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第二十五話 「美貌の王子の不本意な苦戦(上)」



 考え事をしている内にうとうとしていた美貌の王子は、鼻腔をくすぐる心地良い香りに、鮮やかな青い目を静かに開いた。

 その美術品の様に整った顔にかかった金の巻き毛を気だるそうに払って、アズルガート王国第二王子デリングは、座卓に置かれている先程まで手に持っていたはずの本と、良い香りの源である茶器を眺めた。


「お疲れですわね、我が君……」  

 若い女の労わる声に、デリングは小さく笑って、自分が座っている長椅子の横に跪く声の主を自分の隣に座らせる。 

 優しげな面持ちの青味がかった黒髪の彼の鳥使いのフリムに茶器を手渡されて、デリングは一口茶を飲むと溜息を吐いた。

 ほんの少しだけ中身の減った茶器を返されたフリムは、それを座卓に静かに置いて主を見つめた。


 デリング専用の優秀な護衛兼隠密であるフリムは、何について彼女の麗しい主が頭を悩ませているのかを把握していた。

 デリングの兄であるダグ第一王子と婚約予定のケルトレア王国のシャナン第一王女が視察という名目でアズルガートに到着してからというもの、日に日に大きくなっているデリングの心労に、フリムは心を痛めている。

 ここ数日は、憂いによってその美貌に深みが増している様にさえ見えるデリングは、ダグの真意がわからないことに悩んでいるのだ。 

 その上、主はもう一つ大きな悩みを抱えてしまった。  

 再び小さく溜息を吐いたデリングの手を、フリムは優しく握った。 

 他の者がしたならば人間不信の美貌の王子が嫌悪する行動だったが、長年デリングに仕えていて姉のように慕われているフリムは、幼い頃から主が心を許した数少ない人間である自分にそうされると安心する事を知っている。 


「我が君、あまり根をお詰めにならないで下さい。……ダグ殿下が珍しくお困りのご様子ですから、我が君が支えになって差し上げませんと」 

「……ああ、フリムの言うとおりだな」  

「あまりお考え過ぎないで下さい」 

 にっこり笑うフリムに、デリングは頷いた。 

「そうだな。……今日はもう休むとする」 

「では、御前失礼致します」  

 礼をとってフリムがデリングの私室から姿を消すと、デリングは休む為に寝台へ向かった。 

 考え過ぎるなという助言は正しいと思いつつ横になったものの、性分か、余計な事を色々と考え込んでしまう。 



 シャナン王女と結婚すると言った筈のダグは、弟であるヴィーダル第三王子に「シャナンを欲しければやる」と仄めかした。

 ケルトレア側は、第一王子以外ならばシャナンをアズルガートに嫁にやるのではなく、相手をケルトレアに連れて帰りたがっている。それを踏まえて、デリングがシャナンを誘惑して妃としてアズルガートに嫁に来るようにしないか、とも、ダグは言った。

 全てが矛盾しているのだ。

 普段、とても論理的且つ合理的な兄が、このように弟達を翻弄する事を言うのは初めてのことで、デリングは酷く悩んでいる。それがデリングには、ダグ自身が何か悩んでいて考えが纏まらず行き詰っている様にも見受けられた。

 この機を狙って不審な動きもあるのに、いつもは団結している三兄弟がバラバラな状態では兄王子の身に危険が及ぶのではないかと不安で仕方がない。


 そして、シャナン王女自身の言動も不可解だ。

 ダグの婚約者になる為にアズルガートに来たはずなのに、ダグではなくヴィーダルと親密になりたがっている様子なのだ。

 まだ城内で噂になってはいないが、デリングは大変不愉快に感じている。敬愛する兄を蔑ろにした上、可愛い弟の純情な心を弄んでいるのであろうシャナンに、殺意さえ覚える。


 美貌が近辺諸国にまで響き渡る第二王子デリングには興味を示さないシャナンが、末王子ヴィーダルに近付いているのも解せない。

 シャナン王女に、女性として興味があるわけでは全くない。

 確かに偶然目撃したシャナンが弟王子や騎士達に見せた笑顔は、はっとする程に魅力的だったことはデリングも認めている。しかし、普段自分達に見せる笑顔はこれといって気に留める程のものではないし、しとやかで可憐で美しい「普通の」「どこにでもいる」姫だとシャナンを評価している。

 儚げ可憐な姫を夢見る弟ヴィーダルの目には、シャナンは理想的な姫に映る様で、憧れているのだということが傍から見ていても良くわかる。このままでは、二人の関係が醜聞になるのも時間の問題だ。



 頭が痛いのはそれだけではない。

 今、一番デリングを悩ませているのは、シャナンでもダグでもヴィーダルでもなかった。

 ふと気が付くと、問題の人のことを考えている。

 ターニャ・バカルディ。

 明るい茶色がかった橙色の髪と目の、凛とした美しさを持つシャナン王女の護衛騎士。


 「聖騎士爵」というケルトレア王国では王族である公爵の次に位の高い爵位を持つ家の長女だそうだが、彼女は普段見慣れた貴族の女達とは全く違う。

 デリングが今まで出会った貴族の娘達は、口に入れれば溶けて無くなるくせにしつこい甘味だけ口に残る不快な砂糖菓子のようなものだった。どの娘もデリングの美貌に心酔し、言葉を掛けられただけで失神する者も少なくなかった。

 しかし、あの騎士は……。

 「傾国の美姫」などという本人としては不本意な渾名さえある美貌のデリングが、その瞳を見つめて甘く囁いても全く反応しなかった。

(あの女、なんなのだ、一体……)

 デリングは、二人きりの寝室(しかも寝台の上で)自分に手を撫でられても全く動揺しなかった騎士を思い出し、苛立ちを覚えた。


 幼い頃から毎日剣を握っているのであろう、ターニャの掌は女性とは思えない程に硬かった。

 しかし、デリングが美しいと思う色合いの彼女の気性のように真っ直ぐな髪は、滑らかでとても触り心地が良かった。

 殆ど露出されてはいないのでちらりとしか見ることが出来ないその肌も、髪同様に滑らかでしっとりと触り心地が良さそうで、触れて確かめてみたい。

 自分を臆することなく見つめ返したその瞳の強さも、何度でも確かめたくて、毎晩、彼女の部屋に通っている。


 「部屋に通う」などと言ったら、二人の間に男女の関係があるような響きだが、その言葉から想像されるような事は全く起きていない。 

 男ならば、夜に寝台の上に女と二人きりで腰掛けて話をするだけでは満足出来る筈がないのだが、あの凛とした瞳に見つめられるとそれだけで酷く満足するのだ。 

 本来の目的はシャナン王女の真意を探る事だというのに、毎晩、ターニャとの噛み合わない会話に翻弄されて終わっている。

 彼女の部屋ではそれだけで精一杯で、自室に戻ってくると訳もわからず無性に苛立つのだ。

 今夜も彼女の部屋から帰って来て、苛立ちながら湯を浴びて、疲れているものの眠る気にもなれず、長椅子でケルトレア王国についての資料に目を通していた。


 デリングは睡魔に襲われつつ、自分を全く意識しない騎士の姿が瞼に浮かべた。

(お前は……何故、私に惹かれないのだ、ターニャ? ……私はこんなにも……お前が……) 

 その先に続く言葉が自分でもわからず、そのままデリングは意識を手放した。





「お呼びですか、兄上」


 朝から兄王子に呼ばれて、デリングはダグの執務室に顔を出した。

 書類の束が積み上げられた机に埋もれていたダグは、デリングに机の前の椅子に座るように手招きをする。 

「朝から呼び立てて悪かったね」

「いえ。ご心配なく。丁度、研究所に向かうところでしたから」


 魔術師部隊を率いる有能な魔術師のデリングは、魔術師部隊の訓練をしたり魔術の研究をしたりすることが一番の仕事である。

 政治的取引は大変苦手なので、出来る事ならば、その才に溢れた兄に全てまかせてずっと研究所に籠もっていたい。

 ダグは軽く頷いてから、少し意味深な笑みをデリングに向けた。 

「エクリセアの姫が、毎日、君の研究室に顔を出しているそうだね?」

 予想していなかった兄の言葉に、デリングは目を瞬かせる。

「はい。我々とは使う魔法がかなり違いまして、お互い学ぶ事が多く、大変ありがたいです」

 稀有なる魔術師であるエクリセアの姫は研究所の大変貴重な賓客なのだが、何か問題があるのだろうか?

 少し心配そうな顔をした弟に、兄はにっこりと微笑んだ。

「エクリセアの姫が来てくれるなんて、思いがけない幸運だったね、デリング?」


「はい。リヴァー殿は……会話をするのが少々難しいのですが、その魔術の知識には感嘆します」

「うん。凄い魔力の持ち主だしね。驚いたよ。流石、魔術に長けたエクリセアの姫だけの事はあるね」

「はい」

「特に問題はなさそうだね?」

 ああ、それを聞きたかったのか、とデリングは納得した。

 自分を心配してくれたのであろう兄に、にっこり笑って頷く。

「はい。彼女には何も問題ありません」

「そうか。正直、綺麗なモノに目がないエクリセア人のことだから、君のことを気に入って色々ちょっかいを出してくると思ったのだけど、その心配がないようで安心したよ」

 その美貌ゆえに老若男女問わず恋慕の情を抱かれてしまい辟易しているデリングの境遇をよく理解しているダグは、弟が困っていないか常に気にかけている。


「リヴァー殿からは下心を感じませんので、私もとても楽です」

「それは良かった。……デリング、君はリヴァー姫のことをどう思っているんだい?」

 又、予想していなかった会話の展開に、デリングは口ごもった。 

「……素晴らしい魔術師だと思っていますが……」

「うん。私もそう思うよ。……君の妃にしたいかい?」



 (……妃?)

 その言葉を聞いて、思考が停止した。

 (……私の、妃? リヴァー殿を……?)

 エクリセアの魔具の技術。

 リヴァーの魔力と知識。

 それがアズルガートにもたらす利益は……。

 何故、ターニャの顔がちらつくのだろうか?

 混乱しながら、デリングは何か言わなければと無理矢理口を開いた。


「……その……それは……考えてもみませんでした……確かに、リヴァー殿がアズルガートに来て下されば……素晴らしい戦力になりますが……。兄上は……それをお望みですか? ……私は……兄上がそれをお望みならば……」

 

(望みならば……?)

 決まっている。

 従うのみだ。

 それは、昔から決めていたこと。今更、何を動揺しているのだろうか?

 デリングの様子を眺めながら、ダグは目を細めた。


「どうかな。……ケルトレアは君を奪う気なのだと思う。リヴァー姫は君を釣るエサじゃないかな」

「……エサ、ですか?」

 剣呑な響きの言葉に、眉を顰める。

「ラズの奴、宰相に要らない事を喋ったんだろうね。お仕置きが必要かな」

「……私が、エクリセアに魔具の研究に行きたいと言っていた事をケルトレア宰相にラズが話したと?」

「多分ね。じゃなきゃ、可愛い妹を寄こす訳が無いよ。リヴァー姫は宰相の妹なんだからね」

「……そうでした」


 リヴァーの魔術師としての有能さにばかり気を取られていて、失念していた。

 ケルトレアの宰相はエクリッセ伯爵領土の跡継ぎ、つまり旧エクリセア王国領土の跡継ぎで、前宰相の息子。

 そう考えると、頭の切れる策略家だと聞く宰相の兄と前宰相の父を持つ娘にしては、リヴァーはあまりにも無邪気に思える。たどたどしい喋り方や、子供の様に素直で純粋な性格は、あの圧倒される程に優れた頭脳にはそぐわない。

 まさか、全て演技ではないだろうな? とデリングに一抹の不安が過ぎる。


「君がリヴァー姫に女性として惚れていて、どうしても妃に欲しいのなら、兄としてはどうにかしてあげたいと思う。少し大変そうだけど、全く可能性が無いわけではないし、リヴァー姫をアズルガートで貰い受ける作戦を練るかい?」

「いえ……確かに彼女の才能や知識は素晴らしいと思いますが、妃にとは考えもしませんでした」

「そうか、じゃあ、とりあえず、この件は保留だね」 

「はい」


 保留。

 つまり検討の価値あり、という事だろう。

 だから、どうして、ターニャの顔がちらつくのだろうか?

 先程から何故かターニャの事を考えている自分に苛立ちながら、デリングは眉を寄せた。



「そういえば、シャナン王女の護衛騎士とは仲良くなれたかい?」

 ターニャの事を考えていたのを見透かされたのかと、デリングは焦って首を横に振った。

「いえ、それが……中々手強くて苦戦しています」

「へぇ……君が手こずるなんて、驚いたな。……まぁ、かなり、天然入っているからね、あの子」

 ダグはターニャの様子を思い出し、ふふふ、と楽しげに笑う。

「はい。……何と言いますか、反応が予測不可能です。……口説いても、私に興味を示しませんし、正直、戸惑っています」

「へぇ! 驚いたな。……デリングを振り回すなんて、凄いね」

 ダグは心底感心した。

 自慢の弟の美貌になびかない女などが存在するとは、夢にも思わなかった。


「本当に、振り回されていますよ。訳がわかりません。あんなに奇想天外な人間に会った事がありません。リヴァー殿の『会話が苦手』など、まだ可愛いものです。彼女の場合、文法が少々間違っていて、言葉足らずなだけですから。でも、ターニャは違うのです! 文法も正しいし、無口なわけではないのに、なんで、あんなに食い違うのです!?」

 興奮したように言う弟に、ダグは驚いて目を瞬かせた後、思い切り笑った。

「あははははは! 確かに、見事な食い違いっぷりだよね! あれ、わざとだったら、恐ろしいなぁ」

「やはり、わざとなのではないかと思いますよね? 私もそう思いまして、ターニャが他の者と話している所も色々と聞いたのですが、ずっとあの調子なのですよ!? 慣れているのでしょうね、ケルトレアの者達は楽しそうに会話しているのです! ちぐはぐなのに何故か噛み合っている掛け合いが凄く上手でして、聞いている方が笑ってしまいますよ!」

「本当だよね。特にシャナン王女の絶妙なツッコミが面白いよ」


「常にあんな状態なのに馬鹿にされず、周りの騎士やシャナン王女にあのすっとぼけっぷりも愛されている様ですし、部下には凄く慕われていますし、可笑しいでしょう!?」

 珍しく声を荒げて主張する弟を、ダグは興味深げに観察する。

「あはは。可笑しいから愛されているんじゃないかな。仕事に支障は無いみたいだし」

「確かに、仕事は出来る様なのです。私が遠くから見ていても直ぐ視線に気付きますし、身を隠して尾行していても直ぐに気付かれますし、フリムを尾行させても気付くのですよ! フリムが手合わせをしたら、素晴らしい剣の使い手だったと言っていました」


 ダグはデリングの話を聞きながら、王女の護衛をしている位なのだから仕事は出来るのだろうな、と思って頷いた。

 そんな事よりも、人間不信で特に女性を毛嫌いしているデリングが、真剣な顔でこっそり女を付けて回っているのを想像すると可笑しい。

「天然であることに自覚が無いのが厄介なんだよね。あ、それを天然というのか。あはは」

「本当に、厄介です! 口説いても全く的外れな答えが返ってきますし、真面目な顔で可笑しな事を言いますし、素直なくせに頭は固いですし、あんなに美人なのにそれに全く分かっていませんし! なんなのですか、あの女!」


 シャナン王女の真意を知りたいと思って、デリングをターニャに接近させたのだが、思ってもみなかった楽しい事態が起こっている様だ。

 どうやら、天然騎士から王女の真意を探るのは無理の様だが、デリングが面白い事になっているから、このまま続けさせよう。そう思いながら、ダグはデリングを眺めた。

「まぁ、落ち着いて、茶でもお飲み」

 静かに言われて、デリングは出されていた茶を一口飲んで、誤魔化すように咳払いをした。

「……失礼致しました。……兎に角、そういう訳でして……シャナン王女の真意を探るのには、もう少々お時間を下さい」

 少し頬を染めた美貌の弟の言葉を聞いて、ダグはにっこりと微笑んだ。


「うん、期待しているよ。頑張って?」

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