出ない。
私は、背筋に汗がつーっと流れる。
「彼女、どこかで飲ませてもらったらしいんだ。それで、同じ匂いがするってここまで来たんだよ。デボラ、その人に教えてもらったんじゃないのか?」
グレンが慌てて助け舟を出そうと私に話しかける。
「そう、そうなの!私、長い間ダンジョンに潜っていたの。あそこって本当に寒いのよ。だって太陽がない世界ですもの。
その時、飲んだの。ちょっと飲みにくかったけど、体がぽかぽかして……」
「で、デボラぁ」
助け舟を出したグレンが、情けなさそうな声で、泣きそうな顔をする。
あっ!そうだ!
ギルド長から、ダンジョンで私に会ったものは誰もいないのに、私がどうやってダンジョンに入ったのかと聞かれていたんだった。
薬をくれる人と出会うわけがないじゃないの。
だめだ!
本当のことを話しているのに、周りから見たら嘘になってしまう。
「ダンジョン……この間まで閃光の頭が入っていた、あのかつては魔女狩りのあったダンジョンかい?」
店主の老婆の顔色がハッと変わり、眉をひそめ、目が揺れた。
何か知っているのかもしれない。
「くれた人はどんな人だった。名前は?」
どうしよう。
誰かわからないと言おうかしら?
でも、何か思うところがあるみたいだし……
「名前は……リリーって言ってたわ。十歳の子供がいるって。私が寒がって震えていたら、暖かくなるからって飲ませてくれたの。そうしたら、本当に寒さを感じなくなった。」
変に嘘をつくより、本当のことを話すほうが信憑性が高いだろう。
「リリー……その人、ずっとそこにいたのかい?」
「ううん、私に薬を飲ませた後はいなくなった」
私は、歯切れ悪くも、できるだけ正直に答えようと思い、店主に伝える。
いなくなったのだ。
自身で幕を閉じて──
◇
300年前──
ダンジョンに閉じ込められ、封鎖されて1週間ぐらいのことだった。
「あんた、何歳?いい人はいるの?」
そうリリーに声をかけられた私は、首を横に振った。
「そんな人いないわ。私の家族は、師匠だけ。ここに幽閉されたと聞いて、わざわざ私も捕まって追ってきたのだけど、探しても師匠のものは何も出てこないの。嘘だったのかもしれないわ」
私は、落胆していた。
生きるのも死ぬのも師匠と共に──
そう思っていた。
師匠は、とんでもない上級魔法の使い手だ。
この辺りの魔物に早々にやられるとは思えないし、自分の痕跡をどこにも残さない人ではない。
「じゃあ、親代わりの師匠を追ってここまで……私とどっちがいいのかねえ。」
リリーは可哀想な子供を見る目で私を見る。
「私は、息子と無理やり切り離されて、ここに投げ込まれた。
魔女を妻にしているなんてバレたら世間の外聞も悪いし、連座で処刑されても困るからね。夫に離縁された上に、通報され、私は兵に引き渡されてしまった」
リリーは、私と一緒に歩きながらため息をついた。
歩きながらといっても、当てがあるわけじゃない。
ただ、道が目の前にあるから歩き続けている。
あちこちに、魔物や人の骨が散らばっているから、足を止めたくないという思いもあった。
「夫と私は薬売りで生計を立てていたんだ。魔女の秘伝の薬のレシピを惜しげもなく披露してこの結果だよ。感謝すらされやしない」
「じゃあ、夫にレシピも盗まれたってこと?」
私は、そんなひどい話があるかと憤慨する。
魔女だとわかっても愛していたから結婚したんでしょうに……
離婚したとしても、わざわざ魔女だと通報しなくてもいいじゃない。
しかも、魔女の技術を愛する人のために使っていただけなのに。
「夫は細かいレシピは知らないんだ。魔力がないから薬は作れない。だから、教えてなかった。もしもの時のために魔力のある息子にレシピを書いて渡しておいたけど、十歳では商売もできない。まあ、廃業だ。夫には女もいたみたいだし、厄介払いしたかったのかもしれない」
少し鼻を啜りながら、リリーは聞きもしないのに身の上を語り続けた。
「息子さんは寂しがっているでしょうね。私は親はいないけど、もしお母さんがいなくなったら泣くと思うわ」
普通の幸せを望んだだけなのに……
ただ、魔法が使えるだけなのに。
世の中の人はそうは思ってくれない。
ダンジョンに入ってから、みんなそんな感じにお互いの理不尽を伝え合う。
誰かに自分が置かれた状況を共感してもらいたいのだ。
そして、それがひどいことだと共感してくれる人も魔女しかいない。
「もし、ここから出られたとして、もう私には戻るところなんてないんだよ」
虚な目で笑うように話す。
ダンジョンから出ることが叶うかどうかわからないのに、その先に、家族との再構築がなければつらくてたまらないだろう。
「そうなの」
私は、手をこすりながら「はあーっ」と手に息を吹きかけた。
白い息が舞う。
本当にどうして、みんなこんな目にあわなければならないの?
このダンジョンの階層は特に冷えた。
「寒いね。そうだ!少しだけ暖かくなる薬があるんだ」
リリーは空間バッグから暖かい薬を出す。
瓶から白い湯気が上がる。
「暖かいまま入れてるの?」
ちらっと見るとずらっと薬瓶ばかり入っている空間バッグだ。
煎じたあと、そのままの状態を保管しているのだろう。
きれいに一列に保管されている。
あちこちに魔物の死骸が丸ごと入っている乱雑なゴミ箱のような私の空間バッグとは大違い。
「リリーは薬を扱っているだけあって几帳面ね」
「薬しか入ってないから、乱雑になりようがないのさ。材料は、家の畑で育てるか、山で取ってきていたからね。さあ、飲んでごらん」
「すごい匂いだわ。センキクソウがベースで、マツバダケとあと……」
「こら!秘伝だよ。材料そのものより配合が難しいんだ。センキクソウは飲めた味じゃないからね。何度も何度も作り直して飲める味にしたのさ」
私はごくんと飲み干した。
数秒すると、寒くてたまらなかった空気が急に暖かく感じられ始める。
「暖かくなったわ」
私は、目を丸くする。
匂いは良い匂いではなかったが、甘くて子供でも飲める味になっている。
ここまで味の調整をするには、試行錯誤したことだろう。
「おや、いいものを持っているじゃないか!」
「みんなも飲むかい?これで寒さとはおさらばさ」
後続の魔女たちが、何の匂いかと鼻をくんくんさせて寄ってくる。
「ああ、ありがたいね。暖かい飲み物というだけで、元気が出るよ」
飲み物に関心を示した何人かの魔女は、休憩を取るために道の端に座って、リリーからもらった暖かい薬を飲み始めた。
「ここで休むのだったら、先が安全かどうか確認してくるわね」
私は薬を飲んでいる魔女たちの様子を見ながら、周囲に魔物がいないか確認するために走り出す。
だが、走り出して1分──
足元がふらついた。
何?
毒に慣れるための訓練をした経験からわかる。
これは、毒の反応だ。
喉が焼ける、
やばい!
それも訓練した体がダメージを受けるレベル!
私は瞬時に、魔物にやられないための防御シールドを貼る。
そして、自分の空間バッグから、効き目のある可能性が高い解毒剤たちを一気に煽る。
「なんで?先ほどの薬?」
私は呟く。だが、思った以上のダメージに、しばらくして意識が消失した。
どれほど時が経ったのだろう?
「急がないと、みんなが危険だわ!」
私は、ハッと目覚めて、リリーたちがいたはずの場所に戻る。
だが……
そこは地獄の光景だった。
自分の目の前に広がる光景が、あまりに信じられない。
「嘘よね?冗談でしょう?ねぇ……冗談って言ってよ……」
私はよろめきながら、その先に近づいていく。
目の前の視界に大きく入るようになると、胸が苦しくなり叫ばずにはいられなかった。
「どうして?どうして!リリー!!」
リリーの元に駆け寄る。
だが、リリーも薬を飲んだ魔女たちみんなも、生存反応はない。
見開かれた目、口から流れる血、そこには、ただ冷たくなったリリーたちが転がっているだけだった。




