第四十八話 今日の松寺くん
土曜日。
駅前は、いつもより人が多かった。
秋のスイーツフェアが開かれているせいか、朝からたくさんの人が集まっている。
「綾乃」
「ん?」
声がして、綾乃が振り返る。
優太が歩いてきた。
「待った?」
「ううん。今来たところ」
「そっか」
優太が笑う。
「じゃあ、行こうか」
「うん」
二人で歩き始める。
「今日は何から?」
「スイーツ」
綾乃が即答する。
「やっぱり?」
「だって、今日の一番の目的だもん」
「なるほど」
優太が笑った。
「じゃあ、最初から行こう」
「うん」
*
会場には、秋限定のスイーツが並んでいた。
モンブラン。
さつまいものタルト。
栗のシュークリーム。
かぼちゃプリン。
どれもおいしそうだった。
「……迷う」
綾乃が立ち止まる。
「そんなに?」
「全部おいしそうなんだもん」
「じゃあ、ゆっくり見れば?」
「でも、混んでるよ」
「別にいいよ」
「え?」
「今日は時間あるし」
優太はそう言って、綾乃の隣で一緒にメニューを眺める。
「これ、さっきも見てたよな」
「うん」
「気になる?」
「気になる」
「じゃあ、候補にしとけば?」
「候補?」
「他のも見てから決めればいいじゃん」
「あ……」
綾乃は頷いた。
「それいいかも」
二人で少しずつ店を見て回る。
綾乃が立ち止まるたびに、優太も一緒に止まった。
急かすこともない。
「これもおいしそう」
「それも候補?」
「うん」
「じゃあ覚えとく」
「覚えるの?」
「あとで決めるんだろ?」
「……うん」
何でもないように言う。
でも。
綾乃は少しだけ嬉しくなった。
*
結局。
二人はモンブランとプリンを買った。
「いただきます」
「いただきます」
綾乃がプリンを一口食べる。
「……おいしい」
思わず顔が緩む。
優太が笑った。
「そんなに?」
「うん。すごくおいしい」
「じゃあ、ちょっと食べていい?」
「いいよ」
綾乃は自分のスプーンですくって、そのまま優太に差し出した。
優太は何のためらいもなく、
「あー」
と口を開けて食べる。
「うん。うまい」
「でしょ?」
綾乃は笑った。
――その直後。
「……」
ふと。
綾乃の視線が、自分の手元に落ちる。
今。
自分のスプーンで。
優太が食べた。
つまり。
これって。
「……」
綾乃の頬が、少し熱くなる。
「どうした?」
「え?」
「食べないの?」
「……食べる」
「?」
優太は不思議そうな顔をした。
でも。
それ以上は何も聞かなかった。
綾乃はプリンをもう一口食べる。
さっきまで普通だったのに。
なぜか。
少しだけ意識してしまう。
「……」
そのとき。
「じゃあ、こっちも食べる?」
優太がモンブランを差し出した。
「え?」
「さっき交換したし」
「……」
綾乃は一瞬だけ迷った。
優太が使っているスプーン。
それを見てしまう。
「どうした?」
「……なんでもない」
「そう?」
「うん」
綾乃は少しだけ息を吸って。
優太が差し出したスプーンから、一口食べた。
「……おいしい」
「だろ?」
優太は嬉しそうに笑う。
その顔を見て。
綾乃はまた少しだけ胸が跳ねた。
優太は。
本当に何も気にしていない。
たぶん。
今のことも。
何とも思っていない。
それが分かるから。
余計に、自分だけ意識しているのが恥ずかしかった。
*
食べ終わったあと。
二人はフェアの中をもう一度見て回った。
「これ、買おうかな」
綾乃が小さな焼き菓子の箱を手に取る。
「さっきのと似てるな」
「そう?」
「うん」
「じゃあ、やめようかな」
「何で?」
「食べきれなさそう」
「持って帰ればいいじゃん」
「でも……」
綾乃が箱を見つめる。
優太は少し考えてから、
「さっきから何回も見てるよな」
「……見てた?」
「うん」
「そんなに?」
「結構」
優太が笑う。
「欲しいなら買えば?」
「うーん……」
「今日食べなくてもいいんだし」
「……そっか」
「明日でも明後日でも食べられるだろ」
「それもそうだね」
綾乃は結局、箱を買った。
店を出て。
「嬉しそう」
優太が言う。
「分かる?」
「分かるよ」
「恥ずかしいな」
「何で?」
「だって、すぐ顔に出るんだもん」
「いいじゃん」
「え?」
「嬉しいときは嬉しそうなほうがいいだろ」
「……」
綾乃は少し黙った。
「そういうもの?」
「そういうもの」
優太は何でもないように言う。
綾乃は小さく笑った。
「じゃあ、そうする」
*
スイーツフェアを出たところで。
「あれ?」
綾乃が足を止める。
少し先に、見覚えのある二人がいた。
「あ」
「どうした?」
「あそこ。杏奈先輩と琉生先輩」
優太もそちらを見る。
二人に近づく。
「杏奈先輩」
「あ、綾乃ちゃん」
杏奈が振り返った。
「こんなところで会うなんて」
「はい」
綾乃が笑う。
「スイーツフェアに来たんですか?」
「うん」
杏奈が袋を見せる。
「プリン」
「こっちも」
琉生がもう一つの袋を持ち上げた。
「二つ買った」
「またプリン?」
杏奈が笑う。
「限定だったから」
「私も食べるけど」
「じゃあ一個ずつ」
「最初からそのつもりだったでしょ」
「うん」
「もう……」
杏奈が笑う。
綾乃も思わず笑った。
「二人ともプリン好きなんですね」
「琉生くんほどじゃないよ」
「杏奈も好きじゃん」
「普通」
「この前も食べてた」
「……」
杏奈が琉生を見る。
「よく覚えてるね」
「覚えてるよ」
「そう」
杏奈は少しだけ照れたように笑った。
*
杏奈が綾乃の隣を見る。
「そっちは?」
「あ」
綾乃が振り返る。
「同じクラスの松寺くんです」
「初めまして」
優太が頭を下げる。
「初めまして」
「よろしくお願いします」
琉生も軽く頭を下げた。
「よろしく」
四人で少し話す。
「今日は二人で来たの?」
杏奈が綾乃に聞く。
「はい」
「楽しそうだね」
「楽しいです」
綾乃が答える。
その横で、優太が笑っている。
杏奈は二人を見て。
少しだけ笑った。
「じゃあ、私たちはプリン食べて帰るね」
「はい」
「また学校で」
「はい。また、杏奈先輩」
「うん。またね、綾乃ちゃん」
琉生と杏奈が並んで歩いていく。
琉生が自然に杏奈の持っていた袋を受け取る。
「持つよ」
「大丈夫」
「二つあるから」
「……じゃあお願い」
「うん」
そんな会話が聞こえてきた。
綾乃は二人の背中を見送る。
「仲いいね」
優太が言った。
「うん」
「付き合ってるのかな」
「どうだろう」
綾乃は少し考える。
「でも、楽しそう」
「そうだな」
「なんか、いいね」
「何が?」
「こういうの」
綾乃は二人の背中を見ながら言った。
「好きな人と、一緒に好きなもの食べたりするの」
優太は一瞬だけ綾乃を見る。
「……そうだな」
綾乃は、その視線には気づかなかった。
*
そのあと。
二人は雑貨屋へ向かった。
「ここ見たい」
「いいよ」
店の中に入る。
綾乃は楽しそうに棚を見て回る。
「これかわいい」
「綾乃、こういうの好きだよな」
「また?」
「またって?」
「今日、何回も言われてる気がする」
「そう?」
「うん」
「じゃあ、覚えてるってことで」
「……なんかずるい」
「何が?」
「そういう言い方」
「?」
優太は本当に分かっていない。
綾乃は思わず笑ってしまった。
*
しばらくして。
綾乃が小さなポーチを手に取った。
「これ……かわいい」
「買う?」
「迷う」
「じゃあ、他も見てから決めれば?」
「うん」
「まだ時間あるし」
「そうだね」
二人で別の店も見て回る。
その間も。
優太は何度も、
「さっきのやつ、まだ気になる?」
と聞いてきた。
「うん」
「じゃあ、戻る?」
「いいの?」
「いいよ」
綾乃は少し驚いた。
「松寺くん、飽きないの?」
「何が?」
「私の買い物」
「別に」
「でも、結構迷ってるよ?」
「迷ってる時間も楽しいんじゃない?」
「……」
綾乃は言葉を失った。
そんなこと。
考えたこともなかった。
「だから、急がなくていいよ」
優太は笑った。
「綾乃が納得して買えばいいじゃん」
「……うん」
綾乃は、少しだけ笑った。
「ありがとう」
*
結局。
綾乃は、最初に見たポーチを買った。
店を出る。
「やっぱり嬉しそう」
「うん。嬉しい」
「よかったな」
優太が笑う。
綾乃が袋を持とうとすると。
「それ、持つよ」
「え?」
「さっき買ったやつもあるし」
「大丈夫だよ」
「でも、もう結構持ってるだろ」
「……うん」
「じゃあ貸して」
優太が自然に袋を受け取る。
「ありがとう」
「うん」
そのまま歩く。
綾乃は隣を歩きながら、何度も優太を見る。
今日。
何回も。
優しくされた。
何かを決めるときも急かされなかった。
欲しいものを買うのも、背中を押してくれた。
荷物も持ってくれた。
それなのに。
優太は。
本当にいつも通りの顔をしている。
「……松寺くん」
「ん?」
「今日、なんか優しくない?」
「そう?」
「うん」
「いつもこんな感じじゃない?」
「……そうかな」
「そうだよ」
優太は笑った。
「綾乃といると楽しいし」
「……」
綾乃の足が、ほんの少し止まる。
「どうした?」
「……ううん」
慌てて歩き出す。
「何でもない」
「そう?」
優太は不思議そうにしながらも、それ以上聞かなかった。
*
駅に着く。
「じゃあ、俺こっち」
「うん」
優太が袋を返す。
「今日はありがと」
「こちらこそ」
「また行こうな」
「うん」
少しだけ間があって。
「今度はさ」
優太が言った。
「俺の行きたいところ、付き合ってよ」
「え?」
綾乃が顔を上げる。
「いいよ」
「ほんと?」
「うん。どこ行きたいの?」
「まだ決めてない」
「何それ」
綾乃が笑う。
「じゃあ、決まったら教えて」
「分かった」
優太も笑った。
「楽しみにしてて」
「うん」
「じゃあ、また」
「またね」
優太が離れていく。
綾乃は、その背中を見送った。
次は。
優太が行きたいところ。
どこなんだろう。
そんなことを考えるだけで。
少しだけ楽しみになった。
*
帰宅して。
綾乃はベッドの上に座った。
今日のことを思い出す。
スイーツ。
雑貨屋。
杏奈先輩と琉生先輩。
そして。
優太。
スイーツを交換したとき。
自分のスプーンで、優太が食べた。
そのあと。
優太が使ったスプーンから、自分も食べた。
思い出しただけで。
頬が熱くなる。
「……何で今さら」
あのときは。
優太は何も気にしていなかった。
だから。
たぶん。
自分が気にしすぎなのだ。
でも。
今日の優太は。
いつもより優しかった。
自分のことを、よく見ていた。
自分が楽しそうにしていると、嬉しそうにしていた。
そして。
「俺の行きたいところ、付き合ってよ」
そう言ってくれた。
「……」
綾乃は枕を抱える。
今日一日を思い返すと。
胸が少しだけ、くすぐったかった。
「……松寺くんって」
小さく呟く。
「こんなに優しかったっけ」
答えは出ない。
ただ。
次に優太が連れていってくれる場所が。
少しだけ楽しみになっていた。
そして。
その気持ちを。
綾乃はまだ、「好き」という言葉には結びつけなかった。




