第五十三話 ちゃんと伝えたい
木曜日の夜。
優太は、自分の部屋でベッドに寝転がっていた。
机の上には、開いたままの教科書。
明日の準備も終わっている。
なのに。
眠れなかった。
「……」
天井を見つめる。
こうしていると。
自然と、綾乃のことを考えてしまう。
いつからだったんだろう。
そう思って。
優太は、これまでのことをゆっくり思い返した。
*
最初の頃。
綾乃は、ただ話していて楽しい子だった。
よく笑う。
ちょっと抜けているところもある。
変なところで真面目で。
くだらない話にも、ちゃんと付き合ってくれる。
だから。
もっと話してみたいと思った。
放課後、一緒に帰れたら楽しそうだと思った。
それくらいだった。
まだ。
「好き」という言葉を、自分に向ける必要もなかった。
*
初めて二人で出かけた日。
映画を見て。
ご飯を食べて。
いろんな話をして。
笑って。
帰った。
その日は、普通に楽しかった。
けれど。
家に帰ってから。
ふと思い出した。
映画の内容より。
何を食べたかより。
綾乃が笑っていた顔のほうが、よく残っている。
何を話したのか。
どこで笑ったのか。
どうでもいいようなことまで。
妙に覚えていた。
あのときは。
まだ理由が分からなかった。
ただ。
また一緒に出かけたいと思った。
*
それから。
一緒にいる時間が少しずつ増えた。
甘いものを食べに行ったり。
店を見て回ったり。
いろんな話をしたり。
最初は、行き先が楽しみだった。
次は何をしよう。
どこへ行こう。
そんなことを考えていた。
でも。
いつの間にか。
考える順番が変わっていた。
どこへ行くかより。
綾乃と行けるか。
そっちを気にするようになった。
同じ場所でも。
綾乃と一緒なら、きっと楽しい。
そう思うようになった。
その変化に。
優太自身は、しばらく気づかなかった。
*
動物園の日。
あの日は、自分から誘った。
前から行ってみたかった場所だった。
綾乃となら。
きっと楽しいだろうと思った。
実際。
楽しかった。
でも。
今思えば。
あの日にはもう。
かなり好きになっていた。
動物を見ているときも。
何かを見つけて嬉しそうにしているときも。
綾乃が「見て」と呼ぶたびに。
その顔を見るほうが楽しみになっていた。
帰る時間が近づいたとき。
まだ帰りたくないと思った。
もう少し一緒にいたかった。
動物園を出てからも。
今日のことばかり思い出した。
買ったキーホルダーを見れば。
また、あの日の綾乃を思い出した。
今なら分かる。
あの頃にはもう。
自分の中で、綾乃は「楽しい相手」ではなくなっていた。
綾乃といることそのものが。
特別になっていた。
*
それでも。
優太はまだ。
それをはっきり言葉にはしなかった。
言葉にする必要がないと思っていたのかもしれない。
会えれば嬉しい。
一緒に帰れれば楽しい。
また遊べれば、それでいい。
そんなふうに思っていた。
友達として。
このままでも十分だと思っていた。
変える必要なんてない。
そう思っていた。
*
怪我をした日。
その考えが変わった。
最初は。
本当に大したことないと思っていた。
少し痛むだけ。
休めば大丈夫。
病院だって、行かなくてもいいと思っていた。
でも。
綾乃が心配そうに、自分の足を見ていた。
何度も。
「大丈夫?」
と聞いてきた。
病院に行ったほうがいいと言って。
帰り道まで一緒にいてくれた。
別れたあと。
優太は病院へ行った。
軽い捻挫だった。
たいした怪我じゃない。
なのに。
その夜。
ベッドに入ってからも。
綾乃の顔が頭から離れなかった。
心配そうにしていた顔。
病院に行ったと伝えたときの、ほっとした顔。
何度も思い出した。
そして。
そこで初めて。
自分が何に喜んでいたのかに気づいた。
怪我を心配してもらったこと。
それ自体が嬉しかったわけじゃない。
綾乃が心配してくれたことが。
たまらなく嬉しかった。
自分のことを。
そんなふうに気にかけてくれることが。
嬉しかった。
そのとき。
ようやく分かった。
――俺、綾乃にこんなに気にしてほしかったんだ。
*
それから。
自分の気持ちを誤魔化すのが難しくなった。
綾乃からメッセージが来る。
それだけで、少し気分が上がる。
朝、教室で姿を見つけると。
自然と目が向く。
帰り道で一緒になれば。
その日が少し特別になる。
会えない日は。
何となく物足りない。
そんな自分に。
優太は何度も苦笑した。
もう。
「友達だから」で説明するには。
少し大きすぎる。
*
そして。
もう一つ。
気づいてしまったことがある。
綾乃が他の男子と話していると。
気になる。
誰と話すな。
誰と出かけるな。
そんなことを言いたいわけじゃない。
綾乃が誰と仲良くするかは。
綾乃が決めることだ。
それは分かっている。
分かっているけれど。
できることなら。
自分を選んでほしいと思う。
楽しいとき。
嬉しいとき。
何かを話したいと思ったとき。
一番に思い出してほしい。
隣にいる相手として。
自分を選んでほしい。
そこまで考えて。
優太は、ふと黙った。
「……」
そこまで望んでしまうなら。
もう。
友達のままで満足できるはずがなかった。
*
でも。
告白するのは怖い。
今までの関係が変わるかもしれない。
もし断られたら。
今みたいに話せなくなるかもしれない。
一緒に帰ることも。
くだらない話をすることも。
なくなるかもしれない。
それが。
怖かった。
好きだから。
失いたくない。
今まで積み重ねてきたものまで。
壊したくない。
だから。
このまま何も言わないほうがいいのかもしれない。
一瞬。
そう考える。
*
でも。
もし。
この先。
綾乃に好きな人ができたら。
その人と一緒に帰るようになったら。
その人と出かけるようになったら。
その隣で。
自分は今まで通り笑えるだろうか。
「……」
優太は目を閉じた。
たぶん。
無理だ。
綾乃の幸せを願うことはできる。
好きな人ができたなら。
応援したいと思う。
でも。
何も伝えないまま。
ただ友達として、その人の隣を歩くなんて。
自分にはできない。
だったら。
せめて。
自分の気持ちくらい。
ちゃんと伝えたい。
*
優太はスマホを手に取った。
綾乃とのトーク画面を開く。
短いやり取りが並んでいる。
「またね」
「ありがとう」
そんな何気ない言葉。
きっと。
綾乃にとっては。
何でもない言葉なのだろう。
でも。
優太にとっては。
そうじゃなかった。
「またね」と言われれば。
また会える気がした。
「ありがとう」と言われれば。
自分が綾乃の役に立てた気がした。
たったそれだけのことで。
嬉しくなる。
そんな自分が。
少しおかしくて。
でも。
嫌ではなかった。
*
優太はスマホを伏せる。
そして。
静かに息を吐いた。
最初は。
ただ楽しそうだと思った。
そこから。
もっと話したいと思った。
一緒に出かけたいと思った。
動物園の頃には。
もう。
一緒にいることそのものが好きになっていた。
そして。
怪我をして。
綾乃に心配してもらって。
その気持ちを。
もう誤魔化せなくなった。
今なら。
はっきり言える。
「……好きだ」
口にすると。
胸の奥が少しだけ熱くなる。
綾乃が好きだ。
だから。
もっと近くにいたい。
自分も。
綾乃にとって特別になりたい。
*
明日。
綾乃に会う。
いつも通り話す。
いつも通り笑う。
そのあと。
ちゃんと伝える。
怖い。
緊張する。
断られるかもしれない。
それでも。
言わないまま終わるほうが嫌だった。
今までの時間が大切だからこそ。
これから先も。
綾乃の隣にいたい。
友達としてではなく。
もっと近いところで。
できるなら。
ずっと。
優太は、もう一度スマホを見る。
画面には。
綾乃から届いた、
『また明日』
の文字。
優太は、その文字をしばらく見つめた。
それから。
小さく笑った。
「……明日だな」
怖くても。
ちゃんと伝えよう。
自分の気持ちを。
綾乃に。
今度こそ。
言葉にしよう。




