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今日も、たぶん平和じゃない  作者: RieL


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第五十一話 心配だから

 火曜日の放課後。


 美術室では、生徒玄関に飾る大きな絵の続きを描いていた。


「この辺、もう少し明るくする?」


 綾乃が筆を止める。


「うん。そっちのほうが全体がまとまりそう」


 すずが絵を見ながら答える。


「じゃあ、少し色を足してみる」


 綾乃がパレットに絵の具を出す。


 そのとき。


 廊下から、誰かの足音が聞こえた。


「綾乃」


 聞き覚えのある声。


 綾乃が顔を上げる。


 美術室の前を、優太が歩いていた。


「あ、松寺くん」


 優太が足を止める。


「まだ部活?」


「うん」


「そっか」


 優太はそのまま通り過ぎようとした。


 そのとき。


 綾乃が、ふと優太の歩き方に違和感を覚えた。


「……松寺くん?」


「ん?」


「足、どうしたの?」


 優太が自分の足を見る。


「ああ」


 少しだけ苦笑する。


「練習中にちょっと捻った」


「え?」


 綾乃の表情が変わる。


「大丈夫なの?」


「うん。これくらいなら平気」


「でも、歩き方変だよ」


「そう?」


「そうだよ」


 優太は少し笑う。


「湿布貼っとけば治るって」


「病院は?」


「行かない」


「何で?」


「ほんとに大したことないから」


 綾乃が心配そうに足を見る。


「でも……」


 そのとき。


「何が大したことないんだ?」


 廊下の向こうから声がした。


 綾乃が振り返る。


「あ」


 恵斗だった。


 その後ろには遥翔もいる。


「恵斗先輩」


「おう」


 恵斗は優太の足を見る。


「松寺、足どうした」


「練習中にちょっと捻って」


「病院は?」


「いや、行かなくても大丈夫かなって」


「何で?」


「これくらいなら、湿布貼っとけば治ると思うんで」


 恵斗の眉が寄る。


「……松寺」


「はい」


「お前、陸上やってるんだろ」


「はい」


「だったら、なおさらちゃんと診てもらえ」


「でも、本当にたいしたことないです」


「痛みが軽いからって、怪我が軽いとは限らないだろ」


「……」


「変に悪化させたらどうする」


「……はい」


「今日、走るつもりだった?」


「いや、それは……」


「まさか、走ろうとしてた?」


「……少しだけ」


「馬鹿」


「すみません」


 優太が素直に頭を下げる。


 綾乃は思わず恵斗を見る。


 少し怖い。


 でも。


 本気で心配しているのが分かる。


「ちゃんと病院行け」


「分かりました」


「今日は走るな」


「はい」


「帰ったら冷やして、できるだけ動くな」


「分かりました」


「明日も痛かったら休めよ」


「はい」


 恵斗はようやく表情を緩めた。


「ならいい」


「ありがとうございます」


「おう」


     *


 優太が苦笑する。


「先輩、結構厳しいですね」


「当たり前だろ」


 恵斗は呆れたように言う。


「足は陸上やるなら大事なんだから」


「はい」


「無理して長引かせたほうが面倒だろ」


「分かりました」


 優太は素直に頷いた。


 恵斗は少しだけ優太を見て。


「……ちゃんと診てもらえよ」


「はい」


 それから。


 綾乃を見る。


「綾乃」


「はい?」


「お前も心配しすぎるなよ」


「え?」


「松寺がちゃんと病院に行けばいい」


「……はい」


 綾乃は少し笑った。


「でも、心配なので」


「まあ、それは分かるけど」


 恵斗は少しだけ困ったような顔をする。


「ちゃんと診てもらうなら、それでいい」


「はい」


     *


 綾乃は美術室の中を見る。


 まだ作業は途中だった。


 でも。


「……すず」


「うん」


「今日、私もう帰っていい?」


 すずは少しだけ綾乃を見る。


 それから。


「いいよ」


「ごめん」


「明日やればいいから」


「ありがとう」


 綾乃は鞄を持った。


「松寺くん」


「ん?」


「一緒に帰ろう」


「……いいの?」


「うん」


「部活は?」


「今日はもういい」


「でも」


「心配だから」


 綾乃は当たり前のように言った。


 優太は一瞬黙る。


「……そっか」


 そして。


 少しだけ嬉しそうに笑った。


     *


 その様子を。


 すずは美術室の入り口から見ていた。


 綾乃は本当に心配している。


 自分から部活を切り上げて。


 優太と一緒に帰ろうとしている。


「……」


 すずは何も言わない。


 ただ。


 綾乃の顔を見ていた。


     *


「じゃあ、気をつけて帰れよ」


 恵斗が言う。


「はい」


「松寺」


「はい」


「病院、ちゃんと行けよ」


「分かりました」


「湿布だけで済ませるなよ」


「はい」


 優太が苦笑する。


「分かりましたって」


「ならいい」


 恵斗は綾乃を見る。


「綾乃も、帰り気をつけろよ」


「はい」


「じゃあな」


「お疲れさまです」


 綾乃と優太が歩いていく。


 恵斗は、その背中を見送った。


 遥翔も隣で二人を見ている。


「……」


 少しして。


「行くぞ」


 遥翔が言った。


「ああ」


 二人も歩き出す。


     *


 駅へ向かう道。


 綾乃と優太は、ゆっくり歩いていた。


「痛くない?」


「大丈夫」


「本当に?」


「うん」


「無理してない?」


「してないよ」


 優太は笑う。


「綾乃、今日ずっと心配してるな」


「だって」


 綾乃は少し困ったように言う。


「足、大事でしょ?」


「うん」


「ちゃんと治さないと」


「そうだな」


「だから」


「うん」


「絶対病院行ってね」


「分かった」


 優太は少しだけ笑った。


「ありがと」


「何が?」


「一緒に帰ってくれて」


「いいよ」


「部活もあるのに」


「明日やればいいから」


「……そっか」


 優太は前を向く。


 胸の奥が、少し温かい。


 綾乃が自分のために時間を使ってくれた。


 それだけで。


 嬉しかった。


「綾乃」


「ん?」


「また一緒に帰ろうな」


「うん」


 綾乃は自然に頷いた。


「また帰ろう」


 優太は笑った。


 やっぱり。


 好きだ。


 もう、その気持ちははっきりしている。


     *


 駅に着く。


「じゃあ、私こっちだから」


「うん」


「病院、ちゃんと行ってね」


「分かってるって」


「絶対だよ」


「はいはい」


「その返事、信用できない」


 優太が笑う。


「じゃあ、診てもらったら連絡する」


「うん」


「待ってて」


「分かった」


 二人はそこで別れた。


 綾乃が改札へ向かう。


 優太はその背中を見送った。


     *


 その頃。


 恵斗と遥翔も駅へ向かっていた。


 しばらく二人とも黙って歩く。


「……」


 遥翔が隣を見る。


 恵斗は前を向いたままだ。


「何?」


 恵斗が言う。


「いや」


「何だよ」


「牧、心配してたな」


「……そうだな」


「部活まで切り上げて」


「うん」


 恵斗は少しだけ前を見る。


 綾乃が優太のために部活を早退した。


 心配だから。


 それだけ。


 何もおかしくない。


 むしろ。


 自分だって優太に病院へ行けと言った。


 綾乃が心配するのも当然だ。


「……」


 なのに。


 なぜか。


 胸の奥が少し重かった。


「恵斗」


「何」


「今日、静かだな」


「そうか?」


「うん」


「別に」


「またそれ」


「うるさい」


 遥翔が少し笑う。


 恵斗は前を向いたまま歩く。


 綾乃が優太を心配していたこと。


 自分も同じように優太を心配したこと。


 それなのに。


 綾乃が優太の隣を歩いて帰っていったことだけが。


 妙に引っかかっていた。


「……」


 恵斗は小さく息を吐く。


 そして。


 誰にも聞こえないくらいの声で呟いた。


「……何で、こんな気になるんだよ」


 答えは。


 まだ分からなかった。


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